巨龍咆えるとき 2
「話を戻します。敵の橋頭堡が異界にあるとして、我々はどうすればそこを攻撃できますか」
その首相の断固たる言い様に、僕は目を丸くした。
「攻撃するんですか」
「してはいけませんか」
「いえ、でも水面下で交渉すると聞いていたのですが」
「軍事力を用いるのも、交渉のうちです。敵もデモンストレーションをやったじゃないですか。ならばこちらも大人しくしている理由はないでしょう」
「普通、異界の出入り口は固定されています」と、大峰さんが。「その場所さえ、その空間のねじれの座標さえわかれば、我々がお手伝いできますが」
「どうやってそのねじれを探すの」
本当なら首相がたずねるべき質問だったのだろうが、うっかり僕が聞いてしまった。大峰さんは微笑むと、地図を指さした。
「テレパシーにも空間転移にも、物理法則は働きます。距離があるだけエネルギーが減衰するのです。言い換えれば、この地図上の4地点およびその間の移動中に関しては、間違いなく連絡が取れるということです」
「なるほど。4地点を道路で結んだ領域の内側ですか」
首相がうなずき、大峰さんもうなずく。
「絶対ではありませんが、可能性は高いかと」
僕は右耳を押さえて問いかける。
「調べられる?」
返事は早かった。
【スキャンはできるで。時間はかかるけどな】
トド吉の答を僕が首相に伝える。
「時間さえあれば可能だそうです」
【ちょっとええように言い換えんなや】
これは無視しておこう。
「どうします。正式に連盟に要請しますか」
大峰さんの口調は慎重だった。しかし首相は即断した。
「正式に要請します」
「ですが国会の承認は要らないのですか」
「いま急迫不正の主権侵害が行われています。これは非常事態と判断しました。全責任は私が取りますので要請を受理していただきたい」
「では書面へのサインをもって正式な要請とみなします」大峰さんはパスタを見た。「パスタ隊員、様式99-0号の書面を日本語変換で用意してください」
「了解」
パスタは僕の肩からテーブルの上にぴょんと飛び降りると、コンコン、と2回テーブルを叩いた。するとまるでFAXのように、何もない空間からA4サイズの書類が2枚流れ出てきた。延々と文字が書かれた下の余白に、2本のアンダーラインが引かれている。
「記入欄の上の段に総理のお名前をお願いします」
首相は黒服――SPなのだろう――からボールペンを借りると、2枚の書類にサインした。そしてその下の段には大峰さんがサインする。
「作戦行動はすぐに起こしますが、書面の提出は24時間後とします。書面の内容に不服がある場合には24時間以内にご連絡ください」
「把握しました。よろしくお願いします」
首相は深々と頭を下げた。
「ただの面通しじゃなかったの」
鳥部屋に戻って来た僕は、つい不満を口にした。
「そのつもりだったのですが、なにぶん首相は決断の速い人なので」
大峰さんは、まるで他人事である。
「あんな大事な話、あんなに簡単に決めちゃって良かったのかな」
「ええんやないか。まあおかげでワイらは明日から忙しなるのは決定やけどな」
トド吉が少々嫌味ったらしくそう言った。だが。
「何を言っているのですか。作戦行動はすぐに起こすと申しましたでしょう」
大峰さんの言葉に、一同は絶句した。
「……え、まさか今から」
「はい、すぐにです」
そう言われたトド吉は僕の方を見たが、ごめん、僕にはどうしようもない。
午前4時半、鳥部屋に明かりが点く。僕も目を覚ました。いつもならあと1時間半眠るところだが、今日はさすがにそうは行かない。ベッドの端から顔をのぞかせて上を見る。天井には地図が映し出され、その上にグラフやメーターが表示されている。
「なんや、起きたんか」
トド吉が眠そうな声をかけてきた。
「もしかして徹夜?」
「まあな。スキャンするんは機械やけど、誰かが見とかないかんから」
「えらい時間かかるんだね」
「2次元スキャンやったら一瞬やけどな。今回は3次元やから。いくらエリアが限定されてるから言うても、下は地下街から上は成層圏まで全スキャンなんか、そら一晩では終わらんわ」
やや自虐気味にも聞こえるその言葉が、涙声に思えるのは気のせいか。
