16.謎めく結婚式
「す、すみません!」
馬から降りるなり、メルクは目の前の赤毛の男に頭を下げる。焦りがあったとはいえ、教会のドアを蹴破るのはやりすぎだった。しかし日没までには間に合ったはずだ。男はわずかに眉を動かしただけで、無表情のままただメルク達を見据えていた。
「ありがとうメルク。もう大丈夫ですわ」
コルシェが軽やかな動作で馬から降りる。リヨンに貰った薬が効いたのか、戦いの疲労はすっかり回復したようだった。
「遅くなりまして申し訳ございません。ピアジェ家の第三令嬢、コルシェ・ド・ピアジェ。ヴァンクリフ様との婚約に従い、ただ今馳せ参じました」
コルシェは目の前の男に跪いて、恭しく礼をする。メルクは彼女が令嬢らしく振る舞うのを初めて見た気がした。男は何も言わず、こちらを見つめている。
妙だな、とメルクは思った。これから結婚式だというのに男は少なくとも、喜んでいるようには見えない。良家同士の結婚とはそういうものなのだろうか?
それに、この教会の外にはほとんど人がいなかった。時間ギリギリに着いたのだから準備は整っていないとは考えにくい。
それも領主の結婚式だ。街をあげてのイベントになるものだと思うのだが、それにしては教会内もその周囲も余りにも静かだった。
「コルシェ嬢。遠路はるばるよくぞ来てくれた。早速だが……」
「ヴァンクリフ様!」
ヴァンクリフが口を開こうとしたその時、従者と思われる男が慌てた様子で割り込んできた。
「どうした?」
「そ、それが――」
従者はコルシェを一瞥し、ヴァンクリフに耳打ちする。
「な、何だと!?……そうか」
ヴァンクリフが目を見開きうろたえる。馬が飛び込んできても冷静だったのに、一体何を言われたのだろうか。
彼はおもむろに立ち上がると跪いたままのコルシェに近づく。
「コルシェ嬢……」
そしてそのまま、鼻が触れ合う直前の距離まで顔を近づける。
「ヴ、ヴァンクリフ様……!?」
突然の大胆な行動に、コルシェは顔を赤らめ目を閉じる。
これは見てはいけないのではないか、と思いメルクは顔を逸らそうとするが、
「たった今この婚約は無効となった。誠に申し訳ないが、このままお帰り頂きたい」
「……は……?」
ヴァンクリフの言葉にメルクは再度2人に振り向いた。
この世の終わりのような表情で凍り付いているコルシェを見て、それが聞き間違いではなかったことが分かった。
◆◆
「ま、待ってください!」
先に口を開いたのはメルクだった。
「君は?」
「あ、えーと、この街の騎士、メルクと申します!恐れながらヴァンクリフ様、日没の期限には間に合ったはずです!いえ、間に合っていなくともそれには理由があるのです!」
実は今日初めて来たばかりです、とは話がややこしくなるので言えなかった。
「そ、そうですわ!ヴァンクリフ様!せめてお話をお聞きになってくださいませ!」
突然の婚約無効宣言に思考が飛んでいたコルシェも我に返り、メルクの弁明に加勢する。
「……ふむ」
ヴァンクリフはしばらく何かを考えていたが、やがて口を開いた。
「分かった。いきなりこんなことを言われても納得できないのは当然だろう。今から説明するから着いてきたまえ。騎士殿も一緒で構わん」
ヴァンクリフは従者に指示すると、教会の奥の扉を開けさせ、中に入って行った。メルクとコルシェもそれに続く。
廊下を抜け、一つの部屋に辿り着くと、ヴァンクリフは従者を下がらせ部屋の扉を開ける。
部屋の中には、わずかな明かりと中央に大きなベッドが一つ。そこには一人の老人が横たわっていた。
「自己紹介がまだだったな。私はルセン・ヴァンクリフ。そこにいるロイズ・ヴァンクリフの息子だ。親父はつい先ほど……事切れた」