第十ハ話 アウト?
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ファジーな情報がもっと必要だ。相変わらずフタバとの距離が近い。入浴後に着替えた浴衣のような寝間着が、少しはだけているのが気になって仕方がない。私の模範的な人格でかろうじて均衡を保っている。今日フタバの記憶から得た知識を思い返してみる。
ここは「北の山脈」と呼ばれる場所の近くになる。ここより南には田畑や穀倉地帯、人々が集まる都というところまである。そこに住む人々の生活はおおむね安定している。人々の性格も温厚で協力的だ。治水などで人手が必要なときも、すぐに集まってくるらしい。人同士の争いは滅多にない。
人々の生活を脅かすのは魔物や魔獣になる。魔物や魔獣は北の山脈を越えてやって来る。ツカハラ家のように魔物に対処する家がほかにもある。ほとんどは北の山脈の近くだ。フソウ家というところが都でツカハラ家などへの援助を取りまとめてくれている。都を通さず直接各家に食料などを届けてくれる人々もいるようだ。
とくにツカハラ家は、この辺りでは有名だ。北の山脈は高い壁のようにもなっていて魔物が来るのを防いでくれる。そのためかほかの地域ではここまで頻繁に魔物は出ないらしい。北の山脈の一部が低くなり、峠になって魔物が通りやすくなる場所がある。ツカハラ家はその峠のすぐ近くにある。
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いつの間にか寝ていた。こんなにも安らいで眠ったのは久しぶりだと思う。いや、少し前にヒトミ⋯⋯に優しく包まれていたときも、同じぐらい暖かな気持ちになれた。今もそう。暖かで優しく包まれている。でも今度は私もヒトミを離さないようにしている。
少しでも私の気持ちでヒトミの心を守るんだ。技量は遠く及ばないけど、ヒトミを思う強さは誰にも負けない。負けたくない。気が付くと、ヒトミが何か考えごとをしていた。そっと呼びかける。
「⋯⋯ヒトミ」
「え! ヤ、ヤマシイことなど何も考えていないよ?」
「何か言葉遣いが」
「そ、そう? オホホ」
「ううん、どんな言葉遣いでもいい」
「⋯⋯」
「ヒトミさ⋯⋯ヒトミはヒトミだから」
今度は私がヒトミを優しく包む。まだときどき、様付けになりそうになる。兄上と父上にも話しておきたい。兄上ならいつものように私を助けてくださると思う。父上の説得はちょっと時がかかりそうだ。ヒトミさ⋯⋯ヒトミを更に強く包み込む。さっきまでと反対でなんだかおかしくい。ヒトミが私に触れたそうにしていたので、優しく促す。こんなことぐらいしかできないけど。
ヒトミは幼い子どもがおそるおそる母親に甘えるかのように私に触れてくる。私はヒトミの背中をゆっくり叩き安心させようとする。何だか私があの人と同じ立場になったかのようだ。今なら姉と妹という言葉にこだわっておられた理由もわかりそうな気がする。ヒトミは人と触れ合った経験が少ないと思う。私もおかあさんやツグミ様ぐらいしか覚えていないけど。兄上や父上とは稽古を通して触れ合ったことぐらいしか覚えていない。
ちょっとくすぐったい。私もそんなに慣れているわけじゃないけど、ヒトミはもっと慣れていないのだと思う。くすぐったいけど暖かい。私もヒトミに優しく触れる。互いに触れ合うと、心も体も暖かくなってくる。穏やかで幸せな時間が過ぎていく。
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「⋯⋯おはようございます。大精霊ヒトミ様」
離れの寝室を出ると同時にヨシヒデさんに挨拶された。一晩中寝室の前で控えていたらしく少し疲れている様子。まだ閉じられていない入り口から、中の様子が見える。
えーと。これってアウト? 目撃者さえいなくなれば、まだ大丈夫か? いや、いや、さすがにそんなことはしないよ。どっかの偽物と違い、私は本物の模範的な人間ですワ。落ち着け! ともかく今は会話だ。相手との認識に差があれば、そこにつけ込める。誤魔化し切れる!
