丘砦の上の王子さま(下)
――何だろう、これ? らくがき……じゃ、ないよなあ?
それはダーフィの手のひらより少し大きいくらいの、ぐるぐる渦巻きだった。真円でなく微妙に柔らかくたわんだような、うずまきが二つ。寄り添うように並んで、石の表面に刻まれているのである。ダーフィはそこを指さして、マエルを見た。
「で、どこさわるの。ここのうずまき部分とか?」
「いいんじゃないのー、どこでも」
マエルは熱心なんだかぞんざいなんだか、良くわからない。のんびり答えられて、ダーフィは右手をそうっと伸ばす。うずまきに触れた。
うずまきの表面の凹凸はざらついて――冷やっこい!
「……」
涼風がすうすう吹いてゆく。それ以外は静かだった。
「なー。だから言ったじゃん」
ダーフィはそっけなく言うつもりだったけど、やっぱり声がとがった。
「歌う魔法の石だなんて。こんなの信じるなよ、マエル。……?」
横を向いて、ダーフィはぎょっとした。マエルが眉間にしわを寄せまくり、目をむき丸くした唇をつき出している。王子の友人は、かつてない変顔で全面に不満をあらわしていた!
あまりのおもしろ表情に、ダーフィは瞬時ぶはっと噴き出す。しかしマエルは、あくまでも真面目であった。
「このダーフィがさわってんのに。≪王の石≫が鳴かない・歌わないだとう~?? そんな、ばかな話がぁ!」
これまで常にのんびり穏やかだった友達が、いま壮絶に怒っているのだとダーフィはようやく察した。右手を石の表面、うずまき部分にくっつけたまま、ダーフィは驚いて口をぱこっと四角く開ける。
「あって、たまるかぁ~~!!」
べちん!
マエルが身を乗り出して、両手で石の上のダーフィ右手を強く押した。
その瞬間。
「ふぎゃッッ」
うっかり炉にふれて火傷をしてしまった人の声で、マエルが後ろにのけぞる。
「え、ちょ、何ッッ!?」
わけのわからない友達の反応に、ダーフィはびびっている。
マエル自身も驚愕した様子で、胸の前で両手のひらをぷるぷる震わせていた……。
やがてまっ白い顔に赤みがさした。それがぐんぐん広がっていく。マエルは両眼をばちばちしばたたかせて、ダーフィと石とを代わるがわるに見た。次にその両手をそろそろと伸ばす。もう一度、マエルは石の上のダーフィの手に、自分の両手のひらをのせる。今度はそうっと、包むようにかさねた。
「す……すごいっ。ほんとだ、石が……≪王の石≫が、歌ってるぅぅぅ!!」
「えーっ!?」
ダーフィは思わず小さく叫んだ。歌? 声? 自分には何も聞こえない。すうすう草の間を通ってゆく涼風と、隣のマエルがついている呼吸以外に音なんてなかった。
「俺には何も、聞こえないよ?」
「はっ! そうか、ダーフィ! たぶん王様本人には、聞こえない歌なんじゃないかな!? 僕にはばっちり、聞こえてるんだよ……。すんごい歌なんだもん、これ!」
真っ赤な顔でこくこくうなづくマエルの目は、真剣そのものだった。ダーフィのために嘘をついているとは、到底思えない。
石から右手を離し、ダーフィはマエルの肩をつかんだ。
「大丈夫かい。あんまり興奮しちゃうの、よくないんだろ? 落ち着いて、……そうだ。水のみなよ」
今や地べたに座り込んだ友達は、立ち上がりかけたダーフィの肘をぎゅっと握って引き留めた。
「保証するよ、ダーフィ。君はほんとの王さまだ」
「マエル」
「そうだよ。君は僕の、皆の王さまになる。≪王の石≫がそう歌ってるんだ、まちがいっこない」
まじめくさって低く言うマエルの表情が、心底うれしそうだった。
ダーフィの胸のなか、何かすとんとしたものが落ちる。
他の誰か、とくに大事でもなく面白くもなく、一緒にいて緊張するだけの誰かに、またちくちくとしたことを言われても別にいいやと思えた。
この友達、マエルがゆるぎなく信じてくれるのなら。マエルのために自分は王さまになろう。彼の王様でいよう。ごく自然に、そして穏やかにダーフィはそう思った。
別のなにか、すばらしくできるやつになる必要は、たぶんない。今あるこのまんまで、マエルはダーフィを王さまなのだと言ってくれてるのだし。……ダーフィは友達にうなづいて、はっきり言った。どうしてなのか、いつもよりずうっとのぶとい、力のこもった声が出る。
「そうする」
マエルは輝く瞳をめいっぱいに見開いて――いつまでもダーフィに、笑っていた。