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ことり会議  作者: 柚緒駆
20/25

巨龍咆えるとき 1

 秋深き隣は何をする人ぞ


 秋深し、で覚えられている事の多いこの句は、松尾芭蕉の逝去の2週間ほど前の作と言われている。最後の句が『旅に病んで夢は枯野をかけ巡る』だから、芭蕉の最後から2番目の句と言える。別に隣の人の事は気にならないが、季節は秋真っ盛り。朝晩は冷え込むようになり、長袖が快適になって来た。夜がどんどん長くなり、陽が落ちるのが早くなる。当然それだけ人々の活動開始時間も早くなり、企業によってはサマータイムならぬウインタータイムを設けるところもあるらしい。日中に動けなくなったことにより、イロイロ悪化したこともあるが、中には良くなったこともある。たとえばサラリーマンの平均労働時間は6時間台にまで減少した。もっとも、最近では電車が24時間運行を始めたことによって、また労働時間が伸び始めているという話もあるけれど。

 午後6時。空はすでに暗い。さすがにもう紫外線を気にする時刻ではない。僕は小鳥ホテルの玄関を開けて外に出た。空には星が輝いていた。どこかからカレーの匂いがする。なんだか不思議な気がした。みんなこれから仕事なのだ。つまり現在の夕食は、昔なら朝食にあたる。だが夕食をトーストとコーヒーだけで済ませる家はあまりない。紫外線の脅威にさらされ、昼間は身動きができなくなった現在でさえ、みな朝に起き、朝食にトーストや目玉焼きを食べている。そしてカレーは夕食だ。習慣――というか社会に染み付いた癖のようなもの――はそう滅多なことでは変わらないのだな、と思う。

 僕は歩き出した。駐車場にゴミでも落ちていないか見回ろうと思ったのだ。今日はオカメインコのお客様の予約が入っている。開店まではあと2時間ほど。掃除が必要なら、いまのうちにやっておかなければ。その僕の足が、駐車場入り口に近づいたとき。

【警報!】

 頭の中にリリイの声が響いた。次の瞬間、僕の右手が跳ね上がり、駐車場の外の闇に向かって手のひらを向けた。

【重力制御フィールド展開】

 それはミヨシの声。突然視界が白くなる。強烈な投光器の光が僕を照らしていると理解するのに数秒を要した。

「確保!」

 どこからかそんな声がした。光の向こうの闇の中で気配がうごめいた。次いで地鳴りのような足音。白い光の中から十数人の屈強な連中が僕に飛びかかってきた。しかし。伸ばした手が僕に触れる寸前、まるで突風に飛ばされる木の葉の如く、真上へと飛ばされた。1人、2人、3人と飛ばされたのを見て、さすがに4人目以降は異変に気付いた。だが後ろからの圧力が止まらない。足を止められず倒れ込むように僕に近づいた制服姿の集団――そこでやっと僕は気づいた。警官なのだと――は残らず真上に飛ばされた。そして重たいものがドサリと落ちる音。1つ、2つ、3つ、いっぱい。言葉にならない苦悶の声が上がった。

