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短編版:アンブローズの花~私は絶対王妃になんてなりません!~

作者: 梶村

書いてみたかった悪役令嬢もの。出てくる人物は主に2人なうえに性格が悪いです。

アンブローズの花~私は絶対王妃になんてなりません!~


ヴィヴィアンは激怒した。かの邪知暴虐の父から、そして傲慢極まりない王太子から逃げねばならぬと決意した。

「でもヴィー、その決意何度目?」

「おだまり、エム!」


◆◇◆


ヴィヴィアン・クロムウェルはティンダル王国クロムウェル公爵の嫡子である。輝く美貌と素晴らしいスタイルを持つ彼女は王国王太子・サミュエルとの婚姻を待つ身である。

たが、彼女は知っている。その婚姻は成ることがないどころか王太子の手によって公爵家は没落、そして自分は『他国の王女殺害未遂容疑』によって処刑される運命を。


事を知ったのは16歳の誕生日。無事デビュタントを終えた。あとはこの社交界で存分にとりまきを増やし、遠くない未来に王妃として贅を尽くす―そう思っていたその日の夜、彼女は倒れた。突然頭に振ってきた情報量に、柳のような彼女の体が耐え切れなかったからだ。


前世の常識・知識―まるで妄言のようだが膨大な量の記憶が降ってきたのだ。ヴィヴィアンの前世はこの時代ではなかった。この時代どころか、この世界ですらなかった。彼女は日本と言う極東の島国で、今よりずっと科学技術・機械技術の発達した世の中で、なんと働いていたのである。しかも少し不憫で不運で不遇な身の上で。26歳で亡くなった彼女の趣味の一つがロマンス小説だった。そして、その愛読書の一つがまさにこの世界について書かれた本だったのである。

 そう、ヴィヴィアンが生きているこの世の中はどうやら前世の彼女・天内舞香の知る紙の上の世界だったのだ。


「冗談でしょう」

 目が覚めて、その事実を理解できるようになってから深いため息を吐いた。ふと首を横にして、叫んだ。

デビュタントの後に王太子からお祝いだと送られた翡翠の首飾り。それがかの本で処刑された公爵令嬢の象徴、クロムウェル公爵令嬢の首飾りだったからだ。


 この世界のことが描かれたその小説は『リリスの花道』というタイトルだった。タイトルの通り、リリスという少女がヒロインである。

 ヒロインのリリスはティンダル王国シートン領の子爵令嬢である。彼女はデビュタントの時に王太子と運命的な出会いをする。

段々と二人は思い合う様になったが、その事実を傲慢で高慢な王太子の婚約者、クロムウェル公爵令嬢が知ってしまい、彼らの中を引き裂こうとリリスを誘拐、隣国の帝国に置き去りにする。実はこの置き去りにした帝国の皇帝の兄がリリスの実の父親で、彼女は隣国の王女だったのだ。兄を慕っていた皇帝はリリスを王女として迎え入れ、王女となったリリスは王太子との結婚を望む。同時期に愛するリリスが公爵令嬢によって誘拐されたと知った王太子は公爵家を徹底排除することを決定・実行する。もともと汚職と不正にまみれていた公爵家はあっという間に証拠を掴まれ没落、公爵令嬢は隣国の王女の拉致殺害未遂により処刑される。隣国の王女となったリリスと王太子は無事結ばれ、ハッピーエンドを迎える。


 そして王太子の名前はサミュエルなわけで、ヴィヴィアンと婚約しているティンダル王国王太子サミュエルと同一なのである。そしてファーストネームは出てこないがクロムウェル公爵令嬢は首飾りを見るに絶対に自分のことだ。


「前世ですら結婚できずに殺され、現世でも結婚できずに死ぬなんて冗談じゃないわ!」

 あまりの現実に、ヴィヴィアンは人目もは言葉にならない言葉をまき散らして泣いた。その声に慌てて部屋に入ってきたメイドは、倒れたことに癇癪を起し、使用人に当たり散らすと思っていた為、ずっとひとりで泣きわめくその姿に困惑した。

