転移先は魔族領らしいです
とてもではないが、討伐したい側の反応のようには思えない。
そんな飛鳥の内心を察してだろう。ミルカはにっこりとほほえみを深めた。
「あら、アスカ。アタシを人間だと思っている?」
そう紡ぐや否や、ミルカの瞳孔が細まり、ソファと背の間からばさりと黒い羽が飛び出した。
「……悪魔?」
「ふふふ、残念。アタシは吸血鬼よ。一応伝えておくけれど、この町にいる人間はアヴィただひとりだけ。だってここ、魔族領だもの」
まさかの事実だった。
勇者召喚とやらをされ、拉致されたはずの飛鳥が、それをしたはずの人間の国ではなく魔族の領地にいるという謎具合。魔族といえばアレだろう。異形の、人外の存在。なるほど、二足歩行のトカゲやらなんやらがいるわけだ、と、そう思いつつそれはそれとして、どういうことかとアヴィを見やる。彼女はお茶にくちをつけてからちいさく息を吐いた。
「……勇者と聖女って、一対らしいんですよね」
「それってどういう……」
「わたしも初体験なのでわかっていなかったのですが、どうやら勇者は聖女のもとに召喚されるようです。あんな大掛かりな魔法陣用意して、馬鹿みたいなはなしですけど」
つまり、勇者召喚を行ったのこそ人間の国だが、それにより飛鳥が勇者として喚び出された場所は聖女であるアヴィのもとだった、ということか。なんともよくわからないシステムだ。
「追放されようがされなかろうが、アヴィが聖女であることには違いないという証左ね。重ね重ね、愚かな人間たちだわ」
「ああ、うん、それには同意しかないけど……それってつまり、向こうは失敗したって思ってるってことなんじゃあ……。だとしたら、別のだれかも被害に遭うかもしれないよな?」
「そうですね。……一度の召喚に尋常じゃない魔力がかかるから、そうそうすぐにはとはいかないでしょうが、その危惧はあります」
「それに関してはアタシのほうでも調べてみるわ。それと、アスカが還る方法も探してあげる」
「それは助かるけど……厚意で」
言いかけただけで、ミルカににっこりとほほえまれ、ああこれそんなに甘いはなしじゃないなと悟る。これまたイメージでしかないが、魔族というものは慈善事業なんぞしないだろう。
そんな印象は、どうやら適切だったらしい。
「……というわけじゃなさそうだな」
「あら、はなしが早くて助かるわ。アタシがいろいろ調べている間、ちょっとお願いしたいことがあるのよね」
「……なんでしょう」
正直、飛鳥からすれば勝手にこの世界に召喚しておいて、という被害者意識しかない。けれどそれを向ける先はまかり間違ってもミルカではなく、なんならアヴィでさえないようだ。であれば、助けてもらう以上、相応の対価を要求されるのは致しかたないといえる。
それが支払えるかどうかは別問題だが。
「アタシに与えられている領地の一部にね、守ってほしい集落があるのよ」
「守ってほしい集落?」
「そう。魔族って基本的には実力主義だったり種族……血統主義だったりするモノが多いのだけれど、ちからないものはどうしたって生まれてしまうし、ハーフだって存在する。まあ、単純に折り合いが悪いだけってモノたちもいるのだけれど、とにかくそういう存在が集まっている場所があるの。アタシも一応受け入れはしているのだけれど、ほかの領地持ちとの折り合いもあって、下手に庇い立てもできなくて。還る方法が見つかるまででいいの。そこを守ってはもらえないかしら?」
なるほど。深い事情まではわからずとも、頼みたい内容は理解できた。けれどそれを請け負うには前提条件として大きな問題がある。
「守ってほしいと言われても、俺、一介の高校生に過ぎないんだけど」
「コーコーセー? ってなにかしら。それがなにかわからないけれど、能力の問題なら心配ないと思うわよ。だってアスカ、勇者だもの」
「いや、勇者って言われても……」
ただそういう召喚をされたというだけで、飛鳥はあくまで一般男子高校生でしかない。そこそこ喧嘩に長けてはいるものの、正直頭の出来はそれほど良くもないし、いくら喧嘩慣れしていようと生死をかけた戦いなんぞしたこともない。
異世界に召喚されるという現実離れした現状に、ちょっと追いついてきてしまっている順応性にしても、異世界特典ではなく多分に性分だろう。
もっと知識や技術があれば内政などで活躍できそうだが、飛鳥にそういった方面の期待はできそうにない。アイディアとしての提供はできるだろうが、それを実現するにはそのための手段や方法などを考えてくれる頭脳者と、それを実際に稼働させるための技術者が必要となる。
せめてポケットに入れていたはずのスマートフォンさえあれば、と痛切に思うが、それは気づいたときにはなくなっていたし、たとえあったとしても異世界に電波が届くとは思えないからなんの役にも立たないだろうと思い至った。
……お気に入りのゲームのデータだけは心底惜しむが。
「あ、ミルカの言うとおりですよ。勇者として召喚された際、必要な能力や特典を得ています。そういう召喚なので」
さらりとアヴィがくちを挟む。だから魔力消費が半端ではないのだと付け加えて。
「必要な能力や、特典?」
「会話ができているでしょう。それに、文字も読めますよ。特典に関してはそれぞれの勇者に見合ったものになるので断言はできませんが、基本的には戦闘向けの能力のどこかが特化しているはずです。すくなくとも、物理的なちからはあるはずですよ。頭突きで木をなぎ倒せているくらいですし」
……あれはそういうことだったのか。
確かにことばが通じ、会話が成り立っているといまさらながら気づくと同時、人間業ではないからと否定し続けていた樹木なぎ倒し案件は、間違いなく己の仕業であったと認識させられた。
