原初のタイタン
リスが示した方向へと進むにつれて、森は徐々に開け、やがて視界の先に、木々の中にひっそりと佇む小さな集落が見えてきた。丸太と藁でできた素朴な家々が立ち並び、焚き火の煙がゆったりと空へと昇っている。
(村だ……)
希望に胸を膨らませた銀髪の少女は、少しばかり足早になった。村の入り口には、警戒するように槍を構えた二人の番兵が立っていた。彼らは、人間とは異なる、動物の耳と尻尾を持つ姿をしていた。獣人族、と、どこか遠い記憶の片隅で、そんな言葉がよぎった。
少女の姿に気づくと、番兵たちは一瞬身構えたが、少女が敵意のないことを察すると、ゆっくりと槍を下ろした。
「そこのお嬢さん、こんな森の奥でどうした?」
片方の番兵が、低いが優しい声で尋ねた。少女は、自分の状況を正直に話した。記憶がないこと、自分が何者かも分からないこと。番兵たちは驚いた様子だったが、すぐに表情を和らげた。
「そうか……大変だったな。とりあえず、村の長に会ってみるといい。きっと力になってくれるだろう」
番兵に案内され、少女は村の中へと足を踏み入れた。村人たちは、珍しそうに少女を見つめたが、敵意の視線は感じられなかった。むしろ、心配そうな、あるいは好奇心に満ちた視線だった。
村の中央には、ひときわ大きな建物があった。それが村長の家らしい。番兵が声をかけると、中から白髪の老獣人が現れた。その顔には深い皺が刻まれているが、瞳は優しく、知性を感じさせた。
少女は、再び自分の状況を説明した。老獣人は、少女の話をじっと聞き、時折頷いた。
「記憶がないとは、気の毒に……。しかし、お嬢さんのその髪の色と瞳の色は、我々が古くから伝わる伝説の存在を思わせる。もしかしたら、お嬢さんはこの世界の運命に関わる者なのかもしれぬ」
老獣人の言葉に、少女は戸惑いを覚えた。伝説の存在? 運命? 自分には、そんな大それたものとは無縁のように思えた。
「我々の村には、古くから伝わる神像がある。その神像は、この世界の始まりの存在、原初のタイタン『アル』を祀っている。もしかしたら、お嬢さんの記憶の手がかりになるかもしれぬ」
老獣人に導かれ、少女は村の中央にある広場へと向かった。広場の中央には、苔むした巨大な石像がそびえ立っていた。それは、威厳に満ちた姿で天を仰ぐ、人とも獣ともつかない、しかしどこか神々しい存在の像だった。
少女は、その神像に吸い寄せられるように近づいた。ひんやりとした石の感触が、触れた指先から伝わってくる。その瞬間、少女の視界が歪んだ。
周囲の景色が、まるで水彩画のように滲み、溶けていく。足元がぐらつき、体が宙に浮くような感覚に襲われた。次の瞬間、少女の目の前に広がっていたのは、見慣れた森の風景ではなく、漆黒の闇に包まれた、しかし無数の星々が瞬く幻想的な空間だった。
「ようこそ、我が領域へ」
どこからともなく、深く、しかし澄んだ声が響いた。少女が声のする方へ目を向けると、闇の中に、巨大な光の塊が浮かんでいた。それは、形を持たないが、確かにそこに「存在」していると分かる、圧倒的な威圧感を放つ存在だった。
「お前は、失われた歌い手。そして、この世界の調和を取り戻す者」
光の塊から、再び声が響く。少女は、その言葉の意味を理解できなかった。失われた歌い手? 調和?
「お前の中に眠る力は、まだ目覚めていない。だが、時が来た。我は、お前に力を授けよう」
光の塊が、ゆっくりと少女に近づいてくる。その光は、温かく、しかし同時に畏怖の念を抱かせるほどに神聖な輝きを放っていた。光が少女を包み込むと、少女の全身に、電流が走ったような感覚が走った。それは痛みではなく、むしろ、失われたパズルのピースが埋まっていくような、満たされる感覚だった。
「その力は、お前が真の歌い手として目覚めるための導きとなるだろう。記憶の封印は、お前自身の成長によってのみ解かれる。ゆけ、そして世界の真実を知るのだ」
声が遠ざかっていく。光が薄れ、周囲の景色が再び歪み始めた。少女の意識は、ゆっくりと闇の中へと沈んでいった。