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ことり会議  作者: 柚緒駆
17/25

眠り姫の言霊 2

 陽の沈んだ午後7時過ぎ、僕は2人を呼び出した。いや、香春こうしゅんを含めて3人か。もっと早い時間に呼ぶこともできたのだが、さすがに僕にも常識というものがある。紫外線を浴びるような時間帯に他人を呼び出す訳には行かなかった。

「しかしよお」いわおは言った。「鳥がこれだけ集まると気持ち悪いもんだな」

「おまえはそういう余計なことを言わなければ死ぬ体質か何かか」

 僕は早くも、こいつを鳥部屋に呼んだことを後悔していた。

「ホント、余計な事しか言わないんだったら帰れば」

 滝緒たきおは僕のベッドに寝ころんでいる。

「何してるの」

「いいじゃない、初めてじゃないんだし」

 滝緒はポッと頬を赤らめる。

いただきさま、お許しがいただければ即座に絞め殺しますが」

 目をらんらんと輝かせる香春を、僕は無言で押しとどめた。疲れる。

「ええ加減、始めえや。そろそろ眠たい」

 そう言うトド吉を、巌は面白そうに見つめた。

「へえ、本当に十姉妹がしゃべってやがらあ」

「おーい、そろそろいいか」

 一呼吸おいて、僕は話し始めた。僕らがこれまで出会った怪異現象のうち、少なくとも草原での決闘、山奥の温泉、そして黒い馬のホテル、これらは日本という国を世界から切り離し、くさびとして世界に打ち込むための一連の行動だということ、そしてその背景には多神教である日本と、一神教が支配する世界という対比が何らかの意味を持つということを。

「でもさあ」滝緒が言った。「あのときも思ったんだけど、何で日本じゃないといけない訳。多神教の国なんて他にもあるじゃない。インドとか」

 しかし巌は不満げに鼻を鳴らした。

「ふん、インドは確かに多神教の国だが、あれは一神教と大して変わらねえんだよ」

「意味わかんない」

 そう言う滝緒を見下ろして、巌は言う。

「インドには三大神がいる、ってことになってるが、事実上は二大神だ。シヴァを信仰するシヴァ教徒と、ヴィシュヌを信仰するヴィシュヌ教徒の2つの教徒がヒンドゥー教のほとんどを占めてる。ブラフマー教徒なんて、ほとんどいねえ。そしてシヴァ教とヴィシュヌ教は相容れない。つっても敵対してる訳でもない。シヴァ教徒はヴィシュヌ神を、ヴィシュヌ教徒はシヴァ神を、一段下に見てるって事だ。とにかくヒンドゥーというくくりでは同じだが、別の神を掲げる別の信仰だ。日本ならアマテラスとスサノオが一緒の神社に居てもそう大して驚くことじゃねえが、インドでシヴァとヴィシュヌが一緒の神殿に祀られてるなんてことは、基本的にない。シヴァの神殿にシヴァの息子のガネーシャが祀られてたり、ヴィシュヌの神殿にヴィシュヌの化身のラーマやクリシュナが祀られてたりはするかもしれねえが、シヴァとヴィシュヌは別の宗教の別の神だ。ひとつの寺に三大神の三つの神殿があることはあっても、ひとつの神殿にシヴァとヴィシュヌは同居しない。要するに絶対神を掲げる一神教に限りなく近い多神教が更に複数まとまって出来上がってるのがインドの複雑な多神教だ。日本とはまるで状況が違う」

 さすがにこういうことに関しては巌は弁が立つ。いかな滝緒といえど、真向から否定はできない。

「でも、多神教はヒンドゥー教以外にもあるんでしょ」

 このくらいでせいぜいらしい。一方巌は指折り数えた。

「ブードゥー、マクンバ、サンテリア、この辺のアフリカ人奴隷から発祥したアフロアメリカン宗教は多神教だ。だがこれらの宗教は基本的にカトリックと習合してる。純粋な多神教とは言いづらいかもしれねえな。一神教が嫌いな奴なら、一神教に『毒されてる』とか言ってもおかしくねえだろう」

