転移先には聖女サマ
で、目が覚めたらとんでもない美少女に至近距離から顔を覗き込まれていた。
「っどわっ⁉ でっ!」
がんっと、条件反射的に引いた後頭部が強かになにかに打ちつけられ、飛鳥は両手をそこにやりつつ痛みに悶える。……その背後で、ばきばきとものすごい音がして、地響きのような音があとに続いたため、痛みもそのまま驚いて背後を振り返った。
「え……」
木が一本、倒れていた。たぶん、飛鳥の真後ろにあったと思われる木だ。
「……ずいぶんな石頭ですね」
「え、いや、え?」
その言いかた、まるでいまの頭突きで木をなぎ倒したかのように聞こえるのだが。と、いくらなんでもそんなのは人間業ではないと当惑する飛鳥に、少女の声は続く。
「ところで、あなた、異世界から来ました?」
「……は?」
背後の木の惨状による当惑から立ち直る間も与えられず放たれた意味のわからない問いに、飛鳥はきょとんと少女に向き直った。たぶん、とんでもない間抜け面を晒しているだろうと、どこか遠く思いながら。
「その恰好、この世界では見慣れませんから」
言われて改めて視認する少女の姿は、白を基調とした動きやすそうな旅装だった。……旅は旅でも、ファンタジックな感じの方向の。
ついでに、それはもう整った顔立ちの目の前の美少女は、海色の髪と金の瞳というなかなかに日本人ではなさそうな色味をしている。
なるほど。どうやらここはもといた校舎裏ではないどころか、どこか見知らぬ地の森の中らしい。……意味がわからない。
「やれやれ、無能の阿呆どもがついにしでかしましたか。遅かれ早かれいつかやるとは思っていましたが、あなたもなかなか災難ですね」
「えー……と。ごめん、全然ついていけないんだけど」
「……わたしにあなたの面倒を見る義務も義理もない、と言いたいのは山々ですが、実際無関係と言い切れるほど無関係ではないので、ひとまず説明責任を果たします。ただ、ここはちょっと」
少女が言いきるより早く。がさりと不穏な音を立て、下生えを踏みしめ一匹の狼が姿を現す。……狼? あ、いや、ここ日本じゃなさそうなんだったか。などとのんきに現実逃避している場合ではなく。それはがさりがさりと音を伴い三匹ほど現れ、残念なことに揃いも揃って牙を剥き出しにこちらを睨みつけるという、なかなかに殺意に溢れている様子だった。
これ、もしかしなくても食われる?
血の気が失せる飛鳥とは対照的に、少女はどこまでも冷静に立ち上がり、どこからか取り出した長い棒を慣れた様子で構える。
「無為な殺生は特段好まないのですが、襲ってくるなら容赦はしません」
言うが早いか、唸り声をあげて牙を剥き突撃してきた一匹を、横薙ぎ一閃、頭部を打ちつけ吹き飛ばし、続く二匹目の牙を素早く横手に避けて躱すと、飛びかかってきていたその腹目がけて棒を叩き上げる。
……どちらもなかなか大きく吹き飛んだし、打撃音がおそろしく鈍いどころがごきごきいっていた気がするのは気のせいだろうか。
そんなのんきに茫然としている暇は飛鳥にはなかった。なぜなら三匹目の狙いが飛鳥にあったのだから。
それはそうだろう。この状況でただただ座り込んだだけの人間なんぞ、いい獲物でしかない。まずい、と思い、どれだけ役立つかわからないながらもとっさに両手を顔の前でクロスして防御の姿勢を取れば、間を開けずごうっと音を立てて突風が耳もとを攫っていった。
次いで上がる鈍い衝撃音と、ついさっきも聞いたばかりのばきばきという音。そして地響き。
おそるおそる両手をすこし下げれば、先ほどの少女が手にしていた棒を突き出すかたちにしていたのを下げるところで、ゆっくり振り向けば一匹の狼が伸びていた。そのすぐ先では一本の木が倒れている。
「……こんな感じに落ち着かないと思うので、まずは落ち着ける場所に移動しましょう」
「はい」
一も二もなく同意しかない。手を差し出してくれた少女の厚意に甘えてその手を取って立ち上がり、飛鳥はただただ彼女について歩き出すのだった。
