じゅうよんてんご
憧れはいつの間にか羨望へと姿を変え、気がついた時には疎ましさへと脱皮を果たした。自分の気持ちを自覚して、でも昇兄ちゃんのことも明里姉ちゃんのことも嫌いになれなかった俺は、この醜い気持ちの根っこごと、時空の彼方へと葬り去るつもりで、二人との接触を一切断つことを決めた。気持ちが風化して化石になって、いつか、胸の痛みも忘れて二人に顔見せできる日が来るまで、ずっと、このまま――。
――何の話かって? 日本窓際の圭一さん昔話だ。さあ、寒い昔話の始まり始まりー。昔昔あるところに仲よし三人組の小学生がおりました。男の子二人と女の子一人。三人は幼馴染で大の仲よしでしたとさ。しかし、俺より二年も早く思春期を迎えた二人は、磁石のS極とN極の如く惹かれ合い、恋に落ちました。その現象に疑問を抱く者など今考えてみれば誰もいないのでした。しかし、一人残されたイタイ男の子は空気も読まず、二年遅れで思春期を迎え恋をしました。当然の如く、初恋の相手は仲良しの幼馴染のお姉さんでした。ほんとにもう、アイタタタタタタでした、救いようがありませんね、めでたしめでたし。
……どうだ。イタイだろう。寒いだろう。馬鹿みたいだろう。恐れいったか、ふはははは! だが、早まるな。この話には続きがある。とっておきの自虐ネタはすでに仕込済みだ。だから、安心して笑い転げやがれ、こんちくしょう! ……なんて、ここから先はとても笑い話にはできそうになかった。
六道から宮川晴香の除霊を協力するよう持ちかけられたあの日の帰り、三年の自転車置き場の前で昇兄ちゃんはクロと戯れていた。そして、一緒に帰った道中、昇兄ちゃんは「宮川晴香」の名前を口にした。
昇兄ちゃんは宮川晴香のことを知っていた。いや、本人とは一度も話したことがないというのだから、昇兄ちゃんは宮川晴香のことをほとんど知らない。知っているのはフルネームと、宮川晴香の所属する学年とクラスだけだった。
あの日、昇兄ちゃんは俺に一通の洋封筒を差し出した。差し出されたそのA4サイズの洋封筒は、昇兄ちゃんの下駄箱に投函されていたものらしい。薄いピンク色の無地の洋封筒。裏返すと、桜の花びらのシールで封をされたそれは、季節も差出元も無視した代物だった。昇兄ちゃんに促されて封を開けると、中には同じように薄ピンク色の便箋が一枚。整った文字は簡潔に、放課後、中庭に来るように昇兄ちゃんを呼び出していた。そして便箋の最後にはきちんと差出人の名前とご丁寧に所属の学年、クラスまで添えて書かれていた。
その日の放課後、日が落ちるまで中庭で待ち続けた昇兄ちゃんの前に、宮川晴香が来ることはなかった。その翌日に、昇兄ちゃんは宮川晴香が交通事故に遭い死んだことを知る。
二週間後。宮川晴香の幽霊が毎夜中庭に出るという噂は学校中に蔓延し、窓際の圭一さんが都市伝説と化した。昔から、昇兄ちゃんは俺の体質に偏見を抱かなかったし、俺の言うことは馬鹿にせずに信じてくれた。
「なあ、圭一。彼女……いたのか」
周りからすれば馬鹿げたその質問を、真摯な顔をして口にする昇兄ちゃんにはやっぱり敵わなかった。その手の話を俺が嫌がることを知った上で、誰もが冗談半分のネタに持ち出す噂話を鵜呑みにするのも、それは全部。
名前しか知らない宮川晴香のためだった。
その昇兄ちゃんの誠意は、間接的に俺の失恋のダメ押しを決めた。二年前と、同じだ。
だったら、どうする?
俺はまたこの事実から目を背けて、気持ちが風化して化石になるまで待ち続けるのか? そうやって、また逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて――?
そんなのは、もう嫌だった。後でどれだけ後悔することになってもいい。情けなくても、辛くても、惨めな思いをすることになっても。せめて、この人の前で今だけは――。
「……いたよ。宮川晴香」
それがただの強がりでも。
「――全部、ちゃんとするから。だから、あんたは、何もせずに待ってて欲しい」
昇兄ちゃんにできなくて、俺にはできる何かがある。そう、信じたかった。
無言で微笑む昇兄ちゃんに、俺は笑い返す余裕なんてなかったけど。
「――ねえ。明里姉ちゃんとは、今も付き合ってるんだよね」
「……ああ」
それでも、俺の気持ちも宮川晴香の気持ちも。全部無駄じゃないんだと、思いたかった。