巨龍咆えるとき 5
「3班は城壁の上の敵を狙撃、1班2班は私と共に突撃する。派手に行くぞ、作戦開始」
田地2尉の命令と共に、作戦は開始された。隊員たちが叫び声を上げながら城塞に向かって走り出す。それを僕と巌とトド吉は、草むらの中に身を隠しながら見届けていた。
「本当に大丈夫なのかな」
僕のつぶやきに、トド吉が突っ込んだ。
「しゃあないがな。陽動が要るのは確かやねんから。任せろ言われたら任せるしかないやろ」
「そりゃそうだけど」
銃声が散発的に響く。バリアがあるのだから、狙撃は本来意味をなさない。本当に目を引き付けるだけの役にしか立たない。僕が悪い訳ではないのだが、何だか気の毒になる。そもそも自動小銃は狙撃に向いているのだろうか。そんな事が気になった。
「よーし、そろそろ終わるぞ」
巌がそう言ったが、何がどう終わるのかは僕にはさっぱりわからない。見る限り、何も変わった所はない。
「……ま、こんなもんだろ。終了だ」
巌はうなずいた。
「終了って。本当にこれでいいのか」
「何か不満か」
「いや不満とかじゃなくて、これ本当に敵から見えなくなってるのか」
そう、妖精の協力とは、僕らの姿を敵から見えなくすることができるということだった。だが僕の目には何かが変わったようには見えない。自分の手足は見えているし、トド吉の姿だって見えている。
「普通の人間の目にゃ消えたようには見えねえだろうな。だが敵さんの目からは消えてるはずだ。少なくとも妖精どもはそう言ってる」
その妖精の言ってることがどこまで信じられるのか、その判断基準が僕にはないのだ。だから今この状況で敵のいる近くまで走って行くのは正直怖い。だがもうここまで来たら、信じるしかない。
「おっしゃ、ほんなら行くか」
トド吉の言葉が僕の背を押す。
「エネルギーの充填はどのくらい」
「目標数値の7割っちゅうとこかな」
「了解」
僕は立ち上がった。そして巌を置いて駆け出した。田地2尉たちは城塞正面で敵の目を集めている。だから僕らは側面に回り込む。草むらの中を、ひたすらに駆ける。城門の開く音がした。横目で見やると、城塞の中から馬頭人がなだれ出てくるのが見えた。響く銃声の数が増える。急がなければ。城壁の上の馬頭人がこちらを見たような気がした。だが槍は飛んでこない。ならば行ける。スピードを上げた。
「もうすぐバリアの縁やぞ」
「了解」
バリアの縁まで達したら、総転移ウィンドウでバリアを中和し、亜空縮滅砲を撃つ。そういう手筈である。だが。
草むらの中で、黒い影が動いた気がした。その途端、足に痛みが走る。
「痛っ」
僕は思わず倒れ込んだ。そして痛む足を見る。そこには。蟻がいた。シルエット的には確かに蟻の姿である。ただ大きさがコーギー犬ほどもあり、その口には犬の牙が生えていたが。周囲の草むらがザワザワと揺れる。犬の口をした巨大蟻の群れが姿を現した。
「ミルミドン蟻は妖精の匂いに敏感なのさ」
その声に振り仰げば、上空から僕を見下ろしているのは、魔女。
「妖精の力を借りて姿を消すとはよく考えた。あたしも見逃すところだったよ。だがあの方にはお見通しだったようだねえ」
万事休すか。しかしそのとき、僕の耳元でささやく声が。
「菊弥、満タンやぞ」
「でもバリアが」
「かまへん、そのまま行ったれ」
「行ったれー!」
「行ったれー!」
矢のように飛んだトド吉のファミリーたちが、足のミルミドン蟻を跳ね飛ばした。僕はその勢いのまま身を起こし、城塞に両手のひらを向ける。
「八つ裂きにしな!」
魔女の声が飛び、蟻たちは一斉にジャンプした。けれど十姉妹ファミリーの高速ガードがそれを寄せ付けない。
「効果7パーセント、発射」
僕の両手がビリリとしびれた。その瞬間、城塞は上半分が音も光もなく消え去った。城壁の馬頭人たちと共に。
「くそ、やっぱり根こそぎっちゅう訳には行かんかったか」
トド吉は悔しがったが、魔女の顔の色を失わせるには充分だったようだ。あんぐりと口を開け、愕然と城塞の廃墟を見つめている。
