巨龍咆えるとき 4
「ドンパチやんのか」
鳥部屋に戻った僕と大峰さんに、真っ先に巌が向けた一言である。
「おまえ、本当にデリカシーってもんがないよな」
「うっせえ、細けえこと言うんじゃねえよ。俺も行くぞ」
「はあ?」
「いいだろ、俺も連れてけ」
「馬鹿か。そんなことしたら、僕が香春に怒られるだろ」
「馬鹿はおめえだ。何で香春の許可が要る。俺がいいつったらいいんだよ」
巌は僕の椅子に座ってクルクル回った。巌の考えていることはわかる。さすがにそれがわからないほど頭は悪くない。ありがたいと思う。だが、いくら何でも危険すぎる。僕は仕方ない。何故なら僕は宇宙人に生かされている立場だからだ。彼らが望めば戦場にも行かざるを得ない。だが巌はそうではない。ならば。
「ならば、坊やが守ってあげればいいじゃない。あんたは難しく考えすぎなのよ」
ミヨシがおそらく僕の頭の中をのぞいた上で、そう言った。巌は手を叩いた。
「いいこと言うじゃねえか、ピンク。そうだよ、おめえが俺を守れば問題ねえだろ」
久しぶりにぶん殴りたくなった。何を言ってるのかわかってるのか、こいつは。
「おまえな、そんな上手く行く訳ないだろ」
「努力目標だよ、努力目標。ノルマじゃねえ。だったら簡単だろ」
そんな簡単な話じゃない。そんな簡単であるはずがない。
「最初は努力目標のつもりでも、どうせ結局ノルマになっちゃうだろうが」
「それがおめえの良いところだよ。直す必要はねえぜ」
巌がニッと歯を見せる。僕は目を逸らした。その逸らした目の先に、大峰さんの笑顔があった。
「私は行っていただけたらありがたいと思っています。異界では彼の力が役に立つでしょうし」
「おう、任しとけ」
スポンサーの御意向は無視できない。そのスポンサーの大本締めが、巌を連れて行けと言っているのである。これはもう、僕一人ではいかんともし難い状況である。この時点において、巌が僕について来ることは決定事項となった。僕は一つ、大きなため息をついた。
テレビはすべての局が通常の番組を取りやめ、官邸の緊急対策本部の前にカメラを貼り付けた。今回のテロとも言える攻撃にテレビの電波が使われたことは既に判明していると思うのだが、それを理由に放送をやめる局はなかった。けれど今、いったい誰がテレビを観ているのだろう。僕たちはテレビをつけてはいなかった。ただ時折リリイの状況報告を聞いていただけである。
「あ、緊急対策本部の前で揉み合いが始まりました」リリイが淡々と話す。「どうやら麻賀一派が本部に押し入ろうとしたのを、他の与党議員が阻止した模様です。『人質を見捨てるつもりか、この国賊が』と叫んでいる人がいます。どうやらこれが麻賀議員のようですね」
「どっちが国賊なんだか」僕の椅子に座っている巌が吐き捨てた。「しかし待ってるだけってのも退屈だな。先に現地に行っちまわねえか」
「行ったってやることがないのは同じよ」
ミヨシは少々呆れ顔だ。
「けどよ、樹海のときは現場に行けば空間の歪みがわかるって言ってたじゃねえか。今度も近くまで行けばわかるんじゃねえの」
「そら無理やで」トド吉が首を振る。「今はスキャンの解析に演算装置フルパワー使てるからな、とてもやないけど空間のゆがみ検知まで並行でけへん」
「なんだよ、宇宙人の技術も肝心なときに使えねえな」
「おまえ、ちょっとは空気ってもんを読め」
巌のせいで、僕は丸椅子に座っている。だが僕の苦言に巌はぬけぬけとこう答えた。
「そんなクソの役にも立たねえもんを読んでどうするよ」
「いや役に立つだろ。おまえの場合特に。協調性ゼロがプラスに働くだろうが」
「馬鹿野郎、人間には得手不得手があるんだぞ。苦手なことを克服するなんてのは無駄な努力だ。得意な事だけ伸ばしていく方が正しい生き方ってもんなんだよ」
「この世に正しさなんかないって白石さんに言ってなかったか」
