巨龍咆えるとき 6
ケンタウロスのミサイル爆撃は続いている。いったい何発のミサイルが積まれているのだろう。
【積まれてはいませんよ】と、大峰さんの声。【あのミサイルポッドは転移装置ですから、母艦の格納庫にあるだけのミサイルが撃てます】
それにしたって撃ち過ぎだろう、と思わなくもないが、言い換えればまだそこに敵がいるから撃つのをやめられないのだ。この爆炎の向こうにまだ、キマイラが生きている。それはすなわち、ウェルギリウスが生きているということだ。
「エネルギー!充填完了!撃てるぞ!」
ミサイルの爆裂音と爆風に負けじとトド吉が耳元で怒鳴る。僕はうなずいた。返事をしても聞こえる状態ではない。僕は左手のひらを前に突き出した。
「空間干渉壁」
見えない壁を展開させると、僕は白馬を前進させた。壁の高さは4メートル程に設定してある。熱風はそれより上を通り過ぎて行くから火傷はしないが、気温の上昇はどうしようもない。汗をだらだら滴らせながら、僕たちは爆炎に近づいた。
【何をしている!】聞き慣れない厳しい声が脳内に響く。どうやらケンタウロスの乗組員らしい。【ここは危険だ、とっとと下がれ】
「あ、いや、お気遣いなく」
【そんな訳に行くか!】
そりゃまあそうかもしれないな、と思いながら、たずねてみた。
「敵は今どうなってるんですか」
【……わからん】
「わからない?」
【そこにいることは間違いない。生体反応も消えていない。いや、生体反応が大きくなっている】
「それ攻撃しちゃダメなやつじゃ」
【だ、だが敵に反撃の隙を与える訳には行かん】
「充分な距離を取って、一度攻撃を止めてみては」
しばしの沈黙。相談でもしているのだろうか。そして。
【いいだろう】
案外素直だった。
ケンタウロスはミサイルを放ちながら後方にジャンプした。一跳びで100メートルほど下がる。もう一跳び。200メートルほど下がってケンタウロスは両手を前に突き出した。重力制御フィールド展開、ミサイル発射を停止。草原に静寂が戻った。風の音が聞こえる。炎は消え去り、煙の向こうにはキマイラの姿が……なかった。そこにあったのは赤い塊。巨大で、炎の色の光を放つ、卵のような、いや違う、真ん中が少しくびれた、ゆるやかな数字の8のようなその形は。
「繭だ」
その炎で編まれたような紅蓮の色の大きな繭は、もはや城塞の跡形も残らない窪んだ大地に直立していた。
「トド吉、いける?」
亜空縮滅砲が通じるのか、一瞬不安にかられたのだ。それに対しトド吉は。
「いける……はずやけど、何とも言えん。構成物質が特定でけへん」
より一層不安を掻き立てるような返事をしてくれた。そのとき。
音もなく、ひびが入った。繭の頂点から底部へと、稲妻の速度でひびが入ったのだ。黄金色の輝くひびが。そしてホウセンカの種が弾けるが如く、繭は勢いよく開いた。
翼が開いた。巨大なコウモリのような翼が。体を伸ばした。長い蛇のような体を。2本の腕があり、脚はない。全身がウロコに包まれ、頭上には棘がある。頭部は蛇のようで、しかし両眼は立体視を可能とすべく、前に向かってついていた。その姿はもう、誰が見ても。
【ドラゴン】それはパスタの悲鳴にも似た声。【キマイラをドラゴンに変貌させるなんて】
ドラゴンの口が開いた。赤い炎が吐き出される。炎は一直線にケンタウロスに向かった。だがケンタウロスは重力制御フィールドを展開している。炎は届かない、はずだった。しかしはためく赤い帯は、そこにいかなる障壁も存在しないかの如く、ケンタウロスの体を焼いた。けれどケンタウロスは動揺しなかった。分厚い超金属の装甲は、ちょっとやそっと火で焼かれたくらいではびくともしない。目からビームを発する。それはドラゴンを貫く、かに見えた。ビームはドラゴンの胸に穴をあけた。だが背中に抜けはしなかった。ビームが止まると、瞬時に穴は塞がった。そしてドラゴンは、少し大きくなった気がした。ドラゴンの吐く炎の勢いが上がった。炎の色が黄色くなる。ケンタウロスはミサイルを放った。全弾命中。爆炎が広がる。しかしあたかもフィルムの逆回転を見るかのように、爆炎は小さくなった。それがドラゴンのウロコの隙間に吸い取られたように見えたのは、僕の目の錯覚ではない。その証拠に、今度は明らかにドラゴンは大きくなった。