「お、おい貴様、抵抗はやめろ!抵抗すれば撃つぞ!」

 と言われても、おそらく拳銃の弾くらいでは重力制御フィールドを超えて僕まで届くまい。ライフルだとどうなるんだろう。

【ライフルなんてとてもとても。戦車でも持ってこなきゃ無理ね】

 頭の中でミヨシの声が笑った。

「いいか、抵抗はするな、わかったら両手を上げろ」

 光の向こうから聞こえる声に、僕は困惑する。

「あのう、すみませんけど」

「な、何だ」

「手を上げろって言うんなら、せめてどんな理由で僕がこんな目にあってるのかくらい説明してくれませんか」

「何ぃ、ふざけるな!自分の胸に手を当ててよく考えてみろ!」

「いや、ホントにわかんないんで、その辺なんとかしていただけませんかね」

 しばしの沈黙。相手も困惑しているらしい。そして。

「政府に対する脅迫、および破壊活動防止法違反容疑だ。これで充分だろう」

「全然充分じゃないですよ。そんなことした覚えは毛の先ほどもないんですが」

「だまれ、調べればわかることだ」

「だったら調べてから来てくださいよ。どうせ調べてないんでしょ」

 再び沈黙。図星だったようだ。

「あのう、すみませんけど、今日は僕仕事があるんで、申し訳ないんですが、また今度にしてもらえませんでしょうか」

「ふ、ふざけるな!いいから手を上げろ、本当に撃つぞ」

「撃ってもいいですよ。困るのはそっちですから」

 いい加減、僕もイライラしてきた。もうすぐオカメインコがやって来るのだ。とっとと帰ってくれ、そう思うとちょっと言い方が乱暴になる。そのとき。

【飛行物体接近。これはヘリやな】

 頭の中にトド吉の声が聞こえた。

「向こうの援軍?」

【こんな時間にヘリで飛ぶ友達おるんか】

「いないね」

 増援だとしたら厄介だ。面倒なことになる前に、目の前の連中を力ずくで排除してしまおうか。そう考えていた僕の耳に、気の抜けた打ち上げ花火のような発射音。光の中に、こぶし大の塊が2つ飛び込んでくると、僕の足元に落ちて転がった。煙の尾を引きながら。

【催涙弾です】

 リリイの声が聞こえるより早く、2つの催涙弾は煙ごと吸い上げられるように上昇し、頭上数メートルの所から光の向こう側に再び飛んで行った。僕の所までは匂いすら届かない。一瞬遅れて、向こう側から慌てふためく気配が伝わって来る。今だ。僕は重力制御フィールドを右手の先から伸ばした。それが投光器を屋根に乗せた車に届くと同時に重力をカット、持ち上げる。そして5メートルほど浮き上がったところで逆さまにし、地面に落とした。悲鳴が上がり、光が消えた。

「何だ、何が起きた」

 闇の向こうでうろたえる声。僕は声の主を探した。集団を相手にするには頭を潰すに限る。闇の中に目を凝らす。宇宙人に与えられた超視覚が発動する。捉えた。2メートル近い巨躯。捕まえてやる。そちらに向けて重力制御フィールドを伸ばそうとした、そのとき。僕の視界はまた真っ白になった。上空から照らされる白い光。くそ、先にこちらから落としてやろうか。そんな僕の耳に届いた声。

