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トモグイ トンボ  作者: 雨松 時雨
こころのへやー2日目ー
9/14

こころの栞

ココロが服を着るのはとても遅くて三歳児だってもう少し早く着られると思うようなもたもたした速度だったもので、見かねたトヨが遅ぇなったくもたもたしやがって。と、文句を言いながらも、服を着るのを手伝った。

なんと言ってもココロの両足は足首で切断されており、今まさに生えかけ状態で立つことは叶わなかったから服を出すのも一苦労だったのだ。


白骨の牡鹿の仮面をつけたままで、口悪く悪態を吐く割に、豊はとても丁寧だ。

水差しとボウルがあるのに気付いて、水で濡らした冷たいタオルをココロに渡し、自分で身体も拭かせ、届かない背中だけ豊が労わるようにやさしく拭いた。


下着は与えられていなかったが故に、生傷が半分癒えた身体に負担が無いように、ひらひらしたフリルが愛らしい大きめのワンピースを豊が着せる。


豊の手は指が太くてゴツゴツしていて、太い腕から指まで体毛が生えており、牡鹿というよりゴリラか熊の方が似合っている。そんな腕と手でワンピースについているレースアップの紐を綺麗に整え、ふんわりとした可愛らしいリボン結びを作り上げるのだから、ココロは一足飛びに豊を尊敬した。




「すごい……」


「……そうかい」


「わたしも出来る?」


「練習すればな」




返事をする雰囲気は確かにどこか闇を含んでおり重苦しく粘っこい感じかあったが、声がとにかく丸く優しく、温かみを帯びていたからか、ココロは怖がらなくなった。



とはいえ仲良くなったということでもないが故、その直後に沈黙が訪れた。

その一番の理由は、ここに来ると言った張本人であるツキヨミという少年が、屋敷内の探検に行くといって部屋から出て行って以来、帰ってこないからだ。


心配しなくてもこの屋敷には夜はココロしか居ない。正しくは、昼間は使用人が居るのだが夜には皆帰るので、夜に屋敷の主人が出かけてしまうと一人きりになるということ。


その話を聞いたツキヨミにしてみると、とても腑に落ちない内容であったようで、砂漠に吹く砂を含んだ風を受けたような鬱陶しそうな顔で暫く考え込み、「探検してくる」と言うなり、豊の制止も聞かずに出て行ってしまい、今に至る。



きちんと身形を整え終えて、豊はココロから離れ、二人が出入りしている大きな窓の方へ足を運び窓の外を眺めながら、煙草を取り出すと曲がっていたそれを指の腹で挟んで丁寧に伸ばし、まだ少し曲がってはいたがある程度まで伸びた煙草を唇に咥え、紙で出来たマッチを取り出し片手で弾いて火をつけ、橙色の小さな火が弾けながら燃えていたのが落ち着いたのを見計らって、煙草に火を移すと、まるで虫の羽音のような微かなジジッっという音がする。


豊の指が太いので煙草は随分細く見える。

口から離れてやっと煙草の先から一筋の煙が天井に向けて昇った。


煙草を見るのが初めてだったココロは興味津々だが、まじまじ見るのも憚られてちらちらと窺っては、もじりと身体を小さく動かす。



たっぷりと煙草の煙を味わい、吐くのも勿体無いと言いたげに細く細く煙を吐くと、絹糸が纏わり付くように薄い煙が漂い、空気に溶けて霧散していった。


乾いた枯葉をいぶしたような臭いが部屋に充ち、興味本位で煙を吸い込むと、自分の意思に反して喉が急激に縮まり、肺が苦しくなりわけも分からない内に咽てしまった。




「っけほ!?けほ!?」


「っ!……悪ぃな、煙、そっちにいったかい?」




咳に驚いて振り向く豊が、仮面の下で困惑しつつも気にしているのが良く分かる様子で尋ねる。

ココロには気にしてくれるのが嬉しく、パァァと晴れやかな表情になりながら口を手で押さえ、ふるふると首を左右へ振ってみると、豊はすぐに興味がなさそうに顔を背けてしまった。




「紛らわしいんだよ、ぼけぇ」


「……」




ココロは肩を竦め困ったような微笑みを浮かべる。これを愛想笑いとでも言うのか、ご機嫌取りとでもいうのか。尤も、ココロの方を向いていない豊に対してであれば、声をかけるなり泣くなりなにかした方が賢明な判断だったのだろうが、そこまでするほどには感じない。


恐らく、この牡鹿の白骨仮面を被って顔を隠している豊は、本質的にヘドロのような重苦しい闇であるのと正反対に、気性は荒くはないのだ。


その証拠に背を向けた豊は、窓の淵に寄りかかり、煙草を持った腕を軽く外へと出して、室内に煙が入らないよう最低限の心配りは行っている。目立ちはしないが、気が付けば優しい。そんな感じ。