「あかん、熱エネルギーを喰っとるんや」
トド吉の声が震えている。どうやらそれほどの状況らしい。ドラゴンの吐く炎の色がまた変わった。黄色から青白い色へ。それは、鉄を溶断するガスバーナーの炎の色。
「ねえトド吉、思うんだけど」
「何や」
「あのケンタウロスは亜空縮滅砲は持ってないの」
「当たり前やろ。亜空縮滅砲は本来小惑星の破壊とか鉱山の掘削とかに使う、言わば建設機械や。それより破壊力の強い兵器はナンボでもある。まあ破壊力が強すぎて、惑星表面では使えんことが多いけど……あ、そうか!」
「亜空縮滅砲は熱を出さないよね」
「そうやった。コロッと忘れとったわ」
「という訳で、そこのデカブツに乗ってる人、聞こえますか」
一瞬遅れて反応があった。
【何だ、こっちはそれどころじゃ】
「亜空縮滅砲を使います。ドラゴンの動きを押さえてください」
【か、簡単に言うな】
「ミサイルもビームも効きませんけど、いいんですか」
【……一度だけだぞ】
素直である。
ケンタウロスは地響きをたてて走った。ドラゴンの青い炎に焼かれる胸板が赤く変化して行く。ケンタウロスは両手を伸ばす。けれどその腕の間を、するりとドラゴンは潜り抜け、上空にその身を逃した。刹那、その長い尾がケンタウロスに伸びる。鞭のようにしなったそれは、ケンタウロスの赤くなった胸を打った。強度の落ちた装甲は変形し、へこんだ。そして青い炎をケンタウロスの頭部に叩きつける。胸部に比較して装甲の薄い頭部は瞬時に赤く輝き、目が爆発した。だが同時に、ケンタウロスの腰の部分から煙が噴き上がった。ケンタウロスの腰から上、人の形をした上半身が空に舞い上がる。ドラゴンの吐く炎を切り裂き上昇すると、頭部をパージ、すると中から無数のワイヤーが飛び出し、ドラゴンに絡みついた。ドラゴンはもがき、ワイヤーを焼き切ろうとする。しかし数本を切ったところでケンタウロスの上半身に組みつかれてしまった。ドラゴンは羽ばたこうとしたものの、絡みついたワイヤーが邪魔をする。さしものドラゴンも耐え切れず、地面へ向かって降下した。
「一発勝負やからな!」
「了解!」
落ちてくるドラゴンを見ながら、僕は白馬を走らせる。そのとき。ドラゴンと目が合った。ドラゴンが口を開くより、僕が左手で宙に四角形を書く方が早かった。
「総転移ウィンドウ!」
僕に向けられたドラゴンの炎は、四角い窓に吸い込まれた。重力制御を振り切った魔性の炎も、この窓を突き破ることはできなかったようである。
ドラゴンとケンタウロスの上半身は回転しながら落下した。そして落雷の如き轟音と共にその身を地面に叩きつけた。その瞬間、ドラゴンの全身は青白い輝きに満ちた。
「あかん、全身から熱放射してワイヤーを一気にぶち切るつもりや」
「そうはさせるか」
もうドラゴンまで目と鼻の先。馬の速度を上げる。
「頭を狙え」
「効果は」
「7パーセントいける、満タンや」
ドラゴンは僕をにらみ、叫び声を一つ上げた。白馬は急停止、僕の両手は跳ね上がった。手のひらをドラゴンに向ける。
「発射!」
両手がビリリと痺れた。音も光もなく、ドラゴンの胸から上、そしてケンタウロスの腕と胸の一部が丸くえぐられ、消滅した。
そのとき、僕は引っ張られた。上に。僕はそこにいて、けれどももう、そこにはいなかった。
そこは星の世界。延々広大なる光と闇の海を僕は漂っていた。頭の上に星が流れる。僕は知っていた。その流れる星のことを。長い尾を曳き、いつまでもいつまでも流れ続ける星のことを、僕は知っている。そう思った瞬間、僕はそこにいた。流れる星の傍らに。黄金色の光を放つ流れ星。その核にいる者は、人の姿をしていた。いや、違う。姿は人に似ているが、首から上は人ではない。狼だ。その狼の顔が、こちらを向いた。
こんなところまで追いかけてくるのか。君もしつこいな。
どこに行くつもりなのか。どこまで行くつもりなのか。
世界は必ず分岐する。君と出会った世界があるなら、君と出会わなかった世界もあるはずだ。そんな世界を探すとするよ。
そしてまた神と戦うのか。
そうだ。
それは無駄だ。地球が、宇宙が、この世界が、あなたを受け入れない。
