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≪運命の石≫

 

・ ・ ・ ・ ・



 デオラ湖は鏡のような水面に秋空を映して、明青に晴れやかであった。



「……」



――災いのもとになった石の嘆き。それを内側にはらんでいるとは、到底思えない……。



 モイローホの町から細道をたどって間もなく、湖の眺望が広がった。カヘルは軍馬上から、それをついと見渡す。


 湖のみぎわに樹々はなく、なだらかな丘陵の窪みに水がたまった、という風に見える。さざ波の立つ湖水は、どこまでも平和だった。



「ずいぶん見通しの良いところですね。こんな場所にこっそり石を沈めるなんて、犯人は一体どうやったのだろうか?」



 ひらひらと長め金髪を風にそよがせながら、バンクラーナがやはり軍馬上から言った。



「ディンジーさん。さらに詳しい位置はわかりますか」



 鹿毛の雌馬上、あおい目をじっと細めて湖を見つめている傍らの≪声音の魔術師≫に、カヘルは低く問う。問いつつ、湖の中心部……岸から遠く離れたところに石が沈んでいるのだとしたら実にまずいな、とも考えていた。


 ここデオラ湖はさして水深はないはずだが、潜水士や船を導入して石の探索・引き上げとなれば、どうしても東域第五分団に大々的な援助を頼まなければならなくなる。



「うん、あっちです……。行こう、かの・・ちゃん」



 鹿毛馬に優しく声をかけると、ディンジー・ダフィルは湖の西岸にそって曠野あらのを進み始めた。カヘルたちがその後に続く。


 草々を割って、地面に石肌が目立つようになる。こちら側の地盤はずいぶんと灰白色の石が多いらしい。湖水と接するみぎわもしかり。ごつごつとした岩のかたまりが、海の磯のように湖面に入り込んでいる。



「あそこだ」



 言いつつ、ディンジー・ダフィルはふわりと鹿毛馬から下りた。声音の魔術師が指し示した磯のような一画までは、まだ二百歩ほどもあろう。しかしディンジーはここから歩くよう、一同に指示する。



「はいはい、男前ども。うちのかの・・ちゃんと一緒に、みんな向こうで草食っててね~。心配いらないからねぇ」



 ひょうきんな調子で、声音の魔術師は軍馬たちに呼びかけた。不思議そうな顔をするシウラーンに、ディンジーは大丈夫ですよと手のひらを振る。



「皆さんには聞こえてないと思うけど。もう馬たちにはね、石の嘆き声が聞こえちゃってるの。憂鬱になったら困るでしょ? あとで俺が呼んで集めるから、くくっとかなくてもいいです」



 鹿毛馬の鞍にさげていた、牧人の杖みたいなものをついて、声音の魔術師はずんずん湖に向かって行く。



「ちなみにー。今いる皆さんの中には、やたらめったら耳の良い人とか、いないでしょうね~?」



 ディンジーの問いを聞いて、豆農家に残して来た側近ローディアはどうしたかな、とカヘルは考える。そろそろ回復して、こちらモイローホへ向かっている頃かもしれない。


 風雨にさらされたせいか、ごつくとも尖りのない岩場を慎重に踏み入って、水際の数歩てまえでディンジー・ダフィルは立ちどまった。



「……あった、あれだ」


「どこですか?」



 バンクラーナが横から聞いた。波打ち際では、確かに岩肌が水に洗われている。しかし青みがかった灰白色の石が大小ごろごろしているだけ、柱の形をしていたはずの≪王の石≫らしきものは見当たらない。



――木を隠すなら森の中、とはよく言ったものだ。ここは石だらけ。線刻を削り取った≪王の石≫を隠すには、もってこいの場所なのかもしれない。



 カヘルがそう思いながら見渡す中、ディンジーはおもむろに水際にしゃがみ込む。麻衣の袖をぐうっとたくし上げて、右手を水面にさし入れた。



「あっ」



 ファイーが気付いた。ディンジーの右手は、ぼんやりと浮かんで見える水中の石の端に触れている。


 ディンジーの背後からのぞき込んでいたカヘルの目に、見るみる石の全貌が明らかになってゆく。輪郭を揺らすさざ波がとまる、石は白く長く水中に横たわっていた。そしてディンジーの触れている向こう、反対側の端には大きな損壊の痕が見える。同じところを見たらしい、ファイーの息を飲む音が小さく聞こえた。