 あまりに異常だったのか、メイドは医者を連れてきた。泣きはらした顔のヴィヴィアンを見た医者は、心の疲れと判断し瀉血した。

 血を抜かれ、薄れゆく意識の中、ヴィヴィアンが思ったことはどうにかして生き残りたい、それだけだった。


 二度目の気絶から目を覚ましたヴィヴィアンは、まず自分の置かれた状況を整理することにした。嘆くにも涙は枯れ、怒ろうにも血は頭まで上がってこなかったからだ。

 作中で、クロムウェル公爵令嬢はとても傲慢で、癇癪持ちで、自分の事以外を虫けらのように思っていて、王妃になったらこれ以上の贅沢三昧をしてやることばかり考えている人でなしだ。


「やだ、そのままじゃない」

 ヴィヴィアンは思わず自分の口に手をやった。心当たりしかなかった。

ヴィヴィアンがいつも当たり散らすから使用人はいつも彼女の顔色を伺うし、自分のお気に入りのメイドと言えば常にイエスマン。それは社交会で会うご令嬢も同様である。自分を遠巻きにしている令嬢を、王妃になったら思いっきり冷遇してやるとすら考えていた。

クローゼットには毎月新着するドレスにがずらりと並び、大ぶりな宝石がついた首飾りやブローチがキラキラと所狭しと並べられている。

「この人望の低さじゃ、死んでも誰も助けてくれないわ。かといって使用人に媚びへつらうなんて絶対いや」

いくら前世の記憶と性格が混ざったとはいえ、ヴィヴィアンはヴィヴィアン。16年間培った性格について、前世は客観視できる程の視野の広さはくれたが、根本を変える程の強さはなかった。

 つまり、まだヴィヴィアンは高慢ちきでメイドと自分を同じ人だとは思えないのである。

「うーん、追々どうにかするしかないわ、幸い2年あるもの。農婦だって同じ人だと……思えるようにするわ」

 絵画の農婦とのにこやかな会話想像しただけで言いようのない嫌悪感が胸に広がった。そもそも言葉が通じるのだろうか。ヴィヴィアンは本気でそんなことを考えていた。先は果てしなく長そうである。


 次に、ヴィヴィアンは家の状況を理解しようとした。


 ヴィヴィアンの生家、クロムウェル公爵家はティンダル王国が成立したときに最も貢献したと言われる七公爵家の筆頭である。そして現在まで栄光を保っている唯一の公爵家だ。最近はノース伯爵が台頭してきているが領地・権威・軍事ともにまだ王国一である。まだ、と着いてしまうのは、あと2年でノース伯爵家がクロムウェル公爵家を没落させることを知ってしまったからだ。

 まさかの2年。百年の栄光が、まさかの2年で斜陽どころか常闇だ。お先真っ暗とはまさにこのこと。

 しかし、現状を把握しようにも公爵領の経営についてなど、公爵が女に教えるはずがないのである。所詮貴族の娘はお家繁栄の道具であり、数字を覚えるくらいなら愛想を覚えさせるのが定石。

ヴィヴィアンもその例に漏れず、歴史よりもダンス、読書より絵と刺繍が得意であるし、数字など簡単な計算もおぼつかない。

 しかし、ヴィヴィアンには前世の知識がある。前世は領地経営などしてはなかったが、ヴィヴィアンよりはるかに数字についての知識があった。もしかしたら、彼女の知識で読めるかもしれない。


「エム!」

 ヴィヴィアンはお気に入りの扇子をぱちんとたたみながら声を張り上げた。

「なんだい、ヴィー。王太子の好きな食べ物? それとも王太子の好きそうな女の子の傾向かな?」

 ヴィヴィアンの陰から出てきたのは黒いローブを着た男だ。目を布で覆っており、見えるのは形の良い鼻と、妙に口角のあがった薄い唇。明らかに不審人物ではあるが、ヴィヴィアンはこの男を信用していた。

