第一章 ① 日常を脅かす新しい風
辺り一帯に響く大きな銃声と共に巨体が爆発して破裂すると、クエストをクリアしたログが表示された。
さらに鳴り響いた軽快なファンファーレは、レベルが上がったことを告げている。
「やっと、90代の大台に乗ったか。そろそろ、カンストした後の事を考えても良さそうだな」
敵の姿も消えて静まり返ったダンジョンの中、武骨な相棒を切り離し、元の姿へと戻してホルスターにしまった。
用も済んだのですぐに退散したいところだが、生憎そう都合良く出来てはいないので、一仕事終えた充実感を感じながら、ダンジョンを引き返して、街を目指す。
このゲームには、剣士・騎士・狩人・魔法使い・僧侶と5つのメインジョブが設定されており、ジョブごとにレベルが設定されている。
ゲームの開始時に、名前や髪色などを決めることに加えて、一つだけ武器を貰えるというシステムがあって、そこで選んだ武器によってメインとなるジョブが自動で判断されており、まずはそのジョブを上げていくのがセオリーだ。
武器を選ぶ際、剣や斧、ハンマーや弓に魔法の杖が定番どころだが、時に変わったものを選ぶ者もいる。
プレイヤーの間では、それらの武器を『ユニーク武器』と呼び、この世界では珍しい存在として扱われている。
また、極少数しかいないユニーク武器を持つ者たちを皮肉って、変わり者を意味する『Eccentric player』と称し、さらにそれを略して『トリッカー』という俗称が定着した。
メッセージやネットなどの文体の中では、それを示すスラングとして、『鳥車』と書かれることもある。
かくいう俺もそのトリッカーの一人で、可変式の銃『ゲーティア』を扱う。基本は、二丁のハンドガンだが、扱い方によってその形態を変える優れものだ。
世界観としてはファンタジーなのに、銃を選んだものは俺以外にも少数いるようだが、そういったガンマニアからすれば、こだわりの一丁があればいいらしく、可変式の銃を持つのは未だに俺だけらしい。
ちなみに、銃を選んだ者のメインジョブは、決まって狩人に割り振られた。
レベルを上げれば、ステータスを伸ばす為に使うFPと、ジョブスキルやコモンスキルに割り振れるSPを獲得できる。
ジョブによって得られるスキルが変わる一方で、どのジョブであっても取得でき、反映されるのがコモンスキルだ。
採取や生産系のスキルはもちろん、裁縫や調理のスキルもあり、大方戦闘以外で活躍するスキルと思ってくれれば差し支えない。
特にこのSPがゲームの自由度を上げている一方で、システム的な問題もあり、慎重にならないといけない部分でもある。
実はこのゲーム、初期化してゲームハードに登録した個人のアカウントデータを消すことはできるが、再度登録する際に、同一人物と見なされてサーバー側のデータを呼び出されてしまうため、所謂リセマラができない。
ユニーク武器の持ち主が珍しく思われるのも、ゲーム内でそういったものを見た後に自分も変える、ということができないからでもある。
この仕様の意図としては、ゲーム内でも一度きりの人生を楽しんでもらいたいためだといわれている。
SPは他にも一部のクエスト報酬にもなっている場合があり、それらをこなしていくことでより多くのスキルを得ることができるため、中級者や上級者はそれらのクエストをかなり重要視している。
最寄りの街に辿り着くと、街と街を瞬時に行き来する為のワイマールというNPCが営むワープ屋を訪れ、表示されたウィンドウの中から、ロポッサを選ぶ。
そして、空間の歪んだ大門を通って、ロポッサの街へ戻ってきた。
ロポッサは、ゲームスタート時に訪れる最初の街ということもあり、ゲーム発売当初から今現在まで一番プレイヤーが行き交う活気のある街だ。
当然、商人たちもそこに目を付けて、プレイヤーが営む店も多く立ち並んでいるので、実に様々な物が揃う。
品揃えが豊富であれば、もっと先の街に進んでいる先駆者たちも訪れて金を落とす為、好循環が続いているというわけだ。
