巨龍咆えるとき 3
帰路30分を費やし、ようやく僕らは小鳥ホテルに着いた。
「お早い到着だな」
伝蔵が迎えてくれた。巌は小さく「うっせい」とつぶやいた。
「見てくれた?」
僕が滝緒の部屋で見たものをモニタリングしたか、という意味である。
「うむ、厄介なことだ」
ミヨシも戻っていた。大峰さんはまだらしい。どうする、先に始めるか。そう考えたとき。ふいに目の前に青い光が浮かんだ、と思った次の瞬間、その光は人の形になった。ふわり。大峰さんが静かに鳥部屋に降り立った。なるほど、大峰さんの転移を外から見るとこんな感じなのか。
「遅くなりました」
「今からですよ。始めましょうか」
僕はキッチンのドアを開けた。いま天井のモニターはエリアスキャンで使用中だ。ならば僕のPCのモニターを使うしかない。狭いキッチンは満員御礼となった。モニターの上にはリリイがとまっている。僕が起動ボタンに触れるまでもなく、PCは勝手に立ち上がった。
「では録画してあったテレビの映像を流してみます」
リリイの説明に合わせて、モニター上にウィンドウが開いた。が、次の瞬間、ウィンドウは赤く点滅した。映像が始まる様子はない。
「あれ?」リリイが首をかしげる。「おかしいな。別の局の映像でもう一度やってみますね」
一度ウィンドウを閉じ、再度開く。また赤の点滅。
「まただ」
「これは防壁が作動しているのではありませんか」
大峰さんの言葉に、皆が注目した。
「防壁ですか」
「データにセキュリティ上の問題があるということでしょう。それがシステムに対する問題なのか、使用者に対する問題なのか。普通ならエラーメッセージが出るはずなのですが」
大峰さんも首をかしげた。ミヨシが一つ、ため息をつく。
「しょうがないわねえ。トド吉。ちょっとトド吉」
「なんやねんな、うるさいなあもう!」
トド吉とファミリーは、すごい勢いで飛んでくると、リリイの隣にとまった。
「ワイはワイで仕事しとるでしょうが」
「そう言わずにちょっと見てよ。お願いだから」
「ああ、もう」
トド吉は腹立たし気に、しかし案外素直にモニターをつついた。PCが再起動される。
「どうするの」
リリイの問いに、トド吉は困った顔をしてみせた。
「防壁が作動したときはセーフモードで再起動するんよ、これ常識」
1人を除いて誰も知らない常識ってどんな常識だよ、と思わないでもなかったが、それを口にできる状況ではない。などと考えているうちにPCがセーフモードで再起動された。
「録画したファイルを開く」
画面いっぱいにウィンドウが開き、そこには数十のフォルダが並んでいた。
「で、映像信号と、音声信号と、その他制御信号のフォルダを選んで」
トド吉は当たり前のようにフォルダをチョイスしていった。
「あとは防壁の管理ソフトでセキュリティスキャンするだけやな」
そう言って一秒と経たなかっただろう、一つのフォルダからエラーメッセージのポップアップが浮かび上がった。しかしメッセージは空白。
「制御信号に細工しとるな、これは」
トド吉がまたモニターをつつくと、フォルダの隣にカクカクとした、それでいて複雑な形の波形が現れた。
「これが細工の正体や。この信号を制御信号に混ぜ込ませてテレビから発信させた訳やな」
「これ、何の波形だかわかる?」
僕の問いかけに、またトド吉は困った顔をしてみせた。
「そんなもん、波形だけ見てすぐに判断出来たら苦労はないわな」
「まあ、そりゃそうか」
「そやけど」トド吉はモニターを凝視している。「この信号、なんかおかしいやろ。何でエラーメッセージが出えへんねん。エラーを吐けへんちゅうことは想定外の問題が発生しとるいうことか。ちょっと待てよ」
トド吉は画面をつついて新しいウィンドウを開いた。一瞬遅れて、そこに映し出されたのは、先ほどの波形と同じもの。
「なんじゃこれ」
愕然としているトド吉に、僕はたずねた。
「どうかした?」
「どうもこうもあるか、これ見てみい」
「さっきの信号だよね」
「違うわ!これはさっきの信号やのうて、さっきの信号をアナログ変換した信号や」
「……でもデジタル信号だよ」
そう、それはカクカクとした階段型の信号。