 彼はエム。ヴィヴィアン専任の影だ。名前はヴィヴィアンも知らない。

クロムウェル家は代々、影と呼ばれる特殊部隊を所有している。クロムウェルの姓を持つ限り、専任の影を一人一匹飼うことが出来るのだ。

エムはヴィヴィアンが5歳の頃選んだ影で、ヴィヴィアンの無理難題をこなし、11年たってもまだ生きている。専任の影は無茶を任されることも多く、死亡してしまう事も多い。そういういみで、11年も生きているというだけで、エムはとても優秀なのだ。


「私は領地経営に目覚めました。経営に関する書類をすべてかっぱらってきなさい」

「何その無理難題……しかもそんなの膨大になるに決まってるじゃん、もっと限定して」

「……没落するとしたらどういう理由で没落するか、わかるものよ」

「は?」

「二度も言わせないで! こんなこと口にしたくないんだから!」

 ヴィヴィアンはとにかく取ってこい、と扇子の先をエムに突き付けた。普段だったら投げつけているので、前世の記憶は多少歯止めを聞かせてくれているらしい。

「……わかったよ、とりあえず持ってくるから」

「必ず持ってきなさい!」

 

豹変、とまではいかなくても軟化した私の態度に周りがざわついているのは知っていたが、まさかここまでとは。

「お嬢様、近頃は使用人へのお心遣い、誠にありがとうございます。お嬢様の優しさに触れることができ、我々は感動で震えております。使用人を代表し、私がお礼を申し上げに参りました」

 ようは、お前最近メイドに対して当たり散らすのやめたんだってな? 癇癪を起して扇子投げつけたり、使用人をひっかいたり、お茶をぶちまけたりしないようじゃないか、どうしたんだ。と、言いたいのだ。家のことを任せていたギュンター夫人はそれをひどく遠回りで二重三重に包装紙に包んだ言葉にして伝えてきた。

おそらくメイドたちの噂の真偽を確かめるために彼女がわざわざ部屋に来たのだろう、ご苦労なことである。

ちなみに、彼女のことは厳しいから嫌いだった以前の私は彼女が視界に入るだけで癇癪を起し、喚き散らしていた。


「……デビュタントも済ませたのだし、わたくしも大人になったのよ。」

 扇子で口元を隠しながらおっとり答えた。

当たらずとも遠からずである。前世を思い出してから癇癪なんて体力の無駄だと気付いたし、なにより必要以上につらく当たられた身はきついと分かったのだ。道理の通らない事で怒鳴られたりなじられることの腹の立つことと言ったらない。まあ、それを16年間やってきてしまったことは謝れないし、謝らないが。貴族の娘が平民に頭を下げることは矜持が許さない。ヴィヴィアンはまだ公爵令嬢なのだ。


「素晴らしいお心がけでございます。お嬢様の安らかな毎日のため、我々も引き続き尽力するさせて頂きます」

「ええ、ギュンター夫人。あなたの素晴らしい手腕に、期待しているわ」

 なにがあったかは知らないけど、癇癪を起すのは金輪際止めてくれるんですね?、という確認だった。ヴィヴィアンはその言葉に、そっちに不手際がなければな当たらないでやるとこちらも遠回り極まりない言葉で答えてやる。

ギュンター夫人は恭しく一礼するとさっさと部屋を出ていった。


夫人が出ていくのを見送ったヴィヴィアンはふう、と小さく息を吐く。前世の記憶ももってしても、ギュンター夫人のことは如何も好きになれない。あの狐のような目で見られると全てを見透かされているようで恐ろしい。2年後の処刑台に向かう時なんかに「わたくしはこの日を今か今かとお待ち申し上げておりました」なんて違和感がない。本でもそんな台詞はないが、全く違和感がないから恐ろしい。あの者が裏切るんじゃないだろうか。