「お父ちゃーん……」
「そろそろ限界……」
十姉妹ファミリーもこれ以上はミルミドン蟻を防ぎきれないようだ。
「重力制御フィールド展開」
僕は右手のひらを蟻たちに向けた。フィールドを水平に、そして垂直に伸ばす。ミルミドン蟻の群れは宙に浮かんだ。僕は手をすぼめ、フィールドをすり鉢状に変形させる。蟻はその底に溜まった。そして僕は左手で中空を四角く切った。
「総転移ウィンドウ」
重力制御を解く。虚空に四角く開かれた窓に、蟻たちは落ちて行った。
トド吉のファミリーが、僕の肩に戻って来た。僕は魔女を見上げた。宙に浮きながら、いまだ呆然と城塞を見つめている。
「もう終わりだ」
「かもしれないね」
「あんたも自分の世界に戻ったらどうだ」
魔女は小さく鼻を鳴らした。
「おや、見逃してくれるのかい。優しい子だこと。だが、浅いね」どこかで聞いたセリフだ。「浅くて薄っぺらい優しさだ。あたしにはね、最初から戻る世界なんてないんだよ。おまえに力を貸した妖精たちと同じさ」
僕にはその言葉の意味するところがわからなかった。
「何だい、知らなかったのかい。妖精はね、本来小さなものしか隠せないんだよ。自分の体とか、人間の赤ん坊とかね。じゃあ大人の人間のような大きなものを隠すにはどうしたらいいと思う。自分をすりつぶすのさ。すりつぶして、血と肉で覆い隠す。おまえには見えないんだね、妖精の血と肉で覆いつくされた、血みどろの自分の姿が」
魔女はあざ笑うかのようにそう言った。だが僕は不思議なほど冷静だった。そのとき僕の脳裏にあったのは、あのときの巌の険しい顔。あいつ、知ってやがったな。
「自分をすりつぶした妖精はどうなる」
「風になり、音になる。ただの自然現象になり、もう二度と妖精の姿には戻れない」
「あんたも自分をすりつぶしたのか」
「自分の体、自分の心、それと同じか、それ以上だと思っていたものを、みんなすりつぶしたよ。そうまでして、生きたかった。そうまでして、新しい世界を見たかった。おまえにはわからないだろうね」
確かにわからない。どう同情していいのかすら思いつかない。
「その浅い自分を大事にしておあげ」
魔女の顔に微笑が浮かんだとき。上半分を消し飛ばされた城塞の真ん中から、天に向かって雷が走った。それは樹海の地下で見たものを思い起こさせた。
「トド吉、亜空縮滅砲は」
「いますぐやと、効果3パーセントがせいぜいやな」
城塞の壁を突き破って、獅子の前脚が現れた。デカい。この時点でデカさがわかる。樹海で見たときよりも何倍もデカい。次に現れたのは獅子の頭部。そして山羊の頭、山羊の後脚、蛇の頭部がついた尾が姿を現す。巨大なキマイラは全身から稲妻を発しながら、城塞の上に全身を見せた。その背中に僕の目は止まった。キマイラの背中から生えている山羊の頭につかまり立っているのは、ウェルギリウス。その隣にいるのは、大輪心だろう。そして背後には黒馬グラントがいる。
僕は飛んだ。右手のひらを斜め後ろに向けて。重力制御フィールドは僕の体を風に舞う木の葉の如く持ち上げた。一気に城塞の門――もはや門の姿は留めていないが――の前に達する。このままでは田地2尉たちが皆殺しにされるだろう。僕が守らなければ。だがその思いが勝ち過ぎたのか、僕はバランスを崩してしまった。
――飛ぶのは簡単だが、安全に降りるのは難しい――
伝蔵の言葉を頭によぎらせながら、僕は草むらに墜落した。
人狼は満月の夜、狼に変身する。ただそれだけだ。悪魔の下僕でも吸血鬼の眷属でもなく、ましてや不死身などではない。銀の弾丸を使わずとも死する。その証拠に、魔女狩りの嵐が吹き荒れたヨーロッパ中世の頃、時を同じくして人狼狩りも猛威を振るい、おびただしい数の『人狼』が殺されている。
――そうだ、人狼狩りに遭った者たちのほとんどはただの人間だったが、本物の罪なき人狼たちも虐殺された。ただ人狼であったというだけの理由で、老人も、女も、子供も、神の名のもとに皆殺しにされたのだ。だから私は――
神を呪ったのか。