世界は必ず分岐する。私を受け入れない世界があるなら、私を受け入れる世界もあるはずだ。必ずあるはずなのだ。
それを見つけるまで、苦難の旅を続けるというのか。
そうだ。
心がひび割れ、すり減り、朽ち果ててもか。
世界は必ず分岐する。そして世界の数は無限だ。私のいるべき世界はどこかに必ずある。いつか必ず見つける。それが私にとって、生きるということだ。では君にとって、生きるとはどういうことだ。
僕にとって。生きるとは。生きるとは。
君は今しばらく、地球と共にありたまえ。星の海を旅するには、君はまだ浅い。いつかまた、君がその資格を手にしたなら、どこかで巡り会うこともあるだろう。その日を楽しみにしているよ。
最後に一つ、聞きたい。
何かね。
ワンドレビリア、ポッツォーリの浴場、ノート城の岩、バンシー、グラント、スコットランド王の鳥刺し、なぜ中世の伝承をなぞった。
この期に及んで何を聞くかと思えば、そんなことか。それは中世が憎かったからさ。憎いからこそ、いまだ中世の空気の残る君の国に、私の知る中世を復活させたかったのだよ。死者を復活させ、その上で御する。どこの世界にもある呪術の基本的な考え方だ。さあ、もうこのくらいでいいかな。それでは。
流星は速度を上げた。あっという間に僕の視界から遠ざかってしまった。僕はひとり、星の海に漂う。ただ一人。そうだ、一人ぼっちだ。僕はどうすればいいのだろう。戻らなければ、と思う。だがどこへ。どうやって。僕の思考は拡散する。深淵が僕の内側に入り込もうとする。怖い。寒い。寂しい。だがそう考える僕は存在するのか。果たして僕は本当にここにいるのか。それとも。
「ああもう、いい加減にせんか」闇の中から声がした。「まったくおぬしは毎回毎回、戻れもせんのに飛び出すだけ飛び出しおって、少しは後先のことも考えろ。これで何度目だと思っている。経験を記憶に残す努力をせい。と言うても無駄なのだろうな。おそらくおぬしは目が覚めると、このことを綺麗さっぱり忘れてしまうのだろう。厄介なことよ。あやつの言うた通りだ。おぬしは星の海を行くにはまだまだ浅い。当分は地べたを這いずり回っておれ」
僕の視界に一瞬映ったのは、ムク犬の如き子供。
「菊弥!」
耳元の声に顔を向けると、肩の上でトド吉と6羽のファミリーたちが、目を丸くして僕を見つめていた。
「どないしたんや、ぼうっとして」
「ああ、いや。僕は何時間くらいぼうっとしてた」
「何言うてんねん。1、2秒呆けとっただけやがな。大丈夫か」
頭が疲れている。まるで一晩徹夜したかのような疲れ方だ。
「て言うか、見てみい、ドラゴン倒したで。ウェルギリウス倒したんやで。一件落着やねんで」
そうだ思い出した、僕らはドラゴンを倒した。ウェルギリウスに勝ったのだ。巌が、田地2尉が、他の隊員たちが、笑顔で駆け寄ってくる。でも何故だろう、僕は素直に喜ぶ気にはならなかった。
◆◆◆◆
6枚切りのトーストを2枚食べ終わって、ぬるくなったコーヒーを飲みほして、時刻はそろそろ午前6時半。さて、鳥部屋のみんなの世話だ。
いつもなら賑やかな鳥部屋だが、今日は静かである。トド吉がまだ眠っているからだ。一昨日から寝ずに働き詰めだったのだから、今日くらいは朝寝させてあげよう。みんなそういう気持ちだった。僕もみんなに声をかけず、無言で餌と水を替えて行く。でもそれが何だか無性に可笑しい。僕はニヤニヤ笑ってしまい、それはみんなへも伝染した。最後に伝蔵のケージの餌と水を替えているとき、僕たちは笑い声を漏らさないよう、こらえるのに必死だった。
客室に向かうと、オカメインコのマルコはまだ少し不安げに、けれど元気な顔を見せてくれた。昨夜はパニックも起こさず、静かに寝ていてくれた。餌も減っているし、糞も出ている。特に心配な様子はない。
客室には小型のテレビが置いてある。マルコはそうではないが、人間の声など生活音がないと餌を食べない鳥もいる。そのためもあって日中はFMラジオを鳴らしているのだが、それではお気に召さない鳥もいるのだ。
