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古文献・ノクラーハ丘伝

 

 ノクラーハ若侯夫人に案内され、カヘル・ローディア・ファイーの三人は、屋敷上階にある採光のよい書斎に入った。


 ここが故マエル・ナ・ノクラーハ老侯の仕事場であり、家伝の古文献も全て収蔵してあるのだと言う。


 片側の壁一面、天井までびっしりと布巻き本の詰められた書棚の威圧感で、さして広くはないへやがさらに狭く見える。けれどローディアは、古い本のにおいを懐かしいと感じた。準騎士時代に勉強に通った、デリアド市内の小さな古書店と同じ匂いがするのだ。



――落ち着くにおいだな。それにしても、ずいぶんとぴっちりきれいに整頓された書棚だ……。使っていた人の性格が出ているよ。亡くなったノクラーハ老侯と言うのはたぶん、几帳面で気むずかしい、学者肌の文官だったんだろうな~!



「この古文献は、装飾写本のように金銭的な価値のあるものではない、と義父は常々申しておりました。けれど重要な史料であることは変わらないので、維持管理にはよくよく気を配るように、とも」



 棚の下部分にある鍵付きの書庫の中から、年代ものの木箱を取り出して、ノクラーハ若侯夫人は言った。大きな机の上に置かれたその箱のふたを、綿手袋をはめた夫人の手がそうっと開ける。中に入っていたのは、見るからによれよれの羊皮紙本だった。


 もともとはさらにふるい時代、それこそ三百年前の植民初期年代において、ノクラーハ家人が書き遺した原本があったらしい。その皮本の傷みが激しくなったため、今から百三十年ほど前にあらたに書き写されたものが本書なのだと、若侯夫人が説明した。



「拝見します」



 大机に座したカヘルは、やはり持参した綿手袋をはめ、目の前に置かれたその書をゆっくりと開く。右側ファイー、左からローディアがのぞきこむ。



「……ローディア侯。光がさえぎられるのですが」



 側近騎士は、でかい身体をしょぼんと引きかけた。が、絶妙の頃合にてノクラーハ若侯夫人が、カヘルの手前に玻璃はりばり手燭を置いてくれる。


 そこでカヘルは、再び書面に目を落とす。



::ノクラーハ丘伝



 ぺーじをめくると、……当たり前だが古イリー語である。



「ファイー侯、読んで下さい」


「はい」



 二人はただちに椅子をかわった。適材適所を信条とするキリアン・ナ・カヘルである。歯が立たぬものへの対処は、牙のたつ人に替わってもらうのをためらわない。ティルムン語に近い古イリー語のつづりなど、副団長は知らぬ。読めぬ。



「この伝書の著者、初代ノクラーハ侯による丘の記述から始まっていますね。ローディア侯、だいたいの内容でいいので、ざっと書き留めてもらえますか?」


「はい、お任せを!」



 初代ノクラーハ侯は、丘が砦として実際に使用されていた際の当事者として、その事実を簡潔に記述していた。


 丸くなだらかで、周囲の見晴らしも良い。ふもと岩場に湧いた泉もある。まさにうってつけの野営地だ。表面は石くれで覆われていたから、これを取り除いて外堀のように寄せるだけで、簡単に囲い壁がわりになった。しかし頂上にある立石・・だけが、邪魔だった……。



「……やはりあの石は、当初まっすぐ立っていたのですね」



 内容を読み上げる合間、納得したようにファイーが言う。


 ある時、騎士たちを率いて当時のデリアド王がやって来た。王はこの野営地のてっぺんに、自分の天幕を大きく張りたかったらしい。立石をよけて張るにもうまく行かず、著者の初代ノクラーハ侯本人を含めた騎士らが、数人がかりでぬーんと力を込める。が、石はびくともしなかった。王も一緒になって押したが、やはり石は動かない。



――あれ、ちょっとおもしろい展開になってきたかも?



 ローディアは筆記布に走り書きをしながら、興味をそそられていた。


 てこでも動かない石を前に、皆があきらめかけた時である。初代ノクラーハ侯の妹がやって来て、王様お手伝いしましょう、と脇からひょいと手を添えた。すると。



「……石は歌い、叫び鳴いて、その身に熱を宿した。皆が手を添えたその身体をふるわし、地にとどろき倒れた……」



 読み上げるファイーの声が、少しだけ高くなっている。カヘルが冷やっこく言葉をはさんだ。



「石が歌いましたね」


「そして、倒れたのですね……」



 低く応えつつ、ファイーはゆっくり頁をたぐる。次の一葉は、≪王の石≫と注意書きの入った挿画で始まっていた。三人はそれを凝視する。



「これは……」


「それが丘にありました、横倒しの石なのです。義父が亡くなる前まで、全くその絵と同じ姿かっこうで、頂上に横たわっていました」



 顔を上げて問うたカヘルに、机の反対側からノクラーハ若侯夫人がそっと言ってよこす。ファイーも顔を上げて、夫人を見た。



「右部分に見える、この円いしるしは刻まれたものでしたか?」


「はい、そうです」


「では、線刻……。なんて奇妙な形だろう、初めて見る……。戦斧せんぷ線刻とはまるで違うな……!」



 内なる興奮のためだろうか。独白らしい言葉を思わず口に出していることに、ファイー自身は気づかぬようだった。



「……では、続きを」



 とと、とん!


 女性文官が読みかけたところで、書斎の扉が外から叩かれる。



「失礼いたします。カヘル様に御用と、巡回騎士の方々がみえているのですが……。いかがいたしましょう、奥さま?」


「えっ!?」



 入ってきた女中の言葉に、ノクラーハ若侯夫人はどきりと驚いた様子で立ち上がった。


 ≪王の石≫の紛失は、国王ダーフィの沽券にかかわる事件ゆえ、地元分団を通さず中央にいる王自身に伝達してある。本来巡回騎士は調査に入らないはずなのに、なぜ……。夫人の狼狽を察して、カヘルも静かに席を立った。



「奥様、それは私が独自に手配した捜査要員です。ご心配は要りません」



 戸惑うノクラーハ若侯夫人にうなづきかけ、カヘルは書斎の扉へ歩み寄った。



「ファイー侯。以降、古文献の調査を任せてもいいですね?」


「はい、カヘル侯」



 女性文官がびしっと言って返す。ローディアを伴い、カヘルは階下に降りた。


 玄関前の小広間に、黄土色外套の男たちがかたまっている。その中に知った顔がいくつもあった。彼らはカヘルに、騎士礼をする。


 カヘル直属部下のバンクラーナとプローメルの間に挟まれて、初老の騎士が一人立っていた。



「シウラーン侯。ご協力感謝します」



 デリアド騎士団・東域第五分団の警邏けいら部長は、日灼ひやけした顔にしわを深めて笑った。



「こちらこそ。特命任務の補佐にご指名いただき、光栄です」




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