第ニ十七話 襲撃
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その災害が起こったのは、シミュレーションを稼働させてから一年後のことだった。処理速度は百倍に設定している。内部では百年経った頃だ。それまで人々は平和に暮らしていた。大きな争いやトラブルもなかった。元がリゾート衛星だ。生活水準は高い。航行を含めほとんどの作業の自動化が済んでいる。幼少期からの学習は行う。その後は好きな職業を選ぶことができる。それぞれが興味のあることを行っていた。
最初は些細なバグだった。放射線の影響を受けて一部の素子が変化してしまった。それ自体は想定していた。すでに何度か起こってもいる。私は特に気にしなかった。素子自体に修復機能もついている。すぐに直るか機能停止すると考えていた。バグを持ってしまった素子はその当時最新のものだった。基本性能も従来ものに比べると飛躍的に上がったものだ。その素子は機能停止する様子がなかった。
そればかりかか周りの素子を「侵食」し始めた。侵食された素子は次々と周りの素子を侵食していった。侵食された素子に触れると、小動物や昆虫まで侵食された。それらは巨大化し攻撃性も増していた。私は悩んだ。このままでは人々まで襲われる。しかし科学者として過度な干渉を行うわけにはいかない。幸いと言うべきか、侵食された素子や生物は北の山脈近辺だけだ。あの辺りは人が住んでいない。
侵食されたものもいくつもの山脈を越えては来なかった。しばらく様子を見ることにした。北の山脈はこういった事態も想定して設定していたものだ。少しの間なら持ちこたえらるだろう。しばらく観測を続けた。北の山脈では侵食が進んでいる。だがいくつもの山脈を越えて人々のところまで来るものはなかった。何とか持ちこたえられそうだ。その間に私は素子の改良を行い、侵食されにくいものを作った。
これの散布ぐらいなら良いだろう。元々新しい素子の実験のためのシミュレーションでもある。私は人々の素子が置き換わるように少しずつ散布を始めた。観測対象に過度の干渉を行うわけにはいかない。やがて人々の一部が新しい素子に変わっていった。ほかの大部分はまだ変化していない。ある日とうとう山脈の切れ目のような峠を通り、侵食された生物が人々の居住地の近くまでやってきた。
このままでは古い素子でできている人々も、侵食されてしまうか襲われてしまう。しかし科学者として、あらゆるデータを受け入れなければならない。事態は急激に悪化する。山脈を越えてやってきた侵食された生物は、近くの生物を侵食する。その後は連鎖反応のように、その近辺の殆どの生物は侵食されてしまった。残ったのは新しい素子を持った生物だけだ。それらは侵食こそされなかったが、攻撃性の増えた生物に襲われてしまう。
まるで消火できない山火事のように、その範囲が広がっていく。そうなると次は人々の番だ。私はその光景を観測する。私は科学者だ。どの様なデータであっても受け入れなければならない。峠を越えて来た個体は、侵食されたものの中でも弱い部類だった。だから北の山脈から逃げてきたのだろう。体を作る素子も安定性を欠いていた。しばらくすると、こちらで新たに侵食されたものも含め、全て機能を停止した。
残ったのは千人にも届かぬ人々だった。これでは技術レベルの維持も難しい。いやおそらく無理だ。ゲノム情報のストックはある。これらの情報は元々人々の子孫に、少しずつ取り込まれるように設定している。だが災害のとき、ほとんどの文明の利器も壊された。彼らはこれから再び文明を再興しなければならないが、あまりにも条件が厳しすぎる。私の判断は間違っていたのだろか? わからない。私の基準としてはおそらく正解だ。だが別の基準であればおそらく不正解になる。
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ヒトミが中伝以上の門下生たちに神刀を配っていく。私と兄上と父上にも渡してくれる。私がもらったのは、初めてヒトミが憑いてくれたときに、私が持っていた太刀に似ている。驚くほど手に馴染む。刀身も確かめてみる。反りはほどよい。私の動きに合いそうだ。切っ先は鋭く物打はよく研がれている。刃のほかの部分でもよく斬れそう。鎬や峰は丈夫そうで、折れそうにもない。
茎もしっかり固定されていて、何合打ち込んでもゆるみそうにない。柄もまるであつらえたかのように手に吸い付く。ううん「まるで」じゃない。私のために用意してくれたんだ。重さも長さもぴったり。そういえば、はじめは稽古を見てくれた。薄い緑をおびた影のようだった。暖かな優しい風で指導してくれた。兄上から初めて一本取れた。あのときから私を優しく包んでくれていたんだ。
愛おしさと哀しさが同時にあふれだしてしまいそうになる。今も優しい眼差しで私を見てくれる。離れたくないよ、ヒトミ。このままじゃ、みんなの前で泣いてしまう。私はそっとその場を抜け出す。兄上と父上は気が付いたみたいだけど、ほかの門下生たちに話をし、私が抜け出したことをわからないようにしてくれる。次第に足が速くなる。目の前がにじんで、しっかり見られない。気が付くといつもの離れにいた。大きな声で泣いてしまいそう。
⋯⋯もうすぐお別れなの?
