りんごはっか湯をテイクアウトで
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「ふむ。実に興味深い」
びしーッ! 青い双眸に色濃く叡智の圧を宿して、女性文官はすぐ脇に座るカヘルを見すえた。
「カヘル侯のおっしゃる通りです。その丘の上……丘砦にあった≪王の石≫というのは、≪巨立石≫の一種に間違いないでしょう」
ぎぃいーん! 受けてたつカヘルの眼差しもまた、冷えびえとした青い光線を放っているようだった。
「ファイー侯もやはり、そう思われますか。王の話を聞く限り、これまでの事件捜査中に貴女と見てきたものと比べると、だいぶ小型のような印象を受けましたが」
口調も容赦なしに冷えひえ淡々、しかして男女ともに口角が片方ずつ上がっているのである!
――副団長ー! それ、好きなひとに向かった話し方じゃ、なーい!!
林檎はっか湯入りの素焼き長ゆのみを、毛深い両手のひらで包み込むようにしながら、女性文官の反対側にかけた側近ローディアはどきどきしている。
王と内々の会見をしてきたカヘルに伴って、ローディアは城を出た。意外にも上司は大通りの角にある休み処へ入り、香湯を三つ注文する。それを持参してやって来たのは、すぐ近くにあるデリアド市庁舎……の中でも少々しんき臭い一画にある地勢課だ。
ここの仕事は主に調査や資料の保存だから、市民向けの窓口があるわけではない。書庫じみた室の中にいる職員も二人だけ。準文官ファイー侯の上司である中年課長は、副騎士団長の姿を見ると早々にどこかへ消えた。
≪外回りに行ってくるので、あと頼みます! ファイー君≫
キリアン・ナ・カヘルが部下にべた惚れしていることを、地勢課長は全く知らない。さらに地理地勢にまつわるややこしい話には関わりたくないので、課長は逃げているのだった。本当に彼が専門として得意にしているのは、実は観光誘致の方面であったから。
かくしてカヘルと側近ローディアは、地勢課の隅にある作業用大机に座って、ファイーに≪王の石≫の話を伝えたのだった。
謎の古代建造物、≪巨石記念物≫の研究を天命としている準文官ザイーヴ・ニ・ファイーは、林檎はっか湯をごくりと一口飲む。
「この場合のように、貴族の私有地内にある巨石記念物は、公の調査を受けることがあまりありません。存在すらはっきりと知られていないものも、多くあるようですね。≪王の石≫とはわたしも初耳ですし、それにまつわる伝承なども全く知りませんでした」
「ノクラーハ家には、その石に関する古文献もあると言うことです」
冷々淡々と言うカヘルから目を離さず、ファイーはうなづいている。
「現地へは、これから直行ですか?」
カヘルにそう問いかける女性文官の横顔をふいと見て、ローディアはひょえーと思った。今やぎらぎら燃えたつようなまなざしで、ファイーがカヘルを見ている……その頬が何だか、赤くなってるではないか!
――こんな艶のある姐さんを見るのは、初めてだぁッ。
しかし側近にはわかっている。女性文官の艶はカヘルに向けられたものではない。残念ながらザイーヴ・ニ・ファイーはその天命、巨石研究にかける情熱に熱くなっているだけなのだ!
「いいえ、今すぐにではありません。……また私に、同行していただけますか? ファイー侯」
「もちろんです。手つかずの巨石記念物と、それにまつわる古文献に触れられるとは、何たる光栄。しかも我らがダーフィ陛下のお役に立てるならば、本官は幸せです」
一瞬目を閉じるようにしてから、カヘルはうなづいた。
「それは良かった。では明朝、東門の前に集合と言うことで。……ローディア侯、例の資料をファイー侯に」
言われて、側近は持参した布包みを解く。
「……? これは書簡ですか?」
大机上に広げられた書類の中から一葉を手に取って、ファイーは小首をかしげた。
「はい。何かの手がかりになるかもしれない、と陛下から託されました。ダーフィ王と故マエル・ナ・ノクラーハ侯との、交信書簡の複写です。情報の保安上、王の名などは伏せてありますが」
「ノクラーハ侯ご自身の便りが残っていたのですか! ……わかりました、お預かりして一読しておきます」
その書簡束を手にして、ファイーは言った。次いで調査旅行に関する細々を事務的に話したのち、カヘルとローディアは地勢課を辞する。戸口をくぐりかけた副団長に、ファイーは低くこう言った。
「ありがとうございます、カヘル侯」
双方、合った視線がようやく和らかかった。
「石のことを。……お香湯も、ごちそう様でした」
素早くうなづいて、カヘルは踵を返す。
市庁舎の乾いた石床廊下を、ローディアとともに歩いてゆく……いつもの速足でぐんぐん歩く。カヘル内部で、緊張がふしゅーとしぼんでいった。
ファイーへの手土産に持ち出し香湯を、と思いついたのは我ながら上出来と感じた。しかしながら、先ほど休み処の主人に注文する段になり、カヘルははたと気付いたのである。……何を買えばよいのだ??