「それはそれ、これはこれだ」
またああ言えばこう言う。こいつだけは。僕は声を荒げそうになった。が、そのとき不意に脳裏をある顔がよぎった。何故その顔を思い出したのかはわからない。ただ。ああ、そうか。そうなのか。僕は気づいた。できるじゃないか。3000万人の人質を一度に殺すことが。ならばそれを防ぐことはできないか。敵の橋頭堡が叩ければそれに越したことはない。だがそれに間に合わなかったら……いや、防げるぞ。
「なるほどね、その手はあるわね」
僕の頭の中を読んだのであろう、ミヨシは大きくうなずいた。
「伝蔵、大峰さん、これってできるかな」
僕は自分のアイデアを披露した。時刻は間もなく10時になろうとしている。あと1時間。
星が瞬かない。大気の層を通過しない無数の光源は、すべてが停止したかのようにただそこにあり続ける。凍り付いた星空を背に、僕は足元に広がる巨大な群青に心奪われていた。
「良い眺めであろ」
声は聞こえない。けれど僕の心の中にその言葉は響いた。
「これを見てしまうとな、人と人との争い事など、いかに卑小で愚かしいことかと思えてならん。だがあの男も、これを見ているであろうに」
さも残念そうにつぐみは言った。僕の目の前にはニューヨークヤンキースの帽子をかぶった、モコモコとした髪の毛がムク犬のような、虎河つぐみの姿があった。
「つぐみ……君が僕をここに連れてきたの」
「いいや」つぐみは苦笑と思しき笑みを浮かべた。「おぬしは己の力でここに来た。己の力でここに立ち、この光景を見ているのだ。このまだ今は選ばれし者にしか見ることの許されぬ光景をな」
「選ばれし者」
「かつては山の頂から下界を見下ろすことが、選ばれし者の特権であった。そして長らく雲の上の世界もまた。いずれはこの光景も、誰しもが見ることができるものとなるだろう。しかしそれはまだまだ先の話。この星に住む者たちが、次の段階に進んだ後のことだ」
「僕は夢を見ているのか」
「夢ではない。だがおぬしにとっては夢のようなものかもしれん。いまのおぬしは肉体を持たぬ意識体だけの存在だからな」
「夢なら早く起きないと。みんなに怒られる」
「気にするな。ここでたっぷりと語り明かしたとしても、肉体に経過する時間は1秒とありはせんのだから」
つぐみは宙に浮きながら、胡坐をかいた。
「なあ菊弥よ、聞こえんか」両ひざに手を置き、全身の力を抜いたのがわかった。「大きな何かが流れる音が」
「音?」
「それは地球の中にも流れている。やれマナだ龍脈だと呼ばれる力の流れだ。しかしそれは地球の中だけで完結している訳ではない。すべては宇宙の大きな流れの一部に過ぎない」
僕は困惑した。つぐみは何を言いたいのだろう。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」
つぐみはニッと歯を見せた。
「人の世も星の世界も、すべては流れの中にある。流れに逆らったり棹をさしたりすれば流れは乱れ、心は乱れ、世は乱れる。流れに身をまかせ、ありのままを受け入れる事こそ、智慧ある命の取るべき道よ」
つまり、それは。
「あの男は流れを乱し過ぎた。乱れた流れは正さねばならん。これは人の意志にあらず。地球の意志である。良いか、おぬしらは地球の意志の代行者なのだ。それを忘れるな」
そして、ふと、つぐみは悲し気な顔を浮かべた。
「うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。何事も腹八分が良いということよな。それが怒りや憎しみであったとしても」
そのとき。ぐん、僕の足が下に引っ張られた。体が地表に向かって急降下して行く。僕は叫び声を上げた。この星の世界から戻りたくないというかの如く。
「良いか、忘れるなよ!」
つぐみの声が遠くに聞こえた。
僕は目を開けた。いま寝てたか?
