初っ端から命の危機なんですが
その集落になまえはない。というのも、立地の都合上割とほかの魔族から狙われにくい地であることに目をつけ、徐々に徐々にほかから弾かれたものたちが集まり細々暮らすだけの場所でしかないからであるようだ。
空間魔法という、四次元収納スペースを備えつけたとても便利な魔法のバッグに、当面の食料やら衣服やらを詰めて持たせてくれたミルカは、移動用の馬車までつけて飛鳥たちを送り出してくれた。
ちなみに馬車を牽く馬はバイコーンという魔獣で、賢いがゆえに御者は不要らしい。アヴィからどんな魔獣なのか聞いた際、ユニコーンを比較対象に出されたのだが、なるほどミルカだものなと思ってしまったのは秘密だ。知られたら、命はないかもしれない。
ミルカのいた町と比べ、ずいぶんとちいさなそこに辿りつけば、好奇の視線よりも畏怖の視線のほうがよほど多く向けられた。その様子にここに集まるものたちの実情を垣間見た気がして、ミルカのことばが現実感を伴っていく。
「えーと、とりあえずどうしようか」
ひとまず馬車は集落の入口に繋ぎ、集落内を適当に歩きつつ傍らのアヴィに問う。飛鳥の面倒を見ることを任されたアヴィは、当然のようにミルカによって飛鳥とともにこの集落へと送られていた。
「そうですね。雨風を凌げる場所の確保が最優先かと思いますが」
もっともだ。衣と食は持たせてもらったが、大事な住が確保できていない。ミルカもこの地を訪れることはあっても、滞在するには至らないらしく、自身が訪れたときのための住居などは用意していないと言っていた。
それに関して一応テント一式は持たせてくれたが、きちんとした家を求めるならばがんばって探してね、というなんとも丸なげなおことばをいただいて終わっている。
とりあえず、空き家でもないか尋ねてみようか。そう思い、飛鳥がアヴィに提案しようとした矢先。
ごうっと、唸りを上げて空気が裂け、一瞬後に轟音を伴い飛鳥たちの正面の地面の土が舞い上がる。
「ほう、避けるか」
立ち昇る砂煙。その奥にゆっくりと立ち上がるシルエットがひとつ。その砂煙を切り裂くように鋭く薙がれた一閃により、その存在は姿を現した。
ひと型、ではある。けれどその頬は蛇のような鱗に覆われ、露出する腕の部分もまた一部に鱗が奔り、頭上には細長い二本の角が生えた男性。当然、人間ではない。
その手にもつ大きな両刃の剣はかなりの重量だろうに、やすやすと片手で肩に担いでいるあたり、その膂力の凄まじさが垣間見える。
突如として頭上から降り立った彼が飛鳥かアヴィか、はたまたその両者ともを狙って凶刃を振り下ろしたことに、寸前で気づいたふたりは素早く後方へと跳び退り両断を避けた。アヴィはともかく、もとはただの一介の高校生に過ぎない飛鳥は、いくらそれなりに自衛の手段を身につけていたとはいえ、反射的にからだが動いたことに勇者としてのチート能力を実感し、冷や汗を流す。それがなければ、いま、間違いなく死んでいた。男性の足もとの抉れ具合を目に、動悸がいやに早まった。
男性の翡翠の隻眼が、殺気をもってふたりを射抜く。飛鳥の傍らでアヴィが躊躇いなく細い棒……棍を手にした。
「ずいぶんな歓迎ですね」
「さて。卑劣な人間なんぞをこの地に招き入れる奇特な意気は擁しておらぬが」
「え、いや、それ誤解……」
アヴィに返された男性のことばに、慌てて飛鳥がくちを挟もうとするが、皆まで言いきる間も与えられず、男性が一歩を踏み込みながら鋭い横薙ぎを繰り出す。
再度後方へと跳び退るも、なおも男性の追撃は止まない。あれだけの大剣を、その重量をものともせずにすぐさま振りかぶり振り下ろされる一撃をとにかく避ければ、再び地面が抉られ捲れ上がる。
これははなしを聞いてくれそうにないなと、ひとまず剣戟を止めることを優先する思考に切り替え、飛鳥は自身の手に片手剣を呼び出す。
ちなみにこれは魔法でもなんでもない。むしろ魔法のバッグの同種だ。アヴィの棍にしてもそうだが、腕に嵌めた空間魔法の込められた魔石を用いたバングルを利用し、異空間に収納していたそれを取り出したに過ぎない。もちろん、ミルカが用立ててくれたものだ。
飛鳥よりもひと足早く攻撃に転身したアヴィは、男性の振り下ろしに併せてそれを避けつつ彼に肉薄し、棍を突き出す。けれど男性もその一撃をものともせず身を反らして躱すと、アヴィに蹴りを放った。
「ぐっ」
とっさに障壁を張ったものの、殺しきれなかった威力により、アヴィのからだは吹き飛ばされる。その身は一軒の小屋の壁に打ちつけられ、ずるりと崩れた。