普段はしない事だが、テレビをつけてみた。各局通常通りの放送をしているようで、しかし内容はどの局も昨日起きたことばかり。自分たちの商売道具が3000万人の人間をマネキン化させたことをどう思っているのかは、特に読み取れなかった。まあ、今回テレビ局は被害者である。その立場に甘んじていても、それはそれで良いのかもしれない。
マネキン化された3000万人にかけられた強制催眠は、早ければ昼頃には、遅くとも夕方までには解けたとみられる。滝緒は昼過ぎに動けるようになったと、香春に聞いた。新聞からの情報によれば、昼から夕方にかけて救急車の出動要請で、全国の消防署の電話回線はパンクしたらしい。医療機関も全国的に満員となり、被害者の大半は自宅療養を余儀なくされた。特に目のトラブルが多いとのこと。何時間も目を見開いたままで固定されていたのだから、さもありなん。夜になっても催眠が解けないという事例もわずかだが報告されているようだ。
政府の緊急対策本部は懸命に頑張っているとは思うのだが、やはり被害者の数が多すぎて手が回っていない。テレビは被害者の怒りの声ばかりを拾っている。野党はここぞとばかりに政権叩きに必死だ。あのとき首相が言っていたように、今の政権は吹っ飛ばされてしまうのだろう。その流れはもう変えられない様に思える。しかしあの会話が昨日なのだということに気づいて驚く。もう何か月も前のことの様だ。
昨日異界から戻ってからは首相とは会っていないが、大峰さんがメッセージを受け取って来てくれた。それによると、事件の詳細は公表しないつもりらしい。電波ジャックをしたテロリストを自衛隊の特殊部隊が殲滅した、そのような内容の発表になるだろうということだった。確かに、時空渡航者の大魔導士を宇宙人の超技術で撃退した、なんて話をして、いったい誰が信じてくれるのか。今はまだその時ではない気がする。夏浦首相はまだ若い。第2次政権もあるだろう。その時まで、僕らはまた静かに日々を過ごそう。
不意にマルコが歌い出した。機嫌の良さそうな、口笛のような歌声。マルコはテレビが好きなのだろうか。カルテに書いておこう。
時刻はそろそろ12時になる。外は強い雨だ。雨だれが裏のペンキ缶を叩く音がしている。FMラジオはヒットチャートを流していたが、どれも知らない曲ばかり。
「あ、ほら、この曲ですよ」リリイが言った。「カモミールスーパーマーケットの新曲」
「ああ、これか」
確か加津氏からダウンロード用の無料クーポンをもらったはずなのだが、どうしたっけかな、あれ。
「菊弥さん、それは酷いですよ」
パスタに叱られてしまった。しかしそうは言われても興味がないものは仕方ないよなあ。そう思ったとき、ポーン、とチャイムが鳴った。
鳥部屋から顔を出すと、玄関の風除室にレインコート姿の滝緒が立っていた。珍しくサングラスをかけている。僕が風除室のロックを開けて招き入れると、滝緒は急に不機嫌になった。
「午前中から診察してくれる眼科があるのよ」滝緒はむくれながらそう言った。「雨の中、日焼け止め塗りたくって8時前に病院に着いて、目薬もらうだけで今までかかったの。満員御礼もいいとこ。信じられない」
そりゃまあ3000万人だからねえ、と言いたかったが、言えなかった。滝緒が僕の首に両腕を回してきたからだ。そして滝緒は僕の頭を胸に抱きしめた。
「ありがとう」
それだけを言って。中腰で滝緒の胸に顔を埋めて、僕は困った。顔が動かせない。
「礼を言われるようなことは何もしてないよ。僕はただの端末だし」
「知ってるよ。それでも、ありがとう。何よりここに帰って来てくれて」
滝緒は僕の頭のてっぺんに頬を乗せた。ますます動けない。
「よう、元気そうじゃねえか!」どこから湧いたのか、巌が立っていた。「何だ、またたきおんかよ」
あからさまに残念そうな顔の巌だったが、僕としては助かった。驚いた滝緒が放してくれたからだ。ちょっともったいない気持ちもなくはないが。
「何だとは何よ。あんた何しに来たの」
「助けてもらっておきながら、その言い草。聞き捨てなりませんね」
巌の後ろには当然のように香春が立っていた。しかし滝緒は目も向けない。
「助けてもらったお礼は菊弥に言いました」
「そんな当たり前のことは自慢になりません」
「だったら何、ついでに巌にも感謝しろって言うの」
