喪失
気がつくとまた眠ってしまっていたようで、部屋の窓の外は暗くなっていた。青色はまだ帰っていないようだ。俺はふらつきながらベッドを降りる。このままあいつの世話になってはいられない。宿の二階にあった部屋を出て、階段をふらふらしながら降りていくと受付の中年女性に変な目で見られたが、気にせずに外に出る。何かしなければいけないと思うが、それが何なのかがわからず、もどかしい。夜の市街を歩く。思えばここが何という町なのか、青色はなぜここで宿を取っているのか、何も聞いていない。まあいいか、あいつと会うのもこれっきりだ、などと思いつつ歩き続けると、いつの間にか狭い路地に入り込んでいた。
「おい」
背後からドスの利いた声が聞こえてきた。振り向くと、いきなり殴られた。1mほど吹っ飛んで、倒れる。口内に血の味が広がる。目の前に刺青を顔面に施した男の顔が現れる。
「よお兄ちゃん、珍しい身なりしてるじゃねえか。貴族様の系列か、それとも商人かなんかか?まあ、どちらもこんな裏路地にのこのこ入り込むとは考えられねえが……。まあいいさ、どちらにしろ金がありそうなのは確かだ、命までは取らねえから何か持ってるなら寄越しな」
首を振ると、男は右足を大きく後ろに引き、勢いよく俺の顔面を蹴りつける。
「あがぁ……っ!!!」
みっともなく呻き、体を縮こまらせる。
「強い奴の言うことに従う、ここではそれがルールだ。命までは取らねえが拒絶するなら色々なものを失うぜ、兄ちゃん」
男は勝手なことを喋りながらも俺の顔面を、腹を蹴りつけるのを忘れない。そのたびに激痛が走る。
ああ、俺はこの暴力に対抗する手段を持ち合わせている。
『汝の為すべきことを為せ』
だが、なぜか、この男を倒すべきだという気持ちが湧いてこない。
歓崎に使ったときは、本心から彼女を殺すべきだと思っていた。
つまり、俺が本当にそうするべきだと思わなければこのスキルは使えないのだ。
何も、できない。
「『悪食』」
男の首から上が消失した。