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落ちぶれ仙女は龍の愛に揺蕩う  作者:
第一章 危急存亡
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一 誘拐

天上聖母(てんじょうせいぼ)様、私は前世で悪事でも働いたのでしょうか」


 睡蓮(すいれん)は一人ごつ。

 と言っても、口を布で縛られた状態ではまともな音にすらならない。虚しく放たれた独り言は馬車の騒音に紛れて消えてしまった。

 ガタガタと揺れる荷馬車。荷物を運ぶためだけの仕様の乗り心地は睡蓮にとって極めて最悪。しかも荷台ともなれば尚更だ。

 

 睡蓮の視界は暗闇も同然だ。自分が今何処にいて、何処へ向かっているのか、今が何時(いつ)なのかも知れない。恐らく、荷馬車で箱に入れられ荷物同然に運ばれているのだろう程度が睡蓮が此処までで知り得る情報だった。


 しかもその箱はご丁寧に釘で閉じられているのか、何度か足で蹴ってみたものの蓋はガタガタと鳴るだけ。まあ現状、睡蓮はしっかりと足は縄で縛られている為、蹴りに大した威力が無かったのもある。


 ついでに言えば、口は塞がれ、手は背中に回された状態で縛られて、殆ど身動きは取れないと言っても良い。しかも、格好は寝衣(ねまき)に裸足。夏も近いとは言え、少々外を出歩くには肌寒い。

 それにもうどれだけ箱詰め状態だったのか。睡蓮にはもうまともな精神力も残ってはいなかった。

 当然だが、好んでその状況を受け入れているわけでは無い。


 睡蓮は、誘拐されたのだ。

 しかも幸か不幸か、望んでいなかった第二皇子との結婚前夜に。 


「なあ、本当に大丈夫かよ。天罰でも下るんじゃ……」

「はは、以前は天上聖母の生まれ変わりなんて言われてたっけな……けどよ、祈った所で誰も俺たちを助けてはくれない。勿論神もだ。命令に背けば今度は俺達の命が無い。あるかどうかわからん天罰に怯えてなんていられねぇよ」


 荷台に届く声は二つ。荷台を引く音に紛れてもよく通ったのだが、正直に言って知りたくはなかった話。


 ――命令……第一皇子かな……


 睡蓮は男達が只の賊では無い事だけは推測していた。

 単純に、話し方が平民や破落戸(ならずもの)のそれではなかったというだけなのだが、『命令』という言葉で推測は確信に変わる。

 自身が疎まれ、望んでもいない結婚すらも祝ってはもらえないという事実だけが浮き彫りになっていた。


 それからまた、どれだけ進んだ頃か。荷馬車が停まった。ごそごそと人の気配ばかりが際立つ。乗り手の男二人だろうとは解っていても、何をされるとも知れず、身体が強張った。


 そうしてガタガタと箱が揺れたかと思えば、少しづつずれた箱の隙間から外の景色が見え始めた。


 辺りは薄暗く既に夜が迫りつつある刻限だった。散々暗闇の中にいた睡蓮の目は夜闇に慣れて、男達の姿がはっきりと映る。格好こそ商人を装ってはいるが、身体付きからして兵士のようにも感じた。

 

 命令されたとなると官職を賜っている可能性もあるだろうか。判然とした事は、どちらの男も顔を強張らせながらも睡蓮に同情の眼差しを向けている、と言う事だった。

 同情めいた顔が、嫌々行動しているのだとでも言うように諦念の籠った息を一つ吐く。一人の手が睡蓮へと伸ばされて睡蓮は身を縮こめたが、手付きには労りが有り、そっと口に当てられた布を外された。

 

「さ、仙女(せんじょ)様、降りてくれ……と言っても動けないか」


 手足は今も縛られたままだ。神の救いを否定した男の声の嫌味な口ぶりに睡蓮は辟易する気力もなく、男に抱えられるまま荷台から降ろされた。

 

 男の肩に後ろ向きに担がれた睡蓮は僅かに動く首をもたげて動かす。目に映るのは、鬱蒼と生い茂る樹々ばかりだ。

 もう一人の男の姿は前を歩いているのか姿は見えず。しかし常に二人分の足音が山中にはこだまする。

 男が傾斜を登っている事から何処かの山間である事は確かだが、皇都から出た事のなかった睡蓮にとって、何処の山かなど皆目見当もつかない。


 しかし、男の足並みが慎重なのは嫌でも理解した。男の身体と接触しているから、男の身体が強張り睡蓮以上に緊張している事も。

 二人は何かを恐れている。睡蓮は今しか無いと感じ、残った僅かな体力を振り絞った。


「お願いですから、逃しては下さいませんか。こんな場所まで私を連れて来たのなら身代金ではないのでしょう? 私が目障りと考えている方がいらっしゃるのは存じております。私は皇都には戻りません。このまま姿を眩ませます。ですからどうか……」


 相手を煽らないように、努めて冷静を装う。早鐘を打ち鳴らす心臓の鼓動も震える喉も隠しようもなく、相手にもさぞや伝わった事だろう。

 せめて、哀れんでいるならと睡蓮は懇願した。

 だが――

 

「残念だが、仙女様が生きていると知れたら俺たちが殺される。あんたは結婚前夜に第二皇子との婚姻が嫌になって皇都を逃げ出し、誤って嵩天山(すうてんざん)に足を踏み入れてしまった。そういう筋書きになってる」

「……嵩天山?」


 それまでまだ絶望の淵から僅かでも希望を見出そうとていた睡蓮の顔色が、絶望へと追い込まれたように青褪めていく。

 

 嵩天山。それは、この国にある封印された土地の一つ。皇帝が治める(りん)(しゅう)にある山だった。

 山には陰の気が立ち込め妖魔が湧くと云われており、禁足地とされている。皇都に暮らし、皇都から出たことの無かった睡蓮でさえも知る常識にも等しい話に、睡蓮は愕然とした。

 今いる場所が既に嵩天山なのだとしたら。口布を外した理由が叫んでも意味が無い場所なのだとしたら。


 男達は足を止めた。足音が消え、それまで以上の緊張が(ほとばし)る。


「ここらで良いだろう」

 

 睡蓮の肩が大きく跳ねた。もう既に辺りは暗闇といっても差し支えがない程に、夜がそこまで来ている。ザアザア――と吹き抜ける風に煽られ、葉が擦れる音が辺り一帯に響く。

 それが、嫌に恐怖を煽って二人を急がせた。


「早く戻ろう。いつ妖魔が湧き出るか」


 妖魔は人の気配に敏感だ。もうその姿を見る事は殆ど無いとされるが、それでも封印の地以外でも自然発生する事もある。


 男達は焦りながら何をするかと思えば、一本の樹に縄を巻きつけて、その先へと睡蓮の後ろ手を縛るそれを括り付けた。


「ま……まって、やめて……お願いだから……」


 睡蓮に恐怖が滲む。身体は震えて、声はうまく喉を通らない。


 例え睡蓮を誘拐した人物であろうと、今は最後の頼みの綱。今、睡蓮を助けられるのは目の前の二人だけなのだ。

 男達が僅かに見せる憐れみに睡蓮は涙して(すが)る、が。


「悪いな……」


 自分が如何に(むご)たらしいことをしていると自覚した四つの目が、睡蓮をこれでもかと哀れんだ。けれども自分の手を直接汚す慈悲までは向ける事は無い。

 そうして男二人は速足で来た道を戻って行った。

 一度として振り返ることもなく。

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