「そやからおかしい言うてんねん。こんな事はありえへん。これはデジタル信号やない、最初からデジタル信号の波形をしたアナログ信号やいうことや」
僕の頭はこんがらがった。
「え、ごめん、言ってる意味がよくわからない」
「そらそうやろ、言うてるワイかてわかれへんねんから。ただわかれへん所を無理やりに想像するとや、デジタルの知識がないヤツがデジタル回路に強引に信号を流し込もうとした結果やないか、これは」
「そんなことできるの」
「できる訳ないやろ、普通は。アナログ信号をデジタル回路に流すんやったらアナデジ変換するのが当たり前や。けどその当たり前とか普通とかを超越した、とんでもないヤツがおるんやとしたら」
僕の脳裏にその顔が浮かんだ。
「古代ローマの大魔導士」
「見た目は人格者然としとったけど、実際には結構短気で強引な性格しとるんやろな、あいつ」
「性格判断は結構です」大峰さんが割り込んできた。「結局のところ、その信号が人間に害を及ぼすのですか」
「そこまではワイの領分やないですわ。とりあえず一番怪しいのがこの信号やいうだけで」
トド吉の言葉をミヨシが受けた。
「影響を調べるのなら人体実験しかないけど、そんな時間ないんじゃありません」
「そうですね、さすがにそこまでは」
大峰さんは残念そうにそう漏らした。
「この件の被害者は北海道から沖縄まで全国にいることが既に判明しています。早急に対策しなければなりません」
「とにかく、いま重要なのは、敵がこの信号で人間をマネキン化することで、果たして何を企んでいるかということだ」
伝蔵がつぶやいた。それを聞いて「へっ」と笑ったのは、巌。
「目的なんて決まってるだろ。人質だよ、人質。国を寄越さなきゃ、こいつらがどうなっても知らないぞ、てな」
しかしリリイは反論した。
「どうなっても、って、具体的にどうするんです。もうマネキン化しちゃってるのに、これ以上何を」
「いや、そこまでは考えちゃいねえが」
「国を譲らなければマネキン化した人々は死ぬまでこのまま、国を譲れば元に戻してやる、みたいな感じではないですかね。被害者が本当に3000万人いるのだとしたら、全員を医療機関に収容するのは無理でしょうし」
そのパスタの意見に、けれど同意する声はなかった。
「ちょっとのんびりし過ぎてる気はするわね」
ミヨシがそう言って笑った、そのとき。
「あ!」リリイが叫ぶかのように声を上げた。「テレビに、テレビに魔女が!」
思わずテレビのリモコンを探した僕を、伝蔵が制する。
「待たんか。リリイ、録画は」
「やってます」
虚空を見つめながら、そう答えた。
携帯の着信音が鳴る。大峰さんにだ。
「はい大峰です。はい、テレビの件は存じ上げております。映像はまだ見ておりませんが。はい、そのようにされた方がよろしいかと。はい、では後ほどご自宅に伺います」
電話を切り、大峰さんは小さくため息をついた。
「さしもの首相もいささか慌てておられます」
そりゃそうだろう。こんな異常な状況になって慌てない方がどうかしている。
「首相はテレビを観ていないのですね」
大峰さんはパスタにうなずいた。
「首相は朝は新聞を読まれますから。テレビのチェックは秘書官の仕事です」
「じゃあ秘書官が」
そして僕にうなずいた。それ以上は何も言わなかったが、語るまでもないだろう。
「魔女は姿を消しました」
リリイがホッとしたように息をついた。
「録画した分を観たい。観れるか」
伝蔵も少々焦っているようだ。
「その前にPCを通常モードで再起動させんと」
トド吉がモニター画面をつつくと、再起動が始まった。起動するまでの間、キッチンはしばしの沈黙に包まれた。そして、起動が完了する。
「では始めますね。映像的に公共放送のが一番綺麗だったので、それ使います」
リリイがそう言うと、モニター画面に大きなウィンドウが開き、そこにあの森の魔女の鼻の大きな顔が大写しになった。しかし、今度は防壁は作動しない。マネキン化させるあの信号は、この映像には含まれていないらしい。僕らは刮目した。
