海の見える女学院
そして……。今日は高校の入学式、現世でのリスタートを迎えた。
「お母さん、ちょっとシャワー浴びてくるね」
「はーーい、急ぎなさいよ」
私立若宮女学院、女子校だ。公立でも合格可能な高校はあったが、少々親に甘え、ここを選んだ。
なぜなら、ミッション系のこの高校、かつては、某歌劇団風の上下関係に支配されており、それこそ、靴に画鋲が仕込まれているといった、虐めが多発していた。
だが、近年、「若宮女学院民主化運動」が教師、親、生徒の間で生まれ、今や、かの女子校は、虐め撲滅のモデル校となっている。
シャワーを終え、髪を乾かし、真新しい制服に袖を通す。
中学の時はジャンパースカートにボレロだったので、セーラー服は初めてだ。民主化運動の際、ブレザー制服への変更が検討されたようだが、これだけは伝統的なスタイルを残すことになったらしい。
水兵の制服を女子用にするなんて、日本独自のセンスなのだろう。最近、江ノ電沿線でよく見かける外国人女性のよう、コスプレしているみたいで、かなり恥ずかしい。
しかも、このセーラー服、胸当てがない。小さめ目の関東襟に太めの三本線、黒く、大きな、シルクサテンのスカーフを襟からふわりと出して結ぶ。若宮結びと言うそうで、かつては、美しくない結び方をしている後輩は、先輩の厳しい指導を受けたそうだ。
うん! 綺麗に結べた。
ベーコン、目玉焼き、トースト、サラダ、定番の朝ごはんを急いで食す。
「いってきます!」
いつになく明るい声が出た。
大船駅からJRで二駅、若宮女学院は若宮大路を材木座に向かって十分ほど歩いたところにある。振り返れば、八幡宮に向かう段葛の桜は未だ二分咲き、今年の開花は少し遅れている。とはいえ、海からの南風に乗って潮の香りする。やっぱり、もう春、希望の季節来れり。
若宮女学院の正門をくぐった。令和七年度入学式、墨痕も鮮やかに楷書の筆書きが目に入る。目を転じると、新入生の群れが目に飛び込んできた。みんな、濃紺の服に真白いライン、折り目正しいプリーツスカート姿。ああ、そうか、私、女子校に入ったんだ。
感慨に浸る間すら与えられない、私の運命は神の手の中で、右に左に転がされているのだろう。
あの子は……。
群れ集うモブたちの空間を切り取とり、トップサスが示す乙女の姿は、まるで妖精。妖しさすら帯びた白皙の肌は、人を惑わせ渦中に誘うローレライ。
コンマ五秒で、私の心臓はグングニルの槍に刺し貫かれてしまった。
北条楓、それが彼女の名だった。やや茶色みがかったストレートヘヤー、アンバーの瞳は彼女の父がドイツ人だからだそうだ。北条、ほんとうに、北条氏の流れを汲む名家の娘だ。
ちなみに、前世で私が女勇者と恋仲になったのは、私の性的指向が女性に向いていたという訳でもない。一種の吊り橋理論なのだと思う。ゲームではない、遊びでもない、死が現実そのものである世界に私はいた。恐ろしい、怖い、死にたくない、魔王城の門前には「恐怖心」という難敵が牙を剥いている。
畏れという名のラスボスを退け、ついでに裏ボスの魔王を倒した二人。七代目勇者がついに魔王を倒した! 王都は歓喜に包まれ、勇者パーティの功しを讃えるパレードが行なわれた。
白、ピンク、黄色、魔法で作られた幻影の花吹雪の中、私より頭一つ大きな勇者の姿が隣にある。双方、我が人生のパートナーはこの人しかいないと確信した瞬間だ。
女だから好きになったのではない、好きになった人が、たまたま女だったのだろうと思う。
そんな勇者に楓は似ても似つかない。だけど、彼女を見るだけで、焼けつく胸の痛みが蘇ってくる。命を賭けて愛した人の幻影を私は確かに見た、そう思う。
だけど、であるが故、この恋の先にあるものは……。
私の鋭敏な予知スキルが警告する。
「このことは誰にも知られてはいけない。さもなくば、再び破滅が待っている」
新体操部に入部した楓は、幼い頃から習っていたバレーの才も味方して、一年生なのにインターハイの有力候補と見做されていた。
そんな学園ヒロインにファンクラブができないはずもない。私は「楓推しグループ」に所属することで、揺れる恋情を抑えることに成功していた。
体育館で練習を見学し黄色い歓声を上げる。全く趣味ではないが、明るくくったくのない女子を演じることで、平穏な高校生活を送れている気がしていた。
いいんだ、これでいい、楓が元勇者、私と同じ帰還者だなんて妄想に過ぎない。無理にでもそう思おう、信じよう。私はこの現世で平凡な女子高生に戻るんだ。
大学に進学して就職、私の幸せな結婚をし、子宝に恵まれ、老いて子や孫に看取られ平凡な死を迎える。それがいい、絶対それがいい、波瀾万丈の人生、悲運の未来なんて真っ平ごめんだ。




