いち
1
「……」
息を呑んだ。それから、固まった。
どうやら人間は、本当に仰天する場面に出くわした時、リアクションの取れない生き物らしい。などと、考える余裕があるだけ、この状況はそれほど危機的状況ではないのかもしれない。
ならば、マジでヤバい危機的状況とはどういうものだ?
例えば、女子更衣室のロッカーに忍び込んだはいいが、のぞき穴(隙間)からばっちり目の前で着替える女子と目が合ってしまった場合――って、待て待て、例えが悪い。確かに洒落にならん(いろんな意味で)危機的状況だが――って、しつこいようだが、待て。別に今のは俺の願望では断じてない。なんていうか……そう! 一度は誰でも夢見る男のロマン的なノリの! 訳して、ザ・妄想! って、ちっがーう! アホか、俺! そうじゃない、そうじゃなくて! 今のはなかったことにして、別の危機的状況検索! ほら、例えば――。
「……」
――例えば、死んだはずの知り合いが、なぜか目の前に立っている、とか。
「……」
例えば、だ。例えば、それが夢でも幻でも、ましてやマヌーサの仕業でもなかったとしたら、どうする?
「……」
答え――は、今出している最中だ。今、まさに。
死んだはずの宮川晴香が、なぜこんなところに立っているのだと、固まったままで、必死に電源の落ちた頭に再起動をかけているのだが――なんでなのん? ああ、もはや俺の脳みそはショックのあまり二度とは立ち直らないかもしれません。
「高山君! ほら、ポーズとってよ! ハイ、チーズ!」
チーズ、パシャ、チーズ、パシャ。
背後で設楽の中途半端なソプラノ声が「チーズ」と呪文を繰り返しながら、手にした使い捨てカメラを惜しげもなく浪費している。パシャパシャと回数を重ねる度に、奴はプロのカメラマンの如くテンションを更に上げ、俺にポーズなどを要求してくる。
しかし、俺は未だに動けないでいた。
四方八方動き回り、転げ回りながら「チーズ、チーズ」と呪文を繰り返すタガの外れた魔導師に呪われようとも、目の前に立つ宮川晴香から目が逸らせなかった。
人の形をしてはいるが、そこにいるのが生きた人間であるはずがなかった。なぜなら、しつこいようだが、宮川晴香は死んでいるのだ。享年15歳。つい二週間前、彼女の葬儀に参列し、クラスメイト共々涙で彼女と別れを済ませたばかりなのだから、間違いない。それから、この二週間まともに眠れぬ夜が続いたのだから間違いない。そう、絶対に間違いない。……ほんとだってば。
しかし「それ間違ってる」と言わんばかりに、宮川晴香が堂々と俺の目の前に立っているのはどういうわけだ。どういう了見だ。何の嫌がらせだ。
「高山君! チーズゥ! ほら、チイイィズウゥゥ!」
……なんの嫌がらせだ。
もはや悪ノリとしか思えない設楽の呪文は妙なアクセントを上乗せし、脅迫まがいの迫力をもって俺の周りを転びまわる。嫌だ、こんな奴と友達だとか絶対思われたくない。が、宮川晴香は俺の周りで呪いのダンスに興じる設楽から、とうとう、俺へと視線をずらした。
きれいに縁取られた横顔の稜線が動き、宮川晴香の二つの瞳が正面から俺に注がれる。その目は、設楽に注がれていたもの同様、不審と疑念のこもった何というか、ぶっちゃけ「イタイ奴」を見るような――って、待て待て! 俺、こんな魔導師知らないから! マジ、ほとんど他人ですから、そんな目で見ないでくれぇ! などと、内心焦りながらも、体はなおも硬直したまま動かない。なんだ、これは。俺はいつハートブレイクショットをぶち込まれたんだ。
だって、ほら。胸がカアっと熱くて痛い。今なら、ドクドクドクと自分の鼓動の音まで聞き取れる。今まで、幾度となく体感してきた感覚。そして、もう二度と訪れることはないんだと、諦めようと努力し、ようやく、現実を受け入れる準備は出来かけていたのに。
なんだよ、これ。返しの左。来るなら早くどんと来い。これが夢や幻の類なら、その一撃で俺の目を覚ましてくれ。
パシャ、パシャ、パシャ、パパシャ、パシャ!
