石の嘆き声
収穫を救われた豆農家の人々が、荷車を出してくれる。それに乗せられ集落内へ、ぐったりのびたローディアはどなどなと運ばれた。
農家の居間、長椅子に毛深い側近を寝かし、周りに腰かけてカヘル達はディンジー・ダフィルに≪王の石≫の一件を話す。
「ははー、なるほど。よくわかりましたー。ほんじゃ俺は、その石のありかを探すお手伝いをすれば良いってことね?」
「お願いできますか」
冷えひえ淡々と頼むカヘル、彼を見る≪声音の魔術師≫の視線はがっつり熱い。
「ええ、もちろん! 石探しってのはやったことないけど、人生は挑戦の連続ですから! あなたのためになることは、つまり輝ける御方のためになることなので。んもう俺、全力でがんばりますッ」
低い美声でとことんひょうきんに言うおじさん魔術師に、カヘルは一抹の不安をおぼえた。
――変わった人物だと叔母上は言っていたが。何と言うことだ、変人大集合のマグ・イーレ王家に輪をかけた、きてれつな御仁ではないか……。
しかしニアヴはこれまでの親書において、深遠なる知識とたぐいまれなる能力を有する賢者、ともディンジーを評価していた。先ほどのふかし鳥撃退から見ても、ディンジー・ダフィルの≪声音の魔術師≫たる肩書は本物らしい。信頼してみるしかなかろう、とカヘルは思い直す。
「ディンジーさん。あなたはそもそも、こちらの変事に気がかりがあって来ていたのでしょう?」
バンクラーナが、そっと横から言葉を挟んできた。
「そうそう、そうなのでした」
「カヘル侯。今朝早くプローメルと別れてから、私はフィングラス方面と接する東域・北側の準街道検所をいくつか回っていたんですが」
隣の山国へ≪王の石≫が持ち出された可能性を考え、バンクラーナは資材通過の記録を調べていた。その検所で、ちょっとしたもめごとが起こる。
≪いいじゃん。通してよ≫
≪だめだめ≫
≪あやしい者では、ありませーん≫
≪それ言う時点で怪しいから。おとなしく身分証を取りに帰んなさいって……なければ国境は通せないよ≫
バンクラーナが外を見ると、見るからにあやしげな東部ブリージ系の大男が立っていた。フィングラスとの国境である山間路の真ん中で、鹿毛の雌馬の手綱を引きひき、検問のデリアド騎士に食い下がっているのである。
ここ最近のきな臭い事件……東部系流入民がらみの犯罪増加を受けて、とくに越境部分のデリアド検問は厳しくなっていた。
≪だって身分証を忘れたんでなくて、こわしちゃったんだもの。替えの上衣のかくしに入れたまんま娘に洗われちゃって、ディンジー・ダフィルって名前が読めなくなってさぁ。そんな身分証を持ってても、意味ないでしょう~?≫
≪知らないよ、もう。役場に持ってって、更新すりゃいいだけの話じゃないの≫
延々だらだら続く押し問答の中で、バンクラーナの耳がぴんとその名をとらえた。
カヘル直属部下はもちろん、マグ・イーレ正妃ニアヴ・ニ・カヘルの隠し刀たる彼の名を知っていた! ……こんな妙ちくりんなおじさんだとは、想像していなかったが。
「ディンジーさんは遠くフィングラスのご自宅で、妙な音を聞いたんだそうです。ここデリアド岬で何らかの変事が起こりつつある、そう確信してその音の源をたどってきたのだと……」
ディンジーの話を聞いて、バンクラーナはとりあえずカヘルに合流させるべしと判断し、ここまで同行したのだった。
「ディンジーさん。あなたが聞いた妙な音と言うのは、いったい何だったのですか?」
「実は俺にも、はっきり良くわかんなかったの! 俺ってば耳と声が変なもんでー。色んな音やら声やら聞けば、それを発したのがどういうやつなのかとか、大まかにわかるんだけど」
眉につばをつけたくなる話だが、カヘルは冷えびえとした表情を崩さずにディンジー・ダフィルにうなづく。
「でも、一緒にそれ聞いためんこいちゃん……えーと、識者によりますと。人間でも精霊でもない旧い生命が、なんだか良くない状況に陥って反応してる声、なんだそうです。そういう声ってのは一般の人には聞こえないもんですが、俺みたいな声音つかいは気になるんですねー。たぶんさっきのふかし鳥の大群も、その声に吸い寄せられて、沙漠と海を渡っちゃったんじゃないのかな」
カヘルとバンクラーナ、長椅子のローディア脇に腰かけていたファイーが目をしばたたかせる。女性文官は、驚愕を隠せないと言った調子で低くたずねた。
「そんな、自然災害を誘発するような音……声があるのですか?」
すっ、と一同の顔を見渡してから、ディンジーはまじめな顔つきでうなづく。
「ええ、あります。巨人の時がそうだった」
「う~~」
悪夢にうなされるようなうめき声を小さく上げて、ローディアがもじゃもじゃと寝がえりを打った。
バンクラーナが手を伸ばしてローディアのごつい肩をさすり、ファイーが落ちかけた目かくし手巾をかけ直してやる。
「でもね、今カヘルさんの話きいてわかったかも。……たぶん俺が聞いたのって、その≪王の石≫の声なんだと思う」
さほど深刻でもないように放たれたディンジーの呟きに、一瞬おいてからカヘルは双眸を大きく見開いた。
「人間でなし、精霊でなし……。石なんてほとんどがむっつりで、あんまり喋らないもんだから、今まで思い当たんなかったけど。言われてみればかたくてざらざらで、石っぽい声なんだよねー。なんだかずいぶん傷つけられて、長くいた場所から引っぺがされて、かわいそうなくらいにひーひー言ってんのが今もね、途切れとぎれに聞こえてくるよ。波のあいまに」
「波、と」
ぎぎぃーん! カヘルの青い眼光にすごみが加わる。我らがデリアド副騎士団長をかつごうとして、ディンジー・ダフィルが嘘八百を並べ立てているのなら、この鋭き視線に射抜かれたじろいでいただろう。それほどの冷圧である。
しかし声音の魔術師は、そのしわの寄った日灼け顔に静かな憐れみを浮かべただけで、こう言い添えた。
「水底に沈んで、自分の役割……機能がはたらかなくなりかけているのを、ずうっと嘆いてるよ」
「……海中にあるのですか? ≪王の石≫は」
「いーえ。もっとささやかな波のあいまだから、湖だと思うの」