第1話「判決」
「判決!被告、木下 銀狼を懲役30年の刑に処す!」
静寂の中、この北海府立裁判所にて、突如叫ばれたその判決を呆然と聞いている少年がいた。
それは裁判所の中央で両手を荒縄で縛られた、齢にして15になったばかりの一人の少年であり…
その、たった今裁判長にその名を叫ばれた少年…木下 銀狼は、全くもって身に覚えのない罪により下されたその判決を、信じられないといった目で漠然と立ち尽くしていた。
なぜ…どうして…
きっと、今のギンロの頭の中にはその想いが駆け巡っているに違いない。
あんなにも無実を叫んだのに。自分に犯行は絶対に無理だと証明されているはずなのに。
なにせ、ギンロには本当に身に覚えがないのだ。『あの日』もいつもと同じように、日の出と共に家を出て山を降り…
麓の町である東網川町の、母校である北海府立第58中学校に登校し、いつも通りに授業を受け、そして終業と共に学友に別れを告げ、いつも通りの時間に自分の村である白狼岳の松狩村に帰ろうとしていたのだ。
しかし、いつもと違ったのは山を登る寸前…
けたたましい音と共に複数台のパトカーのサイレンが向かってきたかと思うと、何といきなり大勢の警察に囲まれギンロは抵抗する間も無くいきなり押さえつけられてしまった。
そして、その時の警察の言葉はこう…
「16時12分、被疑者確保!」
ギンロには意味がわからなかった。
なぜ警察が自分を捕まえたのかも。なぜ手錠をかけられ連行されるのかも。
連行される中で、一瞬この警察は偽物で自分は誘拐されたのではないかともギンロは思ったものの…
けれども、連行された場所が間違いなく北海府東網川警察署であったことから、ギンロはこれが本物の警察による逮捕であるのだと理解してしまったのだ。
そして、警察の取り調べ…とは名ばかりの、不機嫌な中年刑事による恐喝にも似た一方的な罪の押し付けを聞いた時に…
ギンロは、自分の耳を疑った。
「お前の母親の死体が見つかった!お前がやったんだろう!」
またしても、ギンロは意味がわからなかった。
母が…死んだ…
なんで…どうして…
嘘だ…そんなわけない…
真っ白になったギンロの頭の中で、そんな思いがぐるぐる回った。そう、中年刑事が何を言っているのかを、取調べの時点でギンロは理解できておらず。
また、そのまま言葉を無くしてしまったのが警察にとっても都合が良かったのか、即座に取り調べが打ち切られたかと思うとそのままギンロは留置所に入れられてしまって…
…そして翌日、弁護士を名乗る若い男との対面によって、ギンロは更に驚くべき事実を聞かされた。
その弁護士が述べた内容はこう…
1、昨日の昼頃、木下 銀狼の母親である木下 美雪が自宅のリビングで何者かに刺されなくなっているのが発見された。
2、第一発見者は隣の家に住む老夫婦の夫。
3、その第一発見者の老人によれば、発見の少し前に隣の家から口喧嘩のような声が聞こえてきたという。老人はまた母親と息子がいつものように親子喧嘩でもしているのだろうと思い放っておいた。
4、その後、老人が自宅裏の畑に行った帰りに、木下家に野菜の差し入れをしようと庭を横切りリビングへと目をやると、木下 美雪が倒れているのを発見し警察と救急を呼んだ。
5、駆けつけた警察により、木下 美雪が死亡しているのが確認された。老人の証言から警察は犯人を息子の木下 銀狼と断定。即時逮捕に踏み切った。
…との事だそう。
果たして…その弁護士の説明を聞いたギンロはその時一体何を思ったのだろう。いや、きっと馬鹿げていると思ったに違いない。
…なにせ犯行時刻、自分は学校で授業を受けていた。それは大勢の学友及び教師が目撃しているはずだし、なにより自分には母親を殺す動機がない…と。
ギンロにとって、母と口喧嘩するのなんて日常茶飯事。思春期特有の反抗期真っ只中にあるのだから、ふとした事で言い合うことなんて日常的なことであるとは言え、それが勢い余って刺し殺すなんてことをするわけがなく。
また、それは隣に住む老夫婦だってわかっているはず。なにせ老夫婦はギンロのことを生まれた時から知っているのだし、なんなら母親の美雪のことだって子供の頃から知っているはずなのだから…その老人もまさか、自分のふとした発言によってギンロが逮捕されたなんて思ってもないはずだろう。
だからこそ、ギンロは弁護士に自分の無実を訴えた。
物理的に自分に犯行は無理だということ。たった一人の肉親を殺すはずがないということを必死になって。
…そうだと言うのに、弁護士からは罪を認めることで刑期をなるべく軽くする事を勧められる始末。
また、通常であれば罪が確定するまで時間がかかるはずの裁判に、ギンロは逮捕から3日という短さで召喚されてしまったのだ。
それもこれも、凶悪犯即時撲滅を掲げるこの日ノ本国の特例憲法により認められた、通称『特級警察』の『特別警法』による超短期裁判による早技であり…
100年前から続く世界経済の困窮により、増え過ぎた犯罪者を即時収監し国の治安を守るという大義名分の元、政府により力を与えられた『特級警察』による逮捕即収監は、一度捕まってしまえば覆すことのできない絶対的な判決となってしまう事はその道の者であれば常識中の常識でもあるのだが…
まぁ、若さゆえにそんなことなど知らぬギンロは、自分が捕まったことに対してどこまでも自らの無実を証明し続けた。
そう、誰がたった一人の家族である『母親』を殺すものかー
父を知らず、これまでずっと母と2人で生きてきたギンロにとって、母はかけがえのない唯一の肉親。
厳しくも優しく、そして強く気高い母親はギンロの誇りでもあったのだ。
喧嘩をするのも愛情の裏返し。それをお互いに理解しているからこそ、口喧嘩をしても尾を引く事はこれまでだって一度もなく…
だからこそギンロは弁護士にも、警察にも、そして連れて来られた裁判所の中央で裁判官達にも自分の無実を叫び続けた。
自分に犯行は無理だ。
真犯人を探してくれ。
誰が母を殺したのかちゃんと調べてくれ。
そもそも本当に母親は殺されたのか。
本当なら母の死体と合わせてくれ。
自分は母親を殺してない。
…と。
しかし…
「判決!被告、木下 銀狼を懲役30年の刑に処す!」
下された判決はこの通り。
それは裁判が始まってすぐのこと。ギンロの必死の叫びも虚しく、裁判官が罪状を述べ終わった直後にその判決は下されてしまった。
だから、ギンロは呆然としてしまっている。
なぜ、誰も話を聞いてくれない…どうして、何もしていない自分を犯人だと決めつけているのか…
真っ白になった頭の中で、未だ信じられない母の死だけが深い悲しみとなりてギンロの心を抉り続け…
そのまま、呆然としているギンロは両手を縛っている荒縄を警察に引かれながら。
「被告人、木下 銀狼を白狼刑務所に収監する!」
遠くに聞こえる裁判官のその声が、ギンロの耳にひどく反響しているのだった。