「アヴィ!」
「よそ見とは余裕よな」
「……ちっ」
アヴィに意識をとられていた間に、飛鳥へと肉迫していた男性が、斜め下方から大剣を振り上げる。避けきれないと判断し、すぐさま自身の剣で応戦した飛鳥の手に、衝撃とともに痺れが伝った。
「……俺の剣を受け止めると?」
「っ、あい、にく……! 力はあるみたいなんでね……!」
皮肉気にくちもとを歪めてこたえてはみるが、割といっぱいいっぱいだったりする。勇者としてのチート能力をもってしてこれとは、相手の膂力はどれほどなのか。しかもなんとか耐える飛鳥と違い、まだ余裕がありそうに見えるのがまた腹立たしい。
これは長期の鍔迫り合いなど不利でしかない。早々に現状に見切りをつけ、飛鳥は自身の剣に風を纏う。それをそのまま相手へと押し込んだ。
「ぐ、ぬうっ!」
「! くっ」
風圧に圧され跳び退いた相手に、いまのうちにと追撃をかける。
「なめるな!」
迎えうつように下方から斜めに斬り上げられた剣筋を、身を逸らして躱す。巨大な得物に見合わぬ速度でもって繰り出される剣戟ではあるが、それでもやはり大振りになることは否めないらしい。
それでも本来はただの一般高校生でしかない飛鳥が避けられるなど異常なのだが、そのへんは勇者としてのチート能力で賄っているようだ。与えられている以上、最大限利用させてもらうのは当然である。
身を躱した飛鳥は、そのまま素早く態勢を屈め、ぐっと足に力を込め……。
男性の顎あたりを目がけて、思いきり頭突きをかました。
「ぐ、がっ」
変な呻き声を上げて男性がよろめいたのを好機と、飛鳥はそのまましっかり立ち上がり、びしりと彼を指さす。
「ひとのはなしはちゃんと聞け! そんでもって、ここを壊すな!」
「!」
飛鳥の指摘に、はっとした様子で男性が目を見開いた。ついでちらりと自身が穿ったクレーターに目を向け、追撃を諦めたようだ。
大剣をそのまま携えているあたり、まったく警戒は解いていないようだけれど。
ちなみに、彼は顎をさすっていて、飛鳥も飛鳥で頭部をさすっている。なかなか様にはなっていない。
とにかく、ひとまず一時的にであろうと戦意を収めてくれたいまがチャンスだ。飛鳥は手早く魔法のバッグから一枚の紙を取り出し男性に突きつけた。
「ほらこれ。ミルカ直筆の、この集落を守る依頼書」
警戒も顕わにその紙を男性が受け取ったのを目に、飛鳥はアヴィへと駆け寄る。
「大丈夫か?」
「ええ、まあ。障壁を張って威力をやわらげましたので。……腹は立っていますが」
差し出された飛鳥の手を取るアヴィの表情は、そのことばそのままに、それはもう不機嫌極まりませんと物語っていた。立ち上がる様子からも、その態度からも、どうやら無事には違いないと飛鳥は苦笑をもらす。
「要鍛錬ですね。メニューを見直します」
「そっちか」
どうやら吹き飛ばされたこと自体が気に入らなかったわけではないらしい。自身の能力の至らなさによるアヴィのストイックな発言に、どんどん聖女のイメージから離れていっていないかとちらりと思った。
とりあえずアヴィとふたり、襲撃者の男性へと向き直れば、彼はふむとひとつ頷き大剣を背におさめる。
「……どうやら本当にミルカ殿からの使者のようだな」
渡していたミルカからの依頼書を返され、飛鳥はそれを魔法のバッグへと再び戻す。そうしながら、すこし試すように確認をくちにした。
「……偽造は疑わないのか?」
「ただの人間がミルカ殿の本名を知るとは思えん。それにその依頼書に使われている紙はただの紙ではなく魔法紙だ。噓偽りを書けるものではないからな」
「へー、そうなんだ」
「……知らずに持っていたのか」
「あー……なにかあればコレ見せればいいとだけ言われてたから」
ちらりとアヴィに視線を向ければ、わたしは知っていましたよと返される。教えてくれてもよかったのではと思うが、用途と効果を思えば知らずとも結果を齎せるものには違いなかったのだからそこまで責めずともいいかと改めた。
「こちらの勘違いで手荒な真似をしてすまなかった。俺はジグル。成り行きでここの護衛をしている」
「あ、俺は飛鳥。で、こっちがアヴィ。ちょっと事情があってここを守るよう言われてきた」
「ふむ?」
とりあえず、特に隠すことでもないかと、飛鳥の事情やらアヴィについてやらをジグルと名乗った男性にかいつまんで伝える。もっとも、飛鳥はアヴィの過去を知らないし、飛鳥自身の事情についてもさしたる情報量も持ち得ていないのでかいつまむまでもなくさらっと伝えられたのだが。
