第五話 ナノマシーン
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私は周囲を漂っている小さなものを「見る」
戦っていたとき気になっていたことを確かめるためだ。周囲には医療用ナノマシーンが漂っていた。いや正確には、医療用ナノマシーンの再現データだった。私の治療に使われているものとほとんど変わらないように見える。バージョンは少し古い。私の治療の初期に使われていたものだった。
医療用ナノマシーンのデータ自体は学術サイトなどで公開されている。データだけなら比較的容易に手に入る。リアルで実験や治療に使うさいは厳重な監視下におかれる。それ以前に作成するには相応の設備が必要になる。ほとんどの研究者はシミュレーション上での運用がメインになるらしい。うまく動きそうなもののデータが教授に送られてくることもあるようだ。
ここもVRの世界だ。古いデータの流用をしたのかもしれない。不自然な点はまだある。いや、それは後でいい。今はフタバの兄のヨシノリさんの怪我を治す方が先だ。私の治療に使われているナノマシーン用のコマンドを送ってみる。リアルでは電磁波が使われる。直接接続されていれば電気信号を使うこともできる。時間はかかるが化学物質でコマンドを送ることも可能だ。
普段使っているコマンドで動かせた。どうやら思い浮かべることで電磁波を伝えているようだ。いやさすがにそこまでは設定されていないと思う。ほかのVRゲームと同じように脳波を読み取り、それらしく振る舞っているだけだろう。ともかくこれでヨシノリさんの治療を行うことができる。
ヨシノリさんの近くには別のカマキリのモンスターが倒れていた。ヨシノリさんが倒したのだと思う。フタバとヨシノリさんの練習は何度も見た。ヨシノリさんの力ならモンスターを倒すことも難しくはないと思う。
『お兄ちゃ、いえ、兄上は私をかばって傷を負ってしまいました』
⋯⋯そんなところまで。
「⋯⋯すぐに治療を始めたいと思います。私が行ってもよろしいでしょうか」
「おお、かたじけない」
『お願いします、精霊様』
よし、合意は得られた。私はどこかのマッドとは違う。本人の合意がないのに、新しいタイプの医療用ナノマシーンの試験運用はしない。私はプログラムの学習用以外に、医療知識の学習用アプリの数もこなした。これも自分の身を自分で守るために必要だった。
旧タイプの医療用ナノマシーンは薄く広がっていた。周囲にコマンドを放つ。数を集めるためだ。ナノマシーンは一体ではほとんど何もできない。疑似細胞を作るにも多くの種類と数が必要になる。リアルならエネルギー源はブドウ糖がよく使われる。有機半導体を利用した光電素子や熱電素子も使われている。疑似葉緑体を作ることもできる。
疑似細胞の大きさだと移動速度は小さくなる。移動速度をあげたければ数を集める必要がある。リアルでは数cmを超えると浮かびにくくなる。そのときは別の工夫が必要だ。先ほどの物理演算を考えると、リアルと同じく1mmぐらいが一番効率が良さそうだ。
よってきたナノマシーンにプログラムを入力する。1mmの小型ドローンを作るためのプログラムだ。この入力もうまくいった。まわりから小型ドローンが集まってくる。ナノマシーンで作ったドローンを動かすと何%かはエネルギーのロスが発生する。もれていくエネルギーなので制御は難しい。有機半導体部分から光となってもれていくエネルギーもある。私が動かすと緑をおびた光がもれやすい。
周囲が緑をおびた光に包まれる。
「こ、これは霊気か?」
『は、はい、兄上。おそらくは』
このアプリでは医療用ナノマシーンのことを霊気と呼ぶようだ。今の私は少し思考加速を行っている。コマンドやプログラム入力の効率をあげるためだ。私が数えきれないほどのアプリやゲームをこなせた理由でもある。私の思考加速だけならリソースは必要ない。逆にできることが増える。アプリごと加速させるには相応の処理能力が必要になる。
