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故マエル・ナ・ノクラーハ老侯

 

「た、楽しい方だったんですね? 老侯は……」



 故マエル・ナ・ノクラーハ老侯の口調を再現した若侯夫人の言葉に驚いて、ローディアは思わず言ってしまった。カヘルも内心で少々面食らっている。


 研究に一途、病弱で気むずかしい老文官……。カヘル達は勝手に、そんな人物像を想像していた。そんなころころした軽口でしゃべる人だったとは、意外である!



「ええ、そうなんですの。心の臓の病がありましたし、平生はとても静かで落ち着いた人でしたけれどね。時々そんな風に話し出すと、すごくひょうきんだったんです。お若い頃のダーフィ陛下の話をする時なんて、それはもう楽しそうで。口調が男の子・・・に戻っちゃってましたっけ、……本当に良いお友達だったのでしょうね。わたくしも、ほっこり聞いておりました」


「そうですか。やはり、なるほど」



 香湯こうゆをすすりつつ、ファイーが神妙に相槌を打っている。



「陛下にいただいたお便たよりの束も、大切にしておりまして。遺言どおり棺に入れて、一緒に火葬にいたしました」



 ファイーは無言で、何度もうなづいている。



「先ほどのお義父とう様の言葉ですが、東西どちらかの魔術師にしかわからないだろう、と……。確かに老侯は、そう言われたのですか?」



 淡々としたカヘルの問いに、若侯夫人はうなづいて答えた。



「はい。何度も言っておりましたし、この魔術師というのは義父特有の冗談ねた・・なんだろう、とわたくしは思ってまして。いちど突っ込んだことがございました。魔術師なんて、物語の中にしかいないじゃありませんか、と」



≪あれッ、きみ知らないかい? いるんだよ、本当に≫



 マエル・ナ・ノクラーハはその際、真顔で答えたと言う。



≪ほれ、西方ティルムン軍の理術士というやつ。呼び方でわかりにくくしてあるけど、平たく言っちゃえば魔術師なんだよ! それと東部ブリージ系にも、不思議な力を使う人たちがいてね。どっちも声の力を使って、色々すごいことを起こすらしいんだなぁ。特別な耳と声を持ってるってことなんだろうけど。まぁそのくらいのすご腕にならなきゃ、僕とダーフィの前であの石がうたった歌はわかんないだろうなぁ。何しろ、触った本人にしか聞こえないんだからね~!!≫



 ばしばし、ばし……。


 カヘルは目をしばたたく。その横のローディア、ななめ向かいのファイーは、湯のみを両手にしたまま固まった。


 これまで見てきた古文献や史料よりも何よりも、義理の娘を通して語られた故マエル・ナ・ノクラーハ老侯の言葉が一番強烈に、≪王の石≫に関するあざやかな手掛かりを伝えてきている。


 そしてカヘルの脳内、ぴかっ・冷やっとひらめくものがあった。



――東西どちらかの魔術師……。いるではないか、ニアヴ叔母上のすぐ近くに! 彼らが≪王の石≫をどうこうするなど、愚行をおかすはずがない。むろん犯人ではないとして、しかし彼らなら石のありかを探知できるかもしれぬと……?



 思考の回転で、さらに頭の中が冷やっこくなっていく副団長である。その時、遠くに重い扉の開く音がした。



「あっ、主人ですわ」



 ようやく帰宅したノクラーハ若侯と対面する。オーネイ・ナ・ノクラーハはいかにも文官、という風采の人だったが、気の毒なほどに憔悴していた。顔にげっそりと影を落とし、長細い身体をねこ背ぎみにかがめて、四十代のはずがずっと老けて見える。