「生きるなら、夫人と仲良くなるのが一番なのだとわかっているのだけどね」

 夫人は厳しいが芯があるキャラクターとして本では書かれていた。いわゆヴィラン側にいるいいやつポジションがギュンター夫人だ。彼女を慕う使用人はたくさんいたような描写もあった気がする。

「ヴィーが夫人と仲良く? 冗談だろ?」

 いつから居たのか。エムが部屋の柱の陰に立っている。口角がいつもより上がっているので笑っているのか。一人だからと吐いた言葉をまさか拾われるとは思わなかったヴィヴィアンは思わず立ち上がってしまった。普段なら、あら、いたの。と優雅に声をかける所なのに。前世がヴィヴィアンに庶民臭さを植え付けたのかもしれない。

「随分コミカルな動きだね。そんなヴィーも可愛いよ」

「冗談はそちらのほうでしょう。で、持って来れたの?」

 美しいと言われたことは数多あっても可愛いと言われたことはヴィヴィアンにとって数えるくらいしかない。それも4つか5つか、それくらいの頃までだ。

 そしてそんな事よりもっと重要なことがある。ヴィヴィアンの睨みをモノともせず、エムは闇色のローブから羊皮紙の束を取り出した。

「僕を誰だと思っているんだい?」

「よくやったわ!」

 ヴィヴィアンは久しぶりに気分が上がった。ダンスを踊りたい気分だ。早速エムが持っている羊皮紙の束をふんだくり、一枚、二枚とペラペラと捲ってみる。

 たくさんの数字羅列と何に使ったかが書いてあった。たとえばこの1枚目。服飾費というのは私のドレス代だろうか、なるほど、なるほど。


「全くわからないわ!」

 全然使えないじゃない、前世の知識!


 ヴィヴィアンは憤った。確かに、数字は読めたには読めた。これが千の位だとか、百の位だとか。上の額と下の額を足していることだとか。でも、それだけだ。

例えば、3,000ルソーというのが服飾費(ドレス代)だというのはわかる。上の2,500ルソーも。そしてそれを合わせて5,500ルソーが服飾費というのも。計算が合っているのも瞬時に理解できる。確かに数字への理解は以前のヴィヴィアンとは段違いだ。

でもこれが高いのか、安いのか、適正なのか、異常なのか、ヴィヴィアンには全くわからないのである。


「そりゃそうでしょ」

 当たり前だ、とエムは飄々と言った。使用人たちが悲鳴を上げるようなヴィヴィアンの睨みをもってしても、彼は怯えどころかニヤリと笑っているだけだ。


「ヴィー、そのお洋服はどこで買った? 大方『これにして頂戴』といって布の生地と色を決めただけでしょ。その首飾りは?『これがいいわ』て手に取っ玉守って帰ってきたんじゃない? つまりヴィー、君は自分の身に着けているものの値段も相場も何も知らないんだよ」

「うっ」

「そんな君が、領地経営に目覚めた? 税収推移が知りたい? 最初の1枚、この家の一か月の家計簿も読めない君が?」

「ううっ」

 ぐうの音も出ないとはこのことか。何も言えず目を泳がせている隙に、手に持っていた羊皮紙を奪われた。あ、という間もない。さすが影である。ヴィヴィアンの前世がエムの手際に感心している。それどころではない。

 

「…読み方、教えてあげようか?」

「本当!? 素晴らしいわ!」

 早速教えて、とヴィヴィアンが興奮気味に詰め寄ろうした瞬間、エムがこれ以上にないくらいにやりと笑った。薄い唇から八重歯がのぞく。悪魔の化身のようだ。

「その代り、なぜそんなことを言い出したのか教えてくれる?」

「なんですって」

「じゃなきゃ教えてあげられないなあ。ちなみにこの紙、極秘事項だから、次の日が昇るまでに返却しなきゃならない。一枚残らず」

「一日もないの!?」

 50枚はありそうな全く意味不明な紙の束を、半日で読むなど到底無理だ。ヴィヴィアンは自分の服の値段も相場もわからない。読み方を教えてもらってもほぼ不可能ではないか。