 なぜだろう、僕の心臓がギクリと震えた。

「仏教は。仏教は多神教とは言えないのですか」

 そう問うたのは、ヨウムのパスタ。巌はニッと歯を見せた。

「ほう、わかってるじゃねえか、灰色。仏教は厳密には多神教とは言えない。本来の仏教には神は存在しねえからな。だが民衆が実際に信仰してる仏教は間違いなく多神教だ。だから仏教国は多神教国で間違いねえ。だが仏教も結局は釈迦の教えに終始する訳だ。釈迦はてめえを唯一絶対神だなんて言わねえが、実質的に最高神の位置に居るのは間違いあるめえよ。つまりその構造はシヴァ教やヴィシュヌ教と大して変わんねえだろう。そのまんまじゃ日本人の感覚には馴染まなかったはずだ。それが一度中国に渡り、そこで変化し、更にそこから日本へ来て、最終的に神道と混淆こんこうして、ようやく広く日本人全体が受け入れられる形になった。それが日本の仏教であり、日本の多神教だ。『それ』を望む者からすりゃ、他の仏教国じゃダメなんだろうよ」

「それはつまり」ブルーボタンの伝蔵が言う。「この国は他の国に代えがたいほどに宗教的に特殊だということなのだな」

「良いか悪いかを別にすりゃ、きわめてユニークだよ、この国は」

 あまり嬉しそうではない顔で、巌は答えた。

「とにかく何らかの理由で一神教に敵意を持っとるやつが、この国をほしがってるのは間違いないっちゅうことや。誰やねん、それ」

 トド吉の言葉と共に、天井にPCの画面のようにウィンドウが開いた。そこに大写しにされたのは、僕が小学校の屋上で見た男。金髪、白い肌、40代から60代まで想定される容姿。

「顔認証でこの惑星のネット上にあるすべての顔写真に当たっていますが、いまだこれといった手がかりはありません」セキセイインコのリリイが説明する。「服装のローブは古いタイプのもので、中世ヨーロッパ辺りで見られたデザインだと思われます。でもこの足、足に履いているサンダルのデザインはもっと古くて、古代ローマにまでさかのぼるようです」

「何かわかるか」

 そう言った僕を、巌はジロリとにらんだ。

「無茶言うな。ローマ人に知り合いはいねえぞ」

 そりゃそうだ。いたら逆に怖い。僕は滝緒に目を向けた。

「何か気づいた事とかある」

「問題はなんでローブ着てるのか、ってとこよね」

「ローブが問題?」

「ていうか、着てるのが古代ローマの服装なら、間違いなくタイムスリップしてきた古代ローマ人な訳よ」

 その間違いなく、と言い切れる自信はどこから来るのだろう。

「それはおかしいです」疑問を呈したのはパスタ。「中世の人が古代ローマにタイムスリップしてから現代に来た可能性だってあります」

 タイムスリップの可能性は否定しないんだ。唖然とする僕をよそに、滝緒は反論した。

「中世からローマ時代に行った人が、わざわざサンダルだけ履く?ローブそのままで?普通見えるところから変えて行かない?」

 なるほど、言われてみればそうかもしれない。滝緒は言葉を強めた。

「ローブで見えにくい足にサンダルを履いてるってことは、サンダルを履き慣れてるってことよ。見えないから、気づかれないから、自分が履き慣れてるものを履いてるんだと思う。だとしたら、古代ローマ人よ」

 感心したような、気圧されたような、複雑な沈黙が鳥部屋を覆う。最初に口を開いたのは、伝蔵だった。

「並行世界にはローマ文化がそのまま残っている世界もあるだろう。中世が続いている世界もあるやもしれん。いや、そもそも時間の流れ方が違うのだ。すべての並行世界における『現代』はバラバラだ。時空渡航者ならば異なる時間軸の世界を行き来することも可能。ならばさながらタイムリープしているかのごとく、古代ローマ世界から中世の世界へ、そして中世から現代へと並行世界間を移動したのだとすれば」

「可能性ならあるわよね」

 うなずいたのは、モモイロインコのミヨシ。いいのか。服装だけでそんなことまで言及しちゃっていいのか。

「すごーい、私冴えてる」

 自画自賛しちゃってるけど、本当にいいのか。あ、香春の手がぷるぷる震えてる。いや、ちょと待て、早まるな。

「ただし、現段階では可能性の話。まだ判明したことは何もないと言っていいわね」

 釘を刺すミヨシに、「えー」と滝緒は不満げだが、香春の震えは治まった。と、香春は自分の胸に手を当てた。そして「失礼します」と言うと、鳥部屋を出た。キョトンとしている僕に、