これはもしかしたらチートというものなのでは。そうであるならせっかくのファンタジー世界だ。魔法を使ってみたい。
「もしかして俺、魔法が使えたりするのか?」
「可能性はありますね。試してみないとなんとも言えませんけど」
身勝手に拉致された、と、イラっとしていた気持ちが若干浮足立つ。仕方ない、なにせ魔法だ。夢と希望が満ちている。
「ついでに、魅了も無効化するみたいよ。ほかの状態異常が効くかどうかはわからないけれど、アタシの魅了が効かないならまず間違いなく魅了は効かないで正しいわね」
「なんという自信」
まあ確かに、ミルカがそう豪語できるだけの魅惑的な容貌を有していることは認めるが。それでもだからといって自分で言うな感は否めない。
そんな思いがうっかりくちをついて出てしまった飛鳥に、ミルカからとても冷ややかな笑みが向けられる。思わず身じろいだ。
「ふふ。アスカって実は命知らずなのかしら? ……まあ、敵対しない限り取って喰ったりはしないであげるけれど、魅了はアタシのスキルよ。アタシよりレベルの高い魅了スキルを持つ魔族はまずいないから、さっきのことばに至るわけ」
「な、なるほど……」
「そうね。そのあたりの知識を学ぶことも含め、キミの能力を自覚するのも大事だし、しばらくここで過ごすといいわ。落ち着いたら件の集落に行ってもらう。それでいいかしら?」
あ、これもうお願いという名の強制だ。察した飛鳥には、うなずく以外の選択肢などない。
そもそもミルカは飛鳥が拉致されたことには一切関わりがないのだ。なにも知らず、わからずの状態で放り出さないだけやさしいのかもしれない。飛鳥の身からすればこの世界に理不尽を問いたかろうと、ミルカからすればなんの責任もないのだから知ったことかで済ませても責められる筋合はないだろう。
アヴィは一応関係者と言えなくもないようだが、それとて止めようとしてくれた側であれば責められるはずもない。突如として異世界に召喚されるという意味不明で理解不能な拉致に遭遇した割には、存外飛鳥の理性は働いてくれているらしい。
まあ、理不尽には慣れてしまっているからかもしれないけれど。
「俺にどこまでなにができるかわからないけど、とりあえずやってみるよ」
「ありがと、助かるわ」
にっこりいけしゃあしゃあと述べるミルカに、内心で溜息をひとつ。魔族ってもしかしてみんなこんな感じなのだろうか。すこしだけ先行きを不安に思う。
「部屋はアタシの邸の客間を使っていいわ。アヴィもそこを使っているから、邸までの案内は心配しなくても大丈夫。暇つぶしに集めた本がいろいろあるから、書庫を使ってもらっても構わないし、何人か使用人がいるから彼らに訊いてもらっても構わない。……アヴィ、キミ、面倒みてあげなさいよ?」
「え」
「え、じゃないわよ。仕方ないでしょう、キミ、聖女なんだから」
「もとですよ。なりたくてなったわけでもないですし」
「またそうやって面倒がって。そうね……ここで住まわせてあげているお礼ももらっていないことだし、これでチャラにしてあげるわ」
「……体よく押しつけましたね」
恨みがましそうにミルカを見るアヴィに、ミルカは素知らぬ顔で優雅にティーカップへくちつける。正直、あからさまに面倒そうにされることへの苛立ちよりも、アヴィに任されて大丈夫なのだろうかという不安が先立ってしまう飛鳥だが、贅沢を言える立場ではないと思い黙っておく。
アヴィは一度溜息を吐くと、出されていたお茶を一気に飲み干し、飛鳥へと向き直った。
「そういうわけなので、わたしがあなたの面倒を見ることになりました。できる限りの情報提供や助力はしますが、ひとつだけ、はっきりさせておいていいですか?」
「はあ……」
「気のない返事ですね。まあいいです。はっきりさせておきたいことは簡単です。あなたが召喚された今回の件に、わたしの責任はありません。ご理解いただけますか?」
「ああ、うん。それはもちろん」
もとよりアヴィに責任を問うつもりなどなかったので、わざわざ言われるまでもないというのが飛鳥の考えだが、一応関係者であった手前、変に責任を取れなどといわれないよう予防線を張っておきたかったのだろう。気持ちはわかるのであっさり理解と了解にうなずけば、アヴィはすこしだけ目を見開いた。
「……ずっと思っていましたけど、ずいぶん冷静ですね」
「あー……やっぱそう見えるかあ……」
「そうねえ、人間ってどんな世界でも結構神経図太いのねって思ってたわ」
ミルカの言いよう。視線がちらりとアヴィを捉えていたので、基準をそこにしての発言なのだろうけれど、たぶん、アヴィはとりわけ図太いタイプの人間だと思う。彼女を基準にしては世の人間たちはたまったものではないだろう。
「まあ、理不尽には割と慣れていると思うから」
「……そういうものですか」
「たぶん」
性格的なものもあるかもしれないけれど。
ひとまずさきほど考えていたとおりのこたえを返せば、納得してくれたのかどうかはわからないにせよ、アヴィもミルカもそれ以上は追及してこなかった。
「なんにせよ、取り乱したり喚き散らしたりされないのはいいことです。では、行きましょうか」
「え?」
「さっきのはなし、聞いていたでしょう? ミルカの邸に案内します。質問があれば道中でしてもらって構いません。今度は都度こたえますよ」
「アタシのほうも、調査結果が出たら報告するわ」
どうやらミルカとしてもこれで切り上げるつもりらしい。とりあえず、わからないことはアヴィが教えてくれるらしいし、そうであるならここに長居する必要性もいまの飛鳥にはない。
せっかくいれてもらったお茶だけ一気にのどに流し込み、飛鳥はアヴィとともに部屋をあとにするのだった。