「うん。だから教えてくれれば、読み方より、君の知りたい事を教えてあげてもいいよ。出血大サービスだ。でも、その代り言いだしたきっかけを1から100まで教えてもらうよ、何事も取引だ」

「悪魔!」

「影でございます」

 こんな時ばかり敬語なのがいやらしいったらない。化身ではない、こいつは悪魔そのものだ。ヴィヴィアンは奥歯を軋ませながら、しばらく目の見えない男を睨みつけたが、このままでは埒が明かないことはわかっていた。

「……誰にも言わないって、約束して」

 握りしめていた拳を解いて、目のない顔に向き合って言えば、薄い唇がガバリと開いて烏の様に笑った。

「それこそ今更じゃないか!」




 ヴィヴィアンから荒唐無稽な話を一通り聞き終えたエムの感想は一言、なるほどね、だけだった。

気が触れたと言われても致し方ないような話を否定されなかったことはヴィヴィアンの心に少しの安寧をもたらした。

「ヴィーはその子爵令嬢を誘拐しない上、没落の決定打になる不正の証拠を掴み、それをもみ消したいと」

「え、ええ」

「そして自分はのうのうと公爵令嬢として過し、大往生で死ぬまで下々の者を見下して扇を仰ぎながら贅沢三昧して生きたい、と」

「そ、そこまでじゃあ……」

「じゃあ畑耕す気ある? お嬢様って人に傅く気は?」

「……」

 僕の言ってる通りじゃない、とエムは笑った。言葉はどう聞いても馬鹿にされているのに、馬鹿にされていない気がするのは何故だろうか。影のなせる技なのか、ヴィヴィアンは目の前の椅子に我が物顔で座り、羊皮紙を捲る自分の影を見た。闇色のローブから覗く脚は長く綺麗だ。影の癖に。悪魔の化身だからか。

「結論から言うけど、そんな証拠はないよ」

「………は?」

 ない、無い? ないのに証拠があると言っていたのかあの本は。でもそれを言うなら証拠がなくても没落してしまう程脆弱なのか、私の家は。この国一番の貴族だというのに。


 ヴィヴィアンが混乱で落としたティーカップを床すれすれでエムはキャッチすると、残りをゆっくりと飲んで口を開いた。完全に彼のお茶請けは主人の混乱した顔である。


「ヴィーの言ってたことだと、税金を領主がとりすぎていることについて王太子が糾弾するって話だよね」

「そのはずなの、何の証拠をもってそうされたのか、詳しくは覚えてないんだけど」

「そこが変なんだよ。なんで王家が自分の領土じゃない領民についてとやかく言ってくるの?」

「へ?」

「確かにこの国は、全ての領土が王様のもので、貴族連中はあくまで貸してもらってるっていう体になってる。でも、別に領民から幾らまでしかとっちゃいけません、なんて決まりはないよ。なにせ君ら王侯貴族の収入は税収。取れれば取れる程いいのは王様も同じ。下々の者は生かさず殺さず、だよ」

「王様が何で偉いと思うの」

「それは、だって神様がふさわしいとお認めになるからよ」

「そうだよ。他の領地を束ねてるからじゃないよね」

 わかってるじゃない、というエムに、ヴィヴィアンは混乱した。でもあの本では確かに、悪逆非道だから没落したのだ。民を虐げる悪い領主だと。

「でも。じゃあ、どうして没落なんて……」

「それには堪えられると思うよ。まずこれを見てみて。ヴィーはどうやら文字と数字は読めるみたいだから」

 エムはそう言うと、羊皮紙の紙を一枚机に置いた。端々が黄ばんでいて、ボロボロである。相当古い紙のようだ。

少し馬鹿にされたような気がしたが、今のヴィーにそのことについて口に出せるほどの余裕はない。素直に渡された紙を眺める。王家と七公爵、そして単位がわからない数字が記されていた。


