鳥落とす声 4
それを確認して、僕は振り返った。滝緒がひざまずいている。その足元には、伝蔵がいた。羽根を散らし、目を閉じ、ピクリとも動かず。僕は崩れるようにしゃがみこんだ。
「伝蔵……」
声がかすれる。
「トド吉、伝蔵は」
しかし、返事はない。
「ミヨシ、伝蔵は」
【……あきらめなさい】
何故だ。過去の出来事が走馬灯のように頭を駆け抜ける。走馬灯は死んで行く者が見るのではないのか。次々に駆け抜けて行く過去の伝蔵の姿。初めて会ったとき。初めての会議。初めて怒られたとき。伝蔵の顔が幾重にも重なり僕の視界を埋める。胸が痛い。指が震える。けれどその指を伸ばした。伝蔵に触れなければ。いま触れなければ、大事な何かを失ってしまいそうな、そんな気がして。しかし。
「触れてはなりません」
その声とともに、大広間に明かりが灯った。振り返った僕は、扉の向こうに青い影を認めた。青いワンピースの少女。
「いま触れたら、本当にあきらめることになりますよ」
「大峰……さん?」
大峰瑠璃羽、アオちゃんの飼い主がなぜここに。僕は混乱した。さらに混乱することに、彼女の背後から、自動小銃を構えた自衛隊員が姿を現し、大広間の中に散らばった。
「君は、いったい」
「説明は後で」
大峰さんはワンピースの襟元からネックレスを引き出した。トップには青い宝石が光っている。それを強く引いた。チェーンがちぎれる。そして僕の隣にしゃがみ込むと、その青い宝石を伝蔵の上に垂らした。
「私は命を2つ持ってきました」そう言って、ふっと笑った。「もちろん冗談です」
すると青い宝石が輝きだした。見つめると目が痛くなるほどの閃光を発したかと思うと、その光が伝蔵の体に吸い込まれてしまった。
しばしの沈黙。そして。
「う……」
伝蔵がうめき声を上げた。滝緒が僕の手を強く握った。僕は握り返す。滝緒の眼からは涙がこぼれ落ちていた。そして多分、僕の眼からも。
「ミヨシ隊員」大峰瑠璃羽が呼び掛けた。「医療ドックの準備をしてください。命は助かりましたが全身が骨折しています。緊急処置が必要です」
【り、了解】
あのミヨシが驚いて圧倒されていた。
「トド吉隊員」
【は、はいっ】
「そういう訳ですから、伝蔵団長を直ちに医療ドックに転移して。静かに、確実にね」
【了解しましたーッ!】
弾みまくった声でトド吉が答えると、伝蔵の姿は一瞬で見えなくなった。
【転移完了しましたです】
「はいご苦労様。では次にホテルの中にいる人たちを全員屋上に集めてください」
【え、全員ですか】
「そう、全員。今すぐ、早く!」
それから2秒と経たなかったろう、キンと甲高い音が聞こえたかと思うと、僕らは屋上に立っていた。上空には自衛隊のものと思われるヘリがホバリングしている。周囲にはホテルの中に囚われていたのだろう人々が呆然と立っていた。突然屋上に連れてこられた人々は訳がわからないという顔で、互いを見つめている。あの中に、加津氏もいるのだろう。
【全員、転移、完了しました】
トド吉の息が上がっている。何をどうしたのかは知らないが、大変な作業をしたようだ。
「はいご苦労様。なんとか間に合いましたね」
大峰さんが微笑んだのと、どん、という振動が起きたのは同時だった。屋上の端に居た者たちが、下を指さし叫んだ。
「燃えてるぞ!」
人々は、わっと屋上の周辺部に集まった。それを見ながら、僕は黒馬の残した言葉――もうすぐ、火事が起きますよ――を思い出していた。
「あいつ、これを知ってて」
「それはそうです。彼らが4階に焼夷弾を設置していったのですから」
大峰さんは平然と言った。
「焼夷弾って」
普通上から降って来るものじゃないのか。しかし滝緒が僕の言葉をさえぎった。
「早く避難させないと。このままここに居たらみんな焼け死ぬわよ」
しかし大峰さんは動じない。
「ここにはいま、自衛隊員を合わせて70名ほどの人間がいます。そしていまこの近隣は堤防が決壊して水没しているのです。70名の人間を収容できる安全な場所は、ここから直線距離で5キロほど離れた場所にしかありません」
「だから?」
「空間転移で移動させるには、70人分の質量は大きすぎます。この屋上に連れてくるくらいがせいぜいなのです」
「じゃ、ひとりずつ運べば」