シャッター音の雨あられに晒されながら、見つめ合う俺と宮川晴香。って、痛い、痛い、そんな目で見ないでください。
「たっかっやっまっくうぅぅん!」
ずっざぁと砂埃を舞いあげ、スライディング気味に俺と宮川晴香の間に設楽が介入してくる。しかし、いい加減にしろこの野郎と、足元からあへあへにやつきながら獲物を乱射する設楽を睨みつけたのがまずかった。なんでって、そのせいで俺の視線は足元へと注がれてしまったからだ。
狙ってそうしたわけではない。しかし、それは意図せず俺の視界に映り込んでしまい、磁石に引き寄せられる砂鉄の如く、俺の目は宮川晴香の足元へ吸い寄せられた。
その瞬間、真冬の季節に冷水をぶっかけられたような気分になった。この場合の効果音は、ガビーン、だろうか。……駄目だ、適切な表現が見つからない。どうリアクションすべきなんだ。
ようやく顔を上げると、宮川晴香は相変わらず「イタイ奴」を見るような目で「見たわね」と言いたげに、少しだけ眉間に寄せた皺の数を増やしていた。
――そう、確かに俺はこの目でたった今目撃しました。
宮川晴香に、足はなかった。
*** ***
ひどく憂鬱な朝だった。
すがすがしい朝日に、小鳥のさえずりが奏でる爽やかなマーチ。窓を開けると、近所のおばちゃんがスポーツウエアに身を包み、愛犬のポチを引き連れて、日課のウォーキングをしながら、顔見知りのおばちゃんと「おっはよ〜」と元気よく朝の挨拶を交わして、井戸端会議。
快晴の空に、おばちゃん二人の無遠慮な笑い声が舞い上がる、のどかな朝。
……憂鬱だ。
結局、昨日は一睡もできないまま朝を迎えてしまった。一週間前、通販で買った絶対快適安眠君はまったくその役目を果たすことなく、ベッドの脇に転がっている。今度販売元に抗議の電話かけてやる。何がこれであなたも寝不足知らずだ。サムの野郎(通販番組の司会者)爽やかな笑顔でハッタリかましやがって。あの流暢な日本語にまんまと騙された――なんて、くだらないことを考えていないと、昨夜の出来事が蘇ってしまいそうなのだ。
……憂鬱だ。
さっきから二度ほど俺の名を呼ぶ母親の声を無視していたが、三度目には怒気が含まれていたので、仕方無く階下から響く声に返事を返し、俺は重い頭を引きずりながら部屋を出た。
ダイニングに入るなり、エプロンをつけた母親が俺の顔を見て一言。
「ちょっと、ひどい顔。どうしたの、あんた」
なんたる言い草。
「……顔洗ってくる」
抗議をする気力もなく、ふらふらと洗面所へ入る。
鏡の前に立った自分と目が合って、思わず「げ」と声が漏れる。寝不足と低血圧の最強タッグは容赦なく人の顔を台無しなまでに、蹂躙していた。いや、元々台無しになるような甘いマスクなど兼ね備えてない平凡地味メンなのは認めるが、それにしたってこれは酷い。それ起きろ顔の筋肉、朝ですよー。
十回ほど冷水を顔にぶっかけてみても、顔の筋肉は意固地に目覚めず、諦めてダイニングに戻る。再び顔を合わせた愛息子に注がれる母親の呆れ顔から逃れ、空いたテーブルの一席に滑り込み、そのまま上体をテーブルの上に突っ伏す。
「ちょっと、邪魔。おかず置けないからどいてよ」
頭上から降り注ぐ冷酷な声に、呻きながら体を起こし、そのまま椅子の背もたれに寄り掛かった。
「どうせ、昨日夜更かしでもしたんでしょ。ほら、さっさとご飯済ませてよ。あと、あんただけなんだから」
「あー……うん」
ったく、いつまで夏休みボケ引きずってるつもりよ、今までずっと朝早く出てったくせにまたネボスケに逆戻りされちゃこっちだって都合ってもんがあるのよ、それでなくても朝は忙しいのよ分かってんの、などとお経のように連なる小言をおかずに食べる飯がウマいわけがなく。まあ、テーブルに並ぶ品は全て昨夜の食べ残しをレンジでチンしただけなのだが。
「あ、そう言えば昨日スーパーで遠山さんに会ったわよ。ほら、昇君のお母さん」
お経の途中で昇君という聞き覚えのある単語が耳に留まり、俺は顔を上げた。
「昇君、今年受験でしょ? 東京の大学受験するんだって。それも超有名なとこよ。あんた知ってた?」
「あー……うん」
他人の話題で、朝から超とか弾けた言葉を持ち出してくるほどテンションを上げるこれがウチの母親だ。つかぬことを伺いますが、あなた、目の前の息子の話題でここ数年テンション上げたことありますか?
