遠慮がいらない―3
「兄弟喧嘩みたいなこと」のあと、前島サンはなんだかとっても近い人になった。思ったよりも大人らしくない、どちらかと言えば、父と兄の中間くらい。
父も兄も、知らないけど。友達の話に聞く「お父さん」ほど煩わしくもないし「兄貴」ほど張り合う存在じゃない。そして、私にとって最後に頼りになるのは前島サンじゃなくて、やはり母。母の夫なのだから外から見れば父の位置なのだけれど、私にはどうしてもそう思えないし、前島サンの存在は、それ以外の何かだと思わざるを得ない。
日曜日の朝、母は起きてこない。和はまだ夜中に何度か泣くことがあり、母の睡眠時間は常に足りないらしい。リビングで本を読んでいると、前島サンがのっそりと寝室から出てくる。新聞を前にしばらくぼーっとした顔をしてるんだけど。
十一月も半ばすぎ、起きだしてきた前島サンにいきなり「じゃんけん」と言われた。訳もわからず「じゃんけんぽん!」で、負けた。
「はい、僕の勝ち。てまちゃん、朝ご飯の支度」
「何それ?ずるい!もう一回!」
この日を境に毎週じゃんけんは恒例になり、母が起きだした時には少しだけ上達した前島サンの目玉焼きだとか、前島サン曰く「鳥のエサ」の私のサラダが食卓に乗っていることになった。
母が言うところの遠慮のない間柄っていうのは、まだよくわかってはいない。ただ家に前島サンがいることが、ごくごく当り前な自然なことで、一緒にテレビを見て笑ったり、休みの日の朝にじゃんけんしたりすることが、いつの間にか普通の生活の中に入っている。
前島サンが和の顔をつつきながら、時折母とひそやかな視線を交わすことすら気持ち悪いことではなく、夫婦仲の良い証明のようで楽しそうだなと思うだけだ。
それでも、このふたりが子供をつくったのだと考えたくはないけど。
十二月になる頃には、和は人の顔を見て笑うことを覚えた。泣き声は前にも増して大きくなり、うるさくてテレビの音も聞こえないことがあるけれど、ご機嫌の時にニコニコと笑う顔は可愛くて、夢中になってあやしてしまう。手首にスポンジでくるまれた鈴をつけてやると、自分の手から音がするのが不思議らしくキョトンとした顔をするのがまた、可愛い。そして、リビングに和がいれば全員の視線は和に向いているので、キツい顔ができない。
一番小さいのに、存在感だけ大人よりもある。和を中心に、みんながまとまってる感じかな。