親愛なる首相閣下を始めとする日本の皆様へ、我らが大魔導士ウェルギリウスからの挨拶をお伝えする。いまこの世界には、ただひとつの神が溢れている。多くの国の人々は一神教の神の名の下に暮らし、生き、死んでゆく。それに疑問を持つこともなく。だが、この日本においてはそうではない。物に霊が宿り、生き物に魂が宿ることを受け入れられる社会があり、自然に精霊が満ち、あまねく場所に神が立つことを信じられる人々が住む、最新の科学文明の隣に、太古の闇を見つけられる、そんな国。それがあなたたちの生きる国だ。何と素晴らしきかな。我らがウェルギリウスは、この国に心を奪われた。そして決めた。この国を、ただひとつの神を殲滅するための、最強の魔法国家へと変えることに。そこでその第一歩として、ご承知の通り、人質を取らせてもらった。その数、3000万。目的は一つ、日本という国家を解体し、我々に譲ること。それが叶わぬ場合、3000万人の人質は、一斉に死すことになる。3時間の猶予を与える。その間に降伏文書の文面と、自らの身の振り方を考えよ。1秒でも過ぎれば人質全員の死が待つことを忘れるな。吉報を待っている。
魔女の姿が消えた瞬間、画面の時刻表示が8時ジャストになった。ここから3時間、すなわち11時までが猶予である。
「どうやって人質一斉に殺すねん」沈黙を破ったのはトド吉。「人質が1か所に集まってるんやったらわかるで、けど全国に分散してるもんをいっぺんに殺せるんか」
「それこそ大魔導士様の魔法の力じゃねえのか」
巌が応える。しかしトド吉は納得しない。
「それやったらマネキン化させる意味がないやろ。いつでも3000万人殺せるんやったら、人質取るんは要らん手間や。何でそんな手間をかけたんや」
「魔法の力にも限界があるってことか」
「得手不得手はあるはずや。魔法使いやからってホンマに何でもできるんやったら、そもそも日本の国を欲しがること自体おかしい。自分の力だけで世界を変えたら済む話やないか」
「なるほどねえ」
巌の心底感心した声を聞くのは久しぶりのような気がした。
「方法はともかく、今は相手の言うことを真に受けておいた方がいいでしょう。3000万人に命の危機が迫っています。なすべきことを決めねばなりません」
大峰さんの表情にも、さすがに余裕はなかった。パスタが片翼を上げた。
「降伏した振りをしてみては。そして向こうを誘い出して、一網打尽に」
「一網打尽のチャンスなら、富士の樹海でありましたよね。でも失敗しました。相手も馬鹿ではありません。そう何度もチャンスはくれないのではありませんか」
普段穏やかなだけに、シビアになった大峰さんの言葉は、ズバズバと切りつけてくる。パスタは涙目で黙り込むしかなかった。いや、パスタだけではない。他の皆も口を閉ざしている。いま声を上げるのは、ちょっと勇気がいる。だが、悠長なことを言っていられる状況でもない。
「思うんだけど」皆の視線が僕に集まる。「エリアスキャンは止められないのかな」
一瞬、間があった。伝蔵は不審げな顔でこうたずねた。
「どういうことだ。スキャンを止めてどうする」
「スキャンを止めて、現時点でスキャンし終わってる部分だけを解析に回せば、タイムリミットまでに空間のゆがみを見つけられるかもしれない」
自信がある訳ではない。だから言葉も弱々しくなる。だが他に方法があるとは思えなかった。
「スキャンできなかった部分に空間のゆがみがあったら、アウトよね」
ミヨシが言い放つ。しかし。
「そもそもあのエリアに空間のゆがみがあることは、100%確実って訳じゃない。全部スキャンしても見つからないかもしれない」
「そりゃそうだけど」
「だったら、いま解析できる部分だけでも解析してみたら、可能性はあるんじゃないのか」
「仮に空間のゆがみが見つかったとして」リリイが僕に問うた。「そこを攻撃しても、人質が助かる保証はないですよね」
「それは……確かにない」
「もの凄く分の悪い博打だと思います」
「そう、だね、やっぱ無理……」
「私は乗ります」
「え」
「どんなに分の悪い博打でも、今できることをやらなきゃ、確実に負けてしまいます。挑むべきだと思います」
リリイは大峰さんに向かってそう言った。しばしの沈黙。そして。
「そうかもしれませんね」
