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異世界金融再建録 ― 税と貨幣と黙認の王国 ―  作者: しずか


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第7話 準公認化の始まり

 書斎の窓は閉じられていた。冬の朝の冷気は石壁に遮られ、室内には紙とインク、乾いた革表紙の匂いだけが沈んでいる。蝋燭は一本。炎は揺れない。揺れないという事実が、ここでは時間の進み方を決めていた。

 机の上に、束ねられた帳簿と覚書が並べられている。徴税、通行料、倉庫の在庫、銀袋の出入り。レルムが王都式の書式で整えた「資料」だ。

 その資料を、十三歳の嫡男が眺めている。

 異常だ。――外から見れば。

 しかし、この屋敷の中では、いまそれが許されていた。

 レオンハルトの意図は単純だった。

 帝王学。

 剣だけでは領地は守れない。年貢の徴し方、兵糧の積み方、家臣に払う銀の重さ。そういうものに、早く触れさせる必要がある。十三歳なら、もう子供ではない。だがまだ、失敗しても致命傷にはならない。

 失敗したら、レルムが直せる。


 ――それが、大人の油断だった。


 クレドは椅子に深く座らない。背もたれに体重を預ける癖は、前世の職業が許さなかった。紙の端を押さえる指は小さいが、視線は忙しい。数字を追うのではない。配置を見る。

 資産。負債。流れ。

 言葉にせず、頭の中に箱を置く。世界を帳簿に落とすときの型だ。

 資産――街道、倉庫、港への接続。形はある。  負債――軍役、王都への納付、慣例に縛られた支出。動かない。  流れ――銀。動くが、留まらない。


 評価は冷たい。

 この領は、悪くない。だが、割に合わない。

 守れば守るほど、外へ価値が流れる構造だ。剣で守るほど、割引は深くなる。市場は恐怖に利子をつける。

 帳簿が整いすぎている。天候不順の月も、街道封鎖があった週も、変動が平らだ。税は前倒し、支出は後ろ倒し。均す意志がある。

 均した者は、どこかで歪みを飲み込んでいる。

 銀の流入は一定だが、滞留が短い。倉庫は膨らみ、銀袋は軽い。物は溜まり、貨幣は留まらない。

 信用が、銀を押し出している。

 紙の端に、レルムの書き込みがある。「ギルドからの照会」。帳合の整合性は認める。ただし、流通の一部を慣例に戻せ――そういう意味だ。

 準公認。

 完全な承認ではない。黙認より一歩進み、保証より一歩退く。責任を負わずに、利益だけに触れる位置。


 クレドは視線を上げ、レルムを見る。文官は疲れた目を伏せ、言葉を選んでいる。保守的な実務家の逡巡だった。

「……悪い話ではありません」

 悪くない、という言葉は、ここでは最善を意味する。

 クレドは帳簿の束を軽く叩いた。


「レルム。書式を変えて」

 レルムの眉が動く。


「倉庫はいま、入と出だけだ。これじゃ溜まっているのか、回っているのかが分からない。入った日と、出た日を書いて。袋ごとに札を付けて、古い順に出す」

「先に入ったものから……?」

「そう。滞留が見える。滞留が見えれば、銀を寝かせている倉が分かる」

 レルムの喉が鳴った。滞留という言葉は、数字の裏にある責任を浮かび上がらせる。


「通行料も、金額だけじゃなく馬車の台数を書く。台数が分かれば、一台あたりの銀が出る」

 客単価。

 徴税帳簿が、商いの帳簿に変わる境目。


「それと、全日はいらない。夕刻だけを別にして。混む時間帯だ」


 レルムは息を吐いた。

「……坊ちゃま。それは人手が要ります。倉の札、通行の記録……家中の動きが変わります」

 牽制。もっともな反応だった。

 クレドは、少しだけ声を落とした。

「逆だよ、レルム」

 文官が顔を上げる。


「これを書けば、父上への報告は半分で済む。いまは『異常なし』と言うために、百の言葉を使ってる。でも、この二つ――滞留日数と、一台あたりの銀があれば、一言で終わる」

