第二部 一話ノルデノルンにて、ジオ
ハーバーがクランノーバァより戻り、馬車を入れて玄関先まで歩いてくる。
玄関先の庭の中で何か揺れている。
ハーバーがそれに気が付き、大剣の柄に手を添えて、それにゆっくり近付く。昔、ハーバーもよく見ていた吊り寝台だ。その吊り寝台にジオが寝ている。
ハーバーが訝しげに、剣に手を置いたまま寝台の脇に立つ。
『ハーバー、その大剣でオレを切るつもりか?物騒な奴だ。』とジオが目を瞑ったまま言う。
『ジオ、いや坊・・・』とハーバーが唖然としている。
『もう、トツクはいいのか?』
『ああ、驚いた・・・ニヶ月前だ。ノルデに戻って、驚いたぞ。坊が話さなくなっててな。魔力も使えんと言われたしな。いつ治っ。』とハーバーが言う。
『治ったと言うな。戻れたと言え。・・・ー刻前だ。この雰囲気の暗さは何だ。誰かに聞くまで、恐ろしくて家敷に入れんわ。だからここで寝てた。』とジオはしかめっ面だ。
『・・・』とハーバーは言葉を探している。
『母者が壊れたか?』とジオがあっさり言う。
『・・・ああ。・・・部屋から出てこないから・・・挨拶もしてないし、様子も見てない。詳しい事は女性たちから聞いてくれ。』
『誰がいる?』
『今はルミナ嬢とエレナ嬢だな。』
『そうか・・・しかし腹が減ったぞ。昼過ぎたばかりなのに・・・何故、腹が減っている?ハーバー、オレはちゃんと食べさして貰っているのか?』とジオがハーバーを睨む。
『坊・・・そんなに腹が減っているのはおかしいぞ。いつもちゃんと食べさしてるぞ・・・多分。』とハーバー。
『本当か?多分とは何だ?多分とは?』
『それに、この衣装は、随分汚れてるじゃないか・・・ハーバー、オレはどうなってるんだ?』とジオが目を吊り上げている。
『す、すまん、サラ殿がベロニカ殿に聞いてくれ。オレは分からん。』とハーバー。
『ちっ、役に立たん奴め。』とジオ。
『坊、会話が出来るのは嬉しいが、ロが汚くないか?』とハーバーが恨めしげに言う。
『ハーバー、オレは綺麗好きなんだ。だから湯場も造った。・・・そうだ、手がまっ黒だった。オレは物心ついてから手を汚したのはー度しかないんだ。腹が立つ。』とジオ。
『本当に、一度しかないのか?』と疑わしそうなハーバー。
『ああ、オレは魔力使いだ。自分の手を使うわけないだろう。・・・ポーランでハーバーたちに会ったろ。あの時、永年草を掘っていたんだ。ジョングにそれを見られていたから、取り合えず、手を使ってるように見せた。その時だけだ。』とジオが自分の手を見ながら話す。
『あっ、・・・ジョングはどうしてるだろう・・・落ち着いたら、探しにいくか・・・なっ、ハーバー?』
『うん、そうだな。』とほっとするハーバー。
『よし、久々に飯を作るぞ。』とジオは吊り寝台で起き上がると、そのまま宙を移動して、玄関に向かっていく。
『歩かないのか?』とハーバーが見ている。
『ああ、暫く使っていないからな。使わんとな。』とジオが言う。
ジオとハーバーが玄関を抜け、食事処を通り、調理場に入る。調理場にはルミナとエレナが居る。調理場に入ってきた宙に浮いているジオを見て驚いている。
『ルミナとエレナ、久しぶりじゃ。元気だったか?』とジオが二人に声を掛ける。
二人はその声を聞くと、ジオの側に駆け寄ると、両側より二人でジオを抱きかかえて、泣き始める。
『二人とも、どうした、泣くな。笑ってくれ。』とジオが笑う。
『坊はやはりこうでないと駄目よ・・・』とルミナが言う。
エレナも頷く。
『こうとは何だ・・・それより・・・』とジオ
『なあ、ルミナにエレナ、なんでオレはこんな汚い格好なんだ?』
二人は泣いた後の顔で見合うと、泣を拭うと、
『サラ様かベロニカ様に聞いて・・・』とルミナが答える。二人は困った顔だ。
『そうか・・・まあ良い。腹が減った。ピッツァを作るぞ。母者はちゃんと食べてるか?』
とジオは小麦を捏ねながら聞く。
『ええ・・・』とルミナが口籠もる。
『うん・・・そうか・・・焼くぞ。』とジオ。
ジオは練った小麦を薄く円形にして、その上に野球三種、肉、茸、そしてトマトの垂れとチーズを載せ、釜で焼き始める。
ジオは出来上がったピッツァを釜から、何枚も取り出す。