「情けないのう」僕の頭の後ろから聞こえたのは伝蔵の声。「一晩徹夜したくらいで泣き言とは、観測員の風上にも置けん」
「そういうあんたはグーグー寝とったでしょうが」
「我の若い頃なら3日や4日の徹夜など屁でもなかった」
「あんたらの世代がそんなことやっとったから、観測員が左遷部署になってもうたんでしょうに」
「え、観測員て左遷部署なの」
僕は思わず口を挟んでしまった。それは初耳だ。
「そうやで。言うたら追い出し部屋みたいなもんや。ワイらは要らん子扱いやねんで」
「それは卑下しすぎなんじゃない」
伝蔵の手前からミヨシの声が。
「そうですよ。少なくとも私は追い出される覚えはありません」
伝蔵の向かいからはパスタが。
「優秀すぎて煙たがられる人もいますからねえ」
最後にリリイの声が聞こえて、全員起床である。
「で、あと何時間くらいかかりそうなの」
ミヨシの問いに、トド吉はこう答えた。
「スキャンにあと8時間、解析に2時間いうとこやないかな」
「つまりティータイムには結果がわかるってことですね」
リリイの声はワクワクしている。僕はベッドから出て立ち上がった。
「ティータイムより、まずは朝食だ」
パスタが目を丸くしている。
「今日は二度寝しないんですか」
「さすがにね」
僕はそう答えると、キッチンへと向かった。
珍しくニュース番組を見ながら早めの朝食をゆっくりと摂って、いつもより早めに鳥部屋のみんなの世話をして、ちょっと早めに客室のオカメインコの餌と水と敷き紙を替えて、それでもまだ6時にならない。真っ暗な外の様子を見ながら、今日は一日長いだろうな、と僕は覚悟した。
午前7時。ゲートが開く。ゲートは鳥部屋にあるが、普通目には見えない。この小鳥ホテルの外部にも様々な観測機器があり、そことの間を往復するのに、このゲートを使うのだ。しかし今日はトド吉は行けない。
「代わりに行ってくるわね」
ミヨシはそう言うと、パスタのケージの上に飛び乗った。鳥部屋の入り口から向かって右側の棚、トド吉ファミリーとパスタのケージに並んで、ぽっかり空いた空間がある。そこがゲートだった。
「ティータイムには戻ってきてくださいね」
リリイの声に、「はいはい」と答えると、ミヨシの姿がふいに消えた。ゲートに入ったのだ。
「我も行くとするか」
今度は伝蔵がパスタのケージの上に乗る。
「まだ無理はしないでくださいね」
「うむ」
そうリリイに言い残すと、伝蔵の姿も消えた。
「パスタは24時間経過するまで待機よね」
「今日に限っては仕事してる方が楽な気がしますけど」
パスタはチラリと横目で見る。トド吉はうんうん唸りながら、天井を見つめていた。6羽のファミリーたちはパタパタと羽ばたいて、トド吉に風を送っている。
「まあ、午後までの辛抱だから」
「ああ、一日が長そう」
トド吉もえらい言われようである。しかし本人には聞こえていないようなのが救いか。
「菊弥さんはどうするんです?」
不意にリリイがこちらを向いた。どうするって言われてもなあ。
「別にやることはないし、午後まで客室で本でも読んでるよ」
「オカメさんですもんね、目が離せませんよね」
「あ、でもその前に買い物だけ済ませとこうかな。もう小松菜が切れる」
「それは大変」
小松菜はみんなのおやつである。小鳥ホテルのティータイムにお茶を飲むメンバーなどいない。小松菜や青梗菜やブロッコリーを齧るのが日課であった。僕はキッチンに入り、PCの前に座った。買い物と言っても出かける訳ではない。ネットスーパーで注文するのだ。値段は少々割高になるが、お客様を放ったらかしにしなくて済むのは有り難い。ネットスーパーのサイトで『野菜』をクリック、伸びたツリーから『葉物野菜』をクリックした。小松菜は1束230円だった。高い。先般の台風の影響だろう。それに比べると青梗菜は1袋180円、地場ものらしい。こっちにしておくか。宇宙人に経済的な援助を受けているからといって、予算は無限ではないのだから。僕が青梗菜をカートに入れた、そのとき。電話が鳴った。ディスプレイには五十雀巌の文字。なんだ、こんな朝っぱらから。無視してやろうかと一瞬思ったが、そういう訳にも行くまい。僕は3度目のコールで出た。
