2話:アイツ
俺は殺した死体を前にしながら、情報端末を用いてある相手へと連絡を行う。
簡素な呼び出し音が部屋に鳴り響く。
「君は相変わらず度し難い」
俺が何か口を開く前に開口一番にそう告げられた。度し難いという事には反論が沢山出来るが今は早く此処から脱出しなければならない為置いておく。
「今は関係ないだろう? 虎太郎。それよりも…」
「虎太郎は止めたまえ! 秘匿回線だとは言っても、誰に聞かれているか分からないと言ったのは君だろう!? いくら君が度し難いとしてもそれぐらいは守ってもらいたいものだ!」
少し高めの声が俺の耳を貫き、思わず顔を顰めてしまう。
「あぁ、すまない。ラプラス。此処からの逃走経路をナビゲートしてくれ」
「ふんっ! 逃げたいのならば10秒以内に部屋の窓から出るといい。面倒な事になるぞ」
淡々と告げられた言葉の内容を理解するために1秒。部屋に存在する窓を探す事に2秒。窓に駆け寄る事に3秒。窓が開かない事に気づき、蹴破る事に4秒掛かった。
ギリギリ身を投げ出す事に成功した俺。
しかし、窓から飛び降りる瞬間。
壁が破壊される轟音が響く。俺は横目で壁を蹴破り、部屋に突入するアイツの姿を見た。
アイツの姿は一瞬しか見えなかったが、アイツと目が合ったことは確信できた。
「やばっ! 早く次の逃走経路を!」
情報端末に話しかけながら俺は重力に従い、落ちていく。俺が飛び出した階は5階。普通の人間ならば、まず助からない。
「力を貸してくれ」
一発の銃弾を拳銃に装填する。これは特別な銃弾。俺が人外のような連中が溢れる世界で人外のような力を用いる為の銃弾。
撃鉄を起こし、トリガーを引き絞る。一瞬、奴の言葉を思い出す。
『俺と契約したお前の最期はきっと悲劇的だ』
我に返り、奴の言葉を振り払って引き金を引く。銃声はしない。音も無く発射された銃弾は空中に放たれた。しかし銃弾は反射したかのように方向を変えると俺の胸に当たる。痛みは無い。
むしろ全能感で俺の体は満たされる。途方もない力。銃弾が当たった胸を起点として力が溢れる。
漲る力は指向性を持ち、黒い靄を形作る。靄は関節や手足に纏わりつく。
しっかりと纏っているかを確認する。この間にも地面は迫ってきている。
俺は靄を纏った足で地面を踏みしめる。何かが砕ける音がする。俺の足ではない。地面が砕ける音だ。
これは人外の力。人が人を超えた力を持ち、魑魅魍魎が溢れた世界における俺の力だ。
「経路は画像で送る。頭に叩き込め」
情報端末に送られてきた画像を確認する。ここからの経路がしっかりと書かれており虎太郎はやはり抜け目がないと思う。
「ああ、助かる。急いで移動しないとアイツが……」
俺がアイツに意識を向け、一瞬顔を上げると5階から降ってくるアイツがいた。
「やばっ!」
俺は轟音とともにやって来た衝撃に吹っ飛ばされた。空中で態勢を整え、両足で着地する。俺はいまだ土煙が上がる場所から視線を離さず警戒する。なぜなら、逃走経路通りに逃げたところでアイツに追いつかれてしまう事が目に見えているから。
「異能統括機構治安維持部隊所属”勇者”だ。お前を殺人容疑で緊急逮捕する」
土煙が消え、白コートに身を包んだ黒髪の若い男が出てくる。そして聞こえてきた言葉。緊急逮捕。異能を違法に行使する、または化け物を使役する人間に対して異能統括機構が保有する特権。警察に代わり逮捕が許可されている。
「黒い靄…… “復讐者”だな?」
こちらに対して憎しみを隠さずに睨み付けてくる”勇者”。俺は裁く人間以外殺しはしないと決めている。この”勇者”に関しては他にも理由はあるが……。
”勇者”や“復讐者”といった名称。これは世間が言い始めた言葉だ。異能統括機構が台頭してきた頃、世間は所属する人間がまるでヒーローのようだと称賛し、名前を付け始めた。それは悪人も同じ事。まるで映画に出てくる悪役だと言い始め名前が付けられる。こんな異常が常となった。“復讐者”と名付けられる由来となったことを思い返し、マスクで隠した顔を顰めてしまう。
「……」
「だんまりならそれでもいい。警告だけはさせてもらう。今すぐに投降しろ、投降しなければ痛い目を見てもらう事となる」
俺は拳銃を懐にしまい、靄の調子を確認し先程よりも全身に、濃密に纏わせる。この勝負は単純だ。俺が消耗しきってしまえば負け。”勇者”を戦闘続行不能に出来れば俺の勝ち。
俺が戦闘の意思ありと確認した”勇者”の手にはいつの間にか半透明の剣が握られていた。剣は暖かい光を纏い、正に”勇者”という名前にふさわしいように見えた。
そして戦闘はいきなり始まった。互いに合わせるはずもないが同時に踏み込み、俺は
拳を、”勇者”は剣を振るった。
俺と”勇者”の戦いはこれで2回目だ。前よりも”勇者”は強くなっている。前は俺が圧倒していたはずなのに。
拳を振るっても適格とまではいわないが、難なく防御され反撃される。攻撃に関しても前より剣技が鋭くなっている。だが、俺はまだ対処できる。靄は俺の肉体を補強するだけでない。靄を圧縮すればするほど重くなる。
拳の靄を圧縮し斬撃にぶつける。剣は俺の体を切り裂く事無く、砕ける。
「なっ!?」
”勇者”は俺の拳の威力が急に上がり、自分の剣が砕けることを予想しておらず、一瞬動きが止まる。俺は隙を逃さず、殺さない威力で体に一撃を叩き込む。
「ぐっ!」
”勇者”の体は地面に倒れこむ。動かない姿を見て一瞬心配になる。しかしすぐに起き上がろうとする”勇者”の姿を見て少しの安心と恐怖を覚え、闘争を開始する。
”勇者”の執念を恐れつつ、アイツの心配をしてしまう。なぜなら……。
「なんでアイツが治安維持部隊なんてやってるんだか……」
アイツは同じ学園に通う俺の親友なのだから。
俺のぼやきながらも虎太郎が手配してくれた逃走経路を進み続けた。