4.メルクとコルシェ
「そもそもあなたはどこへ行こうとしてるんですか。えー、コルシェ、さん?」
こういうお嬢様に向かってどう呼んで良いか分からず、とりあえずさん付けで呼んでみる。
「私のことはコルシェで結構ですわ。行先はホイヤー領のキリウム、そこで結婚式を行いますの」
「じゃあ僕のこともメルクと呼んでください。キリウムですか?僕もちょうどそこに……って結婚!?」
「ええ、領主のヴァンクリフ様と」
僕と同じくらいの子が今から結婚?
キリウム領主のヴァンクリフといえば、これから出仕に向かうメルクもある程度知ってはいるが、そんなに若い歳でもなかったはずだ。
しかし言われてみれば、コルシェが着ている白いドレスは結婚用のそれに見えなくもない。崖から飛び降りてボロボロになっていなければ、さぞ美しく見えたことだろう。
世の中って広い。
故郷から離れてまだそう経っていないはずなのに、メルクは早くも自分がいかに閉じた社会にいたものかと実感させられていた。
「わ、分かりました。ここから岩山を迂回していけばキリウムの手前の町に着きますから、そこから乗合馬車を使えば間に合いますよ、多分……」
メルクも行ったことがないので断言はできないが、地図を見た限りでは間違ってないはずだ。
「ありがとうございます!それでは早速参りましょう!」
コルシェはメルクの腕を引っ張り、意気揚々と歩き出した。
メルクは、この天真爛漫な少女がこれから結婚に向かうとは話を聞いた今でも信じられなかった。
「ところで、何で岩山を行こうとしたんですか?」
歩きながら、メルクは素朴な質問をしてみた。
「急いでおりましたの。ヴァンクリフ様は時間にとても厳しいお方と聞いております。日没までに式場に行かなければ、最悪婚約解消もあるとか……」
メルクはまさかと思ったが、岩山を登るお嬢様や領主との結婚話を聞くと、自分の常識を疑った方がいい気がしていた。
「ピアジェ家からキリウムは遠く離れております。普通のルートでは間に合わないと、そう考えた私たちは、あの山を越えることでショートフックを!」
言いながらコルシェは内側へえぐり込むようなパンチを見せる。メルクには拳の先が一瞬消えたように見えた。
――……??
言っている意味が理解できず、数秒間沈黙が流れる。
「……ショート……フック?」
「ショートアッパーだったかしら?」
メルクが聞き返すと、首をかしげながら、今度は下から上へ拳を突き上げる。
拳先に本当に人間の顎が存在するかのような見事なモーションだ。
「……もしかしてショートカットって言いたいんですか?」
「それですわ!山道をアッパーカットするところでしたの!」
「拳闘から離れてください!」
◆◆
「メルク様こそキリウムで何をなさるんですの?」
「僕もメルクで構いませんよ」
身分でいえば明らかにメルクの方が下だ。良家のお嬢様を呼び捨てにして良いと言われて、自分だけ様付けされるわけにはいかない。
「僕はキリウムの騎士団に入隊したばかりで、初めて騎士団の庁舎に行くんです。今日は移動だけなので、行ったとしてもやることは挨拶ぐらいだと思いますけど」
「まあ!騎士様でしたの?そういえば重々しくて立派な装備に身を包んでますわね!」
言いながらコルシェは、メルクの全身を頭からつま先までくまなくチェックする。
「でもこれはサイズが少し大きいのではなくて?」
「こ、これから伸びる分を考慮してるんです!」
訝しむコルシェに、メルクは思わず語気を強めて反論する。
メルクの身長は、一般的な男性に比べて少し低く、コルシェとそう変わらない。ひょっとしたらコルシェよりコンマ数ミリ単位で低いのかもしれないが、それを認めてしまうのはメルクにとって勇気の要ることだった。
「それは良い心がけですわ。伸縮性のない金属鎧は、小さすぎては使い物になりませんが少し大きすぎる程度なら問題ありませんもの。それに、ご自分の成長を信じる姿勢、それ自体が騎士の鑑と言えます!」
(は、恥ずかしい……!)
言われようによっては、嫌味な褒め殺しにも聞こえたかもしれないが、キラキラと目を輝かせて言うコルシェの言葉に一片の悪意も感じられない。しかし、そのせいでメルクは下手な言い訳をする自分が余計に情けなくなってしまった。