「落ちかけてたわよ」
ミヨシが笑った。
そして時刻は10時半。そろそろ解析終了の予定時間である。が。
「解析はまだ終わらんのか」
伝蔵はイライラしている。トド吉は困り顔だ。
「割合的には99パーセント以上終わってるはずなんやけど、最後がなかなか」
「ああ、ダウンロード終了まで残りゼロ秒なのにダウンロードが終わってない、みたいな感じか」
巌がへらへらと笑った。
「そんなショボいもんと一緒にすな」
そう言うトド吉の声も弱々しい。
「既に空挺部隊は現場近辺に待機しているはずです。首相も解析結果を心待ちにしていることでしょう」
大峰さんは冷静に淡々と話す。それが逆にトド吉にプレッシャーをかけていた。そんないじめなくても。僕がそう言おうとしたとき、リリイが悲鳴にも似た声を上げた。
「魔女が!テレビに出ています」
「何で」
と、パスタが。
「まだ30分あるのではないのか」
と、伝蔵が動揺した。
キッチンのPCの隣のテレビに電源が入る。リリイの仕業だ。テレビをつけるのはまだリスクがある。だがこの場合は仕方ないか。
「気に入らないねえ」
テレビに映った魔女は最初にそう言った。
「もう2時間半だよ。あと30分しか残ってないんだよ。なぜ何も言ってこない。なぜ接触して来ようとしない。ルートは用意してあるだろう。それをなぜ使わない。徹底抗戦のつもりかい。話し合いなど必要ないとお思いかい。なめられたもんだね」
しまった。大峰さんの顔にはそう書いてあった。ここは嘘でも麻賀議員を使って交渉をしておくべきだったのかもしれない。魔女は続けた。
「こちらがおまえたちと同じ次元に立っているとでも思ってるのなら、大きな間違いだよ。その証拠を見せてやろう。もう人質は要らない。3000万人を一度に処分だ。やっておしまい」
魔女がそう言うと同時にカメラは切り替わり、緊張感でガチガチになった、一人の少女を映し出した。大輪心。死の叫びを上げるバンシーの少女である。大輪心は緊張をほぐすように、静かに息を吸い込んだ。そして、その髪が緑色に輝く。
「いまだトド吉!」
「ほいな!」
僕の声にトド吉が応えた瞬間、天井に映っていた解析画面は消えた。それに替わって映し出されたのは日本地図。その都市部に輝く光点。
「強制終了!」
画面の向こうで少女が口を開いた瞬間、テレビは消えた。いや、正確にはテレビは消えていない。だがそこに映し出されているのは漆黒。
「……成功した?」
「多分。間に合うたと思うけど」
3000万人を一度に殺す方法。いま日本全国の家庭のテレビの前には、マネキン化した人々が固まり動けなくなっている。テレビもつけっ放しになっているだろう。ならばそこにバンシーの死を告げる絶叫を流せば、すべては終わりである。
それを阻止するにはどうすれば良いか。敵の発信元を叩ければベストである。だがそれが難しいときは。僕が考えついたただ一つの方法。それは、すべてのテレビ局を一斉に停電させること。敵がどんな経路で通信を送っているのかわからない以上、キー局だけを落としてもダメだ。テレビに電波を送るすべての――ケーブルや衛星放送を含めたすべての――局をシャットダウンしなければならない。そんなこと、日本政府にも無理だろう。この地球上で唯一それが可能なのは、この小鳥ホテルに集う宇宙人の超技術だけ。もちろんそのためには、演算装置のパワーをそちらに振り向ける必要がある。だから解析が終わるまで待っていてくれれば良かったのだが、なかなかそう思った通りには事は運ばない。
「解析を再開せよ、復旧すれば再度攻撃があるぞ」
伝蔵の声が飛ぶ。天井の画面は再び解析画面となった。そしてその直後。
「解析、完了」
トド吉が興奮した声を上げた。
「空間のゆがみは」