「それならば、ほとんどの人を運べるでしょう。でも何人かは間に合わず焼け死ぬことになると思いますが。誰を残しますか」
滝緒は打ちのめされたような顔で大峰さんを見つめた。
「……じゃあ、もうどうしようもないってことなの」
「そんなことは一言も言っていません」
小さく笑うと、大峰さんは僕に向き直った。
「重力制御フィールドを真下に向けて展開してください」
「真下に?」
どういう感じで展開すればいいのか、僕が戸惑っていると、大峰さんは耳元で囁いた。
「細く、まっすぐ、糸のように下におろすのです。フィールドの展開には物理的干渉は受けません。まっすぐまっすぐ、下へと下へと伸ばしてください」
僕は右手をすぼめて、言われた通りにフィールドを伸ばした。と言っても、フィールドが見える訳ではない。あくまでも感覚でしかないので、本当に伸びているのかはわからない。しかしこれまで重力制御フィールドのコントロールはこうしてきた以上、今回もこうするしかないのだ。
「伸ばして伸ばして、水面の下にまで伸ばしてください。そう。そろそろですね。では今度は一気に、フィールドの先端を水平方向に展開してください。先端だけですよ」
画鋲をさかさまにしたようなイメージか。僕は頭の中でフィールドの先端を広げていった。
「どのくらい広げるの」
「限界ギリギリまで。直径200メートルくらいは広がるはずです」
先端を広げて、広げて、広がった。もうこれ以上は広がらない、はずだ。
「火が6階くらいまで来てる、急がないと!」
滝緒の声に振り返りかける僕の耳元で、大峰さんはささやいた。
「集中を切らさないで。あと少し、もう少しだけ広がるはずです」
あと少し、もう少しだけ……広がった。
「今です、ホテルの周囲の重力をゼロに」
「重力をゼロ」
その瞬間、地鳴りと共に水柱が上がった。いや、違う。このホテルを中心として、半径100メートル域内の水が、宙に浮き上がったのだ。その水の塊が10階近くまで持ち上がったとき。
「ホテルの真下に重力を集めて」
「ホテルの真下」
画鋲で言うなら針と頭の継ぎ目の部分、そこに重力を集めた。水の塊は落下を始めた。ホテルの真下方向に向かって。水圧がホテルのガラスを割り、内側に侵入する。部屋を、廊下を、階段を、激流が走った。激流は4階の焼夷弾をも飲み込み、そして割れた窓から排出した。焼夷弾は水に浮かび、燃焼を続けたが、ホテルの中の火災はすべて鎮火した。そして僕は重力制御を解除した。
あとは自衛隊、警察、消防のヘリが入れ代わり立ち代わり屋上から避難者を救出して、無事終了である。火災について、ましてや大量の水が持ち上がったことについて報道するマスコミはなかった。ただ避難者の中に、カモミールスーパーマーケットのメンバーがいたということで、芸能マスコミが避難所に押し寄せ、新たな問題を生み出したりしたが、それはまた別の話であった。
スコットランド王の鳥刺という短い伝承があります。昔スコットランド王ウィリアムに仕えていた鳥刺、つまり鳥専門の猟師ですが、彼は一切道具を使わず、その言葉だけで鳥を落としたそうです。
「で、結局のところ」僕はたずねた。「あなたはいったい何者なんです」
小鳥ホテルの鳥部屋には、伝蔵以外のメンバーがそろっていた。滝緒もいた。深夜に雨の降る中、一人で家に帰すのも気が引けたし、かといってタクシーで送るにも、僕は疲れ果てていたし、仕方がないので泊まってもらったのだ。ベッドは滝緒に貸して、僕はキッチンのソファで寝た。おかげで身体があちこち痛いのだが、滝緒はベッドを返してくれなかった。いまだにベッドに寝ころんだまま、鳥部屋のドアの前に立つ大峰さんをにらむように見つめていた。朝の8時、大峰さんはいつものように、青いセダンでやってきた。青いワンピースを着て。ワンピースといっても昨日のとはデザインが違うのだな、と気づいたが、それより先に問うべきことがあるので、置いておいた。
「結局のところ、と言いますか」大峰さんは答えた。「結論から申し上げますね。私はキルヤガリヤレ=フィレステハスト星間宇宙連盟、時空移民局の特別監査官です。監査対象は第341銀河境界監視団、つまりあなた方です。簡単に言えばあなた方の仕事ぶりを覆面調査して本局へ報告するのが私の仕事です」
みな呆気に取られていた。