洋風の街並みが綺麗な見慣れた風景を他所に、出店が立ち並ぶ通りを闊歩し、目ぼしいものがないかと探して回る。
「あ、あの…すいません」
「どうするかな…?」
ありきたりな物ばかり並んでいる出店はいつもの事だが、メインのジョブがカンストしてしまったら、どうするべきか。
単純にレベルを上げる以外の事をする必要が出てくるので、もっと強くなるにはどうしたらいいものか。
そう考えに耽って、また店を後にする。
「あ、あのっ! バレットさん!」
「…っ!」
「きゃっ!?」
不意に服を引っ張られて呼び止められたことで、反射的に銃を抜き、相手の額へ向けようとした――が、それは途中で止められた。
しかし、それは小さく悲鳴を上げた相手も意図してやったことではなく、単に銃を額の高さまで上げる際に、彼女の大きく膨らんだ胸に突っかかったからだった。
目を真ん丸くして驚いた彼女からはまるで敵意を感じず、またその服装も駆け出しの初心者丸出しの初期装備だった為、ひとまず銃を下ろす。
てっきり、またユニーク武器を狙った賊か、あるいはトリッカーを妬む者からの強襲かと思ったのだが、どうやら違ったらしい。
「なんだなんだ…?」
少女の悲鳴が聞こえたことで、道を行き交うプレイヤーたちも、何事かと不審に思ってざわついていた。
ゲームの世界とはいえ、痴漢や強姦など非社会的な行為をすれば、現実と同じように周りからは白い目で見られるし、それ相応の報いが待っている。
「何か用か?」
「え? あ、はい。そうです」
「なら、こっちへ来い」
「あ、ちょ、ちょっと…」
大通りの群衆の中から移動して小道へ行くと、件の少女も慌てて後を追ってきた。
「あの…バレットさん。こんなところに連れてきて、一体何を?」
「そうだぜ、バレットさんよぉ…。かわいこちゃんをこんな路地裏に連れ出して、一体ナニしようってんだ? ヘヘヘェッ!」
しかし、追ってきたのは彼女だけではなかったらしく、薄気味悪い笑みを浮かべた男までおまけでついてきた。
「え? あの…どちら様ですか?」
気づいたら見知らぬ男が後ろにいたので、彼女は当然途惑っていた。
「今度は当たり…いや、こっちの方がハズレかな。今日はまた面倒な日だ」
「そう言うなって。俺たちにとっては、最良の一日になるんだからよぉっ!!」
俺たち…という言葉通り、薄暗い路地の奥から、何人も男が湧き出てきて、皆似たような笑みを浮かべていた。
「2,3,4…よくもまあ、これだけ人を集めたな、暇人さんよ。こんだけいるなら、大きいクエストにでも出かけてきたらどうだ?」
「あぁ…それもいいなぁ…。だが、それはお前の武器を奪ってからだぁっ!!」
分かりきっていたことだが、用件を聞くまでもなく、自分から教えてくれた。
男たちの多くは剣士で、彼の号令を合図に剣を抜くと、前後から襲い掛かってくる。
「お前らを倒しても、一円の特にもならないこっちの身にもなって欲しいもんだ」
向かってくる男たちの額を目掛けて両腕を上げると、トリガーを引いて発砲する。
「きゃぁっ!」
銃声に驚いた少女は、隅で蹲って自分に当たらないように避難した。
そのすぐ傍に頭を打ち抜かれて転がった無残な男の姿を見ると、さらに追加で声にならない悲鳴を上げていた。
「アイススプラウト!」
それでも、相手は気にも留めてないようで、すぐさま魔法師団が追撃を放っていた。
壁を蹴って高く上がると、足元を狙った氷魔法を避けるが、更なる追撃も訪れる。
「サンダーレイジ!」
今度は上から落ちてきた雷が放たれ、地面を黒く焦がすが、動き続ける的へそう簡単に当たるものではない。
「サ…っ!!」
壁を利用して、建物まで上がると、屋根の上で悠々と魔法を唱えていた男と鉢合わせ、次の魔法を唱える前に、その口へ鉛をお見舞いする。
ついでに、上から路地の先にいたもう一人の魔法使いを狙ったが、その傍に控える盾持ちの男に防がれてしまう。
「その盾で、どこまで防げるかな」
仕方なく、装填されていたマガジンを落とすと、ポケットから別のマガジンを取り出す。
今度のマガジンに装填されている弾は、貫通力に優れたものだ。