それにしても再現性が不自然なほど高い。ナノマシーンからもれる光まで演算している。まわりの景色もリアリティにあふれている。それにフタバとヨシノリさんだ。リアルの人間と区別が付かないほどだ。ここまでの演算をBレベルのアプリで行うことはできないはず。大手メーカーのものでも無理だと思う。
いや、五感でのVR環境自体が黎明期だ。毎月のように新たなプラットホームができている。どこかのメーカーがうまく作ったのかもしれない。私のように個人でアプリを作る人も多い。そのうちの一つがうまいった可能性もある。そうでなければ大国が管理するメインフレーム並みの処理能力が必要になる。
個々の要素ならメーカーでも可能だ。個人のものでも一部なら再現できる。あのカマキリに食べられるアプリもそうだ。補食されるところに集中すれば、それなりのクオリティのものを作ることができる。私からすれば努力する方向が間違っているように思えるけど。まあ人の好みはそれぞれだろう。
私は耽美なものを好む。特に美少女同士がイチャイチャするのが好みになる。いや美しいのであれば、それ以外はあまり気にしない。世の中には美少年や美青年もいる。ヨシノリさんもそうだろう。ただ私の好みに合うのがフタバのような美少女に多いというだけだ。ただ今の私はフタバと重なっている。このままではイチャイチャできない。
「おお、傷があっというまに」
『あ、ありがとうございます、精霊様』
思考加速で増えた処理能力の大部分を使ってヨシノリさんの治療をしていた。つらつらと考えていたのは、そのうちの一部に過ぎない。私は明文化された法だけではなく、法の精神まで守ろうとする模範的な人間だ。どこかの口先だけの遵法精神のかたまりとは違う。怪我人がいるのに、趣味に気を取られていたわけではない。
「いえ、たいしたことはしておりません。それよりこの体はフタバのものです。すぐにお返しいたします」
ドローンを動かした感じでは、普段とあまり違いはなかった。ナノマシーンの再現データを使ってアバターを作ることもできそうだ。そうすればフタバとイチャイチャできるはず。このクオリティなら私がリアルで経験したことのないところまで、いくことができるかもしれない。
私はデバッグ・モードに入った。
私は数多くのアプリのテストプレイやデバッグをするため、限界に近い思考加速をほぼ毎日行っている。アプリの解析やデバッグをしやすくするため、データやプログラムの可視化も同時に行う。私はそれをデバッグ・モードと呼んでいる。周囲のデータにはよく使われるVR規格のコードで書かれているものがある。ただ医療用ナノマシーンの再現データが多いように感じる。いや解析は後でも良いだろう。
コマンドを周囲に放つ。
集めた医療用ナノマシーンに新たなプログラムを入力する。リアルの私の体は半分以上が医療用ナノマシーンで代替されている。全てを医療用ナノマシーンの再現データで構築してもそれほど違和感はないはず。Cレベルのアプリにはアバターデータがうまく合っていないものもある。そういうときは自前のアバターデータを使っている。これほどクオリティの高いものは初めてだけど。
緑をおびた光が集まり人の形を取り始める。普段の服装はシンプルなものが多い。フタバとヨシノリさんの服装に似せておいた方が無難だろう。手持ちの服装データの中で近いものを選ぶ。服の繊維も植物を真似た疑似細胞で作ることができた。やがて女神クラスの美少女のアバターが完成した。
まあ、多少の美化は乙女のたしなみだ。
「こ、これほど早くお体をまとわれるとは」
「ツ、ツグミ様以上の。いえ、ありがとうございます、精霊様」
アバターの操作や感覚も問題ない。受け取る情報量がリアルより多いほどだ。フタバも自分の体を動かせるみたいだ。少し気になる口調だった。親密度をあげていけば何かわかるかもしれない。デフォルトで入力されていたのだろうか。表示されたプレイヤーネームは長い名前だった。リアルの名前を使うことにした。
「ヒトミと申します。精霊様では面はゆいゆえ、そう呼んでいただければと思います」
口調が丁寧なのも、乙女のたしなみだ。
挿し絵はAIを使っています。詳しく知りたい方は「登場人物・設定など」の「挿し絵について」をご覧ください。




