第七話 霊刀
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ヨシノリさんの治療をしたとき、旧タイプの医療用ナノマシーンを見つけやすいよう、フィルタを設定した。私にとって一番扱いやすいもののように思えたからだ。最初に見付けたものが旧タイプだったということもある。今はフタバの指先に集中している。フタバの指も医療用ナノマシーンの再現データでできていた。いや指だけじゃない。手や腕もだ。もしかすると。
私は再びデバッグ・モードに入った。
フタバの体は全て医療用ナノマシーンが作る疑似細胞で構成されていた。ヨシノリさんたちもだ。しかも私の知らないバージョンだった。ひょっとして有機物全てなのか。急いで周りに意識を向ける。視界に入る有機物は全て疑似細胞の再現データでできていた。服の繊維は休止状態のものだ。いや有機物だけではなかった。無機ナノマシーンまである。金物や武具の中にも入っている。空気や地面の大部分は普通のVRデータだ。
私の治療にも使われている有機ナノマシーンは、付近のゲノム情報を読み取り、本物とほとんど区別が付かない疑似細胞を作りだす。時間さえあれば骨格や神経網ですら再現できる。ここはゲームの中のはずだ。少なくともVR環境で作られたものだ。実際に一部のデータはありふれたVR規格のコードで書かれている。
だがここまでの演算処理が可能なのか? 大国が協力すれば、それだけのマシンパワーを持つメインフレームを構築することができるかもしれない。ただそれをやる理由や必要性がわからない。今持っている情報ではこれ以上のことはわからないと思う。
ともかく情報を得るためにも今のアバターのままではままならない。魔物の体液をあびても大丈夫なようにしておきたい。幸いというべきか、フタバたちに使われている疑似細胞は、魔物の体液をあびてもパラメータが変わらない。
旧タイプのものと見比べる。
使われている個々の有機ナノマシーンに大きな違いはない。疑似細胞の結合が強くなっているようだ。回復力も増えているみたいだ。外から信号を入力されてもある程度は抵抗できるようにされている。これなら私でも何とかできそうだ。二つのデータの差分を抽出する。核のデータは省いている。差分を加えるプログラムを組み立てる。プログラムを増やし並列処理を行う。周りにある旧タイプの疑似細胞のデータを全て書き換えた。ヨシノリさんの治療に使った分もだ。
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「ありがとうございます、フタバ」
「も、もう、良いのですか」
そうだった。思考加速をしていたのだった。
「え、ええ、この魔物の血に侵されやすい霊気を、強いものに変えました」
この中では有機ナノマシーンが作る疑似細胞は霊気と呼ばれている。
「霊気の改良までなさるとは、さすがはヒトミどの」
「し、瘴気に侵されぬようになったのでしょうか、ヒトミさま」
瘴気はパラメータを書き換える疑似細胞のことだろう。
「弱い霊気の力を上げただけです。もとから強い霊気の力はそのままです」
「いえ、それであってもすごいことです、精霊様」
「民たちの中には瘴気に対して弱い者も多くいます」
「一匹たりとも魔物を通すわけにはいきません。全て槍のサビにしてやります」
私が見たとき旧タイプの疑似細胞はうすく広がっていた。誰かが少しずつ更新でもしているのだろうか。いや考え過ぎだろう。リアルでもマイナーチェンジやバージョンアップが簡単にできるわけではない。今の私の法的保護者でもある教授が、特殊な例外だという話だ。
このアプリの作成者が、それらしく振る舞う疑似細胞のデータをセットしたのだと思う。いやそちらもまだ推測でしかない。データとプログラムの一部を見たとき、わりと効率良くまとめられていた。特にメモ書きなどは残っていなかった。今のところ有力な手がかりは見付かっていない。せめて瘴気のデータがもう少し欲しい。
「ヒ、ヒトミさま!」
瘴気をよく見るため近付こうとしたとき、フタバに止められてしまった。先ほどアバターの指を切除したときフタバには気付かれた。私を心配してくれてのことだと思う。そう見えるだけかもしれないが、この中ではリアルの人間との区別が付かない。無下にしたくないのは確かだ。