そこらで売っているような安い盾なら、簡単に貫いて、使用者ごと打ち抜ける。
「させるかよっ!」
銃使いの戦闘中で一番大きな隙は、弾の補充のタイミング。つまり、今が正にそうだ。
しかし、一つが撃てない状況でも、俺にはもう一つがある。
「奇襲を掛けるなら、そんなにでけぇ声を出すんじゃねえよ」
おそらく同じように壁を蹴って上ってきた短剣使いに、いくつも風穴を開けて黙らせた。
マガジンの交換も終わると、再び盾持ちの男に隠れた魔法使いの男に狙いを定める。
「アイスブぁ…っ!」
詠唱中にやられて倒れる男と、それを見て自身の盾が通用しないことを知ってしまった盾持ちの男の顔といったら、情けないことこの上ない。
攻撃を防げない盾など何の役にも立たず、次にもたらされる自らの死を予見してしまったのだろう。
「ま、待ってくれ、俺は…っ!?」
よもや、ここまで来て逃げようとするような男とは、ほとほと悲しくなってしまう。
せめて、男なら潔く負けを認めて死を受け入れればいいものを、往生際の悪い男へ、悲痛の鉄槌をもたらした。
「おい、バレットさんよ! 随分、好き勝手やってくれるじゃねぇか。でも、忘れてもらっちゃぁ困るぜ」
最初に姿を見せた男が、少女に剣を向けて偉そうにしていた。
「ひっ、ひぃっ…」
その少女の方はといえば、ゲームの中とはいえ、リアルに作られている所為で、その恐怖も本物さながらのようだ。
「へへへっ、この女がどうなってもいいのか?」
「ふっ、テンプレだな」
「あっ!? なんだって?」
思わず鼻で笑ってしまった独り言は、距離もあった所為で聞こえなかったようだ。
「お前、何か勘違いしてないか?」
「な、何をだよ?」
「俺にとって、そいつは人質の価値も無い、ただの通りすがりの女だ。そいつがどうなろうと、俺の知ったことじゃない」
「う、嘘つけっ! そんなこと言って、解放させようって腹だろう。へへっ、お見通しなんだよ!」
「だったら、今ここで、そのままそいつの首を切り落としても良いんだぜ? それとも、犯す方がお好みか?」
「な…何だと!? ど、どれ…」
あまりにも興味が無さそうな言い方をしたこともあってか、男は少女を改めて性的な目で見ると、鼻の下を伸ばしていやらしく笑みを浮かべた。
その隙を見逃さず、屋根から高くジャンプして彼らの上を通ると、そのまま地上へ狙いを定め、引き金を引いた。
「きゃあぁっ!?」
突然、男が力なく倒れてきたことで、また大きな声を上げた少女の元へ近づく。
HPがゼロになってしまった男たちは、皆一様にデータの塵となって消散し、その姿を消した。
プレイヤーを倒したところで、ドロップ品や経験値を貰えるわけでもなく、ただただ無駄弾を使う羽目になったので、何一つ利益は無い。
むしろ、弾代に加えて、時間を浪費したことも考えると、利益どころか損失をもたらされている。
しかし、あいつらもあいつらだ。
そもそも、仮に俺の武器を奪ったところで、今度は彼らの間でその奪い合いが始まるのだから、救われない。
「大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫です」
へたり込んでしまった少女に手を差し伸べ、引き上げた。
「あ、ありがとうございました」
埃を払った彼女から、丁寧にお礼をされたが、その言葉は間違っている。
「礼を言われるようなことじゃない。あれは、俺を追ってきた招かれざる客だったからな。お前は、それに巻き込まれただけだ」
「それは、分かってるつもりです。それでも、助けられたのは事実ですから」
「結果的にそうなっただけだ。実際、俺はお前があの男にどうされようとも、構わなかったからな」
「…そう、ですか」
素直に喜べるような事ではなかったことを、ようやくわかってもらえたようで、彼女もどう受け取っていいのか分からない様子だった。
「一応、場所を移すか。ちょっと失礼」
「あっ、ちょっと…」
彼女の返事も聞かずに、その身体を持って抱えると、再び壁を蹴ってよじ登り、屋根の上へ降りる。