それに甘えていてはいけないが、今なら過剰に反応する必要はない。

ココロは何だか、初めて言うような気がした言葉を選んで贈る。




「ありがとう……」


「あぁん?」


「……!?!?」




振り向いた豊の顔は分からないがはっきりと怒っているのが良く分かる声と態度で詰め寄ってきた。


それはもうズカズカと。もしかしたら、優しいと感じたのは大きな間違いだったのではないかと思うほどの、どろどろに淀んだ空気を纏って近付いて来るので、痛みが怖くないココロでも、シーツを掴んで身体を小さく縮め、ぶるぶるがたがたと振るえ、今度こそ正真正銘の愛想笑いでありご機嫌取りが目的の、敵意は無い意思が表れた渾身の笑顔――もちろん全力で強張っている――を浮かべ、「あ」でもなく「う」でもない、よく分からない声を漏らしていると、仮面の鼻筋がココロの顔に当たりそうな場所まで近付いてきて、獣が唸るような声で威嚇された。




「おう、礼を言えるのは良い事だが、状況を間違えると喧嘩を売ってることになるんだぞ、分かってんのか、あぁん??」


「あ、ぁぁ、う、いあ、ぁ、あい」


「だからって、言い方には程度ってモンがあるんだぜ、譲ちゃんよぉ」




ビックリしすぎて言葉にもなっていなかったが、豊には何が言いたいのか殆ど分かっているようで、会話的には可笑しいが意思疎通としては完全に成り立ってしまっている言葉が、的確に返ってくるからココロも必死だ。


目をぐるぐるさせながら声にしようと喉を震わせる。




「は、ぁ、あ、いぃ」


「いいや、わかってねぇ、その返事はわかってねぇ」


「ひぅぅぅぅ」


「首、横に振ったって、分かったってことにはならねぇんだよ。どうすりゃ良いのか、その脳みそすかすかの頭で考えてみろやぁ」


「う、うううう、た、たた」


「た??」




早く言葉を紡がなければ。そう、強く思えば思うほどに、喉は震えるのを止めて吐息しか漏れなくなってくる。

ココロが小さな口をぱくぱくと動かせる。リップも使っていないのにほんのりと濡れた唇は艶やかで、細い針金のような身体に見合わないほどふっくらとしているそれを、ふわふわと伸縮させているのを豊の白骨した牡鹿が訝しげに見つめている。




「た、たたた、た、べ、ふぎゃ!?」


「きゃん!!」




そうして漸く声になろうかとした刹那だ。

突然、ココロの顔が大きな手のひらで覆われ、力の限り押し離されてしまい、そのままベッドへと身体が背中からごろりと転がった。


痛みがないとはいえ押された力はそのまま身体に掛かるし、触れられたのは分かるもので、真っ赤になった顔を両手で押さえながらココロが顔を上げれば、そこにはツンツンと立った真っ白の短髪を持つツキヨミがいた。

どうやら――いや、どう見ても――戻ってきたツキヨミがココロの顔面を、指を開いた手のひらで思いっきり押したようで、それが分かると驚きも案外容易く安心に変わり、ココロはホッと胸を撫で下ろし、手をベッドに付いて身体を起こしていく。


しかし、今の「きゃん」という音は一体なんだったのか。

大凡聞いたこともない音にココロがぼんやりとした疑問を覚えているの、音の主が床からガバリと起き上がって、仮面の左側を押さえながら、ツバが飛びそうな勢いのある声で批判を突きつけた。




「ゴルァ!ツキヨミ!!痛ぇだろ!なんだって、わざわざ痛ぇ方ぉ選んでぶん殴ンだよ!!」


「だって、近いんだもん、気持ち悪ぃ。そのままちゅうする気か?ロリコンか?」


「男が、だってとかだもんとか言うんじゃねぇ!大体、誰がロリコンだ!」


「お前だよ、名前が長すぎて誰にも覚えて貰えねぇオッサン。大体、男のくせにキャンってなんだよ。そっちの方がやべぇだろ」


「ヤバイって言葉は使うなっつってんだろ!語彙力が低下する!」


「ばーか。的確に表現して傷付くのを防ぐために、わざわざその言葉を選んでやったんだ。語彙力鍛える前に、そのオイルが切れたぎっしぎっしの硬い頭ぁ、柔らかくしろっつーの。そんなだから、コミュ力が低下すんだよーだ、べぇー」


「なんだと、テメェ、言わせておけば」




ツキヨミが先端がとがった赤い舌を出して豊を馬鹿にすると、一見押されているかのようにも見えた豊から猛反撃が繰り出され、戦況は一気に混戦し始めた。

その声たるや、こんな広い部屋に大量の犬猫を押し込めて吠えたいだけ吠えさせているかのような騒がしさがあり、分厚いガラスをはめ込んだ窓さえもがたがたと小刻みに震えるほどだ。コレを一言で言うならばまさに怒涛。むしろ、怒涛以外に表現する言葉がない。


といってもココロはこんなにけたたましい会話を知らないもので、何を話しているのか全く分からず、荒れ狂う波をひとしきり受け続ける岩のとなってその場に座り続けた。


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