「お、おはようございます。ヨシヒデさんはいつも朝がこんなにお早いのですか」
「いえ、普段であれば稽古や鍛練に差し障りが出ぬよう、ある程度の眠りを取っております。実戦のこともあるので、長い間眠らない稽古もいたしますが」
「そ、そうですか。お役目のために頑張っておられるのですね」
実戦という言葉に殺気が込もっていた。きっとそれだけ真剣に取り組んでいるに違いない。
「うーん、ヒトミ、くすぐったいよ、もう、うふふ」
後ろからフタバの寝言が聞こえてきた。ヨシヒデさんの殺気が膨れ上がる。
「えっ、父上? きゃ!」
殺気に反応しフタバが起きた。そのとき自分の状態に気付く。服がみだれ少々はしたない格好だ。
「だ、大精霊様。後で、す、少し、時をいただいてもよろしいでしょうか」
なぜか血の涙でも流していそうな声音でヨシヒデさんが言ってくる。うん、アウトだ。
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フタバの懸命な説得もあり、あの場はなんとかおさまった。おさまったよね? 霊刀の作成のため、今は道場に来ている。金属の刃先が付いているものは、道場の横にある小屋で管理している。本人が持っているものは、自分で管理している。主だった門下生の人達に各自の分を持ってきてもらう予定だ。三分の一ほどは霊刀にせずそのまま使いたいと言われた。魔物ばかりではなく、大型の獣を退治することもあるそうだ。
霊刀の力に頼りきって技術が下がるのも困るとのこと。まあそれは納得できる。元の力が衰えると、霊刀で底上げしても、相手によっては手間取ってしまう。それは良い。あまり良くなさそうなのは、ヨシヒデさんと対峙していること。互いに木刀で、防具ではなく厚手の稽古着。ヨシノリさんが立会人をしてくれる。フタバはそばで心配そうに見ている。
何やら雲行きが怪しい。ヨシヒデさんの剣気がビリビリと伝わってくる。まるで道場の中の空気かすべて振るえているみたい。ヨシノリさんは少し青い顔をしている。フタバはなぜか祈るように胸に手をあてている。仕方ない。ヨシヒデさんに怪我をさせないよう気を付けよう。ある程度華も持ってもらおう。
私がそんなことを考えている間に、ヨシヒデさんがジリジリと間合いを詰めてきた。いつの間にか剣気も静められていて、気配が読みにくい。かなりの達人だ。私は気を引きしめる。気が付いたら、木刀の切先が迫っていた。かろうじて往なす。れっぱくの気迫は感じるが、意外に音はしない。外での実戦に慣れている。こちらからスッと打ち込む。
受け流された! 私はアプリのデバッグとテストプレイで、何十万回ではきかないほど練習している。多数の流派も身に付けた。こことは関係ないけど、アクションゲームの動きも良くなった。華を持たすなんて私のおごりだった。
ふふっ。ちょっと楽しくなってきた。ヨシヒデさんからの鋭い攻撃に少し緊張する。この感覚も久しぶりだ。大きく動いては次が続けられない。ぎりぎりで見切る! 木刀の突きを、木刀でそらし、足さばきで避ける。剣筋が乱れないように最小限の動きをする。
ヨシヒデさんの木刀が、ちょっとかすった! 構わず打ち込む。受けられた! 突きで体が流れたはずなのに、踏み込み足を軸に体を回し、低いながらも態勢をととのえていた。実戦を積んできただけのことはある。
「さすがねヨシヒデさん!」
「ヒトミ様こそ!」
何合か打ち合い一旦間合いが外れたとき、思わず素直な感想を述べる。
「じゃ、行くわよ!」
「っ!」
ツカハラ流はイットウ流に近い。ほかの流派の技で打ち込む。攻撃力が高いと言われる流派の打ち込みだ。八相の構えに近い形から、上段からのようにように打ち降ろす。これも受けられたが、構わず押し込む。受けられても押し込みきって、受け太刀も力でそらし、最後には相手を斬る技だ。かろうじてだが流された。
ヨシヒデさんの反撃がくる。この流派は一撃が重い分、打ち込んだ後の防御がやや弱い。そこで流派をまた変える。柄でヨシヒデさんの攻撃を受け流す。そのまま体をひねりながら無手の間合いに入り込む。木刀の柄に近い部分で、ヨシヒデさんの木刀の中ほどを往なす。テコのように使い、小さな力でヨシヒデさんの木刀を流す。
流しながら片方の手の握りを緩める。既に無手の間合いだ。木刀は使いにくい距離になる。踏み込み足でヨシヒデさん前足の甲を狙いながら、握りを緩めた腕の「肘」でヨシヒデさんの人中を狙って突き上げる。剣道では反則になるような動きだ。足は避けられ肘の突き上げが後ろにのけ反ってかわされる。ヨシヒデさんの上体がやや後ろに崩れている。
かわされる直前に私は次の動きに入っている。継ぎ足でさらに近付き、今度は足で小内刈りを仕掛ける。もう一方の木刀を持った手を使い、相手の肩近くを押し崩しながらだ。木刀を握っていない方の手を使うときは、奥えりや袖を引くこともある。たまらずヨシヒデさんの体勢が崩れる。肘を相手の水月に添え、そのまま自分の体重も加えて倒れ込む。
ここまでで一つの技になる。最初の肘が掌底だったり、足で刈るのが払いだったりする変化もある。変則的な動きが多い流派の技の一つになる。この後もあるけど、それはトドメを刺すときに使う。
「ぐふっ」
ヨシヒデさんが苦し気な声を出す。しまったやり過ぎた。私は急いで手当てをしようと体を起こす。そのときヨシヒデさんの手が霞んだ。暗器! ここは実戦が中心の世界だった。飛んできた暗器を払い、足でヨシヒデさんの体を踏んで押さえ込む。木刀の切先を喉元に軽く添える。
「参りました、ヒトミ様」
ヨシヒデさんの顔はなぜか晴れやかだった。




