第二話◇見合い話①
世の中には鋭い人間もいれば、鈍感な人間もいる。アレクシスは前者であるが、エデルはどちらかというと後者だ。そんな彼でさえ、感じる居心地の悪い視線。
「陛下、何か私におっしゃりたいことでも?」
食後のデザートが長いテーブルの端から運ばれているのを眺めながら、エデルは重い口を開いた。口調が姫らしいのは、晩餐の為の大広間には給仕の人間を始め、多くの城の者がいる為である。
エデルを男だと知っているのは、城の中でもそれほど多くなかった。彼の家族以外でこのことを知っているのは、アレクシスを含むハイゼ家の人間とエデルの乳母一家などのごく一部の人間だけであった。
「なぜそんなことを聞くんだい、エデルトルート」
声が微妙に上ずっていることに国王本人も気付いてはいたが、もうどうにもごまかしようがなかった。
「陛下が私を名前で呼んでくださるなんて珍しい。何か良いことがございました? それとも……」
にこりと天使の微笑み。
「悪いことでしょうか?」
国王の額に汗が一気に吹き出す。
ベルクトには姫が四人――正確には三人だが――いるが、国王は末のエデル以外は名前で呼んでいた。彼を「姫」と呼ぶのは一種の刷り込みもあったのだろう。そんなこんなで、国王は後ろめたいことがある時は、エデルを名前で呼ぶ癖があったのだ。
「いいや、決して悪いことではないのだよ」
「では同じことを母上が同席していても言えますか?」
その言葉に国王はぎくりと動きを止めた。
今この席にいるのは国王と第一王女夫婦、そしてエデルとアレクシスだけであった。第二、第三王女がいないのは、留学などで現在国外に出ている為である。
だが王妃が同席しないのは国外に出ているからでも、体調が優れないからでもない。王妃が晩餐に同席しなくなったのは、国王がエデルの母親を側室として迎えた時からであった。
エデルの母親であるエルフリーデは王妃とは親友の間柄であった。大事な親友を側室として迎えたことに当時王妃が怒り狂ったことは国外までに知れ渡った有名な話である。
「王妃は私がお前のことに関して口を出すと一から十まで反対するではないか」
「反対されるようなことを陛下がしているからでしょう。それにやはり私に関することなんですね」
「うっ」
国王が小さな声で言い訳を述べている間、エデルは好物のぶどうに意識を移していた。言い訳など聞くだけ時間の無駄だ。
エデルがせっせと食べているぶどうはアレクシスが皮をむいたものである。ぶどうの皮にナイフで切れ目を入れ、綺麗にむいてはエデルの皿に乗せていく。エデルにとってぶどうの皮とはアレクがむいてくれるものなのだ。
アンはこの光景から、晩餐時のアレクシスに「エデル専用カトラリー」と言うあだ名をつけていた。基本的には胸にしまってあるが、時々うっかりかわざとか口に出して言うことがあり、彼女の夫に、
「君が私と私の胃の平和を願ってくれているのなら、その呼び名は口には出さないでくれるかい」
と度々泣きつかれていた。
エデルのお腹が果物で満たされ、そろそろ席を立とうかと口を拭いていた時だった。長い言い訳を終えた国王が決心したように顔を上げた。
「エデルトルート、お前に見合い話が来ている」
「見合い?」
「はは、国王陛下。俺がいるというのに見合いなんてご冗談を」
「ア、アレクシス、とりあえずナイフをこちらに向けないでもらえるか」
「これは失礼、ぶどうの皮をむいている最中だったもので」
アレクシスはナイフを置くと、感情のこもっていない薄い笑顔を国王に向けた。
実際、防波堤の婚約者がいてもこういった話はよく持ち込まれていた。だが、そのたびにハイゼ家や国王によって軽くあしらわれていたのだ。
「陛下が断れないほどのところから持ち込まれた話ということですか。もしかして母上の……?」
「ああ、お前の言う通りだよ。王妃の実家から持ち込まれた話でね」
王妃自身はエデルが男だと知っているが、親族はもちろんそんなことは知らない。こういった話はいつ持ち込まれても不思議ではなかったのだ。
「しばらく城に滞在することになるから、少し話をするだけでいいんだ。どうだね」
「いいですよ」
「やはり駄目か……ではなくて良いのか!?」
さらりとした息子の返事に国王は思わず立ち上がった。
一方、アレクシスは少し驚いた顔はしたものの、意外にもいたって冷静な様子であった。
「人生何事も経験ですから。一度くらいはこういったことがあってもいいかと」
エデルは口を拭いたナプキンを机に置くと、アレクシスに椅子を引いてもらいゆっくりと立ち上がった。
「では、私は先に失礼します。詳しいお話はまた後でお伺いしますので」
エデルが去った扉が閉まると、国王は大きく息を吐いて椅子に座り込んだ。
「良かった、これで一安心だな」
「父上、一安心どころかこれから大波乱の幕開けかと思いますけれど。それにおかしいと思いませんこと?」
「おかしいとは?」
大波乱発言はとりあえず聞き流して、国王はアンナの疑問を聞き返した」
「お見合いをあんなにあっさりと受けるなんて、今朝のエデルからは考えられませんわ」
「いやいや、あれはあれ、これはこれなのだろう。なあに心配することはない。あちらの顔を立てる為に見合い話は受けざるを得ないが、本当に婚約まで話がいくことはないだろう。アレクもいるのだから」
国王の脳裏に自分に向けられたナイフの光が蘇る。ハイゼ侯爵もだが、その息子のアレクシスも敵にはしたくない相手である。
「それにしてもアレクシスはなぜああもこの婚約にこだわるのか。家同士で勝手に決められ、逆に迷惑に思っているくらいだと。なかなか出世欲が強い男なのだろうか」
同意を求められたアンは上品にため息をついた。弟もだが、この親もなかなか鈍感な人間である。
「まあ、父上があとで慌てふためいて苦しい思いをされようが、私にはあまり関係ないことですけれど。今回の件でエデルにもしものことがあったら母上はもちろん、私も容赦いたしませんからね、陛下」
美しい声の中に込められた威圧感に、国王は娘に王妃と同じものを見た。
やはり親子である。
胃が限界を迎えた、アンの夫の小さい唸り声と共に、今夜の晩餐はお開きとなったのだった。