謎の男VSカヘル
「どうりで、俺が触っても何も起こんねぇわけだよ。スターファのやつが帰ってくるまで、湖に沈めとこうと思ってたが。ちくしょう、あのうらなりめ……。適当なこと教えやがって」
全員が振り返る中、その人物はいまいましげに頭を振った。
カヘルには、まったく見覚えのない男性である。五十代を出たところくらいだろうか? イリー人にしては日に灼け過ぎた革のような肌に、赤褐色の長外套を引っかけている。白髪まじりの金髪を後ろに流し、腕を組んでやたら態度がでかい。
「どちら様でしょう……?」
こちらも変人印象である。ディンジー・ダフィル関連の何かかも、と考えてバンクラーナは腰ひくくたずねた。
それをふいっと無視して、男はシウラーン部下たちの間をずかずか歩いてゆく。汀に立った。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え」
男はものすごい速さで、何かを口走った。
その瞬間≪王の石≫の周りの湖水が、沸騰したかのように泡立つ。
ずばッ!
盛大なしぶきを上げて、王の石……もとい≪運命の石≫は上昇し、そのまま宙に浮いた。
「……!!!」
カヘル、ファイー、バンクラーナ、シウラーンとその部下は、その信じられない光景を見つめる。
「そんなくっだらねぇ機能じゃ、何の役にも立たねぇじゃん。手間ひまかけて、くそ損した。消えろ。
集い来たりて 我が敵の身を 千と万の砂にくだけ」
男は再び、何ごとかを低く唱えた。
湖面はるか上に浮いた石はくるくると回転し出し、その周りに白い光を帯びて小刻みに震え始める。
「くだけし芥は ≪白き沙漠≫の御身に還れ」
「――やめて、お願いだ!」
ファイーの叫びが響くのと、石が強く光るのとは同時だった。
はげしい爆音が炸裂する。
黄土色外套を右腕側からひるがえし、カヘルはとっさにファイーの上半身を抱え覆った。背中に、無数の細かな石つぶてが叩きあたる! 自分の頭部を守るべく、カヘルは左腕をかざした。
「うわッ」
「わああっ」
バンクラーナやシウラーンたちが同様に両手両腕をかざし、驚愕に叫んでいるのが聞こえてくる。石つぶてを含む爆風は数呼吸のうちに過ぎ去った。
ざらり。
粗い粉塵の積もった腕を下ろし、カヘルは顔を上げた。
「あっは! ちょろー」
汀に立った男が、肩をすくめて笑うのと目が合う。
「何と言うことを」
カヘルの右腕から両手を離して、ファイーが低くうなるように言った。
「我々の歴史とともに生きてきた、大切な石を!」
ザイーヴ・ニ・ファイーの青い双眸が、怒りに潤み燃えている。
対峙する男のまなざしは、嘲笑に満ちていた。口角を片方上げて、冷たく吐き捨てる。
「役に立たねえ石っころに、何で吠えんだ? イリーの雌犬が」
じゃき、ざきぃぃぃっ!!
次の瞬間、デリアド副騎士団長は戦棍を右手に構えた。ずいっとすべり込むようにして、瞬く間に男の間合いに入る。体勢を立て直しざま、なめらかな動きにて腰を切り、男めがけて渾身の一打撃――
ぎんッ!!
ぎ・ぎんッ!
カヘルの戦棍一打、および寸時おくれて繰り出されたバンクラーナの片刃刀の一閃は、男の赤い長外套に達する手前でかたく弾かれた。強烈なはね返し反動が痛撃となり、二人はぐっと顔をしかめる。
――なにッ!?
「効くか。あほうの蛮人ども」
男の周辺が、わずかに金色に輝いている。半透明の壁、巨大な泡のような障壁が、カヘル達と男との間にあるように見えた。
「あほ共は、黙って這いつくばってろ。
集い来たりて 此処に留まりし憶えをば空に放て」
――これはまさか……、西方ティルムン軍の≪理術≫!? いいや、やつは理術士の杖を有していないではないか!