「瘴気のことを詳しく調べる必要があると思います。それにフタバのおかげで、この体の霊気も強いものに変わりました」
足もとに落とした瘴気の活動はいつのまにか休止していた。まわりが強い霊気に変わったので不活性化したのかもしれない。できれば活動中の瘴気のデータをもう少し得ておきたい。
「そ、それでしたら、よろしければ私の体を使ってください。私なら触っても大丈夫でしたので」
データ上での違いはほぼない。それでフタバの気がすむなら、あえて断る必要もないと思う。
「ありがとうございます、フタバ。お言葉に甘えさせていただきます」
「は、はい。もし何か異常を感じたら、私の体のことは気にせず、すぐに離れてください、ヒトミさま」
フタバは本気で言ってくれているようだ。私のような経験をしたのならともかく、普通はそこまでのことを簡単には言えないと思う。私はアバターをほどいた。今のアバターデータは保存している。再構成にそれほど手間はかからないはず。
意識をフタバの方へ移す。移動中に確認した。やはり直接見ると情報量が少ない。動かせるナノマシーンもほとんどない。フタバやアバターを介すると情報量が一気に増える。リアル以上かもしれない。コマンドやプログラムの送信も行いやすくなる。
「フタバ、手を伸ばしても良いでしょうか」
『は、はい、ヒトミさま。私は自分で動かさないようにします』
「この状態でもフタバ自身で動かすことができるのでしょうか」
『ヒトミさまほど強い精霊様に憑いていただけた話は聞いたことはありません。あっ、動かそうと思えば動かせるようです』
フタバとヨシノリさんを助けたとき、フタバは自分で体を動かそうとしなかった。あれは私の邪魔をしないよう懸命にこらえていたのかもしれない。なるべく手早く済まそう。思考加速はすでに行っている。加速倍率を限界近くまで上げる。こちらの伸びは普段より小さい。原因の候補はある。リソースの一部で小さな解析プログラムを走らせる。これでいずれ推測値が得られるはず。
フタバの指先を慎重に瘴気に近付ける。こちらはまだ活動している。念のためフタバの指先に不活性化させた疑似細胞の層をまとわせる。これ以上離すと多分精度が落ちる。フタバの指先が瘴気に触れる。素早くデータを読み取る。すぐに指を瘴気から離す。不活性化した層ごと排除した。フタバは侵食されていない。思わず安堵する。思ってた以上に緊張していた。
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私はアバターをまとい直した。
「ありがとうございます、いくらか詳しく知ることができました」
「ヒ、ヒトミさま、その、お体の方は」
「ええ、大丈夫ですよ、フタバ。おかげで瘴気への対策ができるかもしれません」
思考加速中に行った瘴気の分析データを再度確認する。瘴気自身に何らかのバグがある。下手なバグだと活動さえできない。多分魔物の体を作ることができるものが残ったのだろう。バグによって変更されたパラメータは攻撃に関するものが多かった。攻撃力や防御力が上昇する。攻撃性も増加し、体も大きくなる。
一番やっかいなのは、その性質を他の疑似細胞に伝えようとするところだ。確か侵食というログが流れた。瘴気に変わった霊気も、他の霊気を侵食する。バグの伝達は通常のナノマシーン同士の通信とあまり変わらない。なら逆もできそうだ。
「イチロウ、その槍の穂先を少し変えてもよろしいでしょうか」
「え、はい、精霊様」
加速中に組んでおいたプログラムを、イチロウが渡してくれた槍の穂先近くの無機ナノマシーンに入力する。うすく広げ金属部分をコーティングする。一部が剥がれると自動的に修復するよう設定しておいた。
「この槍の穂先で軽く魔物の体に触れてもらえないでしょうか」
「え、ええ、わかりました」
イチロウの槍の穂先がダンゴムシ型の魔物の体に軽く触れる。
「えっ、な、何が、魔物が消えた?」
「あ、兄上、これはもしかして霊刀でしょうか」
「う、うむ、やも知れぬ。父上に見ていただければハッキリするのだが」
私が入力したプログラムはバグを修正し、普通の疑似細胞に戻す信号を伝えるよう設定したものだ。プログラムを受け取った疑似細胞も周囲に同じプログラムを伝える。瘴気に侵された生き物は大きさも変わる。通常の霊気に戻ると大きさももとに戻る。余った霊気は周りに飛び散る。一見すると、魔物が消えたように見える。