「こちらは国家公安委員会です。双方行動を停止してください。繰り返します……」

 それはどこかで聞いた覚えのある声。どこで聞いたのだったか。僕が思い出そうとしていると、夜に響く携帯電話の着信音。

「はい架州かけす……あ、署長?どういう事です……は?本庁の指示を無視しろって、何ですかそりゃ……公安委員会?」

「こちらは国家公安委員会です。双方行動を停止してください」

 そう拡声器で叫びながら、ヘリは降りてくる。強烈な風が吹き下ろし、警官たちはよろめくが、僕は重力制御フィールドのおかげで風を受けない。

 と、ヘリを見上げる僕の背中をつつく手がある。驚いて振り返ると、そこには青いワンピースを着た大峰瑠璃羽おおみねるりはの姿があった。ああ、そうだ、あの声は。

 僕が視線を外すと同時にヘリは急上昇し、そして飛び去って行った。後には静寂だけが残った。大峰さんは笑顔で僕の横を通り過ぎると、警官隊に向かい合った。

「架州警部ですね」

 2メートル近い大きな身体が近づいて来る。小鳥ホテルの明かりにぼんやり照らされて、架州警部と呼ばれた男は幽霊のように立っていた。

「あんたが公安委員会の人間なのか」

「私自身は公安委員会の者ではありませんが、公安委員会の使いとして参りました。署長さんからお話は聞かれましたよね」

 大峰さんの言葉に、架州警部は納得の行かない顔を見せた。

「俺たちは本庁からの指示で、この男を緊急逮捕するように言われて出動したんだ。それがいきなり無かったことになるってのは、どういうことだ」

「どうもこうも、そういうことです。現場はいつも振り回されて大変ですね。ですが今夜のところは引き揚げてください」

「引き揚げろって言われてもな」

 架州警部は恨めしそうに僕を一瞬見つめると、ひっくり返った車を見やった。大峰さんもそれを見ると、僕を振り返った。

「結構無茶なことするんですね」

 そう小声で言うと、微笑んだ。



「3泊で4500円になります」

 オカメインコのマルコの飼い主さんは5000円札を出し、僕は500円玉を一つ返した。

「引き取りは同じくらいの時間になりますので、よろしくお願いします」

うけたまわりました。ではお預かりします。行ってらっしゃいませ」

 飼い主さんは何度かこちらを振り返りながら、駐車場に待たせていたタクシーに乗り込み、そして夜の中に走り去っていった。

 オカメのマルコはまだ落ち着かないようだ。飼い主を呼ぶ『呼び鳴き』をしている。客室には常夜灯がついているので、照明を落としても真っ暗にはならないが、今すぐ明かりを消すのは少し性急すぎるだろう。何せオカメインコである。パニックを起こすのが怖い。僕は客室の照明はそのままに、玄関ホールの照明だけを消した。ガラス越しに外を見やる。もう警官たちは誰もいない。ただ静かに夜が広がっていた。そして玄関を施錠すると、鳥部屋に向かった。



 鳥部屋を開けると丸椅子に座った大峰さんの背が見えた。

「まあ電撃は重力制御フィールドを通り抜けますから、空間干渉壁を使うのが正解です」

 何の話をしているのだろうか。セキセイインコのリリイが僕に顔を向けた。

「お疲れ様。終わりましたか」

「うん、仕事はとりあえず終了。話はどこまで進んでるの」

「まだですよ。菊弥きくやさんにも聞いてもらわなきゃいけないですから」

「そろそろ始めましょうか?」

 大峰さんが振り返った。

「あ、ちょっと待って」

 僕は大峰さんの横をすり抜けるとキッチンに入り、自分の椅子を持ってきて座った。

「よし、始めよう」

 大峰さんはうなずくと、一度全員を見回し、話し始めた。

「事の起こりは数か月前にさかのぼります。ある国会議員がいました。名を麻賀茂一まがしげかず。彼は豊かな資産家であり、かつては政権与党内にあってキングメーカーと呼ばれたこともあります。しかし、我々は彼のことをあまり重要視していませんでした。現在の政権は首相の国民的人気に支えられていますし、与党内でも首相の在籍する派閥が本流です。首相から距離を置く派閥の領袖りょうしゅうには意識が向かなかったのです。しかし結論から言うと、それは間違いでした。せめて彼の身体が病に侵されていたことに気づくべきだったのです」

 病と聞いて、僕は先の展開が読めた気がした。病を治す山奥の温泉宿。それが存在した理由こそ、きっといま大峰さんが話していることなのだろう。

「私は現在、内閣のアドバイザリースタッフとして仕事をしていますが、我々連盟のことを知っているのは、内閣でも首相を始めとする数人だけです。極めて機密性の高い事項として取り扱われています。ですから私に対し、その技術力で体を蝕む病をなんとかできないかという要請は、来ることがありませんでした。向こうにしても、それは想定外のことだったのでしょう。やがて麻賀茂一は、ふいっと、国会に姿を見せなくなりました。どこに行っていたか、それはもうおわかりですね。そう、あの山の中の温泉宿を見つけたのです。偶然見つけたのか、向こうから接触があったのかは不明です。3日ほど国会を欠席した後、彼は突然戻ってきました。病から解き放たれただけでなく、十年ほど若返った姿をもって。しかしその時点では我々は温泉宿のことをつかんでいません。そのすきに彼は自派閥はもちろん、他派閥の幹部議員に声をかけ、温泉宿を紹介したのです。それはガン細胞のように急速に与党内に広がって行きました。病を癒し、若さを取り戻した者たちは派閥を横断し、強靭な結束力を持った一大勢力として台頭することになります。それでも頭数では首相の派閥にかないませんが、しかし下手に取り扱うと党を割るほどの人数が集まりました。その意向は首相と言えど無視できません。そんなときです。政府を脅迫するメッセージが届いたのは」

 あの滝緒が言っていた、日本の国を引き渡せというメッセージか。

「当初、首相は断固たる態度を示そうとしていました。けれど、麻賀茂一を筆頭とするグループが、それに反対しました。彼らは正体不明の相手と交渉をすべきだと主張したのです。その声に、閣僚の何人かも同意しました。麻賀茂一の影響はすでに内閣にまで及んでいたということです。結局、首相は折れました。脅迫された事実を公表せず、水面下で交渉する方向で調整しました。もっともその裏で民間伝承対策室を始めいくつかの組織を動かすよう指示もしましたが。それ以降、麻賀グループの活動は活発になって行きました。その一環として、今回の警察の動きがあります。誰かが警察庁を動かし、菊弥さん、あなたの行動を封じようとした訳です。それを止めるには、警察庁の上、国家公安委員会を動かすしかありませんでした」