「電話だ」

 巌がそう説明した。なるほど、香春は五十雀いそがら家の家政婦長だ。連絡事項も多いのだろう。そう思った瞬間だった。鳥部屋のドアが物凄い勢いで開けられた。香春が、真っ青な顔で立っている。

「巌さま」

「どうした、慌てて」

「……鈴音が、鈴音が病院から姿を消しました」



 警備員は19時に館内巡回をしているが、白石鈴音しらいしすずねの姿は見ていないという。病院内外各所に取り付けられた監視カメラにも、白石さんの姿は映っていなかった。病室内にはプライバシー保護の観点からカメラは取り付けられていない。だがもしかしたら、監視カメラがあっても同じだったかもしれない。彼女の身体には、血圧や脈拍などの測定機器が取り付けられていたが、19時過ぎ、それらがすべて一斉にゼロを示した。ナースステーションのブザーが鳴り、看護師たちが隣の部屋に駆け付けたとき、すでに白石さんの姿はベッドの上になかった。このベッドの上から、煙のように一瞬に、ドアも開けずに彼女は姿を消したのである。病室内には夜勤担当の医師、看護師、警備員と、香春、巌、滝緒、そして僕がいた。

(空間転移の痕跡は)

 僕は頭の中で問いかけた。反応はすぐにあった。

【確認はちょっと無理。時間が経ち過ぎてるわね】

 ミヨシは残念そうである。

(連中だと思う?)

【現時点でそれ以外の可能性を考えるのは逆に不自然だと思うけど】

(目的がわからない)

【目的はわからないけど、理由ははっきりしてるんじゃない】

(理由って)

【坊やの知り合いだからよ。だから何かに使えると思ったのね。それが何かはわからないけど】

 胸が締め付けられる。僕のせいだというのか。いや、普通に見ればそうだろう。僕が病院に来なければ、白石さんがさらわれることもなかったのだ。だが、それを香春に何と言おう。香春は声もなくベッドに泣き崩れている。

 警察に連絡しましょう、警備員はそう言ったが、医師は難色を示した。病院には病院なりの立場も事情もあるのだろう。まだ誘拐と決まった訳じゃない、しばらく様子を見よう、巌のその言葉に医師はうなずいている。そうであってくれればありがたい、医師の顔はそう告げていた。

 腕が引っ張られる。滝緒がその切れ長の目で僕を見つめている。そして小さくうなずくと、病室の外に出て行った。僕はその後を追う。



 夕食の時間は終っていたが、消灯時間にはまだ1時間以上ある。各病室の扉は開け放たれ、患者の笑う声、テレビの音、その他雑多な音たちが病院の廊下にはあふれていた。その中を突っ切るように、滝緒は早足で歩く。僕はその後に、追いすがるようについて行った。そして廊下の端、階段横の消火栓の前まで行くと、滝緒はくるりと振り返った。

「また変な事考えてるでしょ」

「へ、変な事って何だよ」

 運動不足だ。僕は軽く息が上がっていた。

「自分のせいで白石さんがいなくなったとか考えてない」

「それは、事実だろ」

「またそうやって無駄に自分を追い詰める。そんなことして何か解決するとでも思ってるの」

「いや、別にそんな風には思ってないけど」

「思っていないならやめることだ。無駄に自分を責めるのは、自分を可哀想だと思いたい弱い心のなせるわざ。ただの甘えにすぎん」

 3人目の声が階段から聞こえた。僕らを見下ろす位置に座り込んでいる、オーバーオールを着て、ニューヨークヤンキースの帽子をかぶった、もじゃもじゃの長い髪の、ムク犬のような子供。