そこから、さらに屋根を伝って別の区画へ移動し、また人通りの無い路地へとやってきた。
「あの…バレットさん。なんで、こんなところに…?」
抱かれている間は、どこか虚ろになって呆けていたこともあり、静かだったものの、突然場所を変えた意図すら分かっていないようだった。
「まだ、何か用があったんだろう? あのままあそこにいると、またさっきの奴らが来る可能性があったからな。話どころじゃなくなる」
「それに、誰に聞かれるか分からない人通りの多い場所で話すより、こういう場所の方が都合がいい」
「あ、その…色々すいませんでした」
桃色の髪をした彼女は、礼儀正しく頭を下げて謝罪した。
「いや、気にしなくていい。お互い様だ。…それとも、謝罪する為に呼び止めたのなら、もっと詳しく罪状を聞いてやろうか?」
「い、いえ。用というのは、全く違うことです」
「実は、あるクエストを手伝ってほしいんですけど…」
神妙な面持ちで何を言い出すのかと思えば、これだ。いつもの事と何ら変わらない。
「断る。他を当たってくれ」
「え?」
話を始めたばかりで早々に断られた少女は、再び驚いた様子を見せた。
「お前、俺の事を知ってて声を掛けたんだろう?」
「はい…。一人で活動している、凄腕の銃使いって」
「どこで聞いたかはともかく、それだけわかっていれば十分だ。俺がソロで動いてる意味を少し考えれば、なんとなくわかるだろう?」
「何でって…、その銃を持ってるからですか?」
「それは一つの要因だが、答えじゃない。簡単に言えば、自分のペースでできなかったり、相手を信用できなかったり、足手まといを嫌うからだ」
「……」
初心者相手に厳しく放った言葉は、少女のHPを減らさずとも、ダメージを与えたようだった。
以前、60代の年配プレイヤーに「初心者に優しくしないと、そのコンテンツは長生きしない」と言われたが、かといってわざわざ俺がやるべきことでもないと他人事のように思っていた。
初心者や新米プレイヤーを手厚くフォローする団体もあれば、ゲーム攻略を優先して彼女らに構っていられないプレイヤーも多い。
「お願いします! 謝礼として、ちゃんとお金も……」
それでも諦められない様子の少女は、交換条件を出そうとしても、ゲーム内マネーであれば、始めたばかりの彼女よりも、長いことやっている俺の方が余程潤沢に持っていることを悟って口を噤んだ。
「お金は大して出せませんけど、でも…どうしてもそのクエストを達成したいんです。お願いします! なんでもしますから、どうかお願いします!」
なかなか根性がある頑固な少女は、折れることなく何度も頭を下げて、ひたむきに頼み込んでいた。
「はぁ…。偶にいるんだよな…、こういうヤツ」
わざと聞こえるように大きめの独り言を漏らしても引き下がらず、必死にお願いする彼女の純粋な瞳を見ていると、もうどっちが悪者なのか分からなくなりそうだ。
結局、こんなところを他人に見られたら、さっきの騒動にも尾ひれが付いて、あることないこと噂が立ってしまいそうな気もする。
「なんでも…って、あのなぁ。そういうことは、簡単に口にするべきじゃないぞ。特に男にそんなことを言ったら、どんなことを要求されるかわかったもんじゃないんだから」
「でも、私からお礼としてあげられるものなんて…何もないですし。本当になんでもしますから、お願いします!」
何度も頭を下げる動作をする度に揺れる大きな胸が目に入り、邪な考えが浮かんでしまう。
「そう…。なら、身体で払ってもらおうか。もちろん、報酬は前払いでな」
「え…、あの…それは……」
身の危険を感じた彼女は、自然と防衛本能が働いて、自らを抱くように腕で隠し、さらに一歩引き下がる。
これで、悪評は立つかもしれないが、この子も諦めるだろうし、元々一人で活動している俺には大きな影響は無いだろう。
クランマスターの女が、俺を追い出すくらいはしてきそうだが、もしそうなれば、金はかかるが自分のクランを立ち上げてしまえば済む話だ。
「さあ、どうするんだ?」
