じゅうごうてんご
――って、うおぉい!
唐突な異常事態に見舞われた俺は、殻に閉じこもることも忘れて思わず部屋のドアに息を殺して近づいた。さっきまで立つこともできなかった俺の足腰を強制的に立たせたことといい、このディープインパクト並みの意外性といい、ドアの外にいるのは六道と見て間違いなさそうだと直感が語っているが、認めてたまるか、ふざけんな。
「……」
「……」
ドアに耳を押し当てて外の様子を窺うも、人の気配はまるでない。幻聴だと自分に言い聞かせてから、納得させるまで数十秒。納得を確信に変えるため、ドアノブの錠を解き、恐る恐るドアを開くと――……いた。六道だ。
六道と目が合った瞬間、俺は全力でドアを閉めてロック完了。よーしよーし、とりあえず、ふざけんな。
「な、な、なんで……なんで、お前がここにいるっ!」
以前、六道に奇襲を受けた時と同様のリアクションを再びすることになるなど一体誰が予想した。なんだ、これは一体何の罰ゲームだ――って……。
確かに学園祭に向け強制集会まで開いた奴が、二週間の停学食らって本番出られそうもありませんじゃ、様子を見に来たくもなるのは必然か。
「……お、お前。俺ん家の住所誰から聞いた」
せめてもの強がりに、以前から持ち越したままの疑問をドア越しに投げかける。少しの沈黙の後、六道は言った。
「……設楽君から」
「――待て。おい、待て。なんで設楽が俺ん家の住所知ってんだ」
少なくとも、教えた覚えは俺にはないし、お互いの家に遊びに行く友人でも俺達はない。決してない。あってたまるか。
「……知らない」
「知らんで済むか。なんでか聞いて出直してこい」
「……そんなことどうでもいい」
さすがは、六道。どうでもいいことにはまるで容赦ない。
「――つーか、お前。お前は何しに来た。ウチの母親は今ノイローゼ状態だぞ。どうやってあの強敵を攻略しやがった」
「……高山君のお母さん、私のこと高山君の恋人だと勘違いしてたから」
「……」
してたから?
「……それで、高山君のことお願いされた」
「それで、お前は否定もなにもせずここまで無事辿り着いたと?」
「……うん」
うん、て。どんだけ身を切ってんだお前。どんだけ悲愴な覚悟だよ。とにかく、感嘆を超え、呆れも超えて、もはや感心するしかあるまい。六道が家に来た時以来、母親の下卑たうすら笑いを近頃ようやく封印するのに成功した俺の苦労とか、ああ、もう、なんかどうでもよくなった。とにかく、一言いいか六道。
「すげえなお前」
「……そう?」
その無自覚なとこも含めて。
「――で、何しに来たんだよ、お前は」
「……一つだけ、質問に答えてほしいだけ」
「質問?」
「……明日の学園祭。来るの」
相変わらず六道は、聞きにくいことを平然と俺にぶちかます。黙って俺の答えを待つ六道に今の俺ができるせめてもの抵抗も、こいつは眉ひとつ動かさず、切り捨てることだろう。
「生憎だが、俺は今停学中だ」
「……そんなことどうでもいい」
予想通りの即答。……同感だ。
ドアに寄り掛かって俺は小さく息を吐いた。どうやら、六道は俺を説得しに来たわけではなさそうだった。初めは俺のことを止めようとしていた六道は、やがて、傍観に徹し、今ここに立っている。その間の六道の心境の変化など俺には分からないが、分かっていることが一つある。多分、六道だって、俺がどうすべきでなにが正しいのかなんて分からないのだ。だから、六道は黙って俺の答えを聞いてくれようとしてる。それだけだ。
六道が俺の答えを否定してくれないことが分かるから、俺は答えることができなかった。忘れたいのに、どうしても捨てられない。それなのに、一度溢した気持の拾い方も分からない。誰かを好きって気持ちがどういうことか、俺だってほんとのほんとは分かってなんかいなかった。
「――なあ、六道。この間、お前俺に聞いたよな。誰かを好きになる気持ちって後ろめたいことかって」
「……うん」
「あの時、俺は思いっきり否定したけどさ」
「……うん」
「結末なんて怖がらずに頑張る俺の気持ちを信じたいってお前は言ったけどさ」
「……うん」
「ほんとは俺も、まだ分かってなかったみたいだ」
少しの沈黙。それが六道の戸惑いか落胆かは分からない。次に響いた六道の声は相変わらず、静かだった。
「……ここで止めても止めなくても、きっと高山君が後悔することは同じだと思う」
「……」
「……でも、その後悔はきっと、全然違うものだと思うから」
「……から?」
また短い沈黙。
「……知ってた?」
「え?」
「……中庭の「考える人」の像の裏にチューリップが一輪、咲いてるの」
「なんの話だよ」
「……春からずっと、宮川さんが育ててたって。黄色いチューリップ……もう、枯れてるけど、誰にも気づかれずに、今もそのまま」
「……」
「……知ってた? 黄色のチューリップの花言葉」
「また哲学的な話か」
「……実らない恋」
「……」
「……彼女も、同じなのかな……――私達と」
「――え?」
「……ばいばい、高山君」
階段を下りていく六道の足音がドアの向こうで遠ざかる。六道の最後の言葉は聞き取れなかったけど、六道が俺に伝えたかったことは、多分、ちゃんと受け取れた。