 横目で見やれば、女性文官は唇をかたく引き結び、歯を食いしばっている。そこがほどけて、低いささやき声がもれ出た。



「――あの線刻部分を、割り取ったなんて」



 ワレイールの石工職人は、≪王の石≫の特徴たる部分を削り取ったのではなかった。磨き上げるように表面の線刻をすり潰す時間がなくて、長年の風化によってできていたひび割れに、くさびを打ち込んだのかもしれない。つるりとした石の、そこだけが無残に大きな砕き傷をさらしていた。


 そしてふと、カヘルは気づいた。


 こちらに背を向け顔は見えない、……しかし相当に低く小さな声で、ディンジー・ダフィルが歌っている。


 ほとんど囁き声のような調子だったが、それはカヘルの耳に心地よかった。


 どれだけ、そうしていたのだろう?


 しゃがみこんだ時と同様に、ゆっくりとした動作でディンジー・ダフィルは立ち上がった。右手をぴらぴらと振って水気をとばし、左手こぶしを腰にあてて、むうんと背を伸ばす。



「よかった。一応、落ち着いてくれたみたい」


「?」


「数千年ぶりに移動させられたから、かなり恐慌しちゃってたけど。今いる場所を詳しく教えてあげたら、何だぁ近場じゃんって。悲痛に嘆くのはやめてくれたから、とりあえず環境被害はもう出ないと思います」


「……」



 カヘルは再び、水面下の石を見た。ノクラーハ家の古文献にあった挿画とぴったり合致する、……である。



「石と話すって言うからには、何かこう……まかふしぎーな超常現象が起こるものと期待していたのですが」



 恐らくその場にいる全員の意見を代弁する形で、シウラーンが言った。



「じつに自然でしたね?」


「はい、地味な展開でごめんなさい……。けど石の語り自体は、けっこう派手でした。そこんとこは運命を演出するっていう、この石の機能がよくわかるって言うか~」


「……石自体が、その機能を語ったと言うのですか!?」



 びしぃぃぃぃぃっ!!


 熱き好奇心圧のこもったファイーの声が、すぐ横にいるカヘル体内を通過してゆく。副団長はひそかにしびれた。



「ええ。皆さんはこの石、≪王の石≫って呼んでいるけど。石自身はちがう自称でした、≪運命の石≫って言うんだって」



 ディンジー・ダフィルはさらさらと続ける。



「長い年月のあいだにそういう伝承になっちゃったけど、王さまとかを見抜く力はないそうです。この石は単に、人間を応援して励ます役割をもってるのです」



 シウラーンとその部下、バンクラーナが四角く口をあけるかたわらで、デリアド副騎士団長と地勢課文官は目をしばたたく。カヘルが淡々と問うた。



「どういうことですか? 応援・・と言うのは」


「うーんと。何かこう、強い願望とか、切羽つまった信念とか、あっつい想いを持ってる人が石に触るでしょう? そういうものに突き動かされる運命を持った人の心に、石は共鳴して歌うんだって。がんばれ、君ならきっといつか成就できる! って。その人の運命を励まして歌う石、だから≪運命の石≫なのです! なんかすてき!」



――何だ、それはぁぁぁっ??



 カヘル以下の全員が、心の中で叫んだ。



「じゃあ、何だ。持ってても、王の威信にはくがつくようなもんじゃねぇのかよ?」


「ええ、もともとはそう言うことね。イリーの人たちがあと付け解釈したのとは、だいぶ違ってたみたい……って、あれ?」



 ディンジーの声が、ふいに途切れる。カヘルの知らない声、耳にさわる悪意を含んだ声が、一同のすぐ近くに湧いていた。



「応援だの運命だの、……くっだらねぇ」





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