 レルムは言葉を失う。


「数字はね、言葉より強い盾になる。責められたときも、守ってくれる」

 沈黙が落ちた。

 レルムは理解した。これは仕事を増やす提案ではない。自分の身を軽くする武器だ。


「……承知しました」

 その返答には、諦めとは違う色があった。

 クレドは最後に、帳簿の余白を指でなぞった。

「準公認は、入口で出口でもある」

 蝋燭の炎が、わずかに伸びる。


「ギルドは『慣例に戻せ』と言ってきた。だから僕たちは、慣例では測れない数字で管理する」

 速さ。回転。滞留。

「彼らが理解できない速度で回せば、鎖はかけられない」

 レルムは、無意識に背筋を伸ばしていた。

 クレドは炎を見る。揺れない炎は、やがて短くなる。

 市場も同じだ。揺れない時ほど、燃えている。


 ――守るか、測るか。


 その問いに、彼はもう答えていた。




 帳簿の書式が変わったのは、その日のうちだった。

 命令は出ていない。触れ回りもない。ただ、倉番の腰に新しい札が下がり、門番の横に細い板が立て掛けられた。夕刻になると、通る馬車の数だけ、刻みが増えていく。

 変化は静かだった。

 だから最初に異変を察したのは、数字ではなく、帳合を扱う人間だった。

 翌朝、レルムは帳簿の前で指を止めた。

 合わないのではない。合いすぎている。

 倉庫の在庫は確かに減っている。古い札から、順に消えている。だが、銀袋の重さは変わらない。通行料の総額も、昨日とほぼ同じだ。


 ――おかしい。


 レルムは通行の板に目を向けた。夕刻の刻みが、昼の倍近い。荷は増えている。流れは太くなっている。だが、銀は増えていない。

 昼前、クレドが書斎に現れた。


「夕刻の板、埋まってる?」

「……はい。刻みは、昼の倍です」

「でも、銀は?」

「……昼と同じです」


 クレドは、ほんの一瞬だけ口角を上げた。笑みではない。確信だ。

「やっぱりね」

 淡々とした声。


「潮が満ちると、網が破れる」

「破れる……?」

「混むと、人は測らなくなる。門番は計量をサボるか、忙しさに紛れて数をごまかす。台数を数えなければ、『今日は暇だった』と言い訳できた。でも、もうできない」

 レルムの背筋に、冷たいものが走った。

 板の刻みは、責めない。ただ、残る。

 それは嘘を暴く道具だった。


「夕刻を切り出した理由は、それだ。量で取っていたから、量が増えると薄まった。取りこぼしだ。機会損失」

 機会損失。

 その言葉が、レルムの中で重く沈んだ。着服かもしれない。怠慢かもしれない。だが、どちらでも構わない。数字の前では、区別は不要だ。

 重要なのは、失われていたという事実だった。

 その日の午後、使者が来た。ギルドからの照会だ。文言は変わらない。「慣例に戻せ」。

 レルムは返書を書いた。

 言い訳も、反論も書かなかった。

 ただ一枚、帳簿の写しを同封した。昨日の入出庫記録と、夕刻の通行台数。数字の羅列だけだ。

 追伸に、一行。


 ――当方の管理基準は、添付の通りである。


 それは、慣例という曖昧な言葉を、数字という凶器で刺す行為だった。

 説明は不要だった。説明を要しないこと自体が、最大の圧力になる。

 返書を閉じたとき、レルムは理解した。

 この帳簿は、王都に見せるためのものではない。

 王都に“見せなくて済む”ための帳簿だ。

 クレドは窓辺で、蝋燭の炎を見ていた。揺れていない。

 揺れない炎は、静かに周囲を焼く。

 準公認は、すでに始まっていた。

 それは許可ではない。放置の確定だった。




 王都商業ギルドの会議室に、乾いた紙の音が響いた。

 ヴァルデン領の商務書記官レルムが起草し、領主レオンハルトが名を連ねた返書だった。その中身は、詫びでも抗議でもない。無機質な数字の列だった。

 入庫日時、出庫日時、滞留期間、回転率、時間帯別の通行台数。

 装飾も解説もない。ただの事実が、順序正しく並んでいる。


「……なんだ、これは」

 若い幹部が呻いた。意味が分からないのではない。分かりすぎるのだ。

「荷が、追跡されている」

 誰かが呟いた。

「しかも、我々より細かく」

 ベルンハルトは老眼鏡の奥で目を細めた。彼は数字を読む人間ではない。だが、数字が持つ圧は理解していた。

 これを『無秩序』とは呼べない。

 むしろ逆だ。

 クズ市には、ギルドの慣例よりも厳密な法が敷かれている。

 数理という名の法。


「この帳簿を前にして無法を訴えれば、恥をかくのは我々だ」

 ベルンハルトは静かに書類を机に置いた。

「干渉はしない」

「しかし、放置すれば……」

「放置ではない」

 老幹部は言葉を切った。

「利用する」

 会議室に沈黙が落ちる。

「彼らは優秀な倉庫番だ。面倒な小口の荷、管理の煩雑な在庫は、すべてあそこに投げろ。保管料を払っても、損は出ない」


 それは、名目上は業務委託だった。

 実質は、敗北だった。

 だが商人の論理では、それを合理化と呼ぶ。


 ――敵対は費用。委託は利益。


 計算が済んだ瞬間、争いは終わる。

 翌日。

 クズ市の門。

 通行料を数える板の横で、門番が目を瞬かせた。

 豪奢な幌をかけた馬車が止まる。御者台には、王都商業ギルドの紋章。

 かつては夜陰に紛れ、裏道を使っていた連中だ。

 だが今、御者は堂々と馬を止め、銀貨を差し出した。


「通行料だ。……領収書をくれ」


 その一言で、空気が変わった。

 レルムは、ペンを持つ手を止めた。

 領収書とは、責任の所在を明確にする紙だ。不正な取引に、それは存在しない。

 彼らは金を払い、紙を受け取り、正規の業務として門をくぐっていく。

 レルムは、静かに息を吐いた。


「……取り込みましたな」

 窓辺で列を見下ろしていたクレドは、首を横に振る。

「違う」

 声は低く、淡々としている。


「向こうが、選んだんだ」

 敵対すれば、監査と摩擦が増える。利用すれば、帳簿が軽くなる。

 そう計算させた時点で、勝敗という言葉は意味を失っていた。

「これで政治的なリスクは消えた」

 クレドは帳簿の次の頁を開く。

「残ったのは、商売だけだ」

 列を成す馬車は、黙々と門を通り過ぎていく。

 クズ市の上空を覆っていた重たい雲が、ゆっくりと薄れていった。

 準公認化とは、許可証を得ることではない。

 誰もが『止める方が損だ』と判断する状態。

 その沈黙こそが、最大の承認だった


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