大峰さんの声も少し上ずっている。僕も、巌も、ミヨシもパスタもリリイも、一斉に天井を見上げた。3次元表示されたエリアマップ。そこに建つビルの一室に、光点が輝いていた。
「あった」
その呻くような声は誰のものだったろう。大峰さんは携帯を取り出していた。そして一言。
「見つけました」
ビルの廊下。床はリノリウムと言うのだろうか、石材のような柄で、天井の照明をぼんやり映している。人影はない。僕らは音もなく転移した。後ろに巌を連れて、肩にはトド吉と6羽のファミリーが乗っている。
「ワイは寝てないっちゅうのに何でや。ブラックや。ブラック職場や」
ブツブツつぶやくトド吉には触れず、僕は黙って目的の部屋に向かった。廊下の端から数えて3つ目のドア。金属のプレートには『小会議室A』と書かれ、ドアには鍵がかかっていた。
「トド吉」
「はいよ、ちょっと待てや」
トド吉が欠伸をした。カチャリ、ドアの鍵が音を立てて開いたとき。廊下の反対側に人影が動いた。わらわらと増えて行くその影が、こちらに向かって駆け足で近づいてきた。迷彩服にヘルメット、手に手に自動小銃を携えて。廊下の両側に整列していく者たちの真ん中を抜けてきたのは他よりも少し小さな体格。僕らに向かって軽く敬礼をして見せた。
「第1空挺団、普通科小隊の田地2尉です」
「え、女か」
その瞬間、僕の右手の裏拳が巌の顔面を捉えた。巌の崩れ落ちる気配を背に、僕は引きつった笑顔を浮かべた。
「あははは、こいつは無視してください、ただの馬鹿ですから」
「はあ」
田地2尉はちょっと引いたように見えたが、すぐに鋭い視線をドアに向けた。
「このドアの向こうですか」
「そうですね。入ったらすぐ飛ばされると思います」
「では我々が先に入ります。あなたは後から来てください」
そう言ってドアノブを握った田地2尉の腕を、僕は慌ててつかんだ。
「ちょっと待って。それじゃ僕が来た意味がないです」
「国民の命を守るのが我々の職務ですので」
「だからって無闇に突入すればいいってもんじゃないでしょう」
「ご心配なく。第1空挺団に無駄死にする者はおりません」
「でもどうせなら、誰も死なない方がいいはずです」
田地2尉の冷徹な表情が、一瞬和らいだ。
「どうにも強情な方ですね」
「異界に飛ばされる経験だけなら、僕の方が豊富ですから」
「……わかりました。では一緒に参りましょう」
小さくため息をつきながら、田地2尉はドアノブから手を放した。僕は巌をかかとで蹴った。
「ほれ、さっさと起きろ」
「おめえなあ、鼻はねえだろ、鼻はよお」
情けない声を上げながら、涙目で巌は立ち上がった。
「第1班は私に続け、第2班、第3班は1分間隔で突入!」
田地2尉の指示が飛ぶ。僕はドアノブを引いた。
静寂の中を吹き抜ける風の音。垂れ込める鉛色の空の下、延々と続く緑色の草の海。同じだ。恵海老人の所で初めて見た異界。それとそっくりな景色が僕らの前に広がっていた。ただ少し違うのは、ここには道があった。草原の中を蛇行する土の道。道は彼方まで草原を突っ切ると途中で分岐し、その別れた道は丘をかけ上り、ひとつの建物へと至っていた。それは城に見えた。だが西洋風の城ではない。かといって、瓦屋根もないので東洋風とも言い難かった。様々な形の岩石を積み重ねた、国籍不明の城塞。
「あれが橋頭堡なのかな」
丈の長い草の中に身を隠しながら、僕らはしばし城塞を観察していた。だが見ているだけでは何ともならない。
「トド吉、何かわかる」
「何もわからんな」
周囲の隊員がギョッとした顔を見せたが、それは見ない振りをした。
「何でわからないの」
「強烈な精神波動がバリアを張っとる。中がまったく見えへん状態や」
「じゃ、どうやって攻略する」
「総転移ウィンドウでバリアを無効化してから亜空縮滅砲で城塞を破壊したらええやろ」
「何かちょっと投げやりだな」