 何となく自分の寝起き状態を鏡の中に眺めているような気になって、カヘルは捜査状況について話すのをためらう。



「カヘル副騎士団長のお役に立てず、誠に申し訳ございません」



 真摯に、しかし痛々しく絞り出すような声で、ノクラーハ若侯が先に言った。



首邑みやこデリアドからの遠路の上、終日の捜査にご尽力いただいたカヘル侯と皆さまに、何度もお話の労をかけるのは心痛でございます。私めは妻より詳細をうかがいますゆえ、今夜はどうぞお休みいただければと」



 低い物腰がぺしょりと折れそうなほどの、疲労困憊ぶりだった。それを察してカヘルとローディア、ファイーは客室へ引き取ることにする。


 年輩の女中に案内されて階段をのぼりながら、ローディアは毛深い胸中でぷるっと怖気をふるわせた。



――地方分団勤務の文官って、部署によっては相当きついって言うしなあ……! ノクラーハ若侯はモイローホ町役場の幹部職員と聞いているけど、こんな遅くまで毎日残業しているなんて、そりゃ疲れるよ。父親の亡くなった痛手だって、まだまだくっきり残る時期なのに……。気の毒だなあ。



 カヘルもまた、冷やっこい胸の底を震わせていた。



――好物の豚をたべて今は回復してしまったが……。ザイーヴさんも、あのように疲れた表情をするのだな。今日は良いものを見た。



 そっち方面であったか、キリアン・ナ・カヘル。



「洗い場は二つございまして、奥の突き当りが殿方用。そこの角がご婦人用でございます」



 女中の説明を聞き流しつつ、カヘルはすぐ前に立つファイーのうなじをそっと盗み見た。台衿だいえりのすぐ下に刺繍された、デリアド国章……二本の黒羽が左右から、樫の葉に寄り添っている。


 騎士作業衣の背にぴかっと映えるこの国章のように、ファイーはいつだって隙なくびしりと構える女性である。格好よくて頼もしい、博識と思考の切れの良さではカヘル史上最大級の優秀人材と言えよう。



――ただ……。



 そんな強いファイーでも、弱みというのはあるかもしれない、と最近のカヘルは考えるようになっていた。そこの所をあばいて攻めるべし、とか邪悪よこしまな企みごとをしているわけでは決してない。単にそういう部分もいと思えるのだろうな、と素朴な好奇心をいだいているに過ぎなかった。


 前回事件の現場にて、幽玄の異界へ行ってしまいそうだったファイーを、一瞬だけ抱いてカヘルは引き戻した。


 我に返って驚き、カヘルを見つめたその顔が。ぽかんとしたような表情が、いつものびしびしした叡智圧の視線同様、たまらなく好いと思えて忘れられずにいたのである。



――もう一度見たい。いや一度と言わず何度も二度見したい。がん見……ちがった、凝視したら嫌われるであろうか。



 くるり!


 と、渇望しているそのファイーの顔が急に振り返り、びしりとカヘルを見すえる。


 副団長はぎくりとした。内心でだけである、カヘルの冷えひえ表情にたじろぎなどは浮かばぬようにできているのだ。



「それではカヘル侯、また明日よろしくお願いします。ローディア侯、お休みなさい」



 丁寧にぴしりと目礼をしてから、ファイーはつかつか・ぱたん、とあてがわれた客室へ入ってしまった。



「お休みなさいファイー侯」


「お疲れさまです~~」



 立ち話をする暇すらなかった。


 男二人のかけた言葉は、女性文官の背中に届いたのだろうか?



「そ、それでは~! 先にお湯をどうぞ、カヘル侯。私はへやで、筋力運動してから洗いますので~!」



 言いつつそろそろと後じさりをする側近に、ふわーと超常の冷気がまとわりつく。



「……そうですね、ローディア侯。ですが私も、へやで素振りをしてからお湯をいただこうと思います」



 ずんどこ氷点下に冷え込む低音調にて、カヘルはローディアを振り向くことなく呟いた。



――うわああああッ、副団長きげん低下ッ。残念だけど、ファイーねえさんが疲れてそっけないのは、俺のせいじゃないぞ。とばっちりってやつだぁぁ!





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