勇者様への想い
季節は巡り新緑の頃、私のクラスでは体育祭に向けた選手選抜が行われた。なぜか私はリレーの選手、しかも、アンカー担当に選ばれてしまった。
微妙に嫌な予感がした。私はスポーツ全般が苦手だ。体育の授業を見ていれば分かるはずなのに……。
高校入学以来、中学時代の教訓に従い、目立たぬ行動を心がけている。なのに……。理由が分からず対策できない所で私は、皆の注目を浴びてしまう。そのことが虐めのリスクが高めている。
体育祭当日、私はスタートラインに立ち、震える足に耐えながらバトンを待った。なんと! 第三走者はトップと競り合いながら、こちらに向かって来ているではないか。
あーー、こんなところで醜態を晒したくない。
と、その時だ。私の脳裏に、あの言葉が閃いた。異世界で幼いころ聞いた神の声。
「歌え!」
歩行速度アップの魔法はマズルカだった。だが、マズルカを口ずさんでも、魔法が発動する気配はない。
ここは異世界とは別の世界、もしかしたら、歌とイメージの対応が違う? ならば、私の好きなゲームのアレ? 藁にもすがる思いで、私は黄色いダチョウのような鳥の歌をハミングした。
これだ! 湧いてくる、体の底から魔力が満ちてくるのが分かる!
トップから十メートルほど離されてバトンを受け取った、私。
速い! いや、待て! 速すぎる! 現世の私は魔法の力加減が、分かっていないようだ。十倍速映像が流れる、相対的に他の走者が止まって見える。
瞬く間に陸上部の短距離エースを抜き去り、私は一位でゴールテープを切った!
「すごい! 白百合さん」
災い転じて福ということか、以来、クラス中で私を見る目が変わった。もしかしたら、前世の最悪バッドエンドを気の毒に思った神様が、手を貸してくれたのかもしれない。
体育祭の後もクラスのみんなと無難に付き合えている。カラオケやファミレスを一緒に楽しんでいる振りをする。少々、気疲れしてしまうが、この程度、どうということもない。
あーー、なんて穏やかな日々。素晴らしい! これこそ、私が望んでいた人生、そうよね? そうだよね? そう、そうに違いない……。
夏休み目前の放課後、日差しを避けて中庭で読書をしていた、私。空は青く澄み渡り、薫風が吹き抜ける。この空、蒼い空、あの時と同じ、何か重大なことが起きる予感がする。
「あれ? 楓ちゃん? 練習は?」
どうしたのだろう、彼女は足を引きずっている。
「ドジっちゃった。足をくじいてしまったの。これじゃ、もう、インターハイは無理かな? ちょっと、一人になりたくて……」
「え! じゃ、私、失礼しましょうか?」
「大丈夫、隣り座っていい? お話し聞いてくれるかな?」
「うん」
捻挫の原因は、突然、シューズの紐が切れたことらしい。シューズは下ろしたてで紐が切れるなんて不自然。一年生なのに、めきめき頭角を表した彼女、出る杭は打たれるということだろうか? 紐が切れやすいよう細工されていたのでは? と、楓は言った。
「ひどい! 誰がそんなことを」
「いい気になっていた私が悪いのよ……」
「でも、だって……。あっそうだ! 私、ちょっとした、おまじないをしてあげる」
「?」
もしも、楓が勇者だったら……。
魔法を使えば、私が元聖女だったとバレるだろう。二人が「元勇者、元聖女」を名乗り合うことは、破滅への第一歩、そう信じてきた。
だけど、私には、どうしても楓を見捨てることができなかった。それは、もしかしたら、現世でも変わらず「私が聖女だから」なのかもしれない。聖女の性に、私は抗うことができなかった。
「足首に触れてもいい?」
「いいけど……」
HP回復魔法ピーアン、現世でどう歌えばいい? うーーん、イメージ、イメージ……。何故、この曲が浮かんだのかは分からないが、私は『愛の挨拶(Salut d'amour:Elgar)』をハミングした。
「うそ……でしょう!」
「お役に立てた?」
「も、もちろん、ありがとう」
楓は微妙な反応をした。「うそ……」という言葉は取ってつけたようだったし「ありがとう」は儀礼的で奇跡への驚きや感謝はない、一刻も早くこの場から立ち去りたいと、アンバーの瞳が訴えていた。なので、私は助け舟を出した。
「治ったんだし、また、少し練習行ってきたら?」
「そ、そうね」
足早に楓は体育館に戻って行った。
分かった。楓は間違いなく元勇者だ。だから、彼女は魔法を知っていた、今ので私が元聖女だということにも気付いたに違いない。
だけど、私と同じ理由、もしも二人が結ばれれば、破滅が待っているという何の根拠もない「確信」が、彼女に逃避という行動をさせた。
彼女の選択は正しい思う。二人はお互いの幸せのため、それぞれの人生を歩むべき。そう、それがいい。
だけど、愛しい愛しい勇者様が、今、手を伸ばせば届く距離にいた事実は揺らがない。
そのことに気付いた瞬間、読んでいたロマンス小説が突如難解な哲学書に変じた。文字を追っても文章が頭に入ってこない。もう帰ろう。私は肩を落として、家路についた。