「昇君、バスケットでもインターハイ優勝してたでしょ? 成績もいいし、おまけにかっこいいし。ほんっと、出来のいい息子でウチとは大違いねー」
「きっと、親の遺伝子がウチとは大違いだったんでしょうな」
言った傍から新聞紙の束で頭を引っ叩かれた。
「さっさとご飯済ませて学校行きなさい。急がないと遅刻するわよ」
「あー……うん。なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なによ」
「幽霊って信じる?」
「は?」
「幽霊って信じる?」
同じ調子で同じ言葉を繰り返す俺の頭に、新聞紙の束が降ってきた。
「馬鹿なこと言ってないでさっさと食べなさい。洗いもの片付かないでしょ」
「あー……うん」
ごもっともなリアクションで。
十月に入ったというのに、季節は未だに夏の名残りを残していた。
ぽかぽかと気持ちのいい日差しの差し込む窓際最後尾のベストポジション。窓の外に広がる景観は、青一色のパノラマ。そして、徹夜明けに流れるは、子守唄と化した教師の歌声。窓を開ければ、肌をなでる風が心地いい。
寝るなというのが、土台無理な注文だ。
しかし「眠い」という理由だけで授業をさぼって屋上で昼寝、などという開放的な行動を実行に移すことのできない、しがないクラスの末端構成員には選択の余地はないわけで。
「えー、この式の展開方式はさっき説明した1を使うわけだ。そうすると、問1の問題は――」
一時間目から、ラリホーを執拗に繰り返す数学教師の呪文に対抗する術は、もはやすり減った自制心のみだった。マホトーンなんて便利な呪文が実在するなら、この世から教師という職業は消えてなくなることだろう。
「おーい、高山。た、か、や、ま。目を覚ませー、今は授業中だぞ」
「……んあ?」
「授業中に堂々と高いびきとはいい御身分じゃないか、ええ? 高山」
教科書のようなもので頭を叩かれたような衝撃に、我に返る。いつの間にか、机の上にひっついていた顔を上げ、鉛でも仕込まれてるんじゃないのかとつい疑うほど重い瞼を上げると、眼鏡をかけたスーツ姿の細身の男と目が合った。……誰だ、こいつ。ああ、数学教師の国枝だ。
「チャイムが鳴って、まだ十分だぞ高山。っていうか、お前のいびきがうるさくて授業に集中できん」
「すいません。先生のラリホーがあまりにも見事だったもので」
寝ぼけ眼で、寝ぼけた台詞を発すると、教室のいたるところから笑い声が巻き上がった。
「どうやら、まだ目が覚めないようだな、高山。なら、目覚ましに問2はお前に解いてもらおうか」
「な! そんな殺生な!」
「なら、きちんと聞いてろ、バカ。次の問題はお前にやってもらうからな」
「……へーい」
教科書を片手に黒板の前に戻っていく国枝の後ろ姿を見送る俺に、いくつかの好奇の視線が寄せられる。それを感じながら、俺はそれら一切を無視して窓の外に視線を移す。
高山って馬鹿じゃん? 笑えるけどキモいよねー。ねー。などのひそひそ話もなんのその。ってか、陰口は本人のいないところで付きなさい、そこの性悪ブス共。
再び訪れた静寂の中で、ノートにシャーペンで文字を刻む音をBGMに、国枝の子守唄が教室の中を支配する。群青のパノラマに飽きて、視線を教室の中に移す。一番後ろの席からは、教室全体を見渡せて、視界に映るのはいつも通りのつまらない風景だった。
一年A組。在籍生徒数36名。その中にはもう宮川晴香の名前は、ない。
その訃報は唐突で、事実を受け入れる前に、現実だけがトントン拍子に独りでに前へ前へと進んでいった。宮川晴香が交通事故に遭い、死亡した。そんな、形式的な情報だけを教師から聞かされ、言われるままに参列した葬式会場での主役は、宮川晴香その人だった。
クラスの人気者で学年一の美少女の死は、大勢の人間の涙を誘ったものだ。各いう俺も、わけが分からないまま、もう二度とは宮川晴香には会えないという事実を知り、彼女の笑顔の遺影の前で思わず涙を零したのだ。
同年代の身近な人間の死は、まるで現実味を帯びないのに、死の概念を知った頭は感情とは無関係に理解はしていた。もう、宮川晴香には二度と会えないのだと。