「これはそれぞれの領土の広さがかいてある。この中で数が一番大きいのは?」

「王家の領土よ……あら、でも公爵家でうちが一番の大きさじゃないわ」

 列挙は領土順ではなかったが、数字が読める様になったヴィヴィアンはどの数が一番大きいかは分かった。クロムウェル家は七公爵のなかで4番目の大きさだ。

 以前、つけてもらった家庭教師が言ってたのは『クロムウェル家は公爵家で一番の領土を持っています』だったので、ヴィヴィアンは思わず首をかしげた。


「じゃあ次にこれを見て」

 次に出された羊皮紙は比較的きれいなものだった。端もまだしっかりとしている。

「王家が変わらず大きいけど、うちが2番目になってる! うちの領土の数が大きくなってるけど、他の領土が縮んでる?」

「そう。これは50年前に起こった王家の内紛で、クロムウェル家が今の王家側についたから。他の四公爵家は反対側勢力についた。だから領土を減らしたんだよ……で、さらに15年前、カラムの民がいたバッチェ地方が制定されて、褒賞として新たに公爵領が増えた。それが南東の穀倉地帯ルゥルだよ。すると、どう?」


「王家と同じ……いえ、数字だけならむしろ大きいかも」

「そう。つまりクロムウェル公爵家は、王から土地を貰っていながら、王よりも大きい土地を持ってるんだよ。ルゥルが穀倉地帯だったおかげでお金もがっぽり、想定外は君の浪費癖かな、多分ルゥルの収益が君の年間の服飾費になってるんじゃない?」


 さすがに穀倉地帯でなければ賄えない程浪費はしてないはずだ。さすがに。

 そうは思うもののヴィヴィアンは確証が持てない、基準がわからないことが、これほど不安になることだとは。ヴィヴィアンは初めて自分の金遣いを恐ろしいと思った。


「今の王様は、本当は君を息子の婚約者になんてしたくなかったはずだよ。前王の時の借りがあり、15年前のバッチェ地方の借りもあるんだ」

「なら、バッチェ地方を制定しようなんて、思わなければ良かったじゃない」

「それは無理な話だよ。さっき君も言ってろ、王たる資格は神が与える。今の王家は聖マール教によって正当性を認められてる。みんなの信じる神様に認められているという根拠に、ね。そしてこの国の近くのマール教の聖地は聖イスベが死んだと言われるバッチェのノイノン。――異教徒・カラムの民からバッチェを奪還したという事が、正当性を増すのにもってこいなわけだ。50年前どころか、王国の始まった100年前からずっと待ってたカラムの民の弱体化。奪還はもはや悲願であり義務だよ。たとえ王家の自前の軍が弱くても、連合軍として進軍した暁に、憎き公爵領に土地をあげなければならないとしても、ね」

「……」

聖マール教。この国どころか、大陸にかつて栄えたマール帝国によって広められた宗教だ。前世の世界にも、似たような大きな宗教はあったようだ。ローマという大きな国と、その国教であった宗教が。もっとも、彼女の生きていた時代は宗教と政治は分離していたらしいが。


ヴィヴィアンにはその感覚が解らなかった。では何を持って王として、何をもって政をおこなうのか。見えざる尊い存在がお認めにならないまま、どうして政が行えるのか、混ざり合った今でもわからない。


(でも、もっとわからないのはエム。どうして、聖イスベを召天なさったと言わないでいれるの)


 目の前の自分の影を見る。肌はどう見ても若者なのに。知っていることは年上の家庭教師のようなのに。言葉は畏れ知らずの野蛮人だ。

 そんなヴィヴィアンの怪訝な様子を知ってか知らずか、顔の見えないエムはそのまま飄々と話を続ける。


 「公爵家としては、まず50年前に筆頭公爵家になって地盤を固めたね。次に15年前、軍事力は健在なことと、王家進出の足掛かりだ。公爵家の軍事力は本当に群を抜いていたし。でも3度目も軍事力とはいかない。なにせ今度は敵は外ではないからね。連合軍を組まれたらさすがに勝機も未確定だし金もかかる。なら、血から染めようと思ったんだろうね。君は公爵家の大事なコマだよ、ヴィー」