「はい、もしもし」
「今すぐテレビ消せ!」
なに言ってるんだ、こいつ。反射的に電話を切りそうになったが、何とか自分を押さえた。
「おまえ、何言ってるんだよ」
「テレビはついてるのか、消えてるのか、どっちだ」
「ついてないよ。何だよ朝っぱらから。酔っぱらってるのか」
「いいか、テレビは絶対につけるなよ、いいな、今からそっち行くからな、絶対につけるんじゃねえぞ」
電話は切れた。電話口の向こうの巌が、焦っていた。珍しいこともあるものだ。とはいえ、聞いてしまったものを無視もできない。僕はキッチンから鳥部屋に戻った。
「リリイ、いまテレビってどうなってる」
リリイはキョトンとした顔を向けた。
「テレビですか、ちょっと待ってください」
そして首をかしげると、記憶の中を探るかのようにしばらく虚空を見つめた。
「各局通常通りの放送を続けていますね。おかしな様子は見受けられませんが」
「とりあえず全局録画しておいて」
「わかりました」
何が起こっているのかは不明だが、記録だけは取っておこう。テレビをつけてみたい、そんな気持ちも脳裏をよぎったものの、やめておいた。いまは石橋を叩いた方がいい。
(伝蔵、聞こえる)
僕は心の中に念を集めた。頭の中に返事があった。
【何かあったか】
(まだわからない。けど何か起きているかもしれない。わかり次第また連絡する)
【了解した。ミヨシにはこちらから連絡しておこう。次報を待つ】
伝蔵との通信は終了した。あとは、巌が来てからだ。さて、何が起きているのか。
巌の家から小鳥ホテルまでは、車で15分ほどの距離だ。しかし巌の車が姿を表したのは、30分以上経ってからのことだった。タイヤの悲鳴と共に、後輪をスライドさせて駐車場に停めた。狭い駐車場で無茶なことをする。車が停まると同時に、巌と香春が飛び出してきた。そして全速力で玄関に向けて走って来る。僕は思わず外に出た。このままでは玄関が破壊されそうな気がしたからだ。
「お、おいちょっと待て、落ち着け」
しかしそんな僕の言葉など聞くこともなく、巌と香春は駆け寄ってくると両脇から僕の左右の腕をつかみ、身体を持ち上げ、再び車へと走った。
「こらー!またこの展開か!」
有無を言わさず僕を後部座席に放り込むと、車はスキル音と共に発進した。
「何なんだよもう、いったい」
「おめえ、たきおんに連絡したか」
「はあ?テレビの話じゃなかったのかよ」
「したのかしてねえのか」
「してないよ。てか、たきおんがどうしたの」
「10分以上携帯鳴らし続けたのに出やがらねえ」
「……これ、今たきおんの家に向かってるのか」
「やられちまってる可能性が高いが、確認だけはしとかにゃなるめえよ」
「やられるって、誰に」
「テレビにだよ」
ここまで来て、ようやく話が繋がりかけた。
「テレビがいったい何をしたんだ」
「俺んちには住み込みの家政婦が常時10人ほどいることは知ってるな」
「そりゃまあ知ってはいるけど」
「家政婦にもシフトがあって、早番は午前4時から仕事、遅番は9時から仕事だ」
「それは知らない」
「遅番の家政婦は部屋で朝食を採ることになってる。食事は早番の家政婦が食堂に取りに行って部屋まで持って行く。今朝もそうだった。早番の家政婦の一人が食事を受け取って部屋に持って行った。だがいつものように部屋をノックしても誰も出てこない。おかしいと思ってドアを開けてみたら、遅番の家政婦が全員、テレビの前でマネキンみたいに固まってやがった」
「マネキン」
巌はひとつ、うなずいた。
「その家政婦は一旦部屋を離れ、香春に報告した。そして香春が俺に知らせている間に、自分は部屋に戻って動かなくなった連中を何とか助けようとしたらしい。俺が部屋に着いたときには、そいつもマネキンになっちまってた」
「それが、テレビの仕業だと」
「俺の勘だ。だがあの何もかもが止まっちまってた部屋の中で、テレビの中だけが動いてた。他の理由なんか考えられるか」
「その動かなくなった家政婦たちは、その、あれか」
「死んじゃいねえよ。息もしてるし心臓も動いてる。だが身体は動かせねえんだ」
「つまり、たきおんも同じ状態にあるんじゃないかって事なんだな」
「そういうこった」
「急ごう」