それから、二週間が経った。宮川晴香のいた教室からは、もう、彼女の気配は一切断たれ、それが日常になりつつある。
それでも、俺は未だに目で追ってしまう。
一つ分だけ前にずれた列の席の最後尾。一つだけ中途半端に空っぽな、手持無沙汰なロッカー。そこに息づいていたはずの宮川晴香の余韻は、もう、日常に同化しつつあった。
二週間前には嗚咽を漏らして泣いていたクラスメイトの誰もが、今は当たり前のように前を向いて、板書された数式を黙々とノートに写している。そして、俺は――。
「おーい、高山。た、か、や、ま。目を覚ませー、今は授業中だぞ」
「……んあ?」
「さて。予告通り、問2はお前に解いてもらおうか、高山」
「な! そんな、殺生な!」
「お前、廊下立ってろ」
――クラスの笑い者になっている。
持ち時間五十分。息の合った教師達のタスキリレーの餌食となり、結局一睡もできないまま、半日以上を廊下に突っ立って過ごす羽目になり迎えた放課後。これ以上の罰ゲームはあり得ないぜ、と高を括った俺の前に現れたのは、昨夜のタガの外れた魔導師だった。
「はあ……! はあ……! いた! 高山君!」
唐突に教室の戸が開き、そこにいるはずのない設楽の姿が目に映った途端、俺の意識の周りをふわふわと浮かんでいた眠気は一気に飛散。待ち焦がれたワンダーランドは何処へ!?
「たっかっやっまっくぅん!」
「な! し、設楽! なぜ、お前がここにっ!」
「なぜって、ひどい! 僕達同じクラスメイトだろ!」
「そういうことじゃない! 今日欠席してるお前が何で当然のように学校にいるって聞いてんだ!」
「一刻も早く君に会いたかったからに決まってるだろ!」
「決めるな! って、近い、近い! それ以上近寄るな、よせえ!」
豚と猪のキメラは、整然と並んだ机を蹴散らし、猪突猛進。避ける間もなく俺の元までたどり着いたかと思えば、眼前に油の浮いたアンパンマン顔負けの丸顔をぐいぐいと寄せてくる。分厚い脂肪の壁を学ランで固めた設楽の肥満体を押し返すだけの気力、体力のなかった俺は、椅子からひっくり返る羽目となり、そのまま設楽に押し倒されてしまった。
「むっふっふ。マウントーポジショーン」
俺にまたがった設楽は、そのまま上体だけを起こし、気味の悪い薄ら笑いを浮かべた。窓辺から差し込む夕日の赤が、奴の姿を赤く染め、化け物じみた影を教室の床に映す。
……設楽とツーショット。しかも、マウント。こんなとこ誰にも見られたくない、教室に誰も残ってなくて、よかったよかった。って、全然よくねえぇ!
「い、いい加減にしろお前! 友達でもなんでもないしがないただのクラスメイトのお前に、出会い頭にマウント取られる筋合いはこっちにゃないぞっ!」
「ひどいっ! 同じオカルト同好会の仲間じゃないか、僕たち!」
「初耳だぞ、それ! 勝手に同じにすんな! 仲間にすんな! ってか、そんなこと周りに触れまわってないだろうな、お前! 訴えるぞ、畜生!」
「そんな……! だって、昨日は協力してくれたのに!?」
泣きっ面の設楽の台詞に、俺は思わず否定の言葉を飲み込んだ。別に設楽の醜い泣き顔に同情したわけではなく、ただ単に、それが事実だっただけに、否定もできなかっただけだ。……が、それで勝手にオカルトだのなんだのに引き込まれてはたまったものではない。
「……とにかく、お前。重いからいい加減降りてくれよ」
「う……う……」
まるでマジックポイントが底をついた魔導師の如く、昨夜のタガの外れた魔導師は力なくうな垂れ、大人しくなった。大粒の涙の流れる設楽の二重顎を真下から眺めていると、なんだか、可哀想な気はしないでもない。……が。
「……おい、設楽。早くどいてくれないかな?」
一向にマウントポジションが解かれる気配はなかった。
「うっうっ……ぼ、僕は……! 嬉しくて……! 君が協力してくれたのが嬉しくて……!」
それで、昨夜はあれだけ弾けていたと? 深夜の学校であれだけ騒ぎまくれば、そりゃ、守衛のおっさんも血相を変えて追っかけてきますわな。なんて、嫌味は今の設楽には控えてやった方がよさそうだ。
