第3話「シヴュラとマスター」 5
二時間後、アルスの部屋で明日についての打ち合わせが行われていた。
「明日の朝に現地協力者が来るからその人と合流して調査開始の手はずだけど」
「この先の国境付近の山中で不審なMAが目撃されているが、国境ギリギリであるので帝国の正規軍は動けない。なので我々で調査して場合によっては殲滅も行う訳だな」
言葉で言うと簡単だが実際は中々にややこしそうだ。
「ここまで来てなんだけどルーテシア、問題無い?」
「ああ、公国の不利益にならなければ問題無い。仮に不審MAがベラージの正規軍であったとしても国境を侵している訳だしな」
「流石に相手が他の国の軍隊だったら交戦はまずいよね」
「明日合流する協力者の判断を仰いだ方が良さそうですね、恐らくはトーション武官よりも上位かそれに通じている人間のはずですから」
スーの言葉で気が付いたが、そう言われてみると協力者とやらの情報が殆ど無い、どういう立場なのかどころか性別や年齢も不明だ。
「しまったな、もっと詳しく聞いておけば良かったか」
「まあ、明日になれば分かりますよ」
リリウムにも意見を聞こうと視線を向けると彼女は少し表情が硬い気がする。
「リリウムはどう思う?」
「…そうですね、スーと同じ意見です。こちらで判断はしない方が良いでしょう」
彼女もスーと同じように協力者の判断を聞いた方が良いとの意見だった。
「よし、ならそうしよう」
やはりリリウムは元気が無い気がする。
道中はそんな事は無かったはずなのに…。
「夕飯食べようか、下は酒場だし食事も出るだろ」
「うむ、そろそろ腹も減ったしな」
これで少しはリリウムが元気になると良いのだが、とアルスは考えていた。
一階に降りると夕方になった事もあって酒場は賑わい始めていた。
というよりテーブルの大半が埋まっているようだ、中々に人気があるのかもしれない。
店員に案内されてテーブルに座ると例の女性のすぐ近くだった。
あれから2時間以上が経過しているのに女性はずっと飲んでいたのだろうか?同じ席に座って今は煙草を吸っている。
テーブルに座って料理を注文するとまた女性がこちらを見てきた。
「やあ、君達も旅人かい?」
遂にというべきか女性が話しかけて来た。
「ええ、まあ」
アルスが当たり障りない回答をすると女性は少しニヤっと笑った。
「そっかぁ、でもさぁ剣をぶら下げてシヴュラを連れてる騎士が二人で只の旅人って事は無いよね」
「!」
女性はリリウムとスーがシヴュラである事を看破し、それを連れているアルスとルーテシアがライダー・ナイトである事も分かっているようだ。
確かにシヴュラは特徴のある服を着ているし、アルスも帯刀したままなので見る人が見ればすぐに分かる。
「お?その顔は当たりかな、少年」
女性はニヤニヤと得意げに笑っている。
そうしていると飲み物が運ばれてきた。
「それじゃまぁ、出会いを祝して乾杯♪」
こちらの飲み物を確認すると女性はジョッキを掲げて乾杯した。
それから独特な雰囲気と語り口を持つ彼女とは意外にも楽しく話せている。
どうやら彼女は風来坊の旅人で帝国内の美味い酒巡りをしているそうだ。
このタボルはビアの生産が盛んで美味しいと聞いたのでやってきたのだと言う。
アルス達のテーブルには色々な料理が並んでおり、野菜の酢漬けや鳥の香草焼きにスープ、蒸しパンなどどれも美味そうだ。
実際リリウムは興味深く料理を見た後に香草焼きを食べて顔を緩ませている。
「それで、君たちは何をしに来たんだい?物見遊山じゃあるまい」
何杯目か分からないビアを飲みながら彼女は聞いて来た。
「我々はとある仕事で来たのだ、詳細は話せんがここの民にとって悪い事では無い」
ルーテシアはそう濁した、まあ嘘では無い。
「ふーん、民ねぇ…」
女性はそれをあまり信じていないのか読めない微妙な表情だ。
「ところで、貴方の名前は?」
