第1話
「クロエ……。おーい!」
気だるそうに私の名を呼ぶ声が聞こえる。
その声で私は目を覚ました。
目の前に見えるのはいつもの部屋の天井。
先ほどまで見ていた魔法使いやバーミンの姿、崩壊した街の景色などはどこにもない。
夢か…。でも懐かしい夢だったな。
初めて魔法使いに出会った時の記憶。私にとってとても大切な記憶。
この思い出があったからこそ今まで頑張ることが出来た。
あくびを1つして起き上がる。
カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しく、寝起きには少々辛いが今日はいい天気みたいだ。
「クロエ―、起きてんのー?」
再び先ほどの声が響いた。その声のする方を見ると、部屋のドアによりかかっている同居人のライムがいた。
「あ、ライム。ごめん、ごめん。起きてるよ。おはよー」
「はいはい、おはよーさん」
ライムはいつものように気だるそうに挨拶を返す。
私はベッドから降りると部屋のカーテンを開けた。
朝日の光が部屋内を照らす。やっぱりいい天気だ。
日の光を浴びながら身体を伸ばす。
「んー、いい天気。初出社には最高の日ね」
「おー、アンタもついに社会人ってわけか」
今日から私は社会人になるのである。しかも憧れていた人がいる会社だ。
思えばここまで本当に大変だった。
入社試験およびその勉強、内定をもらった後の研修等々……。
苦労した分感慨深いものがある。
「感傷に浸っているところ悪いんだけどさー」
不意にライムがタバコに火をつけながら話しかけてくる。
それに気付くと私はつい声を荒げて言ってしまう。
「ちょっと!この部屋は禁煙!」
本当は家の中で吸われるのも嫌なのに……。ライムは知ってか知らずかお構いなしに吸うのが辛いところ。
「あー、ゴメン。っていうかまぁ、そんなことよりも1つ聞きたいんだけどさ」
「何よ?」
そんなこと、と軽く言ってしまうライムに少しイラッとするが聞いてみる。
「時間、大丈夫?」
言いつつライムは自分の腕時計を私に見せた。
な~んだ、まだ出発しようと思ってる時間まで30分あるじゃない。ギリギリ間に合う、よかった~。
……あれ? 次の日からは直接配属先に行けばいいけど、配属初日はちゃんと来たかの確認のために総合受付を通っていかないといけない。
部署によっては総合受付を通ると、着任時間に間に合わなくなるから早めに来てねって言われた気が?
……ということは?
「全然大丈夫じゃない! なんでもっと早く起こしてくれなかったの!?」
慌てて歯を磨き、自分の髪をとかしながら私はライムに不満を言った。
「甘ったれるな、社会人」
ライムは新聞を読みながらタバコをふかして一蹴する。
正論なので何も言い返せない。
言い返せないが、もう少し優しく接してくれても良いじゃないかと思えてくる。
「今日が楽しみでなかなか眠れなくて寝坊したとか、マジでアンタ面白いわー」
棒読みでそう言うライム。本当にもう少し優しく接してくれても良いじゃないか。
「あーもう絶対間に合わない!」
一応の身支度は完了したものの、普通に行けば確実に遅刻だ。
……もう手段は選んでいられない。最終手段を使おう。
「ライムお願い!バイクで送って!」
「嫌」
「え~、即決ぅ……」
しかも新聞から目を離すことなくもそう言い放つ。厳しくない?
割といつもそうだけど。
しかし私も他に手段が無いので引き下がれない。
「お、お願いします。送っていただけないでしょうか?」
今度は丁寧にお願いをしてみる。
「嫌でございます」
にべもなく断られた。
もう、どうしろっていうのよ!?
こっちに口調を合わせてきたのが腹立たしい。
「そ、そこを何とか、お願いできませんでしょうか?」
しかし私も引き下がれない。引き下がるわけにはいかない。
初出勤で遅刻とか印象が悪すぎる!
「家事全般1か月」
「えっ!?」
そんなに!? 1回遅刻を助けるだけの対価が大き過ぎない!? 普通ごはん奢りとかじゃないの?!
「あ、あと燃料代も」
さらに追い打ちをかけてきた!!
この人、人の皮被った悪魔か何か?!
「さて、アタシもそろそろ仕事の時間だし行くかー」
どうしようか考えながらうんうん唸っていると、ライムは時間切れだとでも言うように新聞を畳む。
鼻をふん、と鳴らして席を立った。
「待って! やる、やります! 1か月家事やるから、お願い!!」
背に腹は代えられない。断ることは今の私には出来なかった。
そんな私を見てライムは悪魔のような笑みを浮かべてこう言う。
「しょうがないなー。ヘルメットとってきな」
私は怒りを覚えたが、
「あ、ありがとうございます……」
としか言うことが出来なかった。
今日という日のスタートは私にとってとても最悪なものになってしまった。