「覆面調査て」
トド吉がつぶやいた。
「私たちに正体明かしちゃったら、もう調査できないんじゃないですか」
リリイの問いに、大峰さんは答えた。
「そうですね、覆面調査に関しては、今回は失敗だったと報告しておきます。ただ私はそれ以外にもう一つ、仕事をおおせつかっていますので、この惑星には滞在を続けます」
「もうひとつ?それは」
と、たずねたのはパスタ。
「政治的な話かしら」
「そういうことです」大峰さんはミヨシに微笑んだ。「現在ここはこの国の政府に対しては秘密の観測基地ですが、いずれ連盟と修好条約を結んだあかつきには正規の観測基地を設置する運びになると思います。私はそれまでの間、アドバイザリースタッフとしてこの国に常駐します」
「この国と修好条約?アメリカでもロシアでも中国でもなくて」
僕の疑問はこの国に暮らす者なら当然のものではなかったろうか。しかし大峰さんは首を横に振った。
「たとえば連盟が最初にアメリカと修好条約を結んだとしましょう。するとどうなりますか。自動的にロシアと中国は連盟に敵愾心を持つでしょう。それでは意味がないのです。我々としては、将来的にこの惑星全体を一体として連盟に加盟させる方向で考えています。そのための第一歩としては、このくらいの国がちょうどいいのですよ」
「将来的って、どのくらいのスパンで考えてるんだろう」
僕は首をひねった。
「目算ではこの惑星の周期で100年はかからないだろうと言われています」
「そりゃ気の長い話だ」
「宇宙規模では一瞬ですよ」
まあ光年単位の世界で生きている者にとってはそうなのかもしれないが、イマイチ実感が湧かない。100年は宇宙でも100年じゃないかと思うのだ。あ、でも相対性理論がどうのこうので、時間の流れがうんぬんかんぬん、ダメだ、僕は理系の話には向いてない。
「私に対する質問はこれくらいでしょうか」
大峰さんの問いかけに、ミヨシが片翼を上げた。
「あとひとつ。あなたが伝蔵を助けられたのはなぜ。あの青い石は何だったの」
そうだ、あの光る青い石。あれはいったい何だったのか。
「あれはヌシアの民に伝わる護り石です。失った生命エネルギーをわずかですが取り戻すことができます」
ああ、そういうことか、という空気が鳥部屋に広がった。
「え、何。いまのでみんなわかったの」
キョトンとしている僕に、リリイが説明してくれた。
「ヌシアっていうのは伝蔵さんの出身民族なんですよ。つまり大峰さんは、伝蔵さんと同じ民族の出身だということです」
「へえ……あれ、てことはもしかして、みんな別々の民族だったりするの」
「そうやで。みんな生まれた星はバラバラや。気ついてなかったんか」
「はい、まったく」
呆れて開いた口が塞がらないトド吉。大峰さんにもクスクス笑われてしまった。
「これくらいでしょうか。今日も政府側の人間と会わなければなりません。他に質問があれば、また別の機会を設けましょう」
ミヨシがうなずく。トド吉が、パスタが、リリイがうなずく。
「そうですね、じゃ、今日はこれで」
「それでは、また」
大峰さんは僕に向かって一礼をすると、鳥部屋を後にした。僕は玄関まで送り、大峰さんは玄関先でもう一度礼をして、青いセダンへと乗り込んだ。そして車が駐車場を出て行くまで見送って、鳥部屋に戻った。
ドアを開けると斜め下に、滝緒のふくれっ面があった。
「何。何を怒ってるの」
「一回も話振らなかったでしょ」
正直、忘れてた。
「質問があるなら、言えばよかったじゃないか」
「難しい話よくわかんないもん」
「いや、それは」
それは僕のせいではないと思う。僕が軽く頭を抱えたとき、電話が鳴った。
加津氏はまず、自分が芸能人である事実を黙っていたことを謝った。そのうえで、クウちゃんの宿泊日程を2日ほど伸ばせるかと言ってきた。今は都内の病院にいるそうである。預かった餌にもまだ余裕はあるし、期間の延長に問題はないので、そう伝えたところ、たいそう喜んでいた。電話の向こうで頭を下げていたのではなかろうか。何にせよ、芸能人も大変だ。そして最後に、加津氏は言いにくそうに、こう言った。
「あのときホテルの屋上にいませんでした?……いませんでした、よね」
あいにくここ何日かうちからは出ていないと伝えると、何やらホッとしたようだった。