「違います。ついでではなく、心から感謝なさい」
「はいはいアリガトウゴザイマシタ、これでいいんでしょ」
「このクソ女ァ!」
掴みかからんとする香春を巌と僕が食い止めた。そしてもう一人、香春を止めようとする三人目の姿が。
「こうちゃん、危ないよ」
黒いメイド服に黒いアームカバー、黒の手袋、黒のストッキングを身にまとい、黒いフルフェイスのヘルメットをかぶった小柄な見慣れぬ人影の、しかし声には聞き覚えがあった。
「あれ、白石さん?」
「ええっ、何でわかったんですか」
巌に負けず劣らずの、全身黒づくめの白石さんは、あたふたと手を動かした。
「いや、そりゃあわかる」
いかに僕とて苦笑する。
「白石さん、外に出てきて大丈夫なの」
覗き込む滝緒に、白石さんは何度もうなずいた。
「は、はい、紫外線さえカットすれば。外にも慣れなきゃいけないので」
「へえ。白石さんにも黒着せるんだ」
滝緒の切れ長の目で見つめられて、巌は眉を寄せた。
「うちの家政婦は基本的に黒だ。仕方ないだろ」
「白石さんなら白が似合うと思うんだけどなあ」
「おめえは何が言いたいんだよ」
「べーっつにい」
香春は手指をワキワキと動かす。
「巌さま、お放しいただければ即行でこの女の息の根を止めますが」
「いいから、おめえは黙ってろ」
「て言うか、そもそもたきおんも巌も、何しに来たの」
その僕の問いに、滝緒は驚いたような顔を見せた。
「あら大変、すっかり忘れてたわ。ねえ菊弥、最近この近くの山に天狗が出るって話知ってる?」
「何だ、おめえもかよ」巌の方は本当に驚いているようだった。「鼻はでかくないっていう話だ」
「そう、すっごいイケメンだって」
2人が僕を見つめる。何を言いたいのかはだいたいわかった。
「了解。話してみるから詳しいこと聞かせて」
まったく昨日の今日で。僕は一つ、ため息をついた。
午後4時半、傾いた陽が影を伸ばし、人々がそろそろ動き出そうかとする頃合い。バイオカラスの声が聞こえる。まだねぐらに帰るには早いか。タイマーは客室を消灯した。常夜灯が灯っていることを確認して、僕は客室の扉を閉めた。今日は来客の予定はない。玄関も閉めてしまっていいだろう。玄関ドアの鍵を閉め、風除室も施錠し、玄関ホールの照明を落とした。そして僕は鳥部屋のドアを開けた。
「よし、揃ったな」ブルーボタンの伝蔵がうなずいた。「では第155回定例会議を始める。議長は我、伝蔵が務める。議題は件の2人が持ち込んだ、天狗について。異議ある者は申し述べよ」
「異議なし」
セキセイインコのリリイが言った。
「異議なしです」
ヨウムのパスタが言った。
「特に異議なし」
モモイロインコのミヨシが言った。
「異議ないで」
十姉妹ファミリーを代表してトド吉が言った。
「では菊弥、現時点において知り得るだけの情報を」
伝蔵にうながされ、僕は口を開いた。滝緒と巌に聞いた天狗の情報を語る。別に僕が話さなくても、みんなもう知っているはずなのに、とは思うけれど、会議というのはこういうものらしい。なら仕方ない。とりあえず明日の夜にはオカメインコのマルコを飼い主さんに返さねばならない。そのスケジュールにだけは影響がないようにして欲しいなあ、と思いながら、僕は語り続けた。それが次の冒険の始まりになるとは意識せずに。
西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇 (講談社学術文庫)
:ティルベリのゲルウァシウス 著 池上俊一 訳
中世幻想世界への招待 (河出文庫)
:池上俊一 著
ブッダのことば――スッタニパータ (岩波文庫)
:中村元 訳
ブッダ神々との対話――サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫)
:中村元 訳
ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫)
:中村元 訳
妖怪と精霊の事典 (青土社)
;ローズマリ・エレン・グィリー 著 松田幸雄 訳
子供たちとの対話――考えてごらん (平河出版社)
:J・クリシュナムルティ 著 藤仲孝司 訳
草枕 (青空文庫)
:夏目漱石 著