「ならばすなわち」ブルーボタンの伝蔵が言った。「その麻賀グループはウェルギリウスから指示を受けて動いていると見て良いのだな」

 大峰さんはうなずく。

「そう考えるのが自然だと思います。直接的か間接的かは不明ですが、何らかの指示を受けてのことなのでしょう」

「そらまた厄介やな」十姉妹のトド吉は頭を抱えた。「相手の手駒がこっちの陣内に入ってるいうことやろ。守りを固めることすらでけへんがな」

「それどころかキングの首を落とされてハイおしまい、なんてことに、いつなってもおかしくない状態でしょ」

 暗い顔でそう言ったのは、モモイロインコのミヨシ。ヨウムのパスタは天を仰いだ。

「話が政治的に過ぎます。正直、我々の手には余るのでは」

「そうですね、観測部隊の職務からは著しく逸脱していると思います。ただ、連盟には諜報部隊の派遣を申請していますが、いまだ派遣指令は出ていません。ならば当面は我々が最前線に立つしかないでしょう」

 大峰さんのその言葉に、皆はいささかうんざりしたような顔を浮かべた。

「という訳で」大峰さんが立ち上がった。「代表者と事務方1名来てください。面を通しておきます」

 すると伝蔵が言った。

「菊弥、行ってこい」

「えー、代表者は伝蔵じゃないか」

「我はまだ体が充分に動かん。それに向こうも鳥相手では話しにくかろう」

 さすがにそう言われると反論しづらい。

「事務方は、パスタ。行ってくれるか」

「はい」

 パスタは伝蔵の指名を快諾した。こうなると僕が一人駄々をこねているような恰好になってしまう。

「仕方ないなあ」

「バックアップしますから」

 いつものように、リリイが言う。

「でも面を通すって、いったい誰に通すの」

 僕の疑問に、大峰さんは当たり前といった顔で答えた。

「もちろん最高責任者ですよ。総理大臣です」



 何故か最初に目についたのは、ワインセラーだった。その隣には扉付きの本棚が並んでいる。デザインを合わせてあるので違和感がない。どちらかが――もしかしたら両方――特注品なのだろう。部屋の中央は四角く切り取られ、一段低くなっている。そこにソファが四角くはめ込まれている。中央にあるのは飾り気のないガラステーブル。いや、この部屋全体が飾り気がない。窓すらない。まるでうちの小鳥ホテルの客室だ。ただ、その代わりではないのだろうけれど、四方の壁すべてにドアがある。空間転移で僕たちが飛んできたのは、そんな奇妙な部屋だった。

 大峰さんは僕らをソファに案内すると、壁のインターホンを手にした。

「大峰瑠璃羽です。ただいま戻りました」

 そう短く告げると、自らもソファに座った。

「ここって首相官邸、じゃなくて、何て言うか」

 こういうときに名詞がでてこない。なぜド忘れするんだろう。酸素不足の金魚のように口をパクパクさせる僕を、大峰さんは不思議そうに見つめた。

「首相公邸ですか」

「そうそう、それ」

「違いますよ。ここは夏浦なつうら首相の自宅です」

「あ、自宅なんだ」

「首相は公邸を使わずに自宅から官邸に出勤してるんです。それをマスコミや野党に批判されたこともありましたが、今この状況においてはそれが功を奏しました。公邸ではどこに盗聴器があるのか知れたものではないですからね」

「はあ、なるほど」僕は自分の服をちょっと引っ張った。「こんな格好で来ちゃったんだけど、良かったのかな」

「首相は気にされないと思いますよ」

 大峰さんが笑顔でうなずいたそのとき、向かって左側のドアが開くと、大柄な黒スーツ姿の男が二人、入って来た。その後ろに、少し小柄な、白いバスローブ姿の男性。テレビで何度も見た事のある顔だった。そしてさらにその背後に二人の黒服を従えて、首相はまっすぐワインセラーに向かった。そしてワインらしきものを抜き出すと、ようやくこちらに向かってきた。立ち上がって迎える僕に座るように手で合図すると、首相は僕の向かいのソファに深く腰を下ろした。