無言。なんらかの説明やら自己紹介やら、なんなら雑談のひとつさえもなく、ただひたすら無言で歩いて森を抜け、すこし先にあった町に辿りつく。
町だ。建物の様相は日本風というよりも外国風、それもあまりしっかりしている感じではなく、ただ雨風防いで住めればいいといった体のものばかりではあったけれど、それでもそれらが立ち並ぶ様は間違いなく町に見える。
道も歩きやすいようにだけは舗装され、行き交うものたちの姿もそこそこ多い、なかなかの賑わいをみせる町だった。
ただ、そう。
行き交っているのは、だれひとりとして人間ではなかったけれど。
「おー、なんだお嬢。人間拾ったのかー?」
「はい」
「あれ、薬草摘みに行ったんじゃなかったのかい?」
「あとでまた行きます」
「お嬢ー! 遊んでー!」
「また今度で」
二足歩行のトカゲみたいなヤツ。これまた二足歩行の豚みたいなヤツ。全身緑の小人みたいなヤツ。などなど。
……よくゲームとかで見る、リザードマンやオーク、ゴブリンっぽいなと思いながら、これは本当に異世界のようだとどこか他人事のように思いつつ、その現実味のなさに理解がなかなか追いつかない飛鳥だが、そんな彼をよそに少女は声をかけられるたびに淡々とながらも律儀にことばを返していく。とりあえず現在までに見た人間は少女ひとりなのだが、どうやら彼女はこの町に溶け込んでいる様子。おかげで彼女が連れている飛鳥に対しても、興味の視線は向けられど、悪意を向けてくるものはいなかった。
そうして歩き続け、ほかの建物より数段大きな建物の前まで来ると少女の足が止まる。ほかの建物よりよほどしっかりとしたつくりのそこは、塀に囲まれ鉄扉まで備え付けられていた。
その門の両脇を固めるのは、二足歩行のトカゲだ。ちなみに、身長は日本人平均くらいの飛鳥よりも頭ふたつぶんくらい高い。軽鎧を纏い、手に三又の槍を携えている。
「お、お嬢じゃないか。どうした、人間なんか連れて」
「あの残念な国がついにやらかしたみたいです。ミルカに目通りを」
「おー、マジか。やっちまったか! バカだなあ、人間は。ちょっと待ってろ、伝えてくる」
門の前にいた二体のうち一体が、少女のことばを受け建物内に入っていく。楽しそうに声を弾ませていたけれど、飛鳥にはなにがなんだかわからないことだらけではなしについていくことはできなかった。
まあ、飛鳥がついてこようがこなかろうが関係ないようだが。
「ってことは、コイツが勇者か?」
残った一体に、値踏みされるようにじろじろ見られて正直いい気はしない。それになんだか妙なことを言われたような……。
「そうなるかと。なにぶんわたしにとってもはじめてのことですから、確証を持って言いきることはできませんが」
「まあでも、この恰好みりゃこの世界の人間じゃないことは確かっぽいしな。そもそも、お嬢、スルルカの森に行ってたんだろ? そこで拾ったならふつうの人間じゃないことも確かだな」
「そうですね。頭で木をなぎ倒してましたし」
「マジで⁉ どんな石頭だよ!」
げらげらと笑われ、ちょっとだけムッとする。背後にあった木が倒れたことは確かだが、それを頭突きで倒すなど人間離れした芸当、一介の一般人たる飛鳥にできようはずもないだろうに。
というか、そろそろいろいろ説明が欲しいのだが。説明責任を果たすと言った割には一向になんの説明もする気のなさそうな少女に、すこしばかり苛立つ。
「なあ、いつになったら説明ってヤツをしてくれるんだ?」
苛立ちもあって、ついに自分から切り出すが、少女はこちらを振り向くだけ振り向いてにべもなく言いきった。
「どうせ報告しなければならない相手もいるんです。そこで纏めて行います。別々にしても二度手間ですから」
「おーおー、相変わらず愛想ねえな、お嬢。これで聖女だってんだから伝え聞くモンなんざあてにならないよな」
「もとですよ。追放されてますし」
「そうだった。うっかりうっかり」
……聖女……?
