≪王の石≫の歌の謎
快晴とまでは行かないが、今朝の空は穏やかな青さをたたえていた。
デリアドでは大抵がこうだ。本格的な冬の訪れまでめったに雨は降らず、乾いた青天が広がる。
カヘル、ローディア、ファイーの三騎がゆく準街道の脇には、放牧地にまぎれるようにして畑がいくつか連なり現れ、後ろに過ぎてゆく。
畑につくられているのは、だいたいが乾燥に強い豆やはとり粟のたぐいだった。からからと砂色に立ち枯れた作物の中にしゃがみ込んで、収穫に専心している農人たちの姿がぽつぽつと目立つ。今年最後の収穫、その追い込みが始まっているのだ。それを横目に、カヘルは白地に黒ぶち公用馬を駆るファイーに問う。
「ファイー侯、これ以降の丘砦調査は?」
ノクラーハ邸での朝食席において、女性文官は本日カヘルとローディアの捜査に同行する、と言った。
おかげでカヘルは、枕の変わった睡眠不足が一瞬でぶっ飛んだ。かるく嘘である、まくら関係なしに我らがデリアド副騎士団長の寝起きは、毎日が凶事なのだから。
「昨日通読したノクラーハ老侯の研究考察がすぐれたものでしたし、二回も実地を歩けたので、今のところは十分なのです。ただ……」
馬上からカヘルに、ファイーは少々困ったような眼差しを向ける。いつも通りにびしっと決まって、青い瞳に叡智圧がきいてはいるのだが。
「あの古文献を何度ながめて読み通しても、≪王の石≫の役割がよく理解できないままなのです」
昨夜ノクラーハ若侯夫人から語られたように、故マエル・ナ・ノクラーハ老侯にとって、石は王の正当性を証明するものだった。真の王が触れると、石は鳴き歌う。そして石の歌は、王自身には聞こえない。他の者だけが聞き取れるのだと言う。
「三百年前のデリアド王の話と、ノクラーハ老侯の少年時の体験は酷似しています。しかし……」
田舎道を進みつつ、ファイーは指摘していく。黎明デリアド王は丘の上に立っていた石を横にしようとした時、他の臣下の騎士らとともに石に触れているのだ。しかし、その時点で石が鳴き歌うことはなかった。石が高らかに歌ったのは、初代ノクラーハ侯の妹が後ろから触れた時なのである。
「非常に細かいところですが、どうもわたしには引っかかるのです。石が王の正当性を証明するものなら、妹が触れるのを待たずに、他の臣下たちが歌を聞いていたはずではありませんか?」
カヘルとローディアは軍馬上で小首をかしげる。本当にこまっかい部分ではあるが、ファイーの言うことはもっともだと二人は思った。
「カヘル侯。マエル・ナ・ノクラーハ老侯がダーフィ陛下と≪王の石≫に触れた時の話を、陛下ご自身から聞かれたのですよね?」
「ええ、そうです。ファイー侯」
「当時のダーフィ陛下は王太子であり、少年だった。誰かお付きの騎士がそばにいたはずです。彼らは石の歌を聞いたのでしょうか?」
「いいえ。同行していた近衛二人は丘砦のふもとにいて、どちらも石の歌は聞きませんでした」
カヘルはファイーの質問に、はっきりと答えた。王の庭で話を聞いた時、カヘル自身が疑問に思って確かめていたのである。ついでに言うと当時ダーフィ自身も同じことを疑問に思ったから、王子は後から中年騎士二人に質していた……。とくに我々なにも聞いておりませんが、何か? 彼らはそう答えたと言う。ちなみにこの二人の近衛騎士は、とっくの昔に逝去していた。
「……」
ファイーは押し黙ってしまった。眉根を寄せて、ずいぶん考察に苦戦しているようにも見える。
「何か、仮説があるのではないですか。ファイー侯?」
つっついてみた声が、カヘル自身ちょっと驚くくらいに生ぬるかった。それにも気づかぬ様子で悩み続けているらしいファイーは、歯切れわるく答えかける。
「ええ。あるにはあるのです。しかし……」
次の瞬間ぴしッとして、突然ファイーはいつものファイーらしくなった。
「ああ、次の分かれ道を右方向に曲がります」
ぶれない経路案内である。準街道をそれた三騎の前に、やがて聞き込み目的地の小集落が見えてきた。
漆喰を塗りこめた石積み家に藁ぶき屋根、典型的なデリアド農村をぐるりと豆畑が取り囲んでいる。ひよこ豆だろうか。丈の低い作物は淡い黄色にからからと乾いて、収穫されるのを待っているようだった。
――豆を煮るに、まめがらを燃く……
ふと脳内に浮かんだ古い言葉、はてどういう意味があったかと一瞬カヘルは考えた。……食糧と燃料が同時調達できる、作物としての豆のすばらしさを讃えるものだ……そうとしか考えられぬ、と副団長が一人納得したその時である。(※)
ぎゃ、ぎゃ、ぎゃ……
不審な物音をカヘルの聴覚がとらえた。
肩越しに振り返ると、後方の空が妙に暗い。
カヘル、ファイー、ローディアの三騎は立ち止まり、ほぼ同時に馬の頭を返す。そしてほぼ同時に、生きた暗雲を見た。
ぎゃ、ぎゃ、ぎゃぎゃぎゃ……!!
「カヘル侯、あれはもしやッ」
小さく叫んだローディアの言葉が、震撼している!
きゃーっ!! うわああああ!!
背後に遠く、誰かの叫ぶ声も聞こえた。畑の中で作業をしていた地元の農人たちが、異変に気付いたのだろう。
ぎりッ、
奥歯を噛みしめてカヘルは軍馬を下りた。ローディア、ファイーがそれに倣う。
「ふかし鳥。別名、≪山賊鳥≫ども!!」
びしぃぃぃぃぃッ。ファイーの声に、ここ一番の圧がこもる。
「何故、こんなところに!?」
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※全然ぜんぜん意味がちがいます、カヘル侯……! 【豆を煮るに豆がらを燃く】兄弟など、同源から生じた近しいもの同士が、仲悪く傷つけあうことを例えた言葉ですってば……。あ、それともデリアド限定でそういう解釈だったりする……のかな??(注:ササタベーナ)