丘砦の上から
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ノクラーハ家の屋敷は町の東、湖を見下ろすゆるやかな高台の上にあった。どっしりとした石積みの大きな田舎家を、樫の古樹が囲んでいる。
カヘルとローディア、ファイーの三人を迎え入れたのは四十代の女性。故ノクラーハ老侯の子息、オーネイ・ナ・ノクラーハ若侯の夫人である。
「副騎士団長のカヘル様においでいただけるなんて、……」
客間の卓子を挟んで座るノクラーハ若侯夫人は、はじめ緊張を隠せない様子だった。やがて覚悟を決めたように、真剣な面持ちでカヘルを見る。
「ノクラーハ家に伝わる古文献も含め、義父の遺したものはすべて書斎にまとめてあります。何からご覧になりますか?」
「まずは、現場の丘そのものを拝見しようと思います」
飲み干した白湯の陶器椀がまだ温かいうちに、カヘルは淡々と答えた。
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カヘル一行は騎乗にて、ノクラーハ所有地の曠野をゆく。
うすい水色の空の下、その丘は秋だと言うのにつややかな明緑に輝くようだった。遠方からでも、白っぽい石積みが点々と表面に残っているのがわかる。
「亡くなった旦那様は、毎朝この丘へ来るのを日課にしていました。ちょっとの雨風なんて気にされないで、ゆっくり時間をかけて馬に乗っていらしてたんです」
通いで来ているという地元農家出身の下男が、先行する馬上から大きな声で言ってよこした。故ノクラーハ老侯は生涯を通して病弱であり、モイローホの町向こうにある東域第五分団基地にもほとんど出勤せず、在宅で業務を行っていたのだと言う。
土地に長く在る旧家のこと、一文官であったが地位はだいぶ高かった。
老王と親交が深かったことは内々にしていたようだが、そもそも二人が少年時代に友人関係にあったのも、ノクラーハ家の格の高さによる。由緒正しき土地の坊ちゃんというお墨付きがあったからこそ、ダーフィ王子は近衛に付き添われてノクラーハ邸へ足繁く遊びに通うことができたのだ。
「ゆるやかな丘なので、下馬されずこのまま頂上まで進んで大丈夫です。砦の基盤の石っころだけ、ご注意ください」
ノクラーハ家の下男に導かれ、斜面をのぼったという感覚のほとんどないまま、カヘル・ファイー・ローディアの三騎は丘の上に来ていた。ぐるり、と見回してローディアは思う。
――殺風景なところだなー! まわりは曠野だし、他には何も……なんにも、ないッ!
「大きな石があったと言うのは、あの辺ですね?」
下男に質し確認してから、ファイーが黒ぶち公用馬を下りて歩み寄る。
カヘルとローディアもそれに倣って軍馬を残し、白っぽい石くれの集まるあたりへ近づいて行った。
「石はここに、横たわっていました」
下男のさし示す場所は、確かに地面の土がのぞいて草がそこだけ生えていない。さほど大きな石でなかったことは明らかだ。老王が言ったように、ちょうどカヘルの背丈くらいの長さだったのだろう。
「ローディア侯。すみませんが、端を押さえて下さい」
ファイーがさっそく、革かばんから巻き尺を取り出して言う。石の持ち去られた跡の長さをきっちり測って、筆記布に書きとめている。次いで周辺の草をかき分けるようにして、女性文官は地面を調べ始めた。
「この石が、過去に動かされたということはなかったのですか?」
「いいえ……。私の父と祖父も、ノクラーハのお屋敷で日中奉公をして来ましたけれども。石はずうっとここにあって、動かされたり他の場所に移された、という話は全く聞いたことがないそうです」
まだ若い下男は、カヘルの問いに真摯に答えた。
「元々は、垂直に立っていたものではないのですか?」
しゃがんだまま、ファイーが問うてよこす。涼風の中でも、女性文官の声はびしびしと力強く通った。
「はい。祖父が子どもの頃から、石はすでに横倒しだったそうです」
うなづいて、カヘルは視線を丘のふちに向ける。緑の草々の間に、白い石くれがかいま見える……。その不揃いな配置は、今カヘルの立つ位置を中心として、円環となる線を形成していた。
――妙なところだ。何となく、≪はじめの町≫の廃墟に似ていると言えなくもないが……。こんなちゃっちい砦で、いったい何を守れると言うのだ? 第一、丘が低すぎる。平らかな曠野を見渡すに不自由はないが、戦略的な利点がまるで見えない。
丘砦と言うからには、原始の城塞めいたものを想像していたのである。カヘルは肩透かしをくらった気がした。
――障壁は少ない……つまり。そこにあったものを盗んで持ち出すにも、さほどの労力は要しなかったということだろうか?
「カヘル侯! これを」
ファイーの声が呼ぶ。石のあった場所から五歩ほど離れたところに片膝をつき、女性文官は地べたを手でまさぐっていた。
「そり板の跡です」
うっすらとしたくぼみの線が二本、平行に並んでいる。その線が草をつぶし圧しながら、はるかに丘の東側へと続いていた……。
持ち去られた≪王の石≫の行方を示す軌跡が、カヘルの目にも明らかにうつる。