「当たり前じゃ、こっちは徹夜明けやねんぞ」
僕は苦笑を返してから、巌を見た。巌は横目でにらみ返す。
「何だよ」
「何だよじゃないだろ。何かわかった事とか感じた事とかないのかよ」
「あるよ。とにかくうるせえうるせえ」
「うるさいってどういうことだよ」
「おめえがじゃねえよ、馬鹿野郎。この空間がうるさいつってんだ」
「空間がうるさい?」
「悲鳴、絶叫、阿鼻叫喚。怨嗟の声に満ち満ちてるんだよ、この空間が」
僕は耳をすませた。だが風の音しか聞こえない。
「まあ妖精の声だからな。おめえらには聞こえねえわな」
「その妖精の声は」田地2尉が話に入って来た。「他に何か言っていますか」
「言ってるよ。恨みを晴らしてくれ、仇を取ってくれ、その為になら俺らに味方するってな」
「恨みとは」
「あの城だよ」
巌は顎で城塞を示した。
「あの城を建てるのに、魔導士が触媒として妖精の血を大量に使ったんだとよ。ああ、けったくそ悪い」
本当に気分が悪そうに、眉を寄せている。何でも見えたり聞こえたりすれば良いというものではないらしい。ただ。
「妖精の声って、どこまで信じられるんだ」
「んなこたあ知らねえよ」
僕の問いに、巌は思わず噴き出した。
「けどまあ、信じるしかねえんじゃねえの。にらめっこしてたら解決するって問題じゃあるめえし、いまやるこたあ1つしかないんだろ」
トド吉も同意した。
「奇遇やな。ワイも同意見や。ぐだぐだ時間潰しとっても意味ないやろ。それこそ神様のお導きやとでも思たらええがな」
――地球の意志――
僕の脳裏にその言葉が浮かんだ。何だろう、何かを思い出したような感覚。
「いまは一刻を争う事態です。賭けてみましょう」
田地2尉もそう言う。ならば。
「それじゃ、行きますか」
僕は立ち上がった。
「全員、突撃用意!」
田地2尉の命令が響き渡る。僕の右手は真下に向かって開いた。
「重力制御フィールド展開」
トド吉の声と共に、僕の身体はふわり、真上へと浮き上がった。
「おおっ、飛んだ」
思わず声が出る。
「ええ加減、飛ぶくらいはできんとな」
「伝蔵に怒られないかな」
「かめへんかめへん」
手首の微妙な角度の変化で、僕の身体は前に進み始めた。
「ほな、お先やで」
「あ、てめえら」
巌の声を後に残し、僕は空を駆けた。城に向かって真っすぐに。そして今度は左手が前に突き出される。
「空間干渉壁」
と、トド吉。
「両方使うのか」
これまでは重力制御フィールドと空間干渉壁、たいていどちらかで足りていた。両方一度に使うのは初めてかもしれない。
「死人は出したないんやろ。ほんなら万全を期さんとな」
「そうやそうや」
「お父ちゃんの言う通り」
トド吉のファミリーがはしゃいだ。
「ああ、そうだね」
僕の頬が緩んだそのとき、視界の端に動くものがあった。城の周りを囲む外壁。その上に立つ人影。いや、人影と言って良いのか。確かに体は人間のものだった。だがその首から上は、馬。馬の頭を持った屈強な人型の存在が、手に槍を持って立っている。馬頭人は身体をしならせ、槍を僕に向かって投げつけた。だが僕の前には空間干渉壁がある。銃弾ですらびくともしない見えない壁が。たかが投げ槍ごときでは。
ガンッ!聞き慣れぬ音に僕は空中で停止した。僕の目の前の空間に、槍が止まっている。空間干渉壁に行く手を阻まれて。そう、確かに阻まれてはいる。だがその先端が、空間干渉壁のこちらに届いていた。
「んなアホな」
トド吉は絶句した。壁の上の馬頭人は二本目の槍を取り出し構えた。そのとき。
ホーッ!ホーッ!空に響き渡る雄叫び。城塞の壁の手前の草原から、槍を構えた数十人の馬頭人が姿を現す。そして走る。巌たちの方に向かって。
「トド吉、いったん下がって」
「ああもう、しゃあない!」