にじり寄ることで壁に追い詰め、さらに困惑して返事を躊躇う彼女の谷間に銃口を押し入れて、何をさせようとしているかをまざまざと思い知らしめる。
彼女の意思に反して、深い谷間は冷たくて黒い鉄の塊すらも受け入れ、手厚い歓迎を施していた。
自分でやっておいてなんだが、これはもう紛れもなく悪役だ。逃れようもない、真っ黒である。
さらに怯んだ少女だったが、少し悩んだ後、生唾をごくりと飲み込むと、真っ直ぐに俺の目を見つめる。
「…わかりました。それでよければ、お願いします」
彼女の覚悟とは裏腹に、俺はこんなことで引き受ける彼女を心の中でビッチ認定し、蔑みの目を向けた。
「もしかして、仮想世界だからノーカウントとか思ってるんじゃないだろうな? 現実だろうがゲームだろうが、お前がやろうとしてるのは、お小遣いや高級バッグが欲しくて、おっさん相手に身体を売ってる女とやってることは同じだぞ」
「う…。でも、その…バレットさんは、おじさんじゃなくてお兄さんですし…」
「そういう問題じゃないだろ」
「それに…バレットさんなら、なんとなく…良いかなって…思えましたから」
「はぁ…?」
なぜそこで顔を赤らめるのかが理解できなかったが、やると言ってしまった以上、引き受けるしかない流れになってしまったので、どこかで飯でも食いながら細かい話を聞くことにした。
少女を連れて、それなりにオシャレなカフェへ足を運ぶと、通りから離れた席に座る。
明るく清潔でモダンな内装に反して人気が無いのは、この店が街の端の方にあることに起因する。
大抵、ちょっと寄るだけなら、近場で立ち寄った店に入ったり、よく行く道で目についた店に行くくらいなので、こうしたことが起きる。
現実も仮想現実も、立地が大事というのは同じというわけだ。
何か美味しい名物や、それに有用なバフでも掛かっていれば別だが、最初の街ではなかなかそういった物も無い。
メニュー表を眺めて、腹の空き具合やHGと相談しながら、注文を決める。
「ん。…そっちも、何か頼むか?」
「あ、はい」
その日に出会った女を連れて二人でお茶するとは、俺のゲームライフも随分変わったものだ。
最初のうちこそ、色んな人と組んでクエストに出かけたことはあったが、当然付き合いはそれっきりで、ろくに飯も食いに行った覚えが無い。
なので、知り合いに見つかったら、まず間違いなく冷やかされるのは必至である。
「決まったか?」
「はい、大丈夫です」
店員のNPCを呼べば、現実さながらに軽い足取りでやってきて応対するのだから、すごい技術なのだが、もはや見慣れてしまった光景だ。
「ご注文お決まりですか?」
「俺、ナポリタン」
「私は、ピーチティーをお願いします」
「はい、かしこまりました。少々お待ちください」
間違っても、俺の名前もプレイヤーネームも、そんなパスタ料理の名前ではない。
彼女の様にちゃんと注文すればいいのだが、段々端折ってくるとこんなことになる。
相手が生身の人間ではなくNPCなので、通じれば何でもいいと思っている節があるからというのも、一つの理由だろう。
嫌な顔をされることも無く、後ろ指差されるわけでも無いのだから、現実よりもよっぽど気楽に過ごせるというものだ。
オーダーを通したところで、チャリーンと聞きなれた効果音が鳴った。注文した段階で、その分の料金を自動的に引き落とされた合図だ。
現実よりも便利な機能なので、これに慣れてくると、現実で無銭飲食し兼ねないと誰かが言っていたのを思い出す。
「すごいですよね。店員さんも本物みたい」
彼女はオーダーを取って去って行くNPCの後ろ姿を見ながら、近年の科学技術の進歩に感心していた。
このゲームを始めて間もない頃であれば、当然彼女のような反応をするので、どこか懐かしく思えた。
「ゲームなら調理過程を見せずにパッと出してもいいのに、わざわざ奥の厨房で動いてる姿も見せるんだから、細かいとこまでこだわってるんだろうな」
「どっちが現実なのか、分からなくなっちゃいそうです」
「ふっ…。それは、廃人からよく聞くセリフだな」
「こんなすごいところだったら、もっと早く来てみたかったです」