自分一人とローディアならば、何も言わずとも薄荷湯一択。温かくても口中すーはーと冷やっこくなるようなやつしか、選択肢はない。しかしファイーは、……ファイーにもそれで良いのだろうか? 彼女の好みをまるで把握していなかった。不覚なり、キリアン・ナ・カヘル!
ぴしっと凍ってしまったカヘルを見下ろして、毛深き側近はもしゃもしゃと助け船を出す。
「もう夕方に近いですし~。はっか湯も良いけど、甘い寄りのものが喜ばれる時間帯ですかね、ご主人~?」
「さよですね! 林檎はっか湯なんていかがでしょう、さっぱり甘口でおすすめでございますよ」
城下お膝元、官僚客が多いぶん接客にもなかなか気の利いた店の主人が、ローディアに答えてにこやかに言った。
「ああ、いいですねー! 確か、ドラムベーグでも~」
――!! そうだ、それだッ。
ここまで言われて、ようやくカヘルはぴきーんと閃いた。
――前回事件で同行した際、ザイーヴさんは食後に林檎はっか湯を注文していた気が、 …… ……?
こんなに切れる怜悧な副団長なのに、どうしてだか女性にまつわる推理推測にはいまいち詰めが甘かった。思い出せないが、ここは腹心たるローディアに全幅の信頼を寄せることにする……。しかしカヘルの胸中は、猜疑心に圧迫されていた。
――いいのだろうか。好みを外していて、本官はけっこうですと遠慮されてしまったら面目まるつぶれだ!
巨石の話を持ち出せば、ファイーは食いついてくるに決まっている。彼女の興味情熱の中心たる石を通して共有できる時間をつくり、そこで自分と言う男をいかに印象づけられるかが、目下のカヘルの最重要課題であった。
先日カヘルは事件解決の勢いにのって、正々堂々お付き合い申し込みをしたのである。しかし女性文官は素でかわした。
ばつ二で歴代妻女に逃げられしキリアン・ナ・カヘルが、初めて自発的・積極的に挑んだ告白であった。にもかかわらずザイーヴ・ニ・ファイーは、自身の使うイリー突剣道のごとき鮮やかなる足さばきで、それをよけてしまったのだ。
さすが向こうもばつ二の猛者、しかも四児の母ときては強敵であった。そう簡単に陥落は見込めない。
だがしかし、鉄壁の包囲戦としても囲い攻めているのはこちらである。敵兵合計三十万に対して自軍六万! 圧倒的な戦力差をくつがえし、みごと敵王を討ち取った頭脳派某将に倣うがよい、キリアン・ナ・カヘル!
突っ込む存在がないので話の方向がだいぶ逸れた。要するに我らがデリアド副騎士団長は、ファイーに求婚→成婚→跡継ぎ誕生でカヘル家安泰、という壮大なる野望を、その冷えひえなる胸のうちに燃やし続けている。
目標に達するそのためには、小さな実績と地味な努力の積み重ねこそが重要なのだと、カヘルはしっかり心得ていた。かつて彼が副騎士団長の地位、フォーバル騎士団長に次ぐ権威の座を目指した時と同様に。
≪ごちそう様でした≫
とりあえず、本日はひとつ積み重ねた。
自分の贈るものをファイーが喜ぶかどうか、という小さな賭けにひとつ勝ち、カヘルの胸中に満足がしみわたる。
「ということでローディア侯。これからの三日間、我々は王命特別任務を遂行します。表向きは外回り出張と言うことで、良いですね?」
初秋の陽が翳り始めた中を、しゃかしゃか速足でデリアド城に向けて歩きつつ、カヘルは側近を見上げる。
「はいっ、副団長!」
その視線の生あたたかさをしっかりとくみ取って、もじゃい側近は力強くあいづちを打った……。