――そうだ、呪った。呪ったとも。私が時を超え、世界を超え、ようやく巡り会った、私の愛したすべてを奪った、神という存在を呪った。だが気づいたのだ、いくら神を呪っても、それは復讐にはならないと。神を信じる世界そのものを消し去らねば、神の存在は揺るがないのであると。だから私は――
神の支配しない世界を創ろうとしたのか。
――そうだ、だから神の支配せぬ地を探した。だが、ただ単に神が支配せぬ地では意味がなかった。なぜなら神のいない地とは、人のいない地であったからだ。それでは世界を変えられない。世界を変えるには、多くの人が暮らし、そして叶うことなら、ただ一つの神の存在を知りながら、なおかつその支配を受けていない地であれば理想的だった。そして見つけた。時を超え、世界を超え、ようやくここにたどり着いたのだ。だから私は――
神と同じことをしたのか。
――そうだ、戦いは勝たねば意味がない。勝利のためには情愛はいらない。勝利のためなら神ともなろう、悪魔ともなろう。世界のすべてを敵に回しても構わない。求めるのはただ勝利のみ。だから私は――
勝利のみを望んでは、神に勝利することは叶わぬ。
――黙れ――
ただ己を神の位置に置き換えるだけ。それは神への敗北。
――黙れ、黙れ、黙れ――
神は一にして全。全にして一。あまねく場所に立つ神々と、ただ一つの神との間に、差も違いもない。それは人の目には見えぬ理。見る必要のない理。見えぬが不幸なのではない。見えると思う傲慢さが不幸である。
――おまえは、神なのか――
神には非ず。神は存在であり非存在である。ここにあり、どこにもない。神は常におまえと共にあり、同時におまえは永遠に神に触れることはない。神はおまえを見つめ、同時におまえなど気にも留めない。おまえは神を憎み、しかしおまえは神を知らぬ。神を知らぬ大地を探す必要などなかった。おまえこそが神を知らぬ大地である。
――では、おまえは誰だ――
我が名は……地球。
【菊弥さん!】
右手を顔の前に出す。重力制御フィールドは、頭から落下する僕の身体を支え、地面への激突を食い止めた。
「リリイ、ありがとう。助かった」
【どういたしまして】
「おまえ、ええ加減にせえよ、ワイらまで死ぬとこやったやんけ」
「悪い。でももう大丈夫」
トド吉に謝りながら地面に降り立つと、同時に重力制御を解除、左手のひらをキマイラに向けた。
「空間干渉壁」
これで稲妻は防げるはずだ。だが次の手がない。どうする。
「頂さん」
田地2尉が駆け寄ってくる。
「すぐ全員僕の後ろに回ってください。稲妻が来ます」
田地2尉はうなずき、号令をかけた。
「撤収!」
しかしその時点で立って歩けるものは10人といなかった。累々と横たわる死体は馬頭人のものだけではない。だが感傷に浸る余裕などない。キマイラが大きく輝いた。次いで衝撃。フルパワーの空間干渉壁を震わす幾条もの雷。そして轟音。鼓膜を破壊せんが如き強烈な音圧。雷鳴は空を裂き、地を薙ぎ、横たわる骸を敵味方の区別なく、情け容赦なく粉砕して行く。圧倒的な音と光の激流に、僕らは防戦一方となった。3秒あれば。キマイラの攻撃に3秒の空白があれば、全員を転移させられるのに。その僕の痛切な願いが、天に聞き届けられたのか。
それは落ちてきた。玉だ。巨大な鋼鉄の玉。僕らとキマイラのちょうど真ん中に、まるで通せんぼをするように、大空から地響きをたてて落下した。キマイラの雷がさえぎられる。今だ、僕らは後方に転移した。巌たちと合流する。歓声に迎えられた僕らを、しかしキマイラの放つ電撃の音が心胆寒からしめた。
稲妻は巨大な玉に集中攻撃をかけているようであり、それは同時に玉に吸い取られているようにも見える。玉はしばらく無反応だったが、やがてその表面に亀裂が走った。いや、違う。開いている。玉の中に閉じられた何かが、解放されているのだ。最初に見えたのは、四角い柱のようなもの。玉から突き出るように持ち上がると、内側に折りたたまれていた六本の脚が開かれた。そして柱は位置を下げ、六本のやや短い脚が地面に着くと、逆に玉を持ち上げた。玉は変形し、あたかも人の上半身であるかの如き形へと姿を変えた。その巨大な姿はまるで、短い六本脚を持った、太っちょのケンタウロス。