大峰さんは微笑んだ。トド吉は頭を抱えた。
「マジか」
「とにかくその方向で首相と相談してみましょう。トド吉隊員はそのつもりで」
「はあ……わかりました」
トド吉はがっくり肩を落とした。なんかちょっと申し訳ない。
「リリイ隊員は菊弥さんと一緒に来てください」
「了解です」
リリイは僕の肩へと飛び移る。大峰さんは僕の腕を取ると、こう言った。
「他のみなさんはしばらく待機していてください」
そして耳元にキンと甲高い音。景色が見慣れた鳥部屋から、四方にドアのある、首相の自宅のあの部屋へと変わった。
それから、ゆうに30分は待った。時間がないのに、と思わないでもなかったが、向こうだって忙しいのだ。いや、向こうの方がもっと忙しいのかもしれない。とにかく今は待つしかない。そしてさらに10分が経とうとしたとき、ようやく部屋のドアが開いた。前回と同様、黒服のSP4人に囲まれながら、首相が姿を現した。
「いやあ、申し訳ない。緊急対策本部を立ち上げてすぐ自宅に戻るというのも、なかなか難しいものですからね」
首相はうんざりした顔でソファに腰を下ろすと、リリイを見つめた。
「おや、今日の小鳥さんはまた違う方ですね」
「はじめまして、リリイと申します」
「把握しました。リリイ、よろしく」
一瞬笑顔を見せたものの、その顔はすぐに厳しくなった。
「麻賀が来ていました。緊急対策本部の前に陣取ってね。全権大使を気取っているのでしょう」
「麻賀議員以外に敵からの接触は」
大峰さんの問いに、首相は首を振った。
「ありません。敵の考えが今一つわかりませんね。本当に麻賀を全権大使にするつもりなのでしょうか。彼は年齢は私よりも随分と上ですが、老獪さなど身についていない、ただの老人ですよ」
「それはまず敵の言い分を聞いてから考えましょう」
大峰さんはリリイに目配せをした。リリイがうなずくと同時に、部屋の隅にあった大型のテレビに電源が入った。そしてアップになる魔女の顔。その『挨拶』が終わると、首相は不愉快そうに眉間に皺を寄せたまま、こちらに向き直った。
「3000万人の人質ですか。これは政権が吹っ飛ぶくらいでは済みませんね」
「この国が消えてなくなる瀬戸際だと思います」
「政権が吹っ飛ぶことは否定しないのですね」首相は大峰さんに苦笑を返した。「まあ、文字通りの危急存亡の秋ですからね。政権の心配をしていられる段階ではないですか」
「仰る通りです」
「まだ政治家としてやり残していることも沢山あるんですけどね。これも運というやつなのでしょうか……それで、何か手はあるのですか」
首相が切り替わった。哀愁漂う顔から指揮官の表情へ。空気が張り詰める。大峰さんはエリアスキャンの中止とそのデータの解析に時間を費やすことを進言した。すべてスキャンした場合でもデータの解析は2時間ほどで終わる。それなら今スキャンを中止して解析を始めれば、タイムリミットまで2、30分を残して空間のゆがみを捉えることができるかもしれない、と。
「空間のゆがみを捉えられる保証はあるのですか」
首相の問いに、大峰さんは即答した。
「ありません」
「とんだギャンブルですね」
首相は目を閉じた。口元に手をやる。沈黙。しかし長く感じたそれも、実際には30秒ほどだったのかもしれない。そして。
「空挺部隊を待機させます」首相の眼が開いた。「ただちに解析を開始してください。足掻けるだけは足掻いてみましょう」
大峰さんが僕を見る。僕は脳内に念を込めた。
(トド吉)
【聞こえとるで。了解了解、スキャン中止、解析開始、ああもうヤケクソや】
「解析、開始しました」
僕の言葉に、首相がうなずいた。大峰さんが僕を手で示した。
「なお、空間のゆがみが見つかった場合、現場には彼に赴いてもらいます」
「へ」
「我々の現有最大戦力です。必ずやお役に立てると思います」
「私たちがバックアップします。ご安心ください」
リリイが大峰さんの尻馬に乗った。
「それはありがたい、期待しています」
首相が右手を僕に向かって差し出す。
「あ、はい、どうも」
とても嫌だと言える空気ではない。僕は引きつった笑顔で首相の右手を握った。




