第一章 ⑧ 彼女の真意
無事にクエストをクリアし、6つ目のジョブである調教師も入手できたので、一同は早々に最寄りの街、ヘノチハへ戻った。
一人だけ入手できなかった助っ人のエレノアは、不満たらたらだったが、おそらくクエストの発生条件を満たしていなかったからだろうと推測し、彼女はそちらを行うためにパーティを離れた。
そして、このクエストをクリアする為に、暫定的にパーティを組んでいたプラナシカとも、もう一緒に居る理由は無くなった。
「これで、解散っと」
ヘノチハまで戻ってきてから、パーティを解散し、本来これが普通だったようにHPゲージが1本に戻る。
「…バレットさん、本当にありがとうございました。おかげで、クエストもクリアできて…助かりました」
心からそう思っているであろうことが感じられる誠意あるお礼を言われたが、俺はそんなことはどうでも良かった。
礼を言われたところで、腹が満たせるわけでもなく、金やアイテムが貰えるわけでもないからだ。
「もう終わった気でいるようだが、まだその分の報酬を全て回収したわけじゃないぞ。今日で、きっちり支払い切ってもらわないとな」
「…はい、分かってます」
ショートケーキのイチゴを最後に食べるタイプの俺は、一番のお楽しみを最後まで残していた。
対する彼女は、最初に支払わせた時ともまた様子が違い、哀愁を漂わせていた。
ヘノチハの街で宿を取ると、プラナシカも大人しくついてくる。
木造の洋風な宿は、いやらしさを感じさせず、素朴ながら味わい深い趣がある。
しかし、そんな宿の部屋に入って、大きな一つのベッドを前にすれば、男女の意識は共に高まる。
「シャワー、浴びてきて良いですか…?」
「ああ、好きにしろ」
クエスト中の――特にエレノアといた時は、もっと活気がある印象だったが、今はその面影もないほど、静まり返っていた。
こっちまで気が滅入ってしまいそうな空気を跳ねのけて、彼女がシャワーを浴びる雑音を聞き流しながら、新たに得たジョブの内容を精査する。
今知れる限りのことを文面から読み取ろうと、調教師の説明文や所得できるジョブスキルについて、隅々まで目を通した。
「お待たせしました…」
もはや、現実と遜色ないほど、水の滴るエロい女は、白いバスタオルを一枚巻いただけの無防備な格好で現れた。
無理矢理押し込まれたようで、窮屈そうな胸元は、ギュッと深い谷間が覗けていて、見る者を深淵へ引きずり込む。
「こっちへ来い」
「はい、失礼します…」
俺の隣へベッドに腰掛けると、下敷きになったベッドがギィっと軋むような音を立てた。
彼女が近くに来ると、より感じ取れたのは、匂いとボリュームだ。
おそらくシャンプーか何かの匂いだろうが、フローラルな匂いがより女性的な印象をもたらし、鼻から男に刺激を与える。
遠目で見ても、他の女よりよっぽど立派に育った胸は、近くで見れば、その迫力が倍増し、さらに目を引くものとなる。
「今日は…どうしますか?」
その問い掛けは、今の格好や雰囲気も相まって、風俗やそういった類で働く、所謂お店の人が聞いてきそうなセリフに思えた。
まあ、利用したことが無いから、ホントにそんなことを言われるのかは知る術もない。
「いつものも捨てがたいけど、最後までするつもりだ」
「分かりました。じゃあ、まずは私から……」
谷間から指を掛けて、自ら白い衣を脱いだ彼女は、その美しい肢体を惜しげもなく晒し、そっと男に手を伸ばした。
今や、ろくにプレイヤーも訪れなくなった静かなヘノチハの夜は、少女の嬌声がよく響いたことだろう。
「ふぅ…」
今日で最後ということと、これまで苦労させられただけの分を取り立てる為、いつも以上に満足するまで愉しむと、色んな意味で疲れた身体をベッドに預け、横になっていた。
用は済んだのだから、さっさと帰ってもいいものを、その相手をしていた彼女も、隣で同じように休んでいる。