「……」

「でも王家だってそんな事態を黙って見てるわけじゃない。現に軍事力は上がった。偶然にも素晴らしい将軍が出てきたからな」

「マクラウド将軍……」

「ヴィーもさすがに知ってるんだ?台頭著しいノース伯爵候、その長子で爵位なし。今は士爵だが、何かの活躍をすれば陞爵されるかもな。たとえば国を転覆させる悪徳公爵家の娘の捕縛とか」

「……」

「まあ僕は、正直体も細く、癇癪持ちで、頭もよくない。そして気の強さと氷のような顔立ち。まあ王女にはいいけど、あまり国母には向かないと思ってたんだ。まあその前に死んじゃうとはね」

 ご愁傷様、と笑う顔に思わず扇を投げつけた。ヴィヴィアンの投擲能力などたかが知れている。エムが顔の前に出した手にあたると直ぐに床に落ちる。顔をかばったエムの手のひらには傷すらついていない。


「お前ッ、私はお前の主人なのよッ!言葉が過ぎるわ!不敬よ!」

「でも、ヴィーの話では2年も経てば王命で断頭台だろ? どっちの方が不敬なんだろうね」

思わずヴィヴィアンはエムの手元に会ったティーカップを投げつけた。ガチャン、と高い音を出してお気に入りだったカップは無残な姿になった。さすがにエムの手のひらにうっすらと血が滲む。

じんわりと赤く滲むそれに、ヴィヴィアンは自身の瀉血を思い出す。こんな人でなしでも血は赤いのか。


「ヴィー、冷静になれ」

「煽ったお前が言うの!?」

「ヴィーの言うことが本当なら、誰もがお前の失言と失態を望んでるぞ。 お前がどこぞの子爵令嬢をどうにかしなくても、公爵家は没落させたい奴らはごまんといるし、実際没落するだろう」

「……」

「さらに言えば、公爵様の次男が海の外の国にいる。どうやらその娘、お前と同年代らしい。つまり公爵様もいざとなったら庇わずトカゲのしっぽ切りをするかもね」

 目の上のたんこぶを取り去りたい王家。公爵家の台頭が煩わしい貴族たち。実子でさえ切り捨てる父。……没落に片足を突っ込みながらも、使用人を対等に思えない私。

 みんなみんな、人でなしばっかりだ。

 

 蹲りたくてたまらない。しゃがもうとしたヴィヴィアンの身体を、エムが支えた。細いくせに力が強い。自分で体を支える気のないヴィヴィアンはそのままエムにしなだれかかった。ふしだらだ、というどこかで警鐘がなるのに、今はその警鐘に従うことが出来ないヴィヴィアンはエムの胸に自分の頬を擦りつけた。応える様にエムの手がヴィヴィアンの細い肩をぎゅっと握る。

「……エム」

「なに」

「お前は私の味方?」

「違うね」

「……っ、」

「言ったろ、僕はお前の影……影は、陽の元でも闇の中でもずっとある」

「そう、そうなのね……」

 ヴィヴィアンはそれだけ言うと、息を大きく吸い、縋るようにくっつけていた身体を押した。

「エム、お前の命私に捧げなさい。 ……影なら、どうせ私が死ねばお前も死ぬのよ」

 せいぜい、私が死なないように努めるのね。

 エムは、目の見えない顔で満足そうに口角を上げて、ティーカップの残骸が散らばる床に跪いて一礼した。


 立たねばならない。

 これから、私に何千の悪意と憎悪が来ても、この足で地面を踏みしめなければならない。

泥水だって啜ってでも、その惨めさを見せないぐらいの麗しさをもって、矜持と歩かねばならない。


 すべては生きるため、生き残るため。

 ヴィヴィアンはこの時、改めて自分がクロムウェル公爵令嬢であることを認めた。


序章部分を試験的に投稿しました。今後本編も書けたらなあと思ってます。鋭意制作中です。

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