⋯⋯うん。
⋯⋯いつまでも一緒にいて欲しい。
⋯⋯私もいつまでも一緒にいたいんだよ。
私は暖かく包まれていた。いつものように優しくあやしてくれる。哀しい気持ちが少しだけ和らぐ。ヒトミだって帰りたいわけじゃない。それはわかっている。でも寂しさを抑えきれない。
⋯⋯帰ってきてくれる?
⋯⋯もちろんだよ、私はあなたの精霊だから。
とても優しい言葉だ。とても暖かい言葉だ。いつも私を想ってくれる人の特別な言葉。今も私を包んでくれている暖かくて優しい人。
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しばらくフタバと過ごしていると、慌ただしい気配が届いた。
「父上、来たようです」
「うむ、我らも出るぞ、ヨシノリ」
「はっ!」
ヨシヒデさんとヨシノリさんの声が伝わってくる。
「我らも参ります。ジロウ、サブロウ、行くぞ!」
「おう!」
「槍のサビにしてやりましょう!」
例の三兄弟の声も聞こえる。魔物が押し寄せてきたようだ。準備は何とか間に合った。ログアウトまでの時間も多分ある。私はフタバの様子をうかがう。
「⋯⋯ヒトミ。私もツカハラ家の者だから」
フタバの気配が変わった。
「そう、わかった。あなたの精霊もついて行きます。これは譲れません」
「う、うん。ありがとう」
私達も北の山脈の方へ向かう。魔物が通る峠はツカハラ家から近い。ツカハラ家の南には平和に暮らす人々が大勢いる。何代にも渡って、人々を守ってきたんだ。
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「ここしばらく時間が取れなくてね。済まなかった、一美君。何か不自由はなかったかね」
「一美です! ⋯⋯忙しいのであれば、無理に時間を作ってもらわなくてもかいませんよ、教授」
「いや、そうもいくまい。保護者としての法的義務はしっかり遵守するつもりだ」
「⋯⋯ありがとうございます。ところで教授は、どうしてそこまで法律にこだわるのでしょうか」
「法を守るのは人として当然のことだとは思わないかね」
「まあそうですが。まさか教授から『人として当然』という言葉が出るとは思いませんでした」
「失礼な! 君は私のことをどういった目で見ているのだね?」
マッドな犯罪者ですが。
「まあ、それは大した問題ではない。人の目など気にするだけ無駄だからな」
「いや、少しは気にしてください!」
「う、うむ。他ならぬ君の意見だから尊重したいのはヤマヤマなんだが、どうやら私は人付き合いが苦手のようなのだよ。まあ、これに気が付く相手はほとんどいないようだが」
「とっくに気が付いていますよ!」
「な、なんだと。一体いつ頃気が付いたのかね?」
「最初からです!」
「いや、そんな、馬鹿な。これほど法は守っているというのに、なぜわかったのだ?」
「人の趣味を変と言ったり、単細胞生物扱いしたこととかです!」
「いや、単細胞生物扱いは否定したではないか。私が心の中でどう思っていようが、生物学的に君は多細胞生物で間違いないぞ?」
やっぱり、思っていたのか!
「それに変な趣味とは言い切ってはいなかったぞ?」
「言い切ってなくてもダメなんです!」
それに今言い切っています。
「う、うむ、今後は気を付けよう。それにしても君は十分とは言えないデータから、私の性格までわかるのだね、一美君」
「一美です! 世間一般で言うところの常識です!」
「常識だと? ⋯⋯あれほど曖昧で解釈の変わりやすいものなどないではないか。私がそのようなものを理解することなど不可能だ!」
はい、知ってます。