『出来たぞ。さあ食べて良いぞ。熱いから気を付けろ。』と、ジオが何枚かを六等分して皿に乗せハーバーたちの前に出す。
『坊、旨いな。変わらず料理が上手だな』とハーバー。
ルミナとエレナも頬張りながら頷く。
『よし、母者の処に行ってくる。』とジオは茶とピッツァを四枚を携えると調理場を出ていく。
残った三人は食べながらジオを見送っている。
ジオは二階に上がり、階段右の広い部屋がレディティアとジオの二人の部屋だ。
『母者、ジオじゃ、入るぞ。』とジオが部屋に入っていく。
ジオが見るに部屋は綺麗だ。散らかっている様子もない。
レディティアは寝台手前の長椅子に腰掛け、窓の方を向いている。ジオの声掛けにも反応はない。ジオはレディティアの正面に回り顔を見る。
目に意識が見られない。
・・・ 母者め、心を閉じてるな。厄介な事だ ・・・
ジオは母の膝の上に座ると、顔をレディティアの胸に埋める。
・・・ 母者、オレだ、ジオだ戻ったぞ
とレディティアの心の中に自分の姿を投影しながら呼び掛ける。
・・・母者、オレだ、ジオだ
レディティアの心の中には色々な過去の風景が渦巻いている。それを見ながら、レディティアの自我を求めて、声をかけながら進んで行く。
・・・ あれか、激しいく渦巻いておる ・・・
・・・ 母者、オレだ、ジオだ、戻ったぞ。こっちを向いてくれ。見れば分かる。見てくれ。 ・・・ 母者がしっかりせんから、汚れた物を着せられておる。早く起きてくれ。
・・・ 本当にジオなの?
・・・ 本当じゃ。早よう湯場に入りたい。起きてくれ。腹も減った。一諸に食べよう。
・・・ 母者の食べた事のない物じゃ。いい臭いだろう。
と、レディティアの手がジオに気が付いたように抱き締める。
レディティアの目から一筋涙が落ちると、ジオに話しかける。
『ジオ、心配してたわ。何処に居たの?・・・いつ戻ったの?』と。
『ああ、一刻程前だ。あれもオレの一部だ。体がないと戻れんだろう。』とジオ。
『そ、そうね・・・』
『母者も戻ってくれて良かったぞ。』とジオが笑う。
『母者、オレを見ろ。何故汚れておる?着ている物も汚れておる。ちゃんと面倒見なかったな。』とまたジオが笑う。
レディティアも泣いた顔で笑っている。
『あら、ジオの着ている衣服は始めて見るわ。』とレディティアがジオの衣装の手触りを確かめている。
『母者、これはピッツァという。食べてみろ。なかなかいけるぞ。』とジオがレディティアか
ら下りると、ピッツァを食べ始める。
と、レディティアも一緒にピッツァを食べ始める。
『ジオ、美味しいわ。味わって食べるのは何時以来かしら・・・』とレディティアが微笑む。
『母者、痩せたな・・・これからは、しっかり食べろ。痩せ過ぎは美しくないぞ』とジオが食べながらレディティアを見る。
レディティアは笑っている。
湯場に入っている。ジオはレディティアに抱かれ湯溜めにいる。
『母者、湯場はいいな。久しぶりに生きた心地じゃ。』
『本当ね、湯に浸かると落ち着くわ。もっと早く入れば良かったわ。』と。
『ジオ、服の事、汚れの事はもう言わないでね。母が悪いのよ。サラやベロニカ様は悪くないのよ。ジオの為良かれとしたの。いいわね。』とレディティアはジオの額を小突く。
『そうか、そうだな。わかった。』とジオ。
脱衣場で好みの服を着ているジオ。
『母者、服が大きいが作り直したか?』とジオは袖丈や足元を見ている。
『やはりね。ジオを抱いた時に小さいなと思ったのよ・・・』とレディティア。
『そ、そうか・・・』
・・・おいおい、成長せんどころか小さくなっとるのか、それでは着たきり雀のわけじゃ。参ったぞ・・・
レディティアは部屋でジオの服のサイズを直している。
『ジオ、この半年何をしていたの?』とレディティアがジオに聞く。
『この半年か、夢を見ておった。それも生々しい二十年の夢じゃ。だから目が醒めて驚いたぞ。最初、どちらが現実か分からんかった・・・』とジオ。
『そうなの・・・』
『母者、おいおい話してやる。夢で見た二十年は面白かったぞ。』と笑う。
『それは楽しみね。』とレディティアは衣装に余念がない。
『母者、婆に連絡してもよいか?』
『ええ、勿論よ。直ぐになさい。』
ーーー 大母、聞こえるか?ジオじゃ。戻ったぞ。
ーーー ジオなの?本当なの?