たった一枚の薄布で身を隠しただけの姿だが、既にその肢体に向けるだけの情欲は使い果たしていたので、もう特に思うことも無い。
激動の嵐が過ぎ去り、静まり返った部屋の中、疲労感と共にふと冷静な思考が浮かんで、虚空にΠを描く。
メニューの中から『スキル』の項目を選び、さらに『生産』を選択すると、鉄と火薬を用いて今日使ってしまった銃弾を各種補充する。
ファンタジーの世界観で銃を使うというのは、世界観をぶち壊す行いであると共に、補充する当てがないので、こうして自分で調達しなければならない。
それこそ、始めたばかりの頃は、優先的に生産スキルを上げて、銃弾の確保に勤しんでいた覚えがある。
鉄と火薬がいくらあっても足りず、足りなければ買い付けて補充しないと、ろくに戦えもしないので、狩りやクエストで散々敵を倒しても、なかなかお金が貯まらなくて苦労したものだ。
「ん…?」
いつも通り、弾の補充をしていたつもりだったが、その様子をボーっと眺める視線に気づき、メニューを閉じると、少女へ目を向ける。
月明かりに照らされる彼女の瞳は、念願だった調教師を手に入れた達成感や、それに伴う支払いを終えた解放感を喜ぶものではなく、相変わらず哀愁を漂わせていた。
「バレットさん…。初めて会った時のこと、覚えてますか?」
「ああ。ロポッサで服を引っ張って呼び止められたから、銃を突きつけようとしたら、コレに阻まれたんだよな?」
薄手のシーツで覆われた身体を、直接ツンツンと無遠慮に触った。
大きくて張りのある母性は、悪戯な指を静かに優しく受け止めて、包み込んでくれる。
「そうじゃないんです。あの時は、二回目でしたから」
「え?」
そうは言われても、他に会った時の覚えが全くなかったので、彼女の言っている意味が理解できなかった。
「覚えてなくても、無理ないと思います。特に、話をしたわけでも無いですから」
「どっかでニアミスしたってことか。いつの話だ?」
「今から、だいたい3週間くらい前ですかね。私が、ゲームを始めた日ですから」
「その時期に初期装備を着てれば、目立つ気もするが…まあ、そんなこと大して気にしないからな」
「そうですよね。今のバレットさんを見ていれば、そう思うのも理解できます。それに、初めて話した時も、私のこと覚えてないんだろうなって感じましたから」
「この世界にいるプレイヤーだけでも、平気で何万といるんだから、一々覚えてられないってのもあるが…悪いことをしたかな」
現実でもゲームでも、名前を間違えられたり、覚えてもらえていないのは、癪に障ることだ。
覚えるべき名前なら、覚えておく努力をするが、俺の場合その範囲が特に狭く、覚えようともしないことが多い。
「気にしないで下さい。私は、そのことを謝って欲しいわけじゃないんです」
「むしろ、お礼が言いたくて」
「お礼…? そんなこと言われるようなことしたかな?」
にぎにぎ。
「んぅっ…。もし良かったら、触りながらでもいいので、聞いてくれませんか?」
「ああ、それは別に構わないが…」
もはや、身体を触られるのに慣れてしまったような彼女は、大して気にせずにそのまま昔話を始めた。
「私がゲームを始めて、この世界にやってきたばかりの頃、ロポッサの大きな街の中で、右も左も分からずうろうろしていたら、男の人たちに声を掛けられたんです」
「ニヤニヤいやらしい視線を送りながら、親切を装ってにじり寄ってくるのが怖かったんですけど、どうしていいかも分からず、困って周りに助けを求めようとしても、周りの人たちは見て見ぬふりをして去って行く人や、様子を窺っているだけで止めに入ろうとはしない人ばかりでした」
「そんな時、ワープ屋さんの大きな門から、黒ずくめの二人が出てきたんです。それが、バレットさんと大きな鎌を持った死神と呼ばれているプレイヤーでした」
「それに気付いた周りの人たちは、あれこれ言いながら蜘蛛の子を散らすように逃げていって、私たちだけがポツンと残されました」