「あー、風呂にゆっくり浸かる時間もありませんね」

「申し訳ありません。急いだほうが良いかと思いまして」

 大峰さんはあまり申し訳なさそうでもない風にそう言った。

「いえ、いいんですよ、実際急いでもらわなきゃ困る訳ですから」

 首相は笑った。湯上りで髪がぼさぼさのその顔は、テレビで見るより少し若く見えた。いや、実際若いのだ。夏浦久満(ひさみつ)内閣総理大臣が誕生したとき、彼はまだ45歳だった。そのカリスマ性による国民的な人気を受けて、以後3年間安定政権を運営している。

「彼が、例の」

 首相は僕を横目で見ながら、顔を大峰さんに向けた。

「はい、代表代行です」

「あ、あの、僕は」

 立ち上がろうとした僕を、首相は手を上げて抑えた。

いただき菊弥くんですね。お名前はかねがね」

 そしてワインをテーブルに置いた。いや、ワインだと見えていたのは、巻いた紙だった。それをテーブルの上に広げる。

「早速で悪いのですが、これを見てもらえますか」

 それは地図だった。4か所に黄色い印が張り付けてある。それを指さしながら首相は説明した。

「自宅、国会、党本部、貸事務所」

「これは?」

「この1カ月で麻賀議員が訪れたところです。どう思いますか」

「政治家の方の生活には詳しくないのですが、少ないですね」

 間の抜けたことを言ってるのかな、と僕は内心思っていたのだが、

「少ないですね。少な過ぎます」

 と首相は肯定した。

「1日の移動ならともかく、1カ月ですから。普通、月に1度くらいは選挙区に帰るものです。後援会と接触を持つ必要がありますし、地元の情報にうとくなれば、次の選挙で困ります。なのにそれがない。他にもおかしいところはあります。彼は派閥のトップです。勉強会という名の派閥の集会は行われてしかるべきです。しかしそれもない。政治家は付き合いが多い。月に1度や2度は外食をしたり酒を飲みに行ったりもするでしょう。それすらない。ここまで行動半径の狭い政治家を私は見たことがありません」

「性格や思想信条の問題ではないとおっしゃりたいのですね」

 大峰さんの言葉に、首相はうなずいた。

「狭い行動半径から出ないのではなく、出られないのでは。平たく言えば、それどころではない、という状況なのではないかと考えています」

「それだけ頻繁に指示を受けていると」

「一国の政府に向かって『国を譲れ』と言う勢力と繋がっているのです。譲ったあとの社会においてそれなりの地位を約束されていると考えるべきでしょう。ならば必死になるのもわかる。権力の座というのは、それだけの魅力がありますからね」

 国の最高権力者がそれを口にしていいのかと思わなくもないが、正直な意見なのかもしれない。

「ただ問題は、どこでその指示を受けているのか、ということです」

「場所、ですか」

 言い方に引っかかったのか、首相は僕を探るように見た。

「何か」

「あ、いえ。敵は空間転移ができます。テレパシーも使えます。場所にはこだわらないのでは、と思うんですが」

「なるほど」首相は腕を組んだ。「しかし侵略行為を行おうとしているのです、どこかに足場は築くのではないですか」

「いわゆる橋頭堡きょうとうほですね」

「そうです」

 橋頭堡、最近聞いた言葉である。

「……異界」

「イカイ?」

 眉を寄せる首相。僕は記憶の中からあのときの会話を呼び出していた。

「異なる世界の異界です。確かグラントは、異界に橋頭堡を築いたと言っていたはずです」

「グラント、人の言葉を話す馬でしたね。異界とは並行世界のことでいいのですか」

 それはどうなのだろう。僕は思わず左肩の上のパスタに目をやる。パスタは口を開いた。

「異界の定義は様々です。並行世界のことを指す場合もありますが、今回の場合に限るなら、並行世界ではなく、空間のねじれによって生じた限定的な閉鎖空間であると言って良いでしょう。つまりこの世界に泡のように付随する小さな世界と言えます」

 少し早口のパスタの言葉を聞いて、首相はしばし呆気に取られていたが、やがて小さなため息をついた。

「大変失礼しました。君の名前は」

「パスタです」

「把握しました。ではパスタ、よろしくお願いします」

 それに対し、パスタは照れ臭そうに頭を下げた。

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