ろく
「オ……オーケーオーケー……。いや……ちょっと待て」
よし、まずは深呼吸だ。はい、息を吸ってー吐いてー吸ってー吐いてー、大丈夫。焦らなくても奴は気長に待ってくれている。なんだ、意外にいい奴っぽいじゃないか、ははは。
「えっと……だな。こんなこと言うのもなんだが、自分で言っててぶしつけとは思わないか? 見ず知らずの他人だぞ、俺は」
「……じゃあ、どうすればいい?」
「どうすればって……とりあえず――自己紹介?」
「……そっか」
そう言って、そいつは俺の要求に表情を変えず、自己――。
「……一年C組、出席番号37番、六道雫……」
――紹介のつもりらしい。
「……終わり?」
「……うん」
「……よろしくとかはいいのか」
「……よろしく」
……なんてシュールな奴なんだ。
ひとしきりにらめっこに再挑戦してみたが、そいつ――もとい、六道の心を読むことあたわず――。
「――で、それが人に物を頼む態度ですか。誠意の欠片も見られませんが?」
「……じゃあ、どうすればいい?」
自分で考えなさい、自分で。と目で訴えてはみるものの、にらめっこではまったく勝てる気がしなかった。薄暗い教室の中で、ビー玉のようなそのくりくりとした瞳は綺麗には違いないが、じーーーと見られ続けるとなると「わあ、綺麗ねぇ」などという気も失せる。多分、にらめっこの世界チャンピオンかなんかだな、こいつ。いろんな意味でやばいわ。
とにかく、考える振りを口実に、俺は六道から目を逸らし「うーむ」と唸って見せてから、言ってやった。
「そうだな……。少なくとも、財布の中身全部お渡しします、ぐらいの誠意は見せてもらわんと話にならんな」
「……そっか」
そう言って、六道は俺の要求に表情を変えず、スカートのポケットを探りだした。どうなるものかと、興味半分に傍観を決め込む俺をよそに、六道はガマ口の財布を取り出し、あっさりとそれを机の上に置いたではないか。わお、女子高生にガマ口財布? なんとも斬新な組み合わせだな、ゲコゲーコ。
「こ、このガマ口を俺にどうしろと?」
一応聞いてみた。
「……あげる」
あっさりと六道は言った。
……ぅわあーい。こいつは一筋縄じゃいかないやー。
「オ、オーケー、分かった。全面的に俺が悪かった。お前の覚悟は本物だ。だからその財布はどうか収めてくれないか」
「……話、聞いてくれる?」
「ど、どんとこい」
「……うん」
さて、困ったことになった。ガマ口財布は無事持主の元に帰還を果たしはしたが、話は振り出しに戻っただけだ。いや、相手が一筋縄じゃないことが分かった以上、形勢は明らかにこちらが不利。なんてったって、どうやら相手はジョークのジの字も知らないらしい。
「……私一人じゃ、どうしても宮川晴香を除霊できないの。だから、手伝って高山君」
「お、おお。それが俺の使命なんだな?」
「……うん。だって、あなたにも責任があるもの」
その癖これだもの。こっちだって、いい加減我慢の限界だ。
「つかぬことを聞くが、六道。お前の正体はなんだ?」
「……正体?」
むう、この期に及んでシラを切るか。
「お前は人間か、それとも神かってことだ」
「……人間、だけど」
「そうか。じゃあ、俺をからかってるとか、そういうつもりは?」
「……ない」
「よし、分かった。じゃあ、お前はただの人間のくせに、俺に使命だの責任があるだのとまるで神にでもなったつもりで話を進めてるわけだ。そのくせ、当然のように宮川晴香の幽霊が実在するものとして勝手に話を進め、挙句の果てにお前の最終目的は宮川晴香を除霊することで、そのために俺に協力しろと?」
「……うん」
「この時点で分からないことが二つあるんだが、いいか」
「……うん」
「まず一つは、神がかったこの話の内容を、俺が初めから理解していることを前提に話を進めてることだ。普通なら、幽霊とか除霊とか言う前に前置きがあって然るべきだが、当然、普通はそんな前置きも却下されることだろう。なるほど、前置きを飛ばしたくなるお前の気持ちは分かる。分かるがしかし、お前はハナからそんな心配さえしてはいないように見受けるが?」
「……うん」
「つまり、俺が宮川晴香の幽霊話を信じているとお前は確信している、ということに当然なるだろ」
「……うん」
うん、とな。