「なにこの子」

 目を丸くはしたが、滝緒はそれほど驚いてはいないようだった。虎河つぐみは歯を見せた。

「この女は肝が太い」

 僕の周りにいるのは、みな肝が太い連中ばかりらしい。いや、今はそれよりも。

「つぐみ」僕は昼間のことを思い出していた。「きみはあのとき、山の香りがするって言ってたよね。あれは白石さんと何か関係があるの」

 虎河つぐみはポリポリと鼻の頭をかいた。

「ま、結果から言えば、関係あったようだの」

「なにその言い回し。ハッキリ言いなさい」

 滝緒に叱られるような形になり、つぐみは小さくため息をついた。

「件の湯宿にいた森の魔女がな、どうやらこの辺に現れたらしい」

「間違いないの、それ」

 勢い込んでたずねた僕に、つぐみは手のひらを見せた。

「まあ落ち着け。わしも別にさらう所を見た訳ではない」

「でも他に考えられない、だから罪悪感を覚えた、で、いまここにいる、と」

「手厳しいな」

 そう滝緒に返すと、つぐみは苦笑した。滝緒は畳みかけるように言葉を重ねる。

「でもわざわざここまで来たっていうことは、他にも何か知ってるのよね。手がかり的な何か」

「そうなの?」

 滝緒と僕に見つめられて、つぐみはやれやれといった風にため息をついた。

「やりにくいのう。ま、そういうことだ。わしなりに後を追ってみたのだ。だが途中で見失った」

「どの辺?」

 間髪を入れぬ滝緒の問いに、つぐみは諦めたように答えた。

「富士の樹海のあたりだ」



 今すぐ、今夜中に助けに行きたいと言う香春を巌が説き伏せ、僕らは朝を待った。体力回復のために睡眠が必要だったことはもちろんだが、夜に樹海をさまようなど、自殺行為としか思えなかったからだ。紫外線は僕らの敵だが、樹海を行くなら可視光線は最大の味方である。

 僕は午前4時半に目覚めると朝食を採り、鳥部屋の皆の世話をし、幸か不幸か誰もいない客室を軽く掃除して、午前6時前、玄関ホールで待った。外はまだ暗い。遠くの空がほんのり明るくなったようなが気がする、そんな頃合い。肩に乗るのはモモイロインコのミヨシ。そして。

「わしが一番か」

 背後から声がした。低い位置からの声。僕は虎河つぐみを振り返った。

「来てくれたの」

「言いっぱなしは無責任であろ」

 タイヤが地面を噛む音に再び外を見る。巌の黒塗りのセダンが入ってきた。後ろに続いているのはタクシーだ。おそらく滝緒が乗っているのだろう。こんなときくらい一緒の車で来ればいいのに。駐車場にセダンが停まり、タクシーが停まった。香春が運転席から降り、後部座席のドアを開く。巌が降り立ち、ドアが閉まった少し後、ようやく支払いを済ませたのか、タクシーのドアが開き、滝緒が降りてきた。またサファリルックだ。だが今回は場所的に、一番ふさわしい恰好をしているのかもしれない。それにひきかえ巌は今日も黒の着物だ。樹海だぞ。歩けるのか。

 などと玄関の内側から見ていると、滝緒が急に走り出した。そして玄関の扉を開け、風除室の扉を開けて、一言。

「いっちばーん……あれ」つぐみを見て眉を寄せる。「何よそれ」

 その後ろでは香春が無表情に風除室の扉を開け、巌を通していた。

「おめえはガキか」

「うっさい、黙れ」

「ハイハイ、揃ったみたいね」

 一同はミヨシに注目する。

「ではこれから樹海に出発するわよ。各自、用意はいいわね」

 まるで遠足の引率だな。僕がそう思ったのと同時に。

「転移します」

 キンと甲高い音。目の前の景色が瞬時に変わる。天井もガラス扉も消え、代わりに現れたのは、立ち並ぶ樹、樹、樹。鬱蒼うっそうと生い茂る葉、地面を這う根の群れ。薄暗い。空気が冷たい。