【やっと来ましたね】唖然とする僕の頭に、大峰さんの声が届いた。【諜報部直属の機甲部隊です。味方ですよ】
「味方だそうです」
僕の言葉に、小隊の一同は湧いた。けれど僕の気持ちは晴れなかった。
ケンタウロスは攻めた。唸りを上げて拳を振るった。だがそれはキマイラに届かず空を切る。見えない壁があるようだった。キマイラの稲妻。しかしまったく通じない。ケンタウロスの目からビーム。敵を貫くはずだった緑色の光線は、曲線を描き地面をえぐった。沸騰し溶岩化する大地、湧き立つ炎。赤々としたそれはキマイラとケンタウロスを下から照らした。
「リリイ」
【はい】
リリイは不思議そうな声で応じた。
「あの馬、もう一度出せる」
あの馬、それはあのとき恵海老人を助けた、あの白馬。
【出せますけど、どうするんですか】
「トド吉」僕は答えず、肩の上の十姉妹に語りかけた。「亜空縮滅砲にエネルギー充填」
「……マジか」
その心底嫌そうな顔。だが驚いてはいない。予想はしていたのだろう。
「マジだよ」
「マジかあ、ワイ寝てないのに、マジなんか」
「おい馬鹿野郎、何考えてやがる」
巌が僕の前に立ちはだかるように立った。爆発音が響く。ケンタウロスが背中のミサイルポッドからミサイルの雨を降らせていた。
「保険だよ」
「保険だあ?」
爆炎に包まれるキマイラ。しかしその炎は渦を巻き、やがて地面の炎と合流し、そしてキマイラの背中に生えた山羊の口へと吸いこまれてしまった。
「あのウェルギリウスが、このままやられるとは限らない。だから保険をかけなきゃいけない」
「だからって、おめえが行くこたあねえだろう。宇宙人の総本山が動き出してるんだろうが」
ケンタウロスが両手を開いてキマイラに向けた。城塞の残骸が跳ねるように上空に舞い上がった。重力制御フィールドだ。
「僕にしかできないことがあるなら、僕が行くしかない」
「ふざけんな、調子に乗るんじゃねえぞ、このボンクラが」巌が腕をつかむ。「てめえにできる事より、できねえ事の方が多いってことを理解しやがれ。まして、おめえ如きが動いたところで、大勢に影響なんざねえんだよ」
キマイラの身体が持ち上がって行く。馬頭人すら持ち上がらなかった僕のフィールドとは別物のようだ。出力が違うのだろうか。
「影響が無いのなら無いで構わないよ。保険なんだから」
「おめえな」
高く持ち上げられたキマイラが、突然地面に叩きつけられる。重力を急激に増加させたのだ。衝撃が振動となって地面を伝わり、風となって空気を伝わって来た。
「薄っぺらい義侠心さ。笑っていいぞ」
「うるせえよ、面白くもねえもんを笑えるか。せっかく助かった命だぞ、なんで縋りつかねえ」
「縋りつくさ。死にたくはないからな。ただ縋りつき方が、おまえとは違うだけだ」
そのとき、僕と巌の前に、白馬がその輝く姿を現した。中空から予告もなく。
「行くのか」
「ああ、ちょっと行ってくる」
巌は僕の腕を放した。白馬が膝を折る。その鞍もない背中に僕は乗った。
ケンタウロスは再び背中からミサイルを放つ。同時に目からビーム。キマイラは灼熱の業火に包まれた。
白馬は走り出した。赤く燃える城塞跡に向かって。
「トド吉、亜空縮滅砲は」
「今やと効果5パーセントいうとこかな」
「悪いな、道連れにしちゃって」
「ワイはこれが終わったら、今日はもう何も仕事せんからな。言うとくぞ、何もせんから」
「了解」
草原の上を吹き荒れる熱風。その只中を突っ切って走る白い馬。馬の持つ力か、炎の熱は僕にまで届かない。
【菊弥さん】
リリイの声が頭に響くと同時に、白馬は足を緩めた。ケンタウロスのミサイルとビームの攻撃はまだ続いている。その紅蓮の炎を背に、一つの影がこちらに近づいていた。それは黒い影。黒い馬。グラントだ。