「じゃあ、その根拠はなんだ」
神に反逆する使徒の如く、俺はびしっと六道に言ってやった。そう、びしっと。俺にはまだ四百字詰め原稿用紙五枚分の反省ノルマが残っているのだ、この野郎。が、六道はこちらの反撃など意に介した様子はない模様。
「……見れば分かるから」
あっさりと、そう言ってのけたのだ。
なるほど、根拠は見れば分かるから、か。これはこれは、はっはっは。
「――からかってるってことでいいのか?」
「……私には見えるの。宮川晴香も、あなたの体質も。霊能力って言葉、聞いたことぐらいはあるでしょ?」
「お、おぅ……」
「……私にはその霊能力が備わってるの。霊能力って言うのは、幽霊に干渉する力。だから、私は宮川晴香の幽霊がこの学校に居ついてるのが分かるし、高山君の体質も見れば分かる」
「百歩譲ってそれが事実だとしても、だ。俺がその話をすんなり信じると思う?」
「……うん」
うん、とな。
「じゃあ、その根拠はなんだ」
「……高山君なら分かると思うから。こういう話を、生半可な気持ちで他人にすることは絶対ないってこと」
ズドン、と来た。文字通りズドン、だ。思わずストラーイク! と叫びたくなるほどに、ストラック、バッターアウッ! スリーアウッチェンッジァ!
六道の放った言葉は、強烈過ぎたのだ。それこそ、俺を説得するだけでは飽き足らず、俺の過去をフラッシュバックさせてしまうほどに。その言葉に込められた背景は、俺が味わってきた苦悩と同じ種類の、六道自身の経験からくる答えに他ならない。それが分かってしまった時点で、俺の負けは確定した。そう、初めからこいつは全財産を差し出してくる覚悟を見せていたではないか。それもガマ口だぞ。とても俺には真似できない……!
「六道……やるな、お前……」
「……そう?」
真面目な顔して褒めてやるも、六道は相変わらずのポーカーフェイスだ。一度でいいからこいつの笑った顔が見てみたいが、今はそうは言ってられないようだ。
「話は分かった。俺は今からお前の言葉を全面的に信用する。その上で、もう一つの疑問をぶつけるが、いいか」
「……うん」
「お前の言う除霊ってのは、一体どういうものなんだ」
「……除霊といってもいろいろ種類や段階があるんだけど」
「じゃあ、言い直す」
この時点で、六道が躊躇を見せたことに気付きながらも、俺にそれを気遣う余裕はすでになく。
「お前がいう除霊に、相手の意思を汲む余地はあるのか」
「……ない」
一瞬見えた躊躇を否定するように即答する六道。なるほど、やはりこいつは真剣だ。その瞳に宿っているのは使命という名のひたむきか。さすがはにらめっこの世界チャンピオンだけはある。俺にはとても真似できそうにない。
「なら、交渉は決裂だな」
俺の言葉に、初めて六道のポーカーフェイスが崩れた。といっても、眉間がちょっと歪んだだけだが。
「……どうして?」
「どうしてもだ。もしその答えで納得しないなら言ってやる。やり方が気に入らない、と」
「……これは、そういう問題じゃないよ」
「そういう問題じゃない? じゃあ、どういう問題だ、言ってみろ」
「……人は死んだら成仏しなきゃいけないの。でも、宮川晴香はそれをせず、この学校に留まってる。話をしてみたけど、彼女には思い残しがあって成仏もできないでいる。霊なるものが人間に与える影響は大きいの。特に学校は人が沢山集まる公共施設。これ以上誰かに悪影響が出る前になんとかしなきゃいけない。自覚がないみたいだから言うけど、一度宮川晴香に会ったことで高山君はもう、彼女に影響されてる。本来なら、その出会いはあってはならないし、なかったはずの出来事なの」
「今の俺は悪影響を受けてるだけだって言いたいのか」
俺の言葉を否定も肯定もせず、六道は言う。
「……それを知ってて、解決する術を持ってる私には責任があるの。同情なんかで、見過ごすことはできないよ」
お前のそれは同情に過ぎないと、六道は言う。そして、知ってしまったお前にも責任があるのだと、六道は静かな瞳で……俺に言う。
「思い残しって、なんだ」
それは、今の俺にできる最大限の抵抗だった。
「宮川晴香の思い残しって――」
「……それを知っても、やることは変わらないよ」
やはり、こいつににらめっこで勝てる気はしなかった。