勇者に次いで聖女とは。これはますますファンタジー色が強まった。いや、この町の住民を見てきておいて、ファンタジー色がどうのなどいまさらに過ぎるが。そもそも目の前のトカゲがファンタジー一色だ。
それはともかく。二度手間がどうのというもの言いにはさらにイラっと感が募る。
けれどその苛立ちもさらに増していく間もなく、さきほど建物の中に入っていったトカゲが戻ってきた。
「ミルカ様に伝えてきたぞ。執務室にいるから入っていいってさ」
「わかりました。行きましょう」
入口の扉を開けたままにしていたトカゲの横を通り、少女がさっさと建物内に入っていったため、飛鳥も慌ててあとを追う。入ってすぐのホールは広く、上の階に続く階段と、左右と奥の三か所に扉があったが、少女は迷うことなく階段を進む。勝手知ったるといった様子の彼女のあとに続いていけば、二階に上がって右手奥の扉の前で彼女の足が止まった。
ノックをし、中からどうぞという女性の声が聞こえたあと、少女は堂々入室していく。すこし迷いはしたが、ここで待っていても仕方がないため、飛鳥も続いて室内へと踏み入った。
「あ、どうぞ、そっちのソファに座って。ちょっと待ってね、あとこれだけ……よし、じゃあはなしをしましょうか」
そう促すのは、長い黒髪に緋色の双眸の妖艶な女性。自身のデスクから立ち上がった彼女が纏うシンプルな赤いドレスが、彼女のしっかりとした凹凸をこれでもかと引き立たせている。にっこりと怪しく弧を描くくちびるも、赤いルージュに彩られていた。
少女以外に、はじめて人間を見た。そう思った飛鳥だったが、気のせいか、なんだか彼女がふつうの人間には思えない。じっと見つめてくる緋色の双眸に若干の居心地の悪さを覚えていると、長い睫毛に縁取られたその双眸が興味深そうに細められる。
「ふーん? アタシの魅了が効かないのね」
「え、魅了……?」
「なるほどなるほど。これは確かにそうみたいね。ほら、座って座って」
「あ、はあ……失礼します……?」
よくわからないが、二度目の促しにソファのほうへ向かうと、そこにはすでに少女が腰かけていた。なんというか……彼女はおそらく、というか、ほぼ間違いなくマイペースな人間なのだろう。
机を挟んでふたつあるソファの少女の隣へ腰かける。なかなかふわりといい座り心地ですこし驚いた。正面のソファの真ん中に女性が座ったことから、座る場所は正しかったようだと判断する。
そこへタイミングを見計らったかのようにノックの音が響き、ひとりの女性がそれぞれにお茶を出し去っていった。……三人目の人間だろうか。
そのお茶をひとくち含み、それから目の前の女性は再びにっこりとほほえんだ。
「さて。それじゃあどこからはなしましょうか。アヴィのことだから、なんにもはなしていないのでしょう?」
「どうせここではなすので」
「そういうところよ。ごめんなさいね、彼女、結構な面倒くさがり屋なの」
常識人だ。常識人がいた。
思わず妙なところに感動を覚えてしまう。
「とりあえずまずは自己紹介からかしら。アタシはミルカ。ミルヴィリカ・レイ・リハインツよ。気軽にミルカと呼んでちょうだい。みんなそう呼んでいるから。そしてこの子はアヴィ。異世界からの勇者様? キミのなまえを聞かせてもらえる?」
「あー……と、なまえは飛鳥。石動飛鳥」
「イスルギアスカ? なまえはアスカと言ったから、アスカと呼ばせてもらえばいいかしら?」
「ああ、うん、それで。というか、異世界からの勇者って?」
自己紹介は確かに大事だろう。大事だろうが、ここに来るまでもちらっと聞いている勇者ということばが気になって仕方ない。ミルカのことばからも、まず間違いなく飛鳥を指しているのだろうが、正直そんなものになった自覚なんぞまったくなかった。
それに対してミルカはちらりとアヴィと呼ばれた少女に視線を向ける。彼女はここでようやく自身のくちにしていた責任を果たす気になったようだ。
「スーリエという国に伝わる召喚魔法で召喚される存在のことです。本来は国の危機に際し、その危機を救ってもらうために喚び出されるため、勇者という名誉ある称号を与えられます」
「え、それ身勝手な拉致っていうんじゃ……」
「ですね。わたしもそう思います」
「いまなんて特に危機的状況というのもないしね。ちょっと頭の弱い王サマが続いちゃって、求心力が落ちちゃったから、勇者を召喚して功績上げてもらって王家の威信を回復したい、だったかしら」
「身勝手のレベルがひどいなんてもんじゃないな、それ」
なんという無駄な拉致。そもそも勇者召喚だなどときれいなことばで装っているあたり、実質拉致である認識がないか、あったとしても召喚される人間に人権なんてないものと見ているかのどちらかだろう。勇者だなんだと祀り上げられるだけでよろこぶなんて頭が弱いにもほどがある。馬鹿にしているのかと言いたい。
「ちなみにアヴィはそんな馬鹿げた計画に反対して、さらになんにもしていない魔王様を討伐しようなんて身の程知らずな思い上がりを阻止しようとしたから、その国を追放されちゃったのよね。全然能力の足りない後釜を当てて、れっきとした聖女だったアヴィに偽物だなんて恥知らずな烙印を押して」
「まあ、あの国にいても沈むだけなので、追放はむしろ大歓迎でしたが」
なるほど。アヴィはこの拉致に反対をしてくれていたのか。
それにしても先ほど門の前でちらっと聞いただけだったが、アヴィは本当に聖女という存在だったのか。黙っていれば確かに可憐な少女に見えなくもないし、そのことばに合っているようにも思えるが、いかんせん印象がちょっと……である。
イメージ問題でしかないし、失礼極まりないとも思うけれど。
とりあえずそれはそれとして。
「……魔王様……?」
魔王に、様付け。さらにはその討伐に対してとても辛辣に切り捨てたように思え、思わずじっとミルカを見てしまう。