ーーー ああ、大母。今、母者に着る物を直して貰っておる。これでオレだと分かるだろ。
ーーー 母者も戻ったぞ。大母どうした?
ーーー もう、戻らないと諦めてたのよ。
ーーー そうか?体があるうちは大丈夫じゃ
ーーー 大母、何か困った事はあるか?
ーーー レディも戻ったなら、アクトアスの商品を用意してと言って。足りないのよ。
ーーー 分かった。サボった分、働けと言えばいいな。
ーーー ジオ、口が悪いわ。
ーーー ハーバーにも言われたぞ。
『母者聞いておったか?』
『ジオ、口が悪いわね。』レディティアが口を尖らす。
ジオとレディティアは食事処に下りている。ハーバーもいる。間もなく夕食の時間になる。料理はルミナとエレナが用意している。
食事処にサラが入ってくる。疲れた顔をしている。
『ただいま戻りま・・・』とサラの声が途中で止まる。サラがレディティアに気がつきレディティアを見ている。その横に座るジオも見る。
『サラ、お帰りなさい。久しぶりね。顔が疲れてるわ、大丈夫?』とレディティアが声を掛ける。
『姉様・・・』とレディティアの側に駆け寄ると、レディティアの胸で泣き出す。
『サラ、心配掛けたわね。ごめんなさい。』とサラに言う。
暫くして、涙が止まると、席に着く。
『姉様が普通に戻られるとは、とても嬉しいです。』とサラが笑う。
『ハーバー殿も驚いたでしょう。何か有りましたか?』とハーバーにサラが聞く。
『ああ・・・』と口籠もったハーバーがジオを見る。
それを見たサラもジオを見る。
『姉様、坊の衣服を直されたのですね。しかしよく着替えさせられましたね。』とサラ。
『サラ、オレはそんなに暴れたのか?』とジオが言う。
『・・・』とサラは口を手にやると、また涙が溢れる。
『サラ、戻ったぞ。随分手間を掛けさせたようで、すまんな。』と、椅子から下りて、サラに寄っていき、手を伸ばす。
サラがジオを抱き上げ、声を出さずに泣き出す。
『サラ、気は晴れたか?』とジオ。
『・・・』と無言でサラは頷いている。
オレを抱いたまま涙を拭うと、
『坊は、朝に食事を摂ると直ぐに何処かに行くのです。そして夕食の時間になると食事処に戻ってきて夕食を摂るのですが・・・また何処かに行ってしまうのです。朝夕の食事の時間以外は何処で何をしているのか分からないのです・・・』とサラが言って、オレを睨む。
『サラ・・・オレを睨むな・・・その記憶はオレには無いぞ・・・』とジオは困っている。
『サラ、大丈夫だ。埋め合わせはする。・・・勿論、皆にもな。』と見回しながら、頷く。
『坊、いいですよ、埋め合せなんて。戻ってくれただけで十分です。』とサラが笑う。
『でも、坊。一体何をしていたんですか。』とエレナが聞く。
『そうだな・・・多分、心の奥底で休んでいたのかもしれん。長い夢を見ていたぞ』とジオが笑う。
『夢か・・・』とハーバー。
『それより大母が困っているようじゃ。明日、皆で手伝ってくれ。』とジオ。