こうして、厄介者のフィルターを取り除いて見てみれば、わりと可愛らしい顔立ちをしている彼女は、身体つきもいやらし…男好きするもので、報酬は思ったよりも良いものが得られそうだ。
そう考えるのと同時に、さっきの男にやらなくて良かったとも思えた。
もし、あの男のお下がりになっていたかと思うと、いくら優良物件でも、事故物件同然なので、もうお帰りいただきたいくらいだ。知らぬが仏とは、正にその通りである。
「さて、まずは改めて自己紹介でもしておこうか。俺はバレット。知っての通り銃使いで、クランはヘキサクロスに入ってる」
「じゃあ、私も。プラナシカといいます。まだ初めて2週間くらいです。クランは入ってません」
先程から話題に出ているクランというのは、所謂ギルドといわれるものと同じく、家族ともいえる大規模なチームのことだ。
定員は、初期段階で最大10人。クランクエストをこなしていったり、クランレベルを上げていくと、その上限が増えて、30人まで上がると聞いている。
設立の為には、多額の資金といずれかのジョブレベルを40まで上げなければならないので、ゲームが発売されてから数か月経って、ようやく初めてのクランが設立されたのを覚えている。
ソロプレイヤーの俺がクランに入っているのにも理由はあるが、俺の所属するクランメンバーはたったの二人。
つまり、俺とクランマスターの女だけだ。
ただ、これは愛だの恋だのそういう浮いた経緯がある訳ではなく、お互いにソロで活動しているプレイヤー同士だったからこそ、お互いに利を考えた故のことだった。
あの女は、このゲームのプレイヤーの中でも、『死神』と呼ばれるほど特に奇怪なヤツなので、近寄ろうとする者も少なく、同じクランに入ろうなどという考えを持つ者もいない。
そして、希望者もいなければ、実力者でなければ門前払いのクランなど、人気もあろうはずがない。
「その装備なら、魔法使いか僧侶のようだが、差し支えなければ武器くらい教えてくれ」
「あ、はい」
彼女は俺と違って、出会った時からずっと武器を身に着けていなかった。
先程のように、街中でプレイヤーから襲われるようなことは、俺のような者でもない限り滅多にないので、大きな武器をずっと持っているのが面倒だったり、今日はクエストをする気が無いという遊びに来た者は、彼女のように手ぶらで散策していることもある。
もちろん、他のゲームと同様、自分の珍しい武器を自慢したいが為に、わざわざ仰々しい武器を持って街中を闊歩している連中もいる。
特に、このゲームでは、最初に貰った武器を如何に強化しているかが、強さを表す指針にもなるので、これ見よがしに見せつけている者は多い。
「杖を貰って、魔法使いになってたんですけど、いざ戦ってみたら怖くって、戦闘職を諦めて僧侶でプレイしてます」
「魔法落ちのヒーラーか。…まあ、好みやプレイスタイルは人それぞれだからな。自分で楽しめれば、それでいいさ」
メインジョブとその他のジョブでは、レベル上限が違うという噂も実しやかに囁かれているが、彼女の随分先の未来を俺が心配する必要も無い。
このゲームで過ごすプレイヤーたちの楽しみ方は、人によってかなり差があり、冒険よりも店を開いてその経営に力を入れている者もいるほどだ。
「お待たせしました。ナポリタンとピーチティーです。ごゆっくりどうぞ」
彼女と話しているうちに注文していた物が届き、お茶を啜る彼女に遠慮せず、パスタをフォークにくるくる巻いて食べ始める。
偶に自分で作るより、よっぽど上手く出来ており、甘い味わいが口いっぱいに広がった。
クエストに出て、帰ってきたっきりだったので、一口食べる度にHGが回復していく。
「それで、プラナシカがそこまでして狙ってるクエストってのは、一体何なんだ?」
「えぇと、『ロニコムの長い一日』ってクエストなんですけど…」
「ぶふぅっ!」
「きゃぁっ!?」
どうせ、新米プレイヤーのいう手伝って欲しいクエストなんて、ろくに誰も引き受けてくれない面倒なクエストだろうと高を括っていたら、予想以上の大物が出てきたことに驚いて、口に含んでいた水を吹き溢してしまった。