急速後退。僕の身体はまっすぐ後ろに下がった。そこに追い打ちをかけるように城壁の上から馬頭人の槍が届いた。しかしさすがに今度は空間干渉壁が弾く。
「いっぺん降りるぞ」
トド吉の声にも焦りがある。
「どうするの」
「仕組みはわからんけど、空間干渉壁では防ぎきれん可能性がある。重力制御フィールド1本に絞る」
「了解。やってみよう」
自由落下。僕は真下に落ちた。だが足先が地面に届く寸前、落下速度は低下し、僕はふわりと降り立った。怒涛の如く押し寄せる馬頭人の群れの前に。右手を突き出す。そしてイメージ、水平方向に、広く、広く、広く、さらに垂直方向に高く。ごうっ、音を立てて風が吹いた。横一線で迫り来た馬頭人たちは、一斉にその身体を浮かせた。あたかも風に舞う木の葉の如く、高く高く吹き上げられる。そして落下。泥の詰まった袋を叩きつけたような音。いかに草の上だからといって、この高さから落とされてはただでは済むまい。
「菊弥ー、無事かー」
後ろから巌の声が聞こえる。振り返って手でも振ってやるか。しかし、それは叶わなかった。
むくり。むくり。むくり。倒れていた馬頭人たちが、その身を起こし始めたのだ。
「菊弥、もう一回や」
「了解!」
重力制御フィールド展開、水平に広く広く伸ばし、垂直に高く。一陣の風が吹く。けれど。馬頭人たちは飛ばなかった。槍を口に咥え、四つん這いで地面にしがみつきながら、じわり、じわり、迫ってくる。
「菊弥、重力ゼロや」
「もうやってる」
「アホ言え、重力ゼロで飛ばされへん訳があるか。あり得へんにも程があるやろ」
「それは相手に言ってくれ」
馬頭人たちの速度が上がった。ゴキブリのように駆け寄ってくる。
【重力制御、解除】
突然脳内に聞こえたのは、ミヨシの声。同時に草原に響く乾いた連射音。自動小銃の一斉掃射。馬頭人たちは蜂の巣となり、倒れた。
「無事ですか」
田地2尉が駆け寄って来た。僕とトド吉は引きつった笑顔を浮かべるしかなかった。
「はは、まあ何とか」
「それは……」
言いかけた田地2尉の眼が見開かれる。まさか。振り返ると、馬頭人たちがまた起き上がろうとしている。だが田地2尉は慌てず、一人の馬頭人の頭を撃った。馬頭人は今度こそ倒れた。
「頭を狙え!」
田地2尉の指示に従い、隊員たちは馬頭人の頭を狙う。馬頭人たちは次々に倒れ、やがて立てる者は誰もいなくなった。銃声が止み、静寂が訪れる。誰もがほっと一息をつきかけたとき。
「小隊長、あれを!」
隊員の一人が指をさす。その先にあるのは城塞。その周りを囲む城壁の上に、槍を手にずらりと並ぶ無数の馬頭人たち。
「こら物量では勝てんわ」
思わずトド吉が本音を漏らす。
「ではどうします」
田地2尉の問いかけは純粋な疑問だった。
「一撃必殺しかないやろな」
「亜空縮滅砲か」
僕の肩の上でトド吉がうなずく。
「効果7パーセントくらいやったらギリギリ地表でも使えるはずや。ただ問題はエネルギーの充填に時間がかかるんと、射程距離の短さやな。敵にはバリアもあるし、よっぽど近づかんことには無駄撃ちになってしまう」
「徒歩で近づきながらエネルギーを溜めて、って無理かな」
「上から槍の雨が降ってくるわな。重力制御フィールド使いながらエネルギーの充填なんかでけへんぞ」
「テレポートが可能だと聞いておりますが、まずエネルギーを充填してからテレポートしてはどうでしょう」
と、田地2尉が。しかしトド吉は否定的だ。
「そら無理や。亜空縮滅砲のエネルギー安定させたままで空間転移とか難しすぎる。下手したら暴発するで」
何か静かだな、と思ったら、巌が明後日の方向を見つめたまま、険しい顔をしている。不愉快な顔と言っても良いかもしれない。
「おい、どうかしたか」
僕の声に振り返ると、巌は嫌々そうに口を開いた。
「協力できるって言ってるがよ、妖精どもが」
「協力?どんな」
一呼吸おいて、巌は話し始めた。