……まだ、マウントポジション解かれてないから。こいつ、興奮したら何するか分からんからな。追い詰められた上に、守りたいものがある魔導師ほど厄介な代物はない。自己犠牲自爆呪文でも唱えられれば、俺もただでは済まないのは必至。
すでに、クラスの間では「俺と設楽は仲良し子好」などというありもしない噂が流れ、完全にクラスでの社会的地位を失っている俺ではあるが、潔く承知などしてなるものか。これ以上、クラスメイトから見下された目で見られるのは御免こうむりたい。許せ、設楽。
「なあ、設楽。落ち着いて聞けよ。昨日の俺の行動がお前に誤解させたなら、俺にも悪いところはあった。そこは認める。認めるからこそ、お互いのためにはっきり言うぞ。俺はお前の同好会に入るつもりはないし、仲間になるつもりもない。はっきり言って――」
「じゃあ、これを見てよ!」
いや、だから落ち着けって……。
未だマウントポジションを取られたままの俺に選択の余地はなく、俺は黙って設楽の行動を黙認することしかできなかった。設楽は、背にしたナップサックを床に置き、おもむろにその中から何かを取り出した。更なる嫌な予感に、もはや閉口するしかない。
取り出したアイテムを右手に掲げ、自信満々ににやつく設楽。夕日を後光にまばゆいばかりのそれは、どうやら、設楽の最終兵器らしかった。
「……何の呪いのアイテムだ、それは」
「呪い、か。上手いこと言うね、高山君」
いや、お前にカケて言っただけだが。
「むっふっふ。これは、今日写真屋で現像してきた昨日の出来たてほやほやの写真さ」
「お前、もしかして、それだけのために今日学校休んだのか?」
「まあね。それで、一秒でも早く君にこれを見せたくて、飛んできたのさ」
……もはや呆れて言葉もない。
「これを見て、僕はますます君が欲しくなったよ」
タガの外れた魔導師にマウントポジションを取られた状態で、そんな気色の悪いことを言われる俺の身にもなってくれ。悪あがきにもがいてみたが、俺の両腕は設楽の両ひざにがっちりとキープされ、がら空きの背中にひざ蹴りを試みるも、脂肪の鎧に全てを跳ね返される。
絶体絶命とは、このことか。
「むっふっふ。た、か、や、ま、くぅーん?」
「……よ、よせ。早まるな、設楽」
巨大な肉団子が、ゆっくりと俺の顔へと迫ってくる。身の毛もよだつ状況に、不覚にも抵抗することができなかった。一体俺は、何の罪で、こんな罰を受けているんだ。
「よせえええええええええー!」
断末魔の叫び。そして、静寂――。
……あれ?
待てど暮らせど、一向に「厄災」は俺の身を襲う気配を見せなかった。
恐る恐る、固く閉じた瞼を開ける。すると眼前に突きつけられた写真が、俺の視界を塞いだ。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃない。ほら、見てよ、これ」
「……」
文句を言う気力など、残っているはずがない。とにかく、俺は設楽の言うままに視界を塞ぐ写真にピントを合わせ――ようとしたが、真っ暗で何も見えない。当り前だ、ボケ。
「おい、設楽。この態勢じゃ夕日が邪魔して写真が見えん。いい加減解放してくれ」
それなら仕方ないと、ようやくマウントポジションを解く設楽。逃げようと思えばできたのかもしれないが、設楽の体重に圧迫された俺の体は、とにかく酸素を求めていた。そして、チアノーゼ(酸素負債)からようやく回復し立ち上がると、設楽が眼前に立ちはだかっているのだ。なんか、もうどうでもいいから、早く帰りたい。
……もう、この先の展開は分かっているのだから。
「ほら、高山君、見てよ」
設楽のご機嫌な笑顔に、眩暈を覚える。
「まさか、僕もこんなに上手くいくとは――」
もう、設楽の声は俺の意識に届かない。それもそのはず、確かに今、俺の脳髄はザワワワと震えたのだ。
手渡された写真は、昨夜の出来事が紛れもなく現実だったということの動かしようもない物的証拠だった。果たして、心霊写真が物的証拠になり得るかはこの際、置いといて。
――どの写真にも、宮川晴香らしきものが写り込んでいた。