アルスは名前を聞いていないなと思い、それを質問した。
「ん?私の名前?言ってなかったかな?私はミス…ミミだよ」
彼女はミミというらしい。
「ではミミよ、貴公こそ旅人というのは本当か?この街は通行証が無いと入れんはずだが?」
ルーテシアはミミを疑っているようだ。
「通行証は大きい街の役所とかで発行してくれるよ、一応はちゃんとした帝国国民だからね私も」
「だとしてもだ、女の一人旅など普通はしないぞ」
「これでも旅には慣れてるからね、そういう輩の相手も慣れたものなのさ」
どうも彼女は飄々としていて掴み所が無い。
「ところで君達、酒は飲まないのかい?ここのビアは中々だよ?」
彼女はジョッキを掲げると酒を勧めてきた。
「明日は仕事なんで」
「そうだな、体調を崩すかもしれん」
アルスとルーテシアは仕事を理由に拒否し。
「マスターが飲まれないのでしたら私も」
「そうですね」
リリウムとスーはマスターが飲まない事を理由に断った。
「連れないねぇ、折角のビアなのに」
女性はジョッキに口を着けると一気に飲み干した。
「ごくごく…ぷはー」
とても良い飲みっぷりに少し感心してしまう。
しかし、一体どれだけ飲んでいるのか知らないが顔色は変わらないし酔った感じも全く無い…恐ろしい程に酒に強いようだ。
「さてと」
ミミは店員を呼び止めると会計を頼んだ。
お代を払うと彼女は立ち上がった。
「それじゃあ、私はこれで失礼させて貰うよ」
立ち上がった彼女はやはり背が高い。
アルスよりも高く180cm近い長身だ、女性でこれ程の身長を持つのは珍しいだろう。
帰り際にミミはアルスに近づくと耳打ちするような距離で話しかけてきた。
「また会おう少年、頑張り給えよ」
酒と煙草と香水の混じった独特の芳香…間近で見る彼女は相当な美人でその体つきや雰囲気は同年代の女性より強く異性を感じさせる。
やや中性的な印象を受ける顔は本音が読みにくく、幻想的な魅力がある。
動きやすいのだろう短めのパンツルックの下に穿かれたタイツは彼女の長い足を引き立たていて蠱惑的ですらある。
大人の色気というものだろう、それに当てられたアルスは返事も出来ずその場で固まってしまった。
アルスが呆けているとルーテシアは露骨に機嫌の悪そうな顔をした。
「おお!なんだよ綺麗な姉ちゃんじゃねえか!!よう!俺と飲もうぜ!」
すると店から出ようとする彼女に酔っ払いが絡んで行った。
恐らくは傭兵だろう、がらの悪い男で馴れ馴れしくも彼女に触ろうと近づく。
その瞬間、男はバランスを崩して転倒し背中から倒れ込んだ。
「痛てぇ!!」
いきなり転んだ男を見て仲間の傭兵らしい連中は爆笑し始めた。
「おいおい!何やってんだ!」
「飲み過ぎじゃねーの?」
「良い女だから口説くって!それじゃあ話にならねえだろう!」
ゲラゲラと笑う連中など意に介さず颯爽と歩くミミは扉を開けて出て行ってしまった。
アルスは反対を向いていた事と呆けていた事で気が付かなかったがルーテシアは、はっきり見ていた。
ミミは触られそうになった瞬間に恐るべき速さで男の足を払ってから上半身に一瞬だけ触れてバランスを崩して相手を転倒させたのである。
凄まじい速さと流れるような自然さから男は転ばされた事にすら気づいていない。
ただ単に転んでしまっただけだと思っているはずだ。
ルーテシアにもその動きを完全に追う事は出来なかった、それ程に早く洗練された技であった。
「(あの者やはり只者ではなかった)」
額に冷や汗が浮かんだ。
あれ程の使い手に対して無防備に食事をしていたのだ。
もしミミがその気なら自分やアルスを殺れたかもしれない。
「どうした?ルーテシア?」
そんな事など知らないアルスはキョトンとしている。
「馬鹿者め、どうやらあの女は恐ろしい使い手のようだ」
ルーテシアから見れば鼻の下を伸ばしていたアルスに呆れつつ、ミミが恐ろしい使い手である事を彼に伝えた。




