かくれんぼ
かくれんぼ
西津 紀夫
暑い日が続くある日の夕暮れどき、遠くから聞こえてくる子供たちのはしゃぎ声を耳に
しながら、布団の中でうつらうつらしていた。灰色にかすむ、夢か幻かはっきしない子供のころの記憶が、ほどよい心地でぼくを包む。
♪もーう、いいかい まーあだだよう。
もう、いいかい もういいよーう。
ぼくは両目を覆った手をパッと開き、蜘妹の子のように散らばっていった仲間を探そう
として、呆然となった。なにもかも、いままでとことごとく異なっているではないか。木々の中に隠れるようにして立っていた鎮守のやしろも、眼下に一面に広がっていた畑や田。それらはすっかり消え去り、代わりに、コロニアルっていうのか、原色の屋根をもつ家々が所狭しと軒を並べている。
ぼくは両親や妹が侍つ家を、それこそ必死になって探しまわった。しかし、わが家はど
こにも見当らず、とうとう袋小路にぶつかってしまった。
「すみません。ぼくの家、赤レンガ造りの家で、たしかこの辺りにあったと思うんですけど…、知りませんか?」
庭先で洗車していた五十前後の太鼓腹をした男は、「こいつ、少し、頭、おかしいんじゃないか」というような顔をしながら、ガレージの中へ入っていった。
無理もない。自分の家を尋ねる方が悪いのだ。しかし、顔も名も知らない人間に尋ねな
ければならないまでに、追い詰められていた。
今度は大学生風のほっそりした人に尋ねた。
「ああ、赤レンガ造りの西洋館みたいな家ね。それだったら、向こうに見えるあの山ネ、
あの麓近くにあったと思うよ」
ぼくは教えられたままに、山に向かって舗装された道をトボトボ歩いた。
「以前は舗装などされてなかったのに……。ほんと、あんな所に自分の家があるのだろう
か」半信半疑のまま歩いて一時間あまり、やっとのことで赤レンガ造りの家にたどり着いた。
しかし、大きな建物は自宅どころか、病院で、入り口の看板には「精神神経科」と記さ
れてある。鉄格子がはまった窓からトローンとした目の人が二、三人、こちらを見つめて
いる。元の場所に引返すことにした。
「おばさん。ぼく、自分のウチを探してるんです。赤いレンガ作りの小さな家です。たし
か、このあたりにあったはずなんですけど……」
恐る恐る尋ねた。が、キリギリスのようにやせて神経質そうな女性は、ぼくを一瞥し、
「知らないね」
車のドアをバタンと閉め、排気ガスを顔に吹きつけながら立ち去った。
と、そのとき、道の反対側から一人の太った老婦人が歩いてきた。見覚えがあった。近
くのおもちゃ屋のおばさんであった。
「おばちゃーん」ぼくは走っていって、おばさんの手を握りしめた。
「ぼくの家が分からないんだ」
「だーれ?、あんた」おばさんは握った手を、冷たく振りほどいた。
「ぼく、ぼく、ヨシオだよ。いつもおもちゃを買いにきていた西村好夫だよ……」
「うちはおもちゃ屋なんかじゃないわよ。これからファッションショーに行くの。急ぐか
ら、またね」
おばさんはおもちゃ屋さんと聞いて、プライドを傷つけられたように表情を硬くし、肩にぶら下げたタヌキのぬいぐるみのようなものを誇張するように右手で左右に振り、道の先に停めてあった大きな黒塗りのクルマに乗った。
悲しかった。まるで、竜宮城から戻ったばかりの浦島太郎であった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。何か悪いことでもしたというのだろう
か。
そういえば、思い当る節がないでもなかった。皆とかくれんぼをするうちに、隣に住む
田津おばさんに道ですれ違った。
本来ならおばさんに、「おめでとうございます」っていうのが礼儀だろう。だけど、ぼくは知らん顔をしていた。
田津おばさんとこの吉男くんは三日まえ、全国作文コンクールに入選していた。そのコ
ンクールにはぼくも応募していた。しかし、ぼくは落選してしまった。悔しかったから知らん顔をした。そのため、バチが当ったのかも知れない。暮れなずむオレンジと灰色の雲の混じった空を見つめながら思った。
「吉ちゃんごめんね。ぼく、すなおになれなかったんだ」
瞳からこぼれる大粒の涙と鼻水を、両手でズルズルこすりながら、両親の待つ家を探し
て、さらに歩いた。
西の山の端に傾いた太陽も光を失い、夜気が足もとから次第に迫ってくる。家の窓から
こぼれる楽しい笑い声が、いっそうぼくを孤独にした。小路にぶつかっては引き返し、引
き返しては、ふたたび袋小路にぶつかった。どうしてよいか分からない。とうとう、ぼくは道端にしゃがみこんでしまった。
そのときだった。視界がにわかに開け、まっ黒にふれあがった大海原が突然、目前に広がった。ぼくは、しばらく沖をながめていた。海は黙して、悲しさも不安もことごとく遠
く彼方へ運び去ってくれるようであった。
遠くで二、三、イカ釣り漁船の灯りに似たものがチラチラ輝いている。少しずつだが、
こちらへ向かってくるようでもあった。
「なんだろう?」目を凝らしていると、漁船のような灯りは岸に向かってさらに近づいてくる。
やがてそれは、ぼくが立っている岸辺からわずか数十メートル離れた岩に、ゆっくりと
舷側を寄せた。
しばらくすると、どこかで、だれかがぼくに声をかけた。
「もういいよー」
振り返って、声の方を見つめた。
「あ、な、た……」
リズミカルな声は妻であった。彼女は微笑みながら砂浜の上に立っている。ぼくはいま
まさに、玉手箱を開いた瞬間の浦島太郎だった。
「もう、いいよー」
しばらして、暗闇の中から娘が現れた。続いて息子、そして次女が……。
ただ、生まれたばかりの次女の小さな顔や手足を見たとき、一瞬、体が硬直した。重い障害をもって生まれてきたのだ。
「皆でいっしょに、力いっぱい生きようね」三人の子供をしっかり抱きしめ、それぞれの誕生を祝った。
大きくむくんだ顔に、満面の笑みを浮かべた次女。ぼくは、彼女の将来の幸せを祈りつつ、なんども抱きしめた。
漁船が放つ明かりのようなものは、いまはすでに波間にはない。東の空が次第に白んでくる。
完