「ここ、どの辺りになるの」

「樹海西側の遊歩道の真ん中あたりね。ちょうど人がいない場所を探したらここになったのよ」

 ミヨシは僕の問いに眠そうに答えた。

「こんな時間から人がいるのかよ」

 巌の言葉にミヨシはうなずく。

「樹海は観光地だもの。それも夜に迷い込んだら命を落としかねない観光地。紫外線防御して朝の早いうちに見て回ろうっていう考えもわかるわ」

「でもさ」滝緒は首を傾げた。「連中は隠れてるのよね。だったら見つかりやすい遊歩道の近くになんかいるはずないんじゃない」

「言っとくけど、遊歩道のある場所だけでも全部回れば3時間以上かかるわよ。迂闊に道のない場所になんか入ったら、夜までに帰れなくなることは理解しておきなさい」

 ミヨシは少し面倒くさそうに、しかし厳しく注意した。

「その広い樹海を、どうやって調べるよ」

 巌の疑問はもっともだと思えた。

「相手が隠れているのだとすれば、空間をねじ曲げている可能性があるわ。だからそれを確認するの」

「それで必ず見つかるのか」

「保証はできないわね」

 それは正直な見解なのだろう。巌もそれがわかったればこそ、突っ込むでもなく、ただ苦虫を嚙み潰したような顔になった。

「ならばわしの力が役に立とう」

 楽し気なつぐみを、巌はジロリと見下ろした。

「で、おめえには何ができるんだ」

「わしは樹々の声を聴くことができる」

「樹に声なんてあるのかしら」

 ミヨシは疑わし気な声をあげる。つぐみはまた楽し気に笑った。

「あるともさ。樹々は常に会話をしている。おまえさんたちには聴こえんかもしれんがな」

「確かに宇宙には植物タイプの知的生命もいるわ。でも地球の植物に知性があるとは思えないけど」

「知性などはない。心があるだけだ」

「心ねえ」

 鳥の姿をした宇宙人と、子供の姿をした人ならぬものが、心について語っている。状況的にはシュールなのだろうが、なんとも微笑ましい。そう思うのは僕の感覚が麻痺しているからだろうか。

 列の先頭には巌が歩いていた。舗装もされていないでこぼこの遊歩道を、下駄で軽々と歩いていく。なんてやつだ。そのすぐ後ろを、凍ったような無表情で香春が歩く。その胸中は如何いかばかりか。僕と肩の上のミヨシ、そしてつぐみは、その後ろに並んで歩いている。最後尾は滝緒だった。

「そう言えばさ」僕はミヨシに問うた。「確か恵海えみさんの所に行く前、観測機器がまったく反応してないって言ってたよね」

「ああ、そう言えばそうだったわね」

「あれって原因わかったの」

「不明よ。ただ、推測はできるわ」

「どんな推測?」

「連中は既知のシステムは使ってないってこと。おそらくは個人的な、それも魔法的な能力を使って空間をねじ曲げたりしているのだと思う。だから我々の機器では観測できなかった。曲がった空間は観測できたけど、どうやって曲げているのかのデータが集まらないのはそういうことよ」

「それって、物凄いことじゃないの」

「そりゃ物凄いわよ。いかに辺境の観測基地だとはいえ、我々連盟の技術に匹敵する力を個人で持っているのだもの。並行世界間の移動なんて簡単なんでしょうね。きっと本人にその気があれば、恒星間航行すらできかねないほどの能力よ。尋常じゃないわ」

「その尋常じゃない大魔法使いを相手にして、僕らに勝ち目はあるんだろうか」

「浅い浅い、浅いのう」

 弱気な僕の言葉に対し、つぐみは笑った。

「そんなに浅いかな」

「浅いな。浅いが故に簡単にあきらめる。事はそれほど単純ではない。そもそも簡単に勝敗がつくほどに圧倒的な力を持っているのなら、病の娘をさらったりはすまい」

「……つまり人質ってこと?」

「おぬしはバッティングセンターにいるつもりになっている。飛んでくる球の速さばかりを気にしている。だが相手は野球をしているのだ。あえて遅いボールを投げることもあるし、ど真ん中に放ってくることだってあるだろう。仮におぬしに打たれても、守備についている者がバックアップをしてくれるし、他でアウトを取ることもできる。大事なのは最終的にゲームに勝利することであって、その目的のために必要な駒を集め、随時配置している。娘をさらったのもその一環であろう。おぬしとは考えていることの次元が違う」

 ぐうの音も出なかった。

「できたらこちらも野球がしたいところだけど、情報がなさすぎるもの。いまは来た球を打ち返すしかできないんじゃないのかしら」

 見かねたのか、ミヨシが助け舟を出してくれたが、それに乗っかる気力は僕にはなかった。

「無論、いまやるべきことはそれしかない。だが自分が何をするためにバットを握っているのかを理解して振るのと理解せずに振るのとでは、いずれ天地の差ができるぞ」

 そう言ってニッと歯を見せたつぐみを、後ろの滝緒はこう評した。

「評論家のお爺ちゃんみたい」

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