「そして、私を取り囲んでいた人の一人が、その状況とバレットさんたちに気づくと、慌てて逃げていったんです」
「死神がどうとかって、言ってましたけど…それに続いて、他の男の人たちも後を追って小道へ消えていきました」
「私は一人、道の真ん中に残されて、何か二人で話していたバレットさんたちは、そのまま私を通り抜けて去って行きました」
「…全然、覚えてないな」
死神と恐れられているレトゥムと一緒に歩いていると、人が寄って来なくて清々するのは確かだし、女の比率が少ないゲーム内でナンパをしている男がいるのは日常茶飯事なので、一々気に留めることも無い。
「それでも、私はバレットさんたちに助けてもらったことに変わりありません。今でも、感謝してるんですよ。…あの時も、ありがとうございました」
彼女を今の姿に引ん剥いたのも俺なのに、そんな相手にも押しつけがましく感謝を向ける視線から逃げたくて、身体を逸らして天井を眺めた。
「…それで、俺を優しい人間だとでも思ってたのか? 勘違いも甚だしいな」
「そうですか? 今も、初めての私に優しくしてくださいましたし、勘違いではなかったと思いますけど」
「それくらいは、当たり前だろ。優しさとか、そういうのじゃない。その方が愉しめるから、やっただけのことだ」
「うふふっ…。そんなバレットさんに、もう一つお願いがあるですけど」
女の言うお願いなんて、ろくなもんじゃないと思いながらも、彼女の方へ顔を向けると、すっかり気を良くして笑顔を取り戻した姿が目に映った。
「今度は何だ?」
「あのクエストはクリアして、無事に調教師は手に入れましたけど…、今度は目的のペガサスを手に入れる為に力を貸してもらえませんか?」
そんなことを言いだすのではないかと薄々思っていたが、つい鼻で笑ってしまう。
「金もないのに、またお願いか?」
「はい。ですから…まだまだ払い続けないといけませんね、うふっ」
「お前も好きだな…」
新しくツケがたんまりと溜まったわりに、随分と楽しそうな笑みを浮かべて身を寄せる少女を、そっと優しく抱きしめた。
足手まといは御免だが、再び感じることができたこの温もりは、そう悪いものでもない――。
ピピッ!
「んっ?」
空気を読んだのか読まなかったのか、風情の無い通知音が新着のメッセージを知らせた。
抱き合うのはほどほどにして、彼女と寄り添ったまま、メニューを開いて内容をチェックする。
「あ、もしかして、女の人ですか? エレノアさんとか」
「…もう一丁前に、彼女気取りか? 今の関係は続けるような話にはなったが、付き合うとまで言った覚えはないぞ」
「うぅ…、手厳しい…」
「あ? 珍しいな」
裸で身を寄せることも厭わなくなった彼女よりも、驚くべき内容が飛び込んできて、目を見張った。
「どうしたんですか?」
「王国…つまりは運営からだ。一応、文面はミウヒ姫からってなってるが、3周年の節目を迎えるにあたって、日頃のお礼とご報告を兼ねて一部のプレイヤーを招待します。だと。そっちは来てないか?」
「通知も鳴りませんでしたけど…、やっぱり特に来てないですね」
「一部ってのが、どの程度か気になるが…。そうか、もう明日で3周年なんだな」
指定された日時は、明日の22時。場所は、王都ウヨキウトのヨキウコドエ城。
それこそ3年もの間プレイしているが、一度も入ったことが無い場所だ。
「私は始めたばかりですから、全然実感ないですけど…。一体、何が行われるんでしょうね」
「さぁな。お礼って言われると、また期待しちゃいそうだけど」
「お姫様が、こんなお礼をしてくれるわけないじゃないですか。もう…私で我慢してください」
「まだ、何も言ってないんだけどな。ははっ、すっかり頭がお花畑からピンク色に染まってるじゃないか」
「もう…それも、バレットさんの所為じゃないですかぁ」
記念すべき日を前にしても、変わらずじゃれ合う二人だった。