しがない作家のお茶と四季
ふうぅ……。
そう息をついて、今日も執筆の合間に茶を飲む、と。
ビールじゃねえ。そんなもん呑んだら話が進まねえ。
なんとしても、今日中にあと四ページを書かにゃあならんのだ。
それにしても俺もしがねえなあ。
よくまあ、年がら年中、同じ味の緑茶を飲んでるってぇもんだ。
初夏の季節、随分と暑くなってはぐいっ、と飲む量も増えた。
罪悪感がねえってのはいいもんだ。
執筆に明け暮れ、身体も動かさねえったらありゃしねえ。
膨らませたいのは腹じゃねえ。頭ん中のネタなのだ!
そんなボヤキもいいとこにして、だ。
勢い任せで口に出した言葉を脳裏で紡ぎ、しばし沈黙の時となる。
不思議と、この時一番文字が走るのだ。
お盆になって、実家に帰って来た。
いつものように、親父、おふくろが「おかえり」と出迎えた。
久しぶりなのによお、ありがてえなあと思いながら、俺はふと庭を見渡す廊下で止まった。
その光景も久しぶりだ。
そう耽っていたら、おふくろが茶を持ってきた。
俺はそのまま、汗かいた湯呑みを受け取った。
はて、こいつは……?
いつもと風情が違う。
いつも何気なく飲み干すものを、ちょっくら味わってみようと思った。
ふむ、なるほど。
いつもより氷でちっと冷たくなった緑茶だ。
それだけだって?
そうじゃねえ。ここには安らぐ庭木と畳の部屋、そして手に馴染んだ湯呑みがある。
「ほら、立ってないで座んなさいよ」
笑いながらそう突っついてくれるおふくろがいる。
――いつも手にしているお茶は、この空間から知った。
時に追われない、自然でいるこの場所で。
今でこそ親父たちはそうして久しいが、思えばよくこの悠久を保ったもんだ。
今の『俺』の頃、随分と忙しかっただろうによ……。
一人でいる間、随分と頭の中はごちゃついていたようだ。
目まぐるしく過ぎ去った日々を一度忘れ、俺は団欒に入った。
朗らかな笑顔の奥で、親父は、おふくろは、しがない作家としている俺をどう見ているだろう――
汗ばむ季節が過ぎた秋、俺は定期健診で歯医者を訪れた。
馴染みになった歯科医に歯を見せる。
じっくり説明されなくとも、大体言われることくらいはわかってる。
「茶渋がだいぶ付きましたね」
言わんこっちゃあねえ。
そこから流れに身を任せて歯の掃除に入る。
それにしても、これだけ定期で飲んでりゃあ、なにかご利益ってもんはないのかい?
茶渋は虫歯から守ってくれないかねえ?
ラベルにもあったぞ? 体脂肪は燃やされているのかい?
ウソかホントか知らねえが、コロナに茶が効くってのは本当かい?
……ん? 待てよ。
思えばこの一年は大した風邪も引いちゃいねえ。
馬鹿は風邪を引かないというが、なんやかんらで皆勤賞だ。
ほう、ご利益は、俺はもう貰っているのかい?
そうやって、鞄に入れてあったペットボトルを見つめた。
もうかまわん、そういうことにしておいてやろう。
それから解放され、終わったところで茶を……と、思ったところで慌てて仕舞う。
そうだった、と歯科医の指示を思い出す。
「三十分間は何も食べないでくださいね」と。
涼しいを通り越した冬、冷蔵庫には緑茶が寒そうに待っている。
だが、常備はしてもなかなか手が伸びねえ。
ただでさえ執筆に必要な指先は冷えてるってぇのに、そっから口には思うように入らねえ。
こういう時、店で注がれる茶がいいもんだ。
飯を待つ間、湯呑みからほうっと沸き立つ湯気、かじかんだ手に感覚を取り戻す温もり。
ずずずず……。
と、熱すぎてつい小さく音が出ちまった。
手と胃を温めたら、それが冷めねえうちに帰路に着く。
二十のページを確認し、次の描写は抗争前夜の一幕だ。
まったく、書き手は腹を満たし、ほっこりしているというのになんというタイミングだ。
野郎ども、飯店に行くぞ。
そして冷めた身体から戻り、冷静を取り戻すんだ。
そして、この抗争を、暖房と加湿がきいた部屋での宴会様相に変えるんだ!
俺はそうしてシリアスから局面を一転させ、翌日に紙の上の野郎たちをさらにあたふたさせるドタバタ劇へと発展させた。
ふと気がつけば、一年が経つ。
季節外れの暑い春に、俺はやっぱりしがないままで、すぐ傍には緑茶を置いている。
俺は、変わったのか?
それとも、変わっていないのか?
そもそも変わりたいのか、変わりたくないのか、今でもはっきりとはわからねえ。
だが、ひとつだけわかったことがある。
俺は、流れに逆らわないということだ。
人生にも物語にも切れ目はねえ。
動機も好みも習慣も、今の出来事は過去の延長だ。
作家を志すこと、大物になる夢を見ること。
悠久の時を刻む、親父たちの空間が好きなこと。同じ味の茶を飲み続けること。
早いか遅いかはあっても、そこに突然変異はない。
ゆっくりだっていい。
人生という川の流れを、俺は止めることも、早めることもしない。
どんでん返しは話の、究極の見せ場だけでいいのだ。
そう思ってまた俺は夜の執筆に入ろうと、机にあるお茶を飲み干した。
が、そこで唖然とする。
明日はゴミの日、ペットボトルを捨てる日だ。
しょうがねえと、俺はそこかしこに溜まっていたペットボトルを集め、それを執筆中の主人公を真似して潰しにかかった。