即座に連想したように、男の唱えるなにごとかの文言と半透明の障壁とは、カヘルの記憶の中の≪理術≫と酷似していた。春の戦役にて、実際にその発動のさまをカヘルは目撃していたのである。しかし同時に、彼ら理術士が特殊な装備品を必要とすることもカヘルは知っていた。先端がこぶ状になった≪聖樹の杖≫なるものを携帯しないと、理術士は自分の術に一定効果を出せなかったはずではなかったか?
不穏な視線を投げかけてくる手ぶらの男に向かい、カヘルもその青き冷えひえ眼光をぎりッと強めた。が、すぐに自分の頭上に異変が起こっているのに気づいて振り仰ぐ。
そして驚愕した。白く光る奇妙な真円が、自分を見下ろすような位置で輝いているではないか!? ファイーの頭上、バンクラーナの頭上、全員の頭の上に同じものが浮いている。何なのだ、これは?
「――――――ッッ」
ぱきーん!!
別の灯色の光が、その真円に取りからまる。ふたつの光は瞬時に燃え上がるようにふくらむと、相殺して消えてしまった。
♪ おお、ろう! 帰りきたれ 流浪の子ら
少し離れて立つディンジー・ダフィルの身体から、……いいや。彼の口元から、灯色の風が流れ出ているのをカヘルは見る。その風……≪歌≫は、ゆるやかにカヘル達を取り巻いて流れ続けた。まるで騎士達を護るかのように。
♪ おお、ろう! 帰りきたれ 流浪の子ら
――歌……? これが≪声音の魔術≫なのか。敵の術を解除し、破壊した!
はからずも西の魔術と東の魔術、双方の発動を同時に目にしてしまったことに、内心でカヘルは驚愕している。
そして何より、ディンジーの声の豹変ぶりに驚いてもいた。地響きのような力強い低い声……絶妙なこぶしが、カヘルの胸中をがつんと突いてはげまして来る。要するに今の≪声音の魔術師≫の歌声は、たいへん格好良いのであった。
石を壊した謎の男が、さも憎々しげに声を上げる。
「おいこら、そこの東部じじい。何のまねだ、そりゃ? 何者だ。てめぇ」
不機嫌まる出しの調子に、すごみを乗せている。
「自分だって、十分いい年こいてんじゃん。あんたこそ誰なんだ、ティルムンおやじ」
全然こたえていないひょうきん声にて、ディンジー・ダフィルが挑発を返す。謎の男は肩をすくめた。
「石の色々がわかるくらいだ、てめぇもスターファの同族つうとこか。殺すにゃ惜しいが、まぁじじいだし、いっか……。
――いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え」
男が再び詠唱を始めたのを察して、カヘルとバンクラーナ、シウラーンたちは一斉に攻撃をしかける。
ぎん、がきん、ぎぎぎんッ!
打撃、斬撃、見えない壁に全ての攻撃は差し止められる。しかしそこにできるだろう隙を探して、騎士達は各自の得物を振り続けた。
「効かねぇつってんだろ。あほ共……。集い来たりて 我が敵を撃つ―― 」
♪ みどりの夏を引き連れて いま故郷へ……
謎の男に対抗すべく歌い続けるディンジー・ダフィルは、その時ふと妙なざわつきを感じて足元を見た。
「げぇっ、何で地面が凍ってんのッ?」
めきめきめき、……湖水も岩肌も、短い草の貼りついた地面も、全てが白く凍り始めている。異様にでかい霜柱が、声音の魔術師の革ぞうりの周りに育ってゆく。……どころではない、白い氷柱がディンジーのくるぶしを越えて伸びた、さむいッ!
「やばい、これ攻撃の理術!? カヘルさんたち、何とかどついちゃってっ!」