ちなみにジグルは竜人族という種族らしい。肌をはしる鱗や、頭の角は竜のものなのだとか。純粋な龍族ではないので龍化はできないと聞き、飛鳥はちょっとだけがっかりした。
「……事情はわかった。人間は相も変わらず妙なことばかりしておるな」
「……なんか俺、この世界でまだアヴィ以外の人間に会ってないけど、実は魔族のほうが常識的なはなしが通じるんじゃないかと思ってるんだが」
「あの国は飛び抜けて頭がおかしいだけですよ。民間はまだまともだと思いますけど、たぶん」
たぶんなのか。
若干微妙なこころ持ちになってしまったが、それはともかく。実は魔族のほうが、というはなしには、アヴィも人間側に含むのだけれど、と言ったら怒られるだろうか。試す気はないので内心にしまいこんで、飛鳥ははなしを進める。
「とりあえず、還る方法が見つかるまでここに滞在するつもりなんだけど、空き家とかあったりしないか?」
「残念ながらないな。そもここにそんな余裕などない。概ね天幕を張るか、それすらままならないものもいるくらいだ。辛うじて家の体をとっているものも、所詮は素人づくりよ。雨風を凌げる程度の役割しか果たしておらん」
かくいうジグルもまた、テント生活らしい。野営は得意だと胸を張られたが、どう返していいかわからなかった。
「うーん。一応、テント一式はミルカが用意してくれてあるけど……。いつまでいるかわからないわけだし、できればちゃんとした家が欲しいよなあ……」
「そうですね。わたしも野営は得意ですが、ふかふかベッドのほうが好ましくあります」
「……いま、ジグルに張り合った……?」
聖女が野営得意とか。もしかしたら字面に騙されているだけで、聖女というのはそういうものなのだろうかと、飛鳥はひっそり情報を上書きしていく。だけどまだ一応、アヴィが特殊である説を捨てきってはいない。
「ふむ。一応、この場所にも家らしい家を建てることができるものもおるが……」
「そうなのか? じゃあそのひとに協力してもらって、俺たちのだけじゃなく、この場所に集まってるみんなの家をひとつずつ建てていけないかな」
「そうしたいのは山々だが、そのものにひと癖あってな。頑固者というか……とにかく他者を寄せつけたがらぬのだ」
……なるほど。もしかしたらそれがその相手のここにいる理由なのかもしれない。
どういう種族かはわからないが、たぶん、群れで暮らしてはいけなかったのだろう。そういうものもまた流れてくる場所なのだと聞いている。
「うーん。でも一応交渉くらいはしてみるか。もしかしたらはなしを聞いてくれるかもしれないし。ちなみにどんな種族なんだ?」
「ドワーフだ」
「……ドワーフ……」
それは家くらい建てられそうだ。ミルカの邸にて知識を得ていたときに、その種族についても学んでいた飛鳥は、納得気味にうなずく。
ドワーフといえば、簡潔な理解としてものづくりの得意な種族。もの、とひと言でいっても、その内容は多岐にわたり、特殊な性質を有するものなどでない限り、彼らにつくれないものはないとさえ言われているらしい。
であれば、やはりそのドワーフの協力は得ておきたい。家ももちろんだが、外敵や獣による被害を防ぐためにも集落の周囲に塀は欲しいし、農耕具や家具、生活用品などなど必要と思われるものを挙げればきりがなく、どう考えても必須な人材だ。
まあもちろん、たったひとりですべて賄えなどとそんな鬼畜なことを言うつもりはない。飛鳥は確かにこの集落を守るために派遣されてはいるが、この集落を守るのはやはりこの集落に住まうすべてのものだろう。得手不得手は当然あるだろうから、適材適所は重要として、そのドワーフとともにそれぞれができることを行うのは当然だ。
勇者として召喚され、戦闘面では確かにチート的能力を得た飛鳥ではあるが、中身は所詮ただの一般的男子高校生でしかない。しかも特段勉強が得意だったわけでもない、だ。
だからこそ飛鳥は自分に内政的なことをあれこれできるとは思っておらず、ゆえにできることはすれど、できないことはできるものに投げる気満々でいる。それもまた適材適所だ、と、自分の中ではきちんと結論づいていた。
というわけで。そのための対策くらい、いろいろと考えてはある。
「よし、わかった。じゃあそのドワーフのところまで案内してくれ」
「それは構わぬが……。門前払いにあうと思うぞ」
「覚悟はしておく」
にっと笑ってこたえれば、ジグルに肩を竦められた。そのまま彼の先導で進む集落の中は、とてもひっそりとしたものだった。