「ふぇぇ…びちょびちょぉ…」
「悪い悪い。意外だったもんだから」
図らずしも、彼女の顔面にぶっかけてしまったのは、さすがに申し訳なかったが、どこか興奮を覚えるのはしがない男の嵯峨か。
すぐにメニューを開き、綺麗な布をストレージから取り出して、水の滴る彼女に渡すと、静かに受け取って顔を拭いた。
「はぁ…。それで、バレットさんはそのクエストについて、ご存知なんですか?」
「あぁ、一応な。正確な話は知らないが、ちょっと曰く付きのクエストだからな…いや待て、ということはお前の狙いはそれか?」
「はい。このファンタジーな世界観を持ちながら、現実そっくりにリアルな世界なら、私が求める子がいると思うので、その子をテイムしたいんです」
「私は…その為に、このゲームを始めましたから」
真っ直ぐに見つめる彼女の瞳が訴えかけているのは、このクエストに関する曰くに関係する。
俺の聞いた話では、このクエストをクリアすれば、隠された6つ目のジョブ――調教師を取得できるというものだ。
調教師は、他のゲームでいうビーストテイマーのようなもので、敵であるモンスターを捕縛して使役できるという噂を耳にした覚えはある。
実際、そんなジョブを持っているプレイヤーの話を聞いたこともないので、眉唾物ではあるが、隠しジョブ自体には興味がある。
ジョブのレベルを上げれば、FPとSPが手に入るので、もう一つジョブが解放されれば、さらに貰える数値が増えて、より強くなれることも大きな要因だ。
それが、さらに本来敵であるモンスターを使役できるというのなら、尚更である。
それでも、手を出さずにいたのは、確定しない情報に踊らされて時間を取られるよりも、確実に報酬を得られるクエストを優先し、未開の地を誰よりも早く踏破して宝を掻っ攫うということをしていたからだ。
「しかし、一体どこでそんな不確かな情報を…? しかも、その情報を頼りに始めたとなると、その行動力を称えればいいのか、無鉄砲さに呆れればいいのか分からん」
「クラスの子…んっ、んんっ! …既にプレイしてる知り合いが、話しているのを聞いちゃったんです」
「でも、そのクエストって、難易度がとっても高いみたいな話も聞いてて…」
「それで、俺の元へ来たわけか」
頼りになる実力派プレイヤーを探すのに、個人ランキングを参照したのは理解できるが、その判断が正しいとは言いづらい。
確かに、手あたり次第有力者を探すのでは徒労に終わることも多ければ、俺の様に相手にしてくれない連中や、こんな話では聞き入れてくれない者もいただろう。
とはいえ、上位連中はそう暇を持て余してはいない。誰もがその地位を譲らない為に、日々この世界で研鑽を重ねているからだ。
そんな中で、わざわざ俺を当てにしたのは、ランカーの中でもソロで活動しているプレイヤーの方が話を持ち掛けやすいから、とかそんなところだろう。
ただでさえ、上位ランカーというのは、一般プレイヤーからすれば、その肩書から威圧感を醸し出している節もあるので、それが複数人だったり、団体さんだったりすれば、その話しかけにくい状況で説得しなければならない頭数も多くなる。
その点、ソロプレイヤーなら、一人を納得させればいいだけだ。それこそ、泣き落としでも、なんでもして。
同性のソロプレイヤーである死神の元まで行けば、変な条件も飲まずに済んだかもしれないが、そもそも彼女に利益も無いのに、そんな噂を真に受けて引き受けてくれるとも思えない。
それに、さすがに相手が相手なので、誰よりも近寄りがたかったというのは大方察することができる。
「まあ、どうでもいいクエストに長々と付き合わされるより、よっぽどマシか。ガセの可能性は高いが、俺も隠しジョブが手に入れば万々歳だ」
「そうと決まれば、腹拵えも済んだし、もう少し詳しい情報を探しに行くとしよう」
「あ、はい! よろしくお願いします!」
自分にあれこれ言い聞かせて納得させると、この時、初めて彼女の笑顔を見ることとなった。