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 相応にして、歴史には表と裏があるものだ。

 語られる歴史に影があるのが必然ならば、影が裏となるのも必然か。ならば、その必然の無念は誰が知る。

 高校生にもなって両親から大目玉を食らい、風邪を一週間もこじらせ生死の境をさ迷った挙句、たどり着いたのは恩赦という名の特別居残り。謹慎処分にならなかっただけでもありがたく思えとのお奉行(担任教師)からの寛大なお言葉を賜り、しかし、こちらの体裁を気にしてくれているのなら、大見得切ってわざわざ教室一つを貸し切ってまで反省文を書かすのは矛盾してはいないか。なんて、文句を言えない立場なのは重々承知している。正義も大義もあれど、それをカミングアウトしてみたところで情状酌量の余地はあるまい。

 ――とにかく、あれから一週間が経った。

 一週間もあれば、こじらせた風邪も治る。都市伝説も学校中を散策する。ノラ猫も学校のアイドルとなる。

 ……なれど、宮川晴香の泣き顔が俺の頭から離れる気配は未だなく――。

「ふああー……あぁ」

 それでも欠伸が漏れるのは、自然の摂理というもので。

 自慢じゃないが、昔から集中力がないことにかけては胸を張る自信があった。あと、あえて挙げるとすれば、チンパンジーよりはいささかマシと自負する文章能力か。

言うまでもなく、机の上に広げた四百字詰め原稿用紙は未だ清潔を保ったままだ。

 右手の中で、はしゃぐシャーペンに、左手でトントントトトンとリズムを加えてやる。手先は意外に器用なのだ。ヘイヘイ、これぞ人間には不可能な大技スピニングムーンソルト1800ワンサウザンドエイティラブ……着地失敗、シィット!

 その間も、規則正しく走るシャーペンの音は鳴り止む気配を見せず……床に散った相棒を拾い上げながら、俺は細い背中に視線を留めた。

 右に二つ前に四つ、机を辿ればそいつは黙々と原稿用紙に文字を埋めている。放課後、担任に出向命令を受けた多目的教室に入った時には、そいつは一人教室の真ん中で四百字詰め原稿用紙とすでに向かい合っていたのだ。

 それから、約五分。

 カリカリカリカリカリカリ……。

 その生真面目なビートはまだ一度も途絶えることはない。

「反省すること!」

 前方の黒板に書きなぐられたキャッチコピーに視線を移し、もう一度「そいつ」に視線を移す。

 なるほど、これが正しい反省の仕方だ。背筋をぴんと伸ばし、両足は机の下できちんと揃え、左手は沿える程度の位置に置き、後はひたすら書くべし、書くべし、と。しかし、これほど反省に没頭するほどの、こやつは何をやらかしたのだろうか。うむ、気になる。うむ、気にしてる場合ではないのだ。

 気を取り直して、原稿用紙に視線を戻し、思いつくままの言葉を書き込んでみた。こういうのはインスピレーションが大事とか、なんとか。

「宮川晴香」

 むう、そう来たか。ならば、こうだ。

「ごめんなさい」

 つなげると「宮川晴香、ごめんなさい」か。

 むう、フルネームはちと堅いな。敬語もいまいち。ならば、こうだ。

「晴香ちゃん、ごめんね」

 ……完璧だ。完璧、キモいって意味だ。

 頼みの綱のインスピレーションは、使い物にならない模様。そもそも、女を泣かせたことなど一度もないのだから、正しい対処法など知るか。こっちは「女の落とし方100選」などという見るからにアレな本をふらりと立ち寄った書店でまじまじと立ち読みするほど追いつめられてんだ。切羽詰まってんだ。反省文など書いている場合ではないのだ。

 しかし、100パーセントこちらの過失かと問われれば、断固首を横に振る。そもそも、奴は出会い頭に「超マジキモい」とか抜かしやがったのだ。「あんた誰よ」とか「見憶えないんですけど」とか抜かしやがったのだ。クラスの粗大ゴミとか、馬鹿とか散々コケにした挙句。

「あんたの顔なんて、二度と見たくない……」

 そう言って、泣いたのだ――。

 あの時、クラスの落ちこぼれに差し出した手も微笑みも、学校中の花を愛でる姿も、生徒会主催のボランティア活動に積極的に参加する心意気も、全ては世を忍ぶ仮の姿だったのだ。その正体が戦隊ヒーローや正義の宇宙人ならまだ許せるが、ただの性悪でしたじゃインパクトもクソもなかろうに。