「グラントが出て来れるってことは」僕は噴き上がる炎を見つめた。「あの中でウェルギリウスはまだ無事だってことだよな」
【気をつけなさい】とミヨシの声。【グラントの背中に騎士が乗ってるわ】
「騎士の中身は」
【中身は……あるわね】
「やっぱり」
僕は舌打ちをした。いまグラントの背中に騎士が乗り、その中身が空洞ではないとするならば、解答は1つ。そこにいるのは大輪心だ。
白馬は右に曲がった。グラントを回り込もうとしたのである。しかし当然の如く、グラントはついてきた。黒馬は白馬と並走する。仮面をかぶり鎖帷子をまとった、小柄な馬上の騎士が剣を抜いた。
「もうやめろ!勝負はついているだろう!」
【笑止。本当に勝負がついているのなら、何故あなたがここにいるのです。それこそがまだ何も終わっていないことの証】
グラントのテレパシー。さすがにミサイルの爆撃音が間断なく響くこの場所で、音声による会話は無理のようだ。いや、だがそれならば。
(大輪心は死の絶叫を使えない)
【よくお気づきで。けれどそれに気づいたあなたはどう戦います。気づかなければ私ごと吹き飛ばせていたでしょうに】
確かに亜空縮滅砲を使えば、一瞬で片が付く。けれどそれはできなかった。
そのとき、僕の周囲に淡い光がまとわりついた。1つ、2つ、3つ、そしてたくさん。一瞬僕の全体は光に包まれた。その光がすべて消えたとき、僕は真っ黒な甲冑をまとっていた。右手に太刀を握って。
【おのれ、妖精ごときが余計な真似を】
しかしこれで互角の立場、とは行かない。何せ僕は剣を振るったことなど一度もないのだから。一方相手は、中身が大輪心だとはいえ、実際に騎士を動かしているのはグラントの念動力だ。そしてグラントは、少なくとも恵海老人と戦った経験を持つ。経験値では向こうが上だ。
【それがわかっているのなら】騎士は剣を振り上げた。【もう諦めなさい!】
振り下ろされたその剣を、僕の左手の太刀が受けた。左手でも抜けるものなのだな、と僕は他人事のように感心した。いや、実際他人事だった。いま僕の身体を動かしているのは僕の意志ではない。
【体、しばし借りるぞ】
それは伝蔵の声。グラントは反応した。
【あのときの鳥さんですか。とどめを刺しておくべきでしたね】
騎士の剣がひるがえる。僕の太刀がきらめく。ミサイルの巨大な爆炎を背に、僕らの周囲に小さな火花が散り乱れる。均衡状態が続く。だが運動不足の僕の細腕、そう長くはもつまい。早々に決着をつけなければならない。しかし僕は決断できずにいた。いま僕の双肩には1億人超の人々の命と人生がかかっている。その前にあっては、小さな犠牲はやむを得ない。そのはずだ。けれど、大輪心の命を奪うことにまだ躊躇いがあった。浅い。薄っぺらい優しさだ。つぐみや魔女にならそう言われることだろう。それでも。
【不愉快なのですよ、この偽善者が】
グラントは怒りに任せ、大きく踏み込んできた。騎士は剣を振りかぶり、一撃必殺を狙う。いまだ。
「騎士を狙って!」
伝蔵に操られる僕の腕は、馬上の騎士めがけて突きを入れた。その瞬間、グラントは身体をよじる。僕の太刀は大輪心をかばったグラントの首を深々と貫いた。グラントは首に太刀を残したまま、数歩ヨロヨロと後ずさる。そして頭を下げ、口を開けると、大量の血を吐き出した。大輪心は背中を飛び降り、仮面をかなぐり捨てると、グラントに顔を近づけた。何かをつぶやいているが、爆撃音で聞こえない。
【……やってくれましたね】
頭に響くテレパシーも弱々しくなっている。
【私が心を読んでいることを……逆手にとって……まさかこんな安易な手に】
「僕に子供を殺せる訳がないだろ。それはあんたも同じじゃないか」
【確か……に】
グラントは歯を剥いた。血にまみれた赤い歯を。そして、どさりと重い音を立てて、横向けに倒れた。グラントの視線は虚空をさまよう。
【あとは……頼……む】
冷たくなって行くグラントの体にすがりつき泣く大輪心の隣に影が立った。森の魔女。それを見て、僕は馬を走らせた。もはや欠片も残っていないであろう城塞跡に向かって。