香春がアクセルを踏んだ。エンジンが唸りを上げる。
滝緒のマンションはオートロック式だった。インターホンパネルで呼び出す。
「503だっけ」
「俺に聞くな」
「503で合っています」
香春が言うのだから間違いないだろう。5、0、3、と押し、最後にコールボタンを押した。だが出ない。出る気配がない。僕はインターホンパネルの上に手をかざした。
「リリイ」
その声と共に、僕の指先から小さな火花が発した。すると玄関のドアが開いた。僕たち3人は中に入る。
エレベーターで5階に上がり、廊下に出る。廊下は密閉型とでも言うのだろうか、外から各部屋の扉が見えないタイプである。ほどなく僕らは503号室の前に立った。ドアをノックしてみようかとも思ったが、もはや時間の無駄だろう。僕はドアノブを握った。
「リリイ」
ガチャリと音を立てて鍵は開いた。しかしチェーンがかかっている。チェーンに指を当てると、その部分がドロリと溶け落ちた。ドアを開けて僕らは中に入った。キッチンには誰もいない。奥の部屋からテレビの音声らしきものが聞こえる。僕がドアを開けたとき。黒い風が走った。40型くらいはあろうかというその大画面テレビに、巌がドロップキックをかましていた。画面の真ん中を割られ、火花を上げて吹き飛ぶテレビ。後でたきおんに怒られるな、とも思ったが、今はそれどころではない。たきおんは立っていた。まるでマネキンのように。全裸にタオル一枚巻き付けて。口元に手をやる。確かに呼吸はしている。僕はたきおんの見開かれた目を手で閉じさせた。これで眼球が乾くこともないだろう。
「香春、悪いけど何か着せてやってくれる」
「わかりました」
僕と巌は隣のキッチンで待った。
「さて、これがテレビの仕業だとして」僕は腕を組んだ。「他の家でも同じことが起こってると考えるべきなんだろうな」
「何人マネキンになってる、なんてのはさすがにわかんねえか」
【推測はできます】脳内に聞こえるそれはパスタの声【朝7時台の平均視聴率は公共放送と民放を合わせると30パーセント程度だと言われています。ざっくり計算すると、視聴率1パーセントで100万人以上ですから、この時間テレビを見ていたのは日本全国で3000万人ほどとなります】
「日本全体で3000万人の可能性があるってさ」
「こんなことが日本中で起きてるってか。可能性としちゃなくはねえかもしれねえが、ピンと来ねえな」
「理論値だからね。同じ時間帯にすべてのテレビ局が電波ジャックされた、と考えた場合にあり得る最大値が3000万」
「全部のテレビ局ってこたあねえだろう……あるか。魔法使い相手だからな」
「ミヨシ」僕はその可能性を考えた。「これって強制催眠じゃないのかな」
【かもしれないわね。今度はブッダの言葉を聞かせた訳じゃないみたいだけど】
では何をどうしたのだろうか。一つ明らかなのは、ここで考えていても埒が明かないということだ。
「とにかく僕らだけじゃ手に負えない。一旦戻ろう。」
「また宇宙人の手を借りるのか」
「もう充分借りてるだろ」
「ま、それもそうだな」
僕らは香春にここに残ってもらい、2人で小鳥ホテルに戻ることにした。
「不本意ですが、ご指示とあらば」
不満げな香春から車の鍵を預かると、僕と巌はマンションを後にした。
「巌……おまえ、運転下手だろ」
「うるっせい、舌噛んで死にたくなかったら黙ってろ」
「いや、自動運転の車にどんどん追い越されてるんですけど」
巌の運転する黒塗りのセダンは、トロトロと小鳥ホテルに向かっていた。何やってる、運転を替われ、と言いたいところをぐっと抑えた。僕は免許を持っていないのだ。まだ文句は言い足りなかったが時間が惜しい。
(リリイ)
僕は頭の中に念を込めた。返事はすぐにあった。
【聞こえています】
(大峰さんには連絡取れた?)
【現状を確認次第こちらに来るそうです】
(伝蔵とミヨシは)
【菊弥さんよりは先に戻ってこれそうです】
(了解、こっちもなるべく急ぐ)
とは言ったものの、車は相変わらずトロトロとしか進まない。
「僕はどうすればいい。応援すればいいのか。励ませばいいのか」
「いいからおとなしく座ってろ。頼むから」
さて、到着するのはいつになるやら。