 ……今度憧れの癒し系アイドルを街で見かけることがあったら、勇気を出して声をかけてみるといい。俺の気持ちが嫌ってほど理解できるから。現実はそんなもんだチクショー。

 しかし、だ。あの時のあれが本性だと言うのなら、あの時流した涙も、また然り。

 つまり、何が言いたいのかと言えば。

 俺は、原稿用紙に書き込まれた不細工でいてキモいとしか形容できない文章に目を落とした。

「晴香ちゃん、ごめんね」

 そういうことだ。

 向こうは俺の顔など二度と見たくないと捨て台詞を吐いてはいたがな、ふはははは、もう笑うしかないわ、ふっははははぁ。

「……晴香ちゃん、ごめんね……」

「そう、晴香ちゃん、ごめんね」

 うわあ、声に出すとさらに不味いな。こんなの誰かに見られた日には――って、何事だっ!

 頭上から降り注いできた声に、俺は机にひっつけていた頬を引きはがし、思いっきり顔を上げた。しかし、そいつは慌てふためく俺と目が合っても、まるで動じる素振りを見せず、冷ややかな視線を落としたままだ。

 とっさの出来事に、いまいち状況は理解できないが、いつの間にか生真面目なビートが止んでいたことは確かだ。そして、そいつは何故か俺の座る席の傍に立ち、俺を見ている。

 ショートカットの黒髪。熱を持たない冷静そうな澄んだ瞳。一目見て「かわいい」と形容詞の思い浮かぶそいつの顔にはしかし、全く見覚えはなかった。ブレザーを身にまといながらもうかがい知れる華奢な体に、プリーツスカートから覗くすらりとした御御足おみあし。校則を無視したミニスカが流行る昨今、生徒手帳に記されたお決まりを遵守したその身だしなみは、なるほど。生真面目なビートの主に間違いはなさそうだが、しかし。

 ……なぜ、俺を見つめる?

 こう、まじまじと見つめられては、こちらもまじまじと見つめ返すしかないではないか。いや、わけ分からん。そんなキラキラと澄んだ瞳で見つめられてもだな。

 放課後の教室で二人きり、謎の女子と強制にらめっこ。気休めに黒板に刻まれた「反省すること!」に視線を移してみたが、恐る恐る見てみると、そいつは未だ睨めっこに興じている。いや、わけワカメだ。シャンプーかなんか知らんが、いい匂いするし。

「……一年A組の高山圭一君、だよね」

 なぜ、それをぉ!?

 ようやくしゃべりだしたかと思えば、緊急事態発生だ。初対面の女子がなぜ俺の名を知っている! ――って、そうか。窓際の圭一さんの名はこの一週間で、かなり知れ渡ったのだったな。設楽がすごいねって言ってたもんな。悔し紛れに今朝そんな奴の頭を引っ叩いてやった覚えがあるにはある。

 しかし、なんだ。「窓際の圭一さん」と言えば、キモいの代表格だぞ。まさか、サインのおねだりでもあるまい。何が目的だ、こやつ。

 しかし、俺の疑問に答えるように、そいつは静かに指を差した。小さな指先の示す先には、机の上に広がる四百字詰め原稿用紙。その一行目には一年A組、高山圭一と書き込まれており、その横には「晴香ちゃん、ごめんね」

 って、ごはぁ!

「な、なんだよ、勝手に見るな! プライバシーの侵害で訴えるぞっ!」

 慌てて机の上に体を被せてみたが、その行為にまるで意味はなかった。なぜなら、そいつはノーリアクションで、まるで興味なさげに俺の行為を見ているだけなのだから。

 教室の中に漂う冷えた空気は、やがて俺の言葉を飲み込み鎮まる。しかし、こちらの心中を全く考える様子のないそいつの小さな声は、容赦なく響き。

「……あなたに、お願いがあるの」

「お、お願い?」

「……そう。あなたにしか頼めない、これは大切な使命」

 なんだか、不思議オーラが漂い始めたな、などと心配し始める俺をよそに。

「……宮川晴香を除霊